メーデー/salco
 
ブラウン管に映る天皇裕仁をテンちゃんテンスケと嘲罵するほど軍国少年
であった父は明らかに左翼で、党から除名されても宮本議長(当時)の不
撓不屈や不破書記長(当時)の才気煥発に敬服やまず、一般紙の他に赤旗
を購読するほど未練がましい共産主義者だったので、メーデーをほぼ愛し
ていたと言っても過言でない。
妻の営業許可証に便乗したささやかな自営業者であれ、プロレタリアート
なる階級が存在と権利を主張するところの祭典を寿ぎに代々木や日比谷へ
よく出かけたものだった。今から思えば若かりし日へのセンティメントも
多分にあったのだろう。

色様々な群集と巨大な幟旗で埋め尽くされた会場にはオバ
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