読まれる行為とは/アラガイs
 

悪意とは作為的である。
作為的な悪意とは相手を貶めようと企むことである 。
これが詩に置き換えられたらどうだろう 。たまに特定の人物を揶揄したような語りを見受けられるが、これが作者に近い肉親や兄弟、或いは友人に対してのものならどうだろう。描かれている周辺を知りえない第三者にとって、当然揶揄として身近には感じられない 。作者自身もわざわざ比喩を用いて作品にする必要はないのである。それは作者自身のこころの葛藤または叫びとなって、直接メッセージへと昇華され置き換えられるだろう。
ことばの揶揄とは皮肉であり、それは隠蔽を装う嘲笑でもある 。
悪意とは、それがあからさまに誰しもがそれと知り得る特
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