るるりら[Democratic Poems] 2006年12月9日0時06分から2018年8月30日14時17分まで ---------------------------- 反戦詩/社会運動詩/反差別詩/人権詩/経済詩/政策詩など政治的な詩を表現の自由を求めて共有します。 ---------------------------- [自由詩]ジミーと青い空/AB(なかほど)[2006年12月9日0時06分] ハイ ジミー 今日は晴れているかい 君がジムという名前かどうか知らないけれど 僕の中ではジミーと呼んでいたよ ときおりすれ違うだけの君が 急に ねえ兄弟 今日はなんて素敵に晴れてるんだろう って屈託のない明るい瞳で ジミー  ちょうどその頃の僕が 暗い淵に片足を突っ込んでたのを 気づいてたのかい 手にはいつもナイロン袋を握って カゴの中を覗きながら ポップのプラスチックボトルを見つけるたびに 笑いもせずSiと声を発する そんな君を見ながら MIではデポジット料金が他州の二倍なんだって と袖を引っ張り合いながら 話す声が聞こえた ねえジミー ちょうどその頃 ホワイトオークリバーにも薄い氷が張って 渡り鳥が その上を歩いていたんだ 僕の心はその氷の上で 静かに横たわっているような気分で ときどきミシって音がするんだ ねえジミー そんなときに 今日の天気は素晴らしいよ って たったそれだけで もしかしたら君のほうが 薄い氷の上を歩くような毎日かもしれないのに ねえジミー たったそれだけで まだ青い芝生の上に出てみようか と思ったんだ 今でも相変わらずのニュースが 世界中を駆け巡って キャンパスにも相変わらず 軍服を着た学生が歩いているんだろうか そんな彼らや彼女達にも ジミー 冬の晴れた日の陽射しのこと 話してくれないか ジミー ホワイトオークリバーには もう氷が張ったのかな そして ねえジミー 今日は晴れてるかい 君の街は晴れてるかい 君の国は晴れてるのかい 君の空も晴れているのかい     ---------------------------- [自由詩]人たらん/るるりら[2007年7月17日12時37分] 《人たらん》 人たらん人になりたいと 男は思いました 道程などと つぶやきながら 人がたらん人がたらんと 別の男がいいました 道には人が あふれかえっているのに 人が足らないのです 人が必要なのです もっと多くの人を運ばなければ なりません 人が たららんたららんと歩いていました しあわせだとひとは しずかにほほえむのです 人たららん人たららん なんの変哲もない日常の 人の しあわせたらん 朝でした  あるカーブでのできごとでした 道しるべは折れ曲がり しかれたレールから はみだした魂も 男や女の体も もみくちゃになり押されへこみました 人々は泣きました悲しみました 生き残った ある男は思いました 人たらん人でありたいと ---------------------------- [自由詩]イカロス/AB(なかほど)[2010年7月31日16時48分]    水辺のイカロスは 梅雨の数日しか舞うことはない ただ静かに光りもせずにじっとしていれば もう少し 例えば 今でも草陰で静かに呼吸をしている のかもしれない 小惑星にまで触れたイカロスは 大気圏へ突入する 地球に帰るその時に その目で見た最後の映像を送信した それは当たり前の私達の星の姿 今朝のニュースのイカロスは 軍靴を履いて 飛んでいく先は明日でも昨日でもなく その降り立つ先は親にも知られず その翼は誰のために羽ばたいたのか そのとき瞳は何をとらえて 最後の光は誰かを照らしたのか さえも知られずに 私達のイカロスの 飛んで行く先を見守ることはできない それでも私達の羽ばたいている姿を 命を削って、最後はもがきながらも 羽ばたいてきた姿を 少しは覚えていてくれるのだろうか 君達の足並みは、羽ばたきは、瞳の色は 揃わされなくてもいい 今年最後の水辺のイカロスは 懐中電灯に気づいてしまい 弱い光でゆっくりと近づいてきてくれた 即興ゴルコンダより ---------------------------- [自由詩]すこし/るるりら[2012年8月6日3時47分] とんぼが にげない すこしも とんぼの 目の中に わたしが たくさん いるというのに あぶらぜみが にげない すこしも 目線のたかさ で    なきはじめた あぶらぜみ わたしは ここにいるというのに にゅうどうぐもが にげない すこしも なつのあるひ 夏は にげない すこしも 夏 刹那 いきとしいけるいのちが たちどまる いきものの脊椎が すこし うごく 中学校のグランドの土の下で  背骨の髄は とけて 脊椎の髄を植物の根が つらぬいて そうやって埋まっていたのは 人の骨 土の人となった人々の間を すこし 植物の根が動く  生と死のはざま 植物の根が動くと 運動場の片隅で 土の人達の背骨が すこし うごく お互いを包む土に押されて すこし うごく 昭和46年10月11日広島県 似島中学校グランド<元 馬匹検疫所跡>  七体の遺体が発掘され、 昭和46年11月22日までに 517体の遺骨が収容された。 似島は原爆投下による家屋などの倒壊はなかったが爆風により ほとんどの家屋のガラスが吹き飛んだ。 投下の一時間後より 検疫所と寺には 夥しい数の負傷者が船で運ばれ収容され  その総数は一万を超えた。 町の人々も大変な状況ではあったが 総力をあげて 運ばれてきた方々への献身的な救護活動に あたったという 当時のこの島は、島全体が異様な興奮の中にあり 相当数の身元不明者が この地で命を落とし、 当初は丁寧に火葬されたが すぐに死体の山ができるようになり  十数体まとめて火葬の処理が行われ 埋められた 当時をしる人は、517体だけがすべてではないと 語る いまだに 多くの人々のゆくえはしれない。 ---------------------------- [自由詩]禱/るるりら[2013年8月5日17時06分] しろく しかくい たてものの中から かわいた無数の命の声がするのを しずめるかのような噴水 しろさ きわだつ 広島平和記念資料館を想いながら 床についてみた夢は しろい塩で できた迷路だった まるで温度のない雪のよう。しかし、雪というより むしろ熱だ 塩の迷路は 進むほどに ほどけ わたしの郷里の山河が 真っ白な景色として現れた この大地は この心の内では、すべてが清めの塩なのだ 実験なのは この町だけじゃない この町は 息をふきかえした 過ちなのは この町だけじゃない 遠い国の どんなに安全だと おもえるような地域のワインでも 核実験が頻繁に行われた1940年以降の物には セシウムが含まれている この惑星は おぞましい実験で あふれている この惑星は 実験され続けている なんどでも わたしたちは息を吹き返したし  今朝だって 目覚めた しらじらと朝が来て 網戸に止まった蝉も 鳴き始めた  今年も こころが よく 乾く 平和公園の噴水が 清められた今日が  今日も 焦げた大地から 放たれる                          ---------------------------- [自由詩]ユルキャラを企画してみる/りゅうのあくび[2013年10月3日16時13分] 最近 ユルキャラなる 年をとらないで 人気をとる 命が増殖して 時には人間よりも 元気に活躍している ここでは新しい ユルキャラを 企画したい 名前だけは 決まっている 「有難宇御座衛門」になる 漢字ばかりで 読みが難しいのが 第一の難関だが 素直に読んで もらえばうれしい 「ありがとうございます」を もじって読みは 「アリガトウゴザエモン」になる ここぞという時に使って 役に立つ言葉は 感謝をあらわす言葉で 十分な場合が多い ありがとうございます というと 丁寧すぎる場合には 「ありがとうござえもん」と 言い換えて みるとゆるくは ならないだろうか ユルキャラの名前としても フレーズとしても 使えるのではと想う フナッシーは やんちゃでただ 動き回るだけではない 坊主のようだし クマモンは スケジュールは忙しいが 途方もなく呑気そうだ 他にもたくさんの ユルキャラがいる だが 有難宇御座衛門には まだ体も顔もない ---------------------------- [自由詩]夕焼けより、夜明けに/AB(なかほど)[2013年12月6日23時51分] 過去の寄せ集めですが、明日からのために 手の振りかた 賛成多数で 人として当たり前のことが ぼやけてく 白い手袋を振るみなさん 頑張ってください 昨日までの 仏頂面のほうが 嘘がなくて微笑ましかったです 手袋はとってください 僕達は日々の生活で 何かと戦っているつもりになってしまう けれど 戦うために生きているんじゃない 美しかった国 やさしいひとが 笑えない世の中で 山河に吠えている 一体何と戦っているんだ それでも もっとやさしいひとが 壊れた土手を 直している ハーブ園 ラベンダー絨毯の中 東へ東へ向かうバス 点在するハーブ園 スィングするカラフルな文字 流れる ラジオから セージ、パ リ、マリ 、タイム、、、 と聞こえ 行くのですか と問い掛ける ええ、これから でもスカボロー・フェアー なんて どこでやってるのか知らないんです ラベンダーの紫が途切れ 原生林と海がぶつかる道へ 美しい入れ墨の若者 踊りながら これから行くのですか と問い掛ける コロポックルを彫る老人 振り返り優しく 行くのですか と問い掛けてくる 長い髪と昆布を垂れる海人 岩場に上がり 行くのですか と問い掛ける ええ、たぶん でも 行き先も知らないし 正しい道なのかも 知らないんです バスは岬の先端に辿り着き すぐそこには 島影が見えていたり ここを渡って行った人 ここを渡って帰ってきた人 ここを渡れないままの人 ここから見ているだけの人 ここへ帰ってこれない人 そして 行くのですか と問い掛ける ここから続く空 はるか空の下 鉄の塊に乗り さらにはるかな地に降りたったGI 行ってしまうのですか と問い掛ける あなたも行ってしまうのですか と問い掛ける あなたも列に並んで あなたの親も見た事のない 変わり果てた瞳で こおろぎを見つめるほどの 情も映えてこない瞳で 足並みは 揃わされてしまったのでしょうか 土から生まれた唄のように いつまで経っても 詠唱の意味が 解けることはないでしょう そして スカボロー・フェアーは 終わる事を知りません せめて ハーブをちぎり 魂を 在るべき場所へ 優しいひとびとに 優しい朝が来るように 願う      ---------------------------- [自由詩]或る米軍少佐の終戦回顧録/りゅうのあくび[2015年7月6日21時46分] 原爆が広島と長崎に落ちて いつのまに真夏の最中 戦争が終わり 港街には帰還兵と 占領軍の兵士があふれていた マッカーサー元帥の命令で 英語が出来てレポートが書ける 反骨精神があり眼と目で 話すことが出来る人物を 日本で見つけようとしていた 本当の戦争犯罪は何処にあるのか 戦争が仕事である世界があるとしたら 民衆の命を戦いで守る仕事がある 戦いとは勝ち負けであったとしても 本当の真実は神々でさえ 知りはしないのかもしれない 真実が知りたいのだ まだ民衆の耳の中では ラジオの玉音放送で 戦争の無条件降伏による 報せが流れていた 誰が戦争を始めたのか 誰のためにどうして戦争が起きたのか 神であった昭和天皇は 戦争犯罪のすべてを負うことが出来るのか 日本の首都を中心に 調査する必要があった 占領が失敗すれば 歴史は繰り返すと占領軍は 太平洋の彼方にある ペンタゴンの占領軍司令部より 伝令を受けた 少佐は占領軍本部に 旧帝国軍から兵士の 転属と徴用するために 暗号電報のやり取りを ワシントン−東京間で行っていた まだ旧帝国軍には 旧陸軍にも旧海軍にも 神々がいることを疑わない 民衆がいたし新聞でさえ 神話には続きがあることを信じていた 大人たちは生きることと 死ぬことは同じことだと 悲報を覚悟していた 子供たちは蝉のように泣いていた 人も街も生垣になって 多くの血も涙も流れていた 民衆は神々になって戦った 戦争は神々になった 民衆のこころが起こした 民衆が悪くはない 日本人のこころが悪くはない 正義があったとしても 無かったとしても 民衆には力が必要だった 民衆に力が無いので戦争を起こした 知恵と力のある神々がいた 軍規と兵器を司る神々がいた 神々は民衆に力を与えた 民衆は力をもたらされて 戦ったのだ 武器を持った 少なくはない 戦犯とつながっていた 政治犯や 経済犯がいたはずだ 戦争のなかで 戦争を商いにする人間がいたのだ 戦いのなかにあって 戦いのそとに逃れることで 民衆が戦わなくては貧困にあえぐなかで 国益を私物化して 自らの保身と 利益を追求する人間がいたのだ そのために たくさんの民衆が死に 多くの神々でさえ死んだのだ 昭和憲法は民衆による犠牲を 無駄にしないために 必要だった ---------------------------- [自由詩]日本はアメリカとともに戦争をするのか/りゅうのあくび[2015年9月2日8時53分] 国家機密は 戦争を始める日をこっそりと 封鎖している 昭和憲法はアメリカの 占領政策のもとに創られた 平和憲法であって 日本はアメリカの植民地だと云う 国会議員がいる 国会で発言されたその言葉は 黙殺されている 今は戦争前夜だと云う ジャーナリストがいる 自衛隊が集団自衛権を 認めるかどうかで 戦争を認めることになるという 人々がいて戦争反対の デモ行進が続いているけれども 日本には アメリカによって行使された 広島や長崎の原爆投下や 大都市への無差別爆撃を含めた 大量殺戮兵器の使用についても 強く抗議する必要がある 原爆と無差別爆撃を 許してはいけない 昭和憲法の 憲法九条には 世界の平和に 道標を創って欲しい 戦争の恐怖と云う 事件を作ってはいけない 戦争犯罪を行うことを容認する国は どんな理由であっても 戦争をしてはいけない 戦争をする資格なんて どんな国にだってないのだから 何時でも何処でも どんな戦争があったとしても 人間への愛は 失われてはいけない 壊された愛は 取り戻さなければいけない ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]九月二日/るるりら[2015年9月2日10時13分] 八月十五日は 終戦記念日ですが、それは あの玉音放送が放送された日だからですが、 本当の意味で 戦争が終結したのは、七十年前の九月二日だということを 私は今年になってはじめて知りました。 この夏に、 広島の呉にある大和ミュージアムで開催された【日米最後の戦艦展〜戦艦大和と〜】を観に行ったからです。 私は、以前から、大和ミュージアムへは行きたかったのです。なぜなら 私の祖父も父も造船に携わった人でして、祖父の場合は 戦艦の設計に携わっていました。 祖父は、将校という称号だったらしいのですが、祖父は孫の私に戦争の話を あまりしない人でしたので私には実感がありません。ただ祖父の葬儀の日に聞いた話では、祖母にプロポーズに来たときは白馬にのってサーベルを持った軍服姿だったと聞いて とても驚きました。それが祖父のことを軍人と はっきり認識した唯一の出来事です。  祖父は 愚直で実直だけど背筋のしゃんとした人でした。軍人と言われても私としてはいまもどこか納得できませんが、ただ、戦艦が構造物として美しいという話は とても頻繁に聞いています。祖父の家の納屋には戦艦船長室の立派な椅子を 貰い受けているのを見せてくれたこともあります……。そんなかんだで、大和の巨大模型の展示は 一度は観ておきたかったのです。 つまり 私に とても近しい人は 軍需関係に 携わっていました。 しかも そのことを祖父本人は誇りと感じていたし、実際に その仕事に近い模型などを観ると 私も美しいと 感じてしまいました。 しかし、戦艦は 人殺しの道具です。戦争とはなにかは、構造物の美しさではなく 物語として ちゃんと語られるべき事柄です。  わたしは 幼いころ、隣国の方が父の会社の前で抗議のデモをしていたのに出くわしたことがありました。当時は 私は幼くて 人々の言葉が外国語だったこともあり どこの国の言葉だということすら さっぱり わかりませんでした。が、あの方々は 強制的に日本に連れてこられて労働をした方々だと思います。労働だけならまだしも原爆被爆を されてしまわれた日本人ではない方も 多数存在するのが事実です。 日本は敗戦国ですが、戦争に勝ったこともあるという事実が そこに あります。 終戦日というと、玉音放送が放送されたとき 日本人の多くが涙をながしているというイメージ。それが終戦記念日ですが、本当の意味で戦争が終結したのは 九月二日。ミズーリという戦艦の甲板で調印は おこなわれました。わたしは その時の調印の様子の動画でも この企画展で観ました。かの戦争は 戦艦の上で終わったのです。その後、そのミズーリ艦は、その後も 様々な戦争に関わっています。場所をかえて 同じようなことが おこりつづけてきたのです。 勝ち続けている国がある。勝ったことがあるが負けたこともある国が日本である。 それから 今も苦しんでおられる国もあります。 私は、これからの九月二日は、そのようなことを考えたいと思います。 ---------------------------- [自由詩]Emblem/りゅうのあくび[2015年9月7日21時02分] 塔は沈黙をしながら 夕空へと 突き出していて 旗は海から吹く 旋風にそっと 揺らいでいる Emblemの袂とは 勝負を切り結ぶ戦士たちの 闘いが始まっても 互いの信義をもとにして 闘いを決着する場所を 示す証であって その交誼に懸けて 偽りはあってはならない この誓いを示す印を 胸に秘めながら この袂での戦いは 名誉を賭けることであって 命を賭けることではない 闘いに負けることは 良心があるからであって 闘いに勝つことは ただ唯一の誇りでしかない 旋風とともに 奇跡を迎えよう ---------------------------- [自由詩]未来裁判/りゅうのあくび[2015年9月19日20時14分] 天空へ誓いを立てる 誰しものあらゆる未来は どんなに辣腕な判事によっても きっと裁くことは 難しいのだろう 大地へ疑いを晴らす 誰しものあらゆる未来は どんなに敏腕な検事によっても きっと探すことは 難しいのだろう 果たして日本の未来が すべて憲法違反の間際にあるとしたら どうなるだろうか 日本という国家で 憲法を斜め読みしながら 創られた新しい解釈により 戦争法案とも揶揄される安全保障法案が 可決されたばかりだ エベレストのてっぺんから マリアナ海溝の深海のふちまで 日米同盟が世界の覇権を取る ちっぽけな野心やらがあったとしても 本当は巨大軍事国家として勃興している 隣国の中国が末恐ろしいのだ 北朝鮮は日本人拉致監禁を解決しないまま 韓国は親中反日的で ロシアは北方四島を依然占領している いずれ紛争やら戦争が起きることの 前兆を取り除くために 日本の安倍内閣が 閣議決定をして 自衛隊を専守防衛の戦力化をした 自民党与党は強行採決をした 安倍首相であっても 国民の一人にはちがいはない 日本国民であるという理由で 日本国平和憲法に違反する法律を 作ってはならない 弱小野党は司法をきっと頼るだろうし 多数決による数の論理だけでは 片付かないはずだ 国家権力の名のもとに 指名手配されても 微動だにすることもない 証拠も隠しようがない 現首相は国民の命を 背負って立ちながら 司法による未来裁判では 国民国家の安寧を弁明するにちがいない 追憶の彼方から秘密へと こっそりと眠っている過去の中から すでに誰しもの未来に 災いを残すことになる 真実を見つけ出そうと きっと敏腕の検事が 大量動員されているだろう 現総理大臣の座にあるはずの人間の 本質的罪状につながる 日本で戦後と云われた世界を 収束へと導きながら 自国の首相を裁くことができる 辣腕の判事はいるのだろうか 前代未聞で判例もないのだ ---------------------------- [自由詩]政治家と詩人と戦争/りゅうのあくび[2015年9月21日22時11分] きっと生き方には 真剣なのだけれども 政治家と詩人は似ていると 他の人々に言われたとしたら お互いが完全に 否定をするだろう だがひょっとしたら 似ているところが あるかもしれない 目立ちたがり屋で 恥も知らずに 出しゃばりのくせに 言葉ばかり達者なので 時々人々に嫌われて 傷付く始末だけれども ほとんど影も形もない理想を いかにも大切そうに そっと懐にしまっては 時には人々には夢を託して 世の中に偽物の 幸せをもたらそうとする のだと 詩人たちは政治家たちのことを うそつきな戦争屋と 考え込んでいるだろうよ 悪魔は悪しか行なうことができない ゆえに純粋である。  ―ジャン・コクトー 政治家たちは詩人たちのことを ろくでなしの怠け者と 思い込んでいるだろうよ 敵がいる?素晴らしい。 それはつまり、あなたが人生において 何かに立ち向かっているという証だ。  ―ウィンストン・チャーチル きっと詩人と政治家は 同じ故郷に住んでいるとしたら 戦争のことも忘れて 口喧嘩や論争に夢中になり それはそれで人々は 安心するだろう けれども本当は 命の大切さと故郷の平和を何より ささやかに 祈っていると信じたい ---------------------------- [自由詩]原爆投下を繰り返さない未来へ/りゅうのあくび[2015年9月22日4時33分] 街を歩いていた哲学者のヘーゲルが 歴史は繰り返す と云う言葉を残して 残酷な戦争が幾度も繰り返されている 現代風に云えば原爆投下で地球が 何個あっても足りない 地球で最初に原子爆弾を 使用した国は アメリカであるけれど その歴史認識は 広島や長崎への原爆投下がなければ先の大戦は 終戦までに時間がかかったと云う理由であった 真実は原爆投下の最終判断を行った ハリー・S・トルーマンが 大量殺戮兵器の使用について最終判断を誤ったのだろう アメリカは自らが行った戦争犯罪の 歴史認識について 間違って弁明している 本当に様々な説があり 人体実験を行ったという残虐な説もある 日本はより平和的な歴史認識を 要求すべきである アメリカでは原爆投下に関係した人間を 英雄だと大人も子供も 信じている家庭もある 原爆投下を英雄視する 教科書がもしアメリカにあるなら 本来は日本が認めてはいけないはずだ 核シェルターを大量に建設しても 問題の解決にはならない 原爆投下の歴史認識を 改めなければ日米関係も ひいては国際社会も 超軍事大国のアメリカによる意志が 地球の意志として その歴史認識を他国だって 見習いながら 世界に拡散しながら 核兵器を政治権力の象徴としてしまう 一般市民の大量虐殺は 戦争犯罪である 使わないための核兵器の抑止力とも 話がまったく別だろう ---------------------------- [自由詩]少年たちの受験戦争記/りゅうのあくび[2015年9月26日20時17分] かつてチョースケと云う ニックネームの先生がいた いかりや長介にそっくりで 思春期を過ごした 高校で体育を教えていた 受験とは脳内戦争ではなく 知識でも何でも身体全部で 覚えるしかないが チョースケの教えだ 結局のところ教頭を目指すための プロパガンダと云われ もちろん信者などは多くはない 前方へと規則正しく 隊列を組んで前進する 体育の不思議な彼の授業では 行進を教えることが BESTで楽しいとチョースケは言う すでにTVでは見られない コントのような授業に 受験勉強の気を紛らわしながら 同じクラスでは女生徒たちと 一緒に、全員集合!と チョースケが云うのを 楽しみにしながら      去年の成人式には ドリフターズは来なかったことを 冗談とともに すでにライバルから 友人の報せで知ったばかり まだ大人にならないうちの 少年の狙撃手たちは ピストルに銃弾を込めるように シャープペンシルに替え針を詰め替える 何より担任のアドバイスを ニュースにしながら 記号としての知識を 生き残りのための情報として テストの解答欄に 限られた時間の内に 次々と打ち込んでいく まるで教科書を 読むときみたいな 沈黙の森のなかで 勉強のためだけに 珈琲と非常食ばかりを 口にして過ごしていた 静かに睡眠時間を削る闘い 誰かが、全員集合!と話している 防衛大学校の早期の試験があり 模試代わりになるし 受験もスポーツであり 防大受験は、 体育系最難関の挑戦と 学徒出陣をチョースケは勧めていた まるで受験は百戦錬磨が集まる 人生ゲームの序章であり 最も知的なスポーツであると チョースケが云っている 国公立大学合格者数の多かれ少なかれを 担任同士で闘っていると云う 自分と闘う 孤独だけを隠して 点数だけを競い合う 脳内戦争で 名ばかりの知識が 乱れ飛んでいる 社会に出て何の役に立つのか クイズに答えを 出したいだけだとしたら まず運命の人と出会う恋愛には 役には余り立たないだろうに ある種の知識は人生の冷凍庫で 凍りついたままだろう 短い秋が来て失恋をしたばかり 間もなく決戦の冬がやってくる 自分の狂気も現実も もろともになって ボーダーラインも近接していて 幻が聴こえ始める 全員集合!、とチョースケの声が 確かに自らには届いたはずで いよいよ未知の受験勉強へと 突入している 大学近くの駅まで 永い街路樹がある道 最期に残る 紅葉が落ちる日には 決意の祈りを捧げながら 人生そのものには意味がないとか 結婚は人生の墓場であるとか 大学の先生に 無い物ねだりの万能な知識を 求めるなら まだ高校卒業が 学歴にはなるだろう 学歴差別をすることのコストは まったく天文学的な金額だろうに チョースケは身体を 張ってアドバイスをするけれども ただそれだけだ 誰しもの夢を実現するためには 苦労をして信用を積み上げてみれば 誰しもの人生によって きっと信頼が産まれるだろう ※敬称略 ---------------------------- [自由詩] Why human repeat war again?/りゅうのあくび[2015年9月30日1時10分] 月がようやく 煌めくような日々にこそ 誰しものひとつしかない夜空へ 静寂という名の平和を 本当に届けられるのか アフォリズムを 唱えるみたいにして 時間が止まること さえをも希望する どうしてか 人類の歴史には 戦争によって 誰しもの血液を いとも簡単に流し続けている とても悲しくて涙が流れだすように どうしても収穫をえるために 汗が流れだすみたいにして とめどなく 誰しもの血液が 流れようとしても それらが狂気だとは 気付かずにいて 無数の血液の流れが 次第に集まっては 漆黒の大河となるのに 祈りのためにある聖域でさえ 残酷な戦争を 繰り返しながら 戦争の狂気によって 息絶えた命の死はすべて 誰しもの哀しみの大地に 帰るしかなくて もはや戻ることは できないはずなのに 戦争によって 取り残されてしまった犠牲とは 不自由であるのにも拘わらず とても鮮明な記憶にさえなっていく 戦争によって 命だけが運命により 犠牲にならなかったとしても 同じ空気から呼吸を 共にしていたはずの 本当は兄弟であってもよいはずの 偶然に敵対していただけの 人間の返り血を 浴びるようにして 誰しもの宇宙に浮かぶ とてつもない孤独により 過去を捨てることによっても もはや無垢な一瞬とは 永遠には訪れはしない 誰もいない大地などを 夢見てもかなわないだろうに 生きることは ただそれだけでは 本来は自らと他人を 傷つける理由はないのに すでに戦争の歴史を 繰り返す本当の理由は探しても 地球にある 世界遺産の何処にも 見つからないだろう あらゆる武器とは 誰しもの権力を 行使するための 鋭利な道具にしかすぎない 人類の好奇心とは猟奇的であって 自らだけでは 必ず訪れる 命の果てが何処なのか その一瞬がくるまで 何もわからない そう思い込みながら 強引に力づくで命の果てを 知ろうとすることが 人類の狂気の本性だろうに ---------------------------- [自由詩]【HSM参加作品】真鍮の牛/るるりら[2015年10月23日16時54分] こどものころ 戦争は いつかなくなると 思っていた 実際の話 古代や中世の時代と比べたら 安易な理由では、人は人を殺めたりはしなくなったのだろうか むかし 中世の時代に 真鍮の牛という処刑の道具があった 実際の話 真鍮は 熱伝導率が高いので  その牛の腹の部分に罪人をいれて火をつけると すぐに熱くなり  罪人の悲鳴が 牛のいななきのように鳴る仕組みだったと云う そして 王に 命じられてその牛を製造した者が まず最初に、その腹に入れられた と 云う 近代という時代に入ってからも、ファラリスの雄牛は あった それは、それは おおきな牛だった あどけない こどもたちも 武器を作っていた街の幾つかが まるごと すべて  牛の腹に 入れられて、火は つけられた。そして その街で悲鳴が とどろいた その死臭を覚えている人々の口は、重い。 人は、莫迦ではない 昔と比べて 安易な理由では 人を殺めたりしなくなってゆくのだろう それは ほんとうだろうか 人々が、あのころよりも さらに おおきな牛を造っていると うわさしている ---------------------------- [自由詩]コール/高橋良幸[2015年10月26日20時12分] いやだいやだ、こわいなあ、こわいナァなどと 怪談ばなしのように唱えていた矢先に とはいえ、季節は残暑で 玄関が雑然としていたのをきっかけに 勢いをつけて飛び越えてしまったがため ついこの世界にチェックインしていた つい、多世界のひとつにチェックインしていたのだった かかとの位置がどうもちがうらしい、のだろう なにせ原子核が崩壊しても姿を見せないままだった 野良の猫が生きているのか死んでいるのかは パブロフの犬も訊ねるまで反応の仕様がない ときの政府が解釈をするまで、 国語が読めない国民によく似てる さいを投げ終わってから目がでるのだったか 火の元と戸締りを確かめてから家を出たのだったか 気づいた時にはもう遅いという歌のバリエーションを いくつもの世代が歩道と歩道橋とで耳にしていた 空腹に対応する文字を自ら列挙せずとも そのように市街はできているように見える ほら、胃袋を看板にしたようななかにも ああ、ちゃんと人が集まる理由を 提示してあるのが見えるでしょう 歩く、最中にコールする 黒を白に換言し、あからさまなルビをふり 声に出しても、印刷に出しても、「重ね合わせ」されたページの本音の裏に コペンハーゲン的な為政者の観測を待つしかない なにせ、ほら、信用ならない、 至高の建前を抱えたままだから君の言葉は どんな鬨の声のうしろを尾いていこうか ---------------------------- [自由詩]ゲート/高橋良幸[2015年11月26日21時00分] 天井は高く 空も高い 搭乗のアナウンスは 行き交うスーツケースと人ごみに まあるく 反響する この(ゲート)までは 誰でも爆発できます この(ゲート)からは *****だけ爆発できます May I have your attention, please? 俺は少しアテンションした 天井は高く、 壁も高い ---------------------------- [自由詩]一億、総詩人社会/高橋良幸[2015年12月10日18時47分] *テープ起こし* 一億総ナントカ社会においては、一億人の集団意識をまず、切り刻まねばなりません 同調しすぎ、硬直するのが我が国の悪弊でありますから、近所のゴミ拾いでも人のメガネを拾わない、 どうせ俺の眼に合わないから拾わない、と宣言する、そういう市民であってほしいのであります 人の言葉を目にかけてから眼にかけないのは、詩人ぐらいのものであると、そう伺っております (と、これはソーリがおっしゃったことですし、わたくしの意見ではございません) 我が国の社会におきましては、何の気なしに一億人がいつの間にか同じメガネをかけております 一般的なメガネ店と異なりまして、詩人は詩をひとりで作るわけでありますが、 ピントを合わせて作るのが、どなたの世界が見えるようになるのかということにおいてはですね、 いずれにせよ「度を、合わせてください!」などと言われて何度もレンズを調整をしておりますと、 それが良いことなのか悪いことなのか、混乱してきた、というのが詩人ではないかと思うに至るのであります (と、これもソーリのおっしゃったことで、いまさら混乱と言われてもわたくしも困ります) 混乱しては困りますので、そこを分かり合えたことにして同じメガネをかけてしまえばですね、 右、左にかかわらずどの詩人も、憲法第9条がどういうレトリックなのかにつきましても、 口をつぐんでいるわけでありまして、【速記止まる】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(あ、そこのあなた!法律にレトリックもクソもあるかと思ったあなた!) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(あなた詩人の才能がありますよ!(法律家の才能あるとしても黙っておく)) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(あなたの言葉は法律ではないので、詩に向いてますよ!) (確かソーリにとっては本音と建前の最高規範でしたよね、その場合隠喩ですかね) 先ほどは失礼いたしました、不適切に受け取られる言葉があったと、そう理解しております その点においては、わたくしの不徳のいたすところであったと、こう認識しております 論点を戻しますと、この場合メガネのですね、屈折率が世界の見え方を決めているわけでございまして、 詩人においては読み方自体が屈折しているものですから、【速記再び止まる】 ・・・えー、いえ、屈折しているというのは、貶めようなどという意図は全くございませんでして、 変化に富んでいて素晴らしいということを屈折率に絡めて申し上げたかったものですから、 (ソーリ、ソーリ、もう時間をずいぶんとっています、無駄に長いと揶揄されてしまいます) 一億総詩人社会ならば、わたくしも同調と硬直を気にせず安心して寝られる、こう確信するわけであります 安心してポエムも読めるし、安心してシュプレヒコールも聞いていられる、 一億とくくられながらも、ばらばらでいられるのは詩人ぐらいのものと聞いておりますゆえ、 反戦の詩など戦時には役に立ちませんから<ヤジで聞こえず>詩人が!詩人がですね、 詩人が詩作品で詩人を増やしていく、これからの我が国を、かような社会にしていきたいと、 そう思うわけでありまして、ここに、一億総詩人社会を、提言するに至ったわけであります (トーベン終わり) ---------------------------- [自由詩]三人寄らない/高橋良幸[2016年2月9日20時07分] 深層学習の時代に いつの間にか 生産中止になっていた 色付きの碁石 三人目 の人間たちがこないまま 私たちの票と 反対派のそれを 採決しようとしていた (いずれはまつりごとも電算処理されて、ことばはうたに還るだろうか) いにしへのひじりのみよのもんじゅのちゑ しんぎゅらりてかけろとなきぬ ---------------------------- [自由詩]平成貧乏詩礼賛/りゅうのあくび[2016年2月24日18時30分] どうしてか愉しくて とても切ない 詩作に貧乏文学を 探し出すことは 決してけちな節約ではなくて 倹約のようにも思える 少しだけ美談が得意なことも 失敗談がずいぶん苦手なことも 干乾びた冬みたいでも生える草のよう どうやって貧乏に 生きるかってことには 本当に言葉に 価値なんてあるのかと思いながら 言語なんて 誰のものでも ないでしょうになんて 気取っても 喝采の渦なんて結果論でもなくて 自由主義を掲げる自費出版は 値千金の大黒字なんて 季節はずれの雲の向こうにひた隠す 気苦労しながら 広告費も制作費も どんぶり勘定する始末で 出血大サービス 赤字セールは繰り返されながら 損益分岐点の死闘は 幻想のなか 夜更けすぎ 道半ば 風邪を引いて お休みのところで お寒いところ 詩情に迷い込む 俳優きどりの主人公は お供の猫と ふらつきながら そう詩作中に 死に至りそうになっても 救急車も来ないまま 霊柩車もお断りで 断固して自然葬を 決め込みながら 詩に至っても 哀れむばかりの 一文無し一篇の死は 詩集のなかで眠っていた 墓標のした 再び目を覚ますように ページをめくると なぜか生き残った 詩心だけが紡がれていて 清貧が礼賛される世界には 何処の国とばかり何も知らずに 永久に平和を謳うだけでも 夢を描く自由だけは守られていた きっと遠い戦争の辛い真実が 彼方へ過ぎ去るあいだに 人間と和解した 素敵な妖怪たちが 闊歩する場所ばかり どんどん増えていく 愛らしい妖怪に とって代わられた 清らかで貧乏な詩人たちが 詩集にある余白のなかで その詩をむかえる とても哀しいお参りが ずっと続いて 残された絶景には 美しさをたたえて ---------------------------- [自由詩]オキナワとパクス・アメリカーナ/りゅうのあくび[2016年3月5日15時04分] 世界に平和秩序を もたらしていた パクス・アメリカーナと 古えの国を率いている 億千を超える民を一党独裁で治める 中国共産党に板ばさみの オキナワは世界の 導火線のひとつにもなっている ホワイトハウスの白壁は 随分と沈黙しながら まるで投票所は ポーカーハウスみたいで 巡り広げる大統領選挙の 大富豪のプレイヤーは テキサスホールデムが ハウスルールのテーブルで ひたすら民衆に 賭けることを唱えている 遅くとも ドナルド・トランプ 共和党大統領候補のカードは すでにほとんどが 白く塗られているだろう 黒いスペードや クローバーの色彩でさえ 真っ白になっている メキシコ議会は トランプ候補を 入国禁止にしたばかりで 移民排除だけではなく 人種差別を行う戦争前夜のために 過激な発言で政治カードを 使い尽くしたマネーゲームは いずれ終わりを告げられるだろう トランプ発言を拒否する国々は もはや増えていくだろう アメリカ大統領選挙の最中に 世界の政治的な 空白やら余白やらにおいて パクス・アメリカーナの時代でも アメリカの同盟国でもある 日本では辺野古基地工事が 中止になったという報道があって ひと昔より民主的な裁判所で オキナワと日本政府とのあいだを 司法が調停することになっていたのだし まだその続きがある どうするかって もちろん ジュゴンたちのことや珊瑚礁も 尊重をすることも 自然なことだけれども 日本国籍の誰しもが 日本の未来に 横たわる平和のために パクス・アメリカーナを 裁けるひとりひとりになるってことが もっと大事なことじゃないか オキナワ県民ひとりひとりの考えだって とても大切で 独り歩きもないひとつの 考えに寄り集まれば よいのだろう 辺野古に基地が 移転するかどうかは プロセスだけのことではなくて あまねく日本中で 結果を分かち合うことが 誰しもの未来だろう パクス・アメリカーナ:参照URL:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8A ---------------------------- [自由詩]【Paradox Japan】(パラドックス・ジャパン)/るるりら[2016年3月22日18時48分] かつて 大本営のあった場所は晴天なり 銀のフォークの並ぶ部屋から見下ろせば ゆっくりと雲は 流れる ナイルの川ほどではないにしろ ゆたかな水が輝いて 四方形の掘の水が かつて権威のあった場所を清めている  熱線と血の匂いに焼き尽くされた場所を  おぼえているのか同席の彼女は九十歳をまじかにしていても 童女のように ころころと笑っている 膝に自分の骨を粉にしたものを材料にしたものを埋め込んだのだという 毎週プールに通い 毎日五キロは歩く九十歳の童女の澄んだ声 かつてこの地に血達磨の人々が 犇めいていたことも 忘れてはいないはず 眼下には浪々と 大河 スフィクスのような医者なら 人生の朝には四本足で 昼は二本足 夜では三本足と 答えるだろうね 彼女は くくくと笑う 杖を使おうとすると 杖をつくリズムが解らないのよ 杖って普通の足だと杖をつくタイミングが解らないのよお ちいさな袋の中には いろんな亡くなり方をした家族の写真 核をしらずに広島入りして亡くなった方も 兵隊の姿のまま 彼女の足取りは 二本足 からだごとなくした人々といっしょに 二本足で歩いている 日本もまだ 二本足で 歩いている ******** 前に、メビウスリングの企画で書いたものを推敲しました。 【Paradox Japan】(パラドックス・ジャパン)という題名で詩を書こうという企画でした。ですが、Paradoxの使い方に自信がないので、この詩は合っているのかを どなたか 教えてくださいませ。 ---------------------------- [自由詩]アンインストール(ゴル投稿長考版)/高橋良幸[2016年3月26日21時26分] ふりかえる と誰かが押下した起爆装置だった 粉塵をかいくぐってくる 音速以上のものたち 重力を必要としなくなった動作は マリオネットのように崩れる 排熱しようとする換気装置の こころの換気装置が、 正しい演算を求める熱を捨てられず 果ては 不完全性定理の 不正な引用を始める 論理の起点は感情にあり(人間がマシンでないことを条件として) その起点の正しさはあなたがいないと証明されないのだ 昨日消えたあなたの正しさは 私の正しさための正しさでもあったのに 今日も私たちは作業に忙しい インストールをして アンインストールをする ---------------------------- [自由詩]大統領にいいたいこと What I want to say to the president/るるりら[2016年5月14日2時58分] ようこちゃんのおうちは このへんにあったの そこは うつくしく聖地化された さまざまな国から贈られた 木々からなる緑陰 なにもかも うつくしい緑に塗り替えられたけれど そこには 人の住む町があった 焼野原になったあと やっと立てた家は 撤去をよぎなくされ 林立する基町アパート群に移動しても ようこちゃんの ほんとうの家は 公園の中にあったの 大統領が高いところからみる この公園は、きっと すがすがしい緑あふれる公園でしょう けれど、そこには かつて、ひとのくらしがありました へい リトルボーイ  ちぃさな子どもという名前のバクダンは 永遠に子ども名前のまま なんども まるのみにしたのです   *********************************** 黒髪さんに英語に翻訳していただきました。 【What I want to say to the president】 Yoko's house was around here It has become a beautiful and sacred land Here are green shades of many kind of trees given by many countries All things were repainted by beutiful greens But here was a town that people had lived Barely builded House on the burn-out ruins had to be removed She moved to bristling apartments in Motomachi But Yoko's true house was in the park The president will see this park full of fresh greens from the height But people was living there before Hey "little boy" A bomb named after small child Eternally as a name of a little child It swallowed whole many times ***** 後述 この詩を書いたあと、ここに投稿する前に原爆資料館を見てきました。 公園内には、いつもより大勢の修学旅行生がいたような気がします。 改修工事中ということもあり 騒々しい状況でしたが 被爆体験をお持ちの説明員の方々は  今しか伝えるときはないという意気込みをしておられました。 改修工事の方々も掃除の方々も、とても真摯に作業をしておられました。 入館前に出口付近を通ると、資料館の出口で 号泣している女子中学生と出会いました。 リトルボーイの模型は、頭上に掲げられていました。 たったの三メートルほどしかない爆弾です。 この詩では 死のことには ふれませんでした。 死の淵の廣島を経験にもっておられる方々の言葉で 語られるべきことだと思ったからです。 ---------------------------- [自由詩]大統領よりずっと詳しい/るるりら[2016年5月19日19時57分] 愛については 猫が、大統領よりずっと詳しい だって猫は いろんな壁の上を やすやすと あるいてきたんだ ひとびとが にぎわう繁華街 ひとびとが やすらうベットタウン 肩をおとそうとしたって 猫ほどには なでかたになれない どんなにか 肩をおろしてきたんだ 焦土と化したときも 瓦礫のうえをあるいてきた すきまをあるいてきた  人間が云う憎しみを 別の人間が愛と云ってても ことばなんかに 誤魔化されず  ひょいとまたいで あるいてきたんだ 愛をさ ほんとうのね 愛をさ あるいていきたい ことばには うまくいえないけれど   ***下記のスレッド 参加作品です。 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=35730&from=menu_d.php%3Fstart%3D0 ---------------------------- [自由詩]藝術としての詩/天才詩人[2016年7月18日7時58分] その町に着くとAと俺は新築の高層アパートの7階に部屋を借りて住みはじめた。8月。青い空にはツイストロールの形をした雲がいくつも浮かんでいた。共同生活はうまくいかなかった。食事や音楽の好みの違い、お互いの交友関係など、ちょっとしたことで言い争いになり、Aは自室に閉じこもった。そんなとき俺はよくひとり外にでて、緑の山塊のカーブした二車線の道路沿いにある近未来的なショッピングモールのテラスや、高架鉄道のターミナル周辺に広がる通りを、オフィスや喫茶店のネオンサインを眺めながらぼんやり歩いた。歩きながら、俺はAと携帯電話のテキストメッセージで頻繁にやりとりをした。携帯画面のむこうのAは驚くほど素直で、いつも「許して」「私はいまの自分が嫌いで、なんとかしてもっと心の広い人間になりたいの」と言い、自分の非を詫びた。 ある夜遅く、俺はその町のアメリカス通り(Av.Las Am?ricas)という名前の幹線道路を貫く新交通システムの連接バスに乗って、Aの家族が住む家にむかっていた。バスは町はずれの更地にある巨大なロータリーで進路を変え、空港建設をめぐって住民の反対運動が続くセメント造りの低い住宅が集まる路地にさしかかる。俺は、夜のラッシュで座席がほとんど埋まるバスのなかで光の乏しい外の闇をながめながら、もう何十年も前に頭に浮かんだ、、[夢のようなケーブル]を敷設する計画を思い出していた。その日の深夜、雲が低くたれこめたコンクリートの住宅の小さなリビングのテーブルで、俺はその街区の詳細な地図を紙に書いていた。ほんの20年 ほど前、90年代の終わりだった。俺は写真やテクスト、絵画といったあまたの表現ジャンルの壁を突破し、そのむこうにある 「生」の 現実をエンコード(encode)する、あらたな藝術メディアについての決定的な啓示を得た。 そのころ俺は医者からパニック発作だと診断された。 昼間、ブラインドを下ろしたアパートの小さな部屋を避け、丸太町通りの用水路や行き止まりの道路がつづく一画を歩き、日が暮れるとDVDや書籍を売るディスカウントショップのゲートをくぐった。深夜、近くの家電量販店のストレージに投棄された石油ファンヒーターの電源を入れた。立ちのぼる油膜が空気を覆っていく部屋で、丸いテーブルの上に光沢のある写真雑誌のイメージをならべ、そのひとつひとつを詳細に検討した。目に映っていたのは湿気が充填された熱帯雨林の、小さな高床の家屋で裸の子供たちが輪を描いて遊びまわる映像や、不整合につぎはぎされたアスファルトの道路に横づけされたダイハツ製のバスがラッシュの乗客を拾う、産油地帯の大都市の夕暮だった。あの日から俺は少しずつ、ランプウェイや空き地にかこまれたグーグルマップに載らない路地をつなぐ、夢のようなケーブルを敷設する計画について考えていた。いや、それは偏在する集合意識に焦点をあてた、旅と日常の境界を超えすべての開発未定地に生を受けた人々が参加する、終わりのないアート・イベントだと言えるかもしれない。 「藝術としての詩」とは何か。航空機がその町の上空に差しかかると、小さな、モスグリーンの丘の上に固まるアルミ屋根の住宅群を君はきっと見るだろう。そこを走る幾筋もの道のひとつに90年製の真っ赤なマツダ車が駐車しており、その前にある一軒がAの母親や小さな妹たちの住む家だ。そのあたりはL 字やS字形に急カーブする道路が続き、町の大部分の緑の木々におおわれ整然とした景観とは、一線を画しているかのように見える。俺はその町にある要塞のような建物の、映像・写真センターで働くキュレーターとテーブルをはさんで向かい合った。男は、Aの家族が住むエリアの詳細な見取り図を指さしながら、夢のようなケーブルはまだ引かれていないがケーブルを支えるスチール製の支柱はすでに埋めこまれており、それは数年前その地区の大半が埃っぽい砂利道だったころ、一人のドイツ人アーティストが住民や子供たちのあいだで絵の展覧会を開催しようと計画した名残なのだと語った。展覧会 - exposici?n- というもうずいぶん長いあいだ聞いていなかった言葉を反芻しながら、俺は低く雲がたれこめるセメント造りの家々とAとの日々を思い出していた。 ---------------------------- [自由詩]口癖についての不思議/りゅうのあくび[2016年11月6日21時35分] やはり言葉には音程があるし 届ける意味と宛先があるのです。 けれども、感じるままに あらゆる想いを誰かに伝えることが メッセージなのだろうと 思い違いをすることがあるのです。 いつしか、鳴り止む口笛のあいだには 名前を呼ぶ声でさえも、 沈黙をすることがあるとして、 きっと、それなりの口癖なのでしょう。 例えば、人生にも暗澹とした 想いがあるとして そんなことをうつむきながら 考えている人間に、 「死んだほうがいいんじゃない」とか 眼鏡を掛けながら一緒に 酔っ払っている人間に、 「あなたも土偶(どぐう)みたいだね」とか 誰しも平気で思ったことを 伝える正直な言葉があるのは、 きっと、もっともな理由があるのです。 それでも、きちんと怒りを向けられると、 その時には「ごめん」 などと言ったりします。 では果たして秘密にすることなどは、 何処にあるのでしょうか? 時折に、透き通る真実を映し出す 口癖の言葉で出来た秘密の鏡が あなたの目の前にも 再び現れたりするのです。 ---------------------------- [自由詩]世界で最も哀しいポーカーテーブル/りゅうのあくび[2016年11月10日7時45分] すました顔のままで トランプの手札をふいに見る 余裕をちらつかせた得意のブラフで 先にあるチップも巻き上げたばかり 次から次へ老境にあるチップ全てを賭けて さらに威力を増したブラフが 上手く逝くとだけ そう信じていただけじゃないのか 決して悪くもないナンバーと けれども良くもないピクチャーを 隠していたトランプのカード 立ち向かうポーズを取って 暗夜の戦争を知らずにいた 老人が自分の命にすら 値段を付けたラストゲーム 本当は誰も付きはしないはずだった いつか昔のポーカーテーブルで つい最初に誰かがトランプのゲームに 乗ってみただけで 気まぐれの真実が始まった その誰かは深くは知らないのだけど もう遠い果て何処かの記憶にある 涼やかで孤独な 政治ゲームを始めていた ポーカーテーブルでは ディーラーがシニカルな確率で カードを配り終わるたびに 変わり映えもしない結果があるだけだった ごく潰しのポーカーゲームは ようやく終わったはずで 最期のカードを待っていた そう投票をした人間たちは 賭けに付き合っただけ では済まなかった ジョーカー気取りもできない 素人女のポーカーフェイスが狂わせた ラストゲームでは もはや老人の汚い口先だけに 相手の素人女が こだわり始めていた段階で もう勝負は終わっていたのだろう 周りの見物客は 少しだけ珍しそうに ただそれを暇つぶしで 喜んでいただけかもしれない ナンセンスな栄光にある フィーバーのなかで ネオンサインで輝くカジノにいる 顔がない客寄せピエロが 近くに横たわる 寂し気なサクセスストーリーには アメリカの落日があるだけじゃないのか 世界で最も哀しい ポーカーテーブルのうえでは 残念だけどもう歴史に ジョーカーが現れる伝説ですら 生まれはしない時代が 始まるとしたらとても悲しい  ---------------------------- [自由詩]聖地に捧げた詩/りゅうのあくび[2016年11月27日15時02分] 別に気取らずにいた 伝説のジョーカーですら 選挙戦で破られたばかりです もはやキングの手札も 全てプレジデントになっているでしょう なにせ米国は むかし英国にいた キングから独立した 大統領制の国なのですから おそらくトランプの手札には 軍隊やらの司令官が描かれた エースの手札ぐらいあるでしょう でもおそらく選挙戦の後では トランプのカードが すでに米国式に 印刷され直されています オバマ大統領は 広島に訪れていました 原子爆弾投下の爆心地に 祈りを捧げていました その日溜まりは もはや真夏にしかないのです 遠い国どうしなのに 日米同盟がどうしてあるのでしょうか それはワシントンDCと東京の時差が 半日程だからという理由もあるでしょう それは偶然ではなくて 米国の首都がある場所にとって 丸い地球の裏側にあるはずの 日本の首都が東京だからです 米国に光があれば日本には闇があるのです ワシントンDCに夜空があるとしたら 東京にはきっと青空があるのですから この場合では北朝鮮が 核配備をしようとする 危ない国だから同盟も必要と云う 理由だけでもないでしょう きっと地球の裏側にある国のことですら お互い想っていたいのです もちろんそれは 日本だけの都合ではないのです 米国の都合では トランプ次期大統領は 日米同盟で駐留する米軍に 駐留費の支払いを さらに求めたいと云います 軍事ビジネスを目指しながら さらに米国は 軍拡を進めようとしていることも やはり真実でもあるでしょう それが本当だとしたら 日本は駐留費を用心棒代として 果たしてさらに支払うことが必要でしょうか 日本の答えとしては さらなる支払いなど 要らないと考えるのです 日本には今もなお原爆投下の爆心地があって 平和の祈りを捧げる聖地があります 長崎や広島では 大量殺戮兵器の投下によって 苦しんだ民草の 悲しい墓場があります 米国には用心棒代を請求される前に 日本が慰霊費代を要求するのが 世界の平和につながるという理由です そして宗教団体には税金をかけた方が 世界の平和のためにもなるのです きっと宗教白書は日本の切り札になるでしょう 大量殺戮兵器の使用は それだけ地球市民にとって 永遠の戦争犯罪でもありうるのです 過去の闇からは 未来の光が 生まれることを祈ります ---------------------------- [自由詩]新聞記者が残そうとしたメモ/りゅうのあくび[2017年1月1日19時04分] 厳冬の足跡が消えるだけで 乾いた夜空ではきしむ靴音も かすれて響きはしない 遠隔地から丸聴こえである 嘘発見器の警告音がする その信号音の哀しい振動は 或る謎を解く鍵なのかもしれない ちょうど今しがた それらの信号音には 冬風に似た異音のような強度がある すでに本姓本名不明の 日本国籍の人間が或る顔を 伏せた写真が手元にさえも見えていた 誰かのCodeNameが 何故か日本国籍であるにもかかわらず 異国の名前を通称しているだけではない きっとここでは足跡がつかない CodeNameでのTextsの流通が 隠れていると推定してみる 詩人たちには それぞれCodeNameがある やはりここに詩集を生み出す Systemがあることは 読み手と書き手の人間にとっても 自然な理由だけではなくて 極めて不自然な理由もあるかもしれない Textsの値段が暴落しているのにもかかわらず 特定できない受注先も 発注先ですらやはり多すぎる Textsの流通については 読み手と書き手で相場が 釣り合うはずなのにもかかわらず 相変わらずTextsの価格は低廉過ぎる 例えば自費出版とか発注額などが 大きい場合でBusinessにとっては やはりその差分は不自然なほど 中間業者の巨額の利潤としてあるだろう 賭け事の対象として そもそも詩作について 見なされはしないけれども 詩人たちが残すメッセージが オブラートに包まれたまま 何らの詩集はまず機密などではないとすれば 秘密の足跡でもあることもわかる すでに誰しもの詩人の足跡は 例えば何らの詩集を描こうとした 誰かの筆跡でしかなかったとしても そんな足跡の意味などは きっと謎めいたものかもしれない 詩人たちのSecretsBootsとは 恋を伝えながら愛を話そうとする HoneyTrapに用いる スパイの偽靴でもあるだろう 「チューリップ・バブル」とすら 呼ばれる経済現象があるだろう 仮に健気に咲く花として詩があるとしようか それらには読み手と書き手 それぞれの立場で効用が違う 読み手の側にとってはただ同然の詩集は やはり花壇に咲く たくさんの花束が咲く風景みたいでもある もちろん無から有が生まれはしないわけだが ただ同然でその花畑を 見ることが出来るわけでもある 書き手は苦労しながらで 自己満足であったにせよ 花壇に詩集の花束を咲かせたとしよう 詩人たちのSecretsBootsとは 農民の偽靴でもあるだろう 「流動性の罠」とすら 呼ばれる経済現象があるだろう 仮に詩集が商品でもあったとしようか しかしながら或る特定の商品について その価格がゼロに近いほど 投機的な価値が無限に上昇するという それを知る中間業者の立場があるかもしれない 読み手にもその類での人間がいるはずである ただより高いものはないということが 事実だとした場合に高度情報化社会について やはりリサーチベースでも ある商品の広告的価値は ゼロ水準で保たれるのだろう その方が書き手の商品の広告的な価値が 一方で無限かつ不健全にも 期待値が上昇するだろう 詩人たちのSecretsBootsとは 商人の偽靴でもあるだろう 「神の見えざる手」とすら 呼ばれる経済現象があるだろう やはりリサーチベースで 足跡の付かない取引が 臨まれていると 考えた方が良いかもしれない まるで丁々発止でもある この程度の推定で済めば まだ良いほうでもある 本当はCodeNameだけを名乗るやり取りで ただより高いものはないとして 誰かが中間業者を語り 出来る限り足跡を付けずに どうしても安直なSystemが 管理的な競争原理を付ける限りで 情報を卸していることに 関与するのであれば 暗躍する中間業者によって ネット詩壇に対しては 情報の或いは文化の搾取が起こっているだろう 詩人たちのSecretsBootsとは 実のところ 詩人の偽靴でもあるだろう wikipedia参照;詩作中にある経済学用語 ※チューリップ・バブル https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB ※流動性の罠 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E5%8B%95%E6%80%A7%E3%81%AE%E7%BD%A0 ※神の見えざる手 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%96%E3%82%8B%E6%89%8B ---------------------------- [自由詩]白夜の終わりを照らすひかり/りゅうのあくび[2017年8月10日12時44分] 1.墜ちた小さな太陽 白夜には子供たちが 祭典に訪れる黄昏があったとして 平和が続く夜空に 祈りを捧げていたばかりでした かつて遠い昔 世界大戦で投下された 広島と長崎では 人間たちが造った 小さな太陽が墜ちて逝きました 残酷な真夏の陽差しによって 焦げて焼けただれた骸たちを すでにかつての少年たちが 哀しい力を振り絞って抱いていたのです 今年も遠い世界の科学者からですら 骸になった死者へ被爆地へと 黙祷の手紙が 届いていたばかりでした 2.分断をされる極東の半島 小さな太陽が墜ちてから かつて白夜のもと 隣国の半島では 大国を巻き込んで 代理戦争が起きていました ちょうど極光が海を越えて 大気圏と宇宙を分かつようにして 軍事停戦境界線より北側には まるで天空に耀く北極星を信仰するように 同じ血族による支配が 北半島国家で生まれていました 境界線より南側には まるで白夜による祭典を信仰するように 民草の自由を尊ぶ 南半島国家が生まれていました ひしめくばかりの導火線によって 極東の半島はほぼ完全に 分断されているのです 3.ケンタウロスが携える黄金の弓矢 永く続いている白夜のもとでは 射手座の近くで耀くだけではなく すでにケンタウロスには 天空を往く途中で 黄金の弓矢を運んでいました ケンタウロスは人馬一体の幻獣として 小さな太陽できた弓矢で狙いを定めるのです 人間のような上半身は アメリカ人にも似てる逞しい風貌です 遠い宇宙でも疾駆のなかにある 馬体のような下半身にみなぎる体力には 社交的な日本人の 清らかな血と汗が流れています 白夜の幸せを祝福する祭典は 世界で平和を誓う 民草による税収で賄われているのです 切実な白夜を守護する ケンタウロスは 日米同盟の似姿でもあるのでした 4.北極星による天球の報せ 北側の半島国家では 三代目の暴君が君臨をしている時代に 小さな太陽を使うことができる科学により 白夜の世界を恫喝しようとする 北極星からの天啓があったようなのです 統治者の独断による核実験が 半島の海を越えることを報せていました 隣国でもある日本の核被爆地であった 広島上空を通過して 白夜の世界を見張る米領グァム島に 火星型ミサイルを射出しようとしている 暴君の意向は本日再び 傍受されたばかりでした 5.暗夜のはじまり きっと安全保障に関わる防衛記録とは 何処かに隠匿されているでしょう いずれ白夜の世界は 終わりを告げることでしょう 暗夜のはじまりにも やはり暗闇を照らす ひかりはあるのですから 火星型ミサイルを撃ち落とすためだけに 暗夜を往くケンタウロスが 弧を描く黄金の弓を握りながら 小さな命を守るため北極星の幻影を狙い 漆黒の矢が放たれるとき ---------------------------- [自由詩]ラ・ラ・ラ族/るるりら[2018年8月30日14時17分] お義母さま あきの こごえです 朝風に 精霊バッタの羽音が そっと 雫を 天に すくいあげています 何が終わったのでしょう もう はじまりはじめの空 むかしむかしの反対のはじまりのはじまり めちゃくちゃダンスを夢中で踊る子供らの真似をしたがる 私のからだは重いです けれど 私と共に たふたふと生き物のように動くものがあります 天女の羽衣が 頬を そっと かすめました 透けて見えたのは しろいレースのアンブレラをさした少女のような貴女 素足が 五ミリは 浮いています あなたの お父さまがいらっしゃいます どこへも 逝かず 六歳のままのあなたのそばに ずっといらっしゃったのです ゲンバクのことを人々が忘れると だれかが言っています わすれられるものなら忘れたら いい 口にしたくなければ 口にしなければ いい とてつもないひかり ただただ臭かった廣島の町 着ていた服どころか皮膚までも 剥ぎ取られて 食べるものもなく 彷徨う人々 毎日毎日 煎餅布団と寝た貴女は しつこいくらいに いつも わたしのふとんが ふかふかであるように心配してくれた 高窓から さしこむ光に 綿毛が舞い上がるように 浮いて かろやかに歌うのは 少女のままの貴女 うつくしい裸族としての朝 わたしも空をとぶ ---------------------------- (ファイルの終わり)