そろそろとみえない糸をたぐりたぐり/白井明大
 
 詩について少し少し考えていこうと思う。

 これが詩だ、と思われるようなことばのありようが、たとえばなにかどうか書こうとするとき、じぶんの内から浮かんでくるのではなくて、ことばのするすると勝手で自由な動きによるのでもなくて、ただ、まえもって知っていたような、どこかで見聞きしたような、そんなありようとしてよぎりくるときがあり、それが既存の詩型であるときも、またそうでないときもあろうかと思うが、よぎりきたありように沿うように書くのも、それから離れて、じぶんの内面にあらためて焦点をあてて、詩こころ/ポエジー/詩性などとよばれるものが内にあるかを手さぐりながら、手さぐる先のそのものとことばが呼応する
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