佐々宝砂作「よもつしこめになるために」を読んで。/カスラ
 
「古事記」という神の物語を思索したこの作者は、経験が自身を自ら語り出す瞬間、その独自の言葉遣いにこそ耳をすます。

※「それは、ある意味では、われわれには聞き馴れない語りであるかもしれない。発生状態にある言葉は、そこに語られることどもの不思議を、科学的言語という賢しらによって納得してしまうのでなければ、それこそがわれわれの人生の本来であろう。神の物語を過去のものとするのは、現在という経験を生きるのをやめた者だけだ。永遠に発生状態にある物語は、現在われわれによって生きられている事実であって、この事実を越えた何か別の観念的対象であるのではないからだ。たとえばわれわれは、物語の発生を見出だそうとして
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