?生きている心地? 「長編<私>小説『労働』」攝津正著/A-29
 
《書いている時、弾いている時、ラジオをやっている時、攝津は時々「生きている心地」がした。》(「長編<私>小説『労働』」攝津正著)

一連の語句がどれほどの意味内容を持つかは、それを含む文脈との関係によるだろう。あるいはその文脈自体が依存する作品外の「文脈」との関係に。

「長編<私>小説『労働』」において作者は「私小説」という方法によって「私」=「攝津」を中心とした全方位的な文脈の拡大を進めている。長編と呼ぶにはまだまだ編みこみが足りないが、すでにいくつかの語句に光が宿りだした。

「生きている心地」はそのひとつだ。私なども、ほとんど感じることのできない感覚だ。この感覚の獲得のために生きているのでなければ、生きている意味が無いわけであるが。
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