ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
 


ぼくは立派なあほでありたいが、生憎まだただのあほだ。



 ぼくは幼少期の頃から、「ありがとう」と「もうしわけない/ごめんなさい」が正に、漢字の「謝」のように表裏と感じられて、どうしてもすっかり感謝することもできずにいた。
ぼくはずっとあほだったのだ。そのちがいもわからないのだから。
実際母の日に母親へ「ありがとう」の作文を書こう、と小学校一年生の時に学童保育の先生に言われ、書いたのが「ごめんなさい」の作文。なんども詰られ、書きなおしようがなかったから、「(申し訳なさの内容)なのに(受け入れるとか許すとか)してくれてありがとう」というまどろっこしい文章を書いた。その言葉づか
[次のページ]
戻る   Point(4)