幸福論/田井英祐
 
 幸せになるにはどの感覚を育てればよいのだろう。わたし一人にはわからないからわたしのかわいい人に触れてもらってそこがどこか確かにしてもらう。わたしには私一人きりの幸せなんてありません。もしかしたら幸せにわたしは必要ないのかもしれないとおもうことさえあります。
恋人にまた会うまではとてもくたびれる人、もうめったにあいたくないとおもう。そうおもえばさっぱり、なんのことなくふつうの月日にもどり、3時のおやつも待ちどおしいくらい待ちかねていただきます。夕方、食堂の机に肘をついてぼんやり、人の寿命にふさわしい、結婚、子育て、老い先までのだんどりなど日が落ちはじめるころまで考えても自然のことのよう。それから
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