ディスコミュニケーションに関する考察/はるな
 

コンテンポラリー・アート、コミュニケーション・アートみたいなことが言われて久しいですけども、そのなかで、コミュニケーションこそがアートだ、みたいな動きが、当然大きくなってくるわけです。接しあうなかでつくられていく事象を、それはまあピクチャーでも意味でも音でもなんでもいいのですが、それをアートと呼ぶという。これだけ多くのものが多様化しカテゴライズされていくなかで、コミュニケーションこそをアートだと言ってしまうことはもちろん間違いではないと思います。
しかしそう考えたときに、逆方向、つまりディスコミュニケーションをかたちにできるならば、それももちろんアートだと、わたしたちは言わねばならないと思う
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