なぜ書くか、あるいは15分間で何が書けるか/んなこたーない
 
書くという行為を問題にするとき、いくつかの進め方が考えられる。
「なにを書くか」「どう書くか」「なぜ書くか」などなど。
これらはそれぞれ截然と独立している問題なのではなく、混淆としているのが実際の状況である。
それでもなお、ぼくはこの中では「なぜ書くか」を最重要視する。

ひとつには、ぼくにとって書くという行為が非日常的な行為であり、
そのためどうしたって意識的にならざるをえないからだ。
オーディオビジュアル世代以降に生まれ育った筈のぼくが、
ネットによってまた文字に面するようになったというのは大して面白くもない皮肉である。
一時期ぼくはスタンダールに凝っていて、彼がいわゆる「書
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