東京オリンピックと影/番田
ぼんやりと、何もすることもなかったが、生きているような気がしていた。冷房をつけていると、皮膚の調子が悪くなり、あまりつけないことにしていたが。今年も祭りの音もなく、静かで良かった。変な街宣車が声を上げているのがうるさかったが。説得力のあるツイートでもしてくれれば、そんな労力は不要なのだが。観客のいない五輪に、スポーツの真の意味を考えさせられることと同じように、アルコールの無い店の席で、食事することの意味を僕はもう一度考えてみたい。パンデミックが示唆することは、狡猾になることそのものだ…。目を閉じれば、それ以前の生活によって失われていたものについてを、思い出してしまう。むしろ通信環境が整っていた現代
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