Memory Trains?「切り離し」/SDGs
 
昭和30年代というのはなぜあんなにも混んでいたのだろう。休みになれば映画館は場内のドアが閉まらないほど客が詰めかけたし、例えば別府温泉などいまでは考えられないほどの人々が押し寄せた。家族旅行と言えば別府、会社の慰安旅行といえば別府。山口県の西の端、下関はそういうところだった。また、会社の慰安旅行といえば家族同伴が通例だった。だから社員5人の会社でも総勢30人近くなることもあった。

こうして多くの人々が正月などに別府に集中するものだから、道中は大変なことになる。特に帰りが。行きは切符の手配などは地元で済ますわけだから問題ない。問題は帰りだ。その頃は「みどりの窓口」などの予約システムはないから、
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