クローバーのおすすめリスト 2005年6月1日13時24分から2010年1月17日1時23分まで ---------------------------- [自由詩]空の朝/チャオ[2005年6月1日13時24分] 朝方早く、空は虹色をしていた。 世界にだまされている。 ベランダに立って、気がつけば、 世界は今も動いている。 給食センターのトラック。除雪機の眠った倉庫。 海に続く空気。 朝方早く、空は虹色していた。 世界はだましている。 仕事着、汗ばんだ白いシャツ。汚れた言葉・・・。 世界は今にも起きようとしている。 ---------------------------- [自由詩]かすみそうを送る/吉原 麻[2005年6月1日16時14分] なんてことはないんだ。 今朝、母は雪を見ながら(正確には彼女にしか見えていない雪だ)卵焼きを作った。 キッチンに立つ母を見るのは久しぶりだけれどやはり、しっくり、とくる。 料理をするために洋服を着替え髪を結い化粧をする。 なぜ? 卵焼きを作るのに料理本を傍らに置く母を見ていたら 嗚咽が止まらなくなる。 父は早々にいってしまった。 兄は2日前から会っていない。 今日一日、家という狭い空間に 私は母とふたりきりだ。 もう母は、私の名前を間違えない。 もう誰の名前も呼ばないからだ。 呼んで間違えることが怖くなったのだろうか、 それとも名前をすべてなくしてしまったのだろうか。 「ちょっと、たすけて」と手を伸ばしてくる母を支えて椅子に座らせる。 軽いと思ったら意外と重く、命を感じる。 前みたいにそこのテーブルで、本でも読んでほしい、と思う。 ---------------------------- [自由詩]UFO/岡部淳太郎[2005年6月1日18時57分] (どうか、ユーエフオーと発音してください。) 光 光る 夜の光 それは星でも 月でも 街の灯りでもなければ 眠る人々の心に点る ささやかな光でもない それはやってくる 空から 空の頂上から 明らかな目に見える あるいは目に見えない 光を帯びて 自ら輝きながら 空の上の空間から 飛来してくる 未確認であるがゆえに 確認されたがっている 真実がある 悲しみも 淋しさも また いかなる地上の助言や嘲笑にも 耳を傾けてはならない ただ光に目を開き 光のままに 光として 歩くのだ 光は 君のために 人々のために 空から降りてくる 時は静かだ 他の惑星はこれほど暗い夜を持たない 他の人々はこれほど脆い夢を持たない やがて君は 君の仲間のような 君自身の魂のような 遠い声を聴くだろう 橋を渡るために 身支度を整えなさい われわれはあつまっている 君よ 眠る人々の心に点る かすかな光をあつめて 宇宙のすきまを ことごとく 光で満たせ 「夜、幽霊がすべっていった……」拾遺 ---------------------------- [未詩・独白]柔らかい殻/Monk[2005年6月6日0時14分] 生ぬるい屋根裏にあがると何かのぬけ殻がそこにある。 僕が入れそうなくらいにそれは大きい。 「入ってもかまわんのだよ」とぬけ殻は言う。 僕は少し考える。 やはりそれは間違ったことだ、と思い遠慮しておく。 ぬけ殻は徐々に縮みはじめ、その破かれた箇所が 薄ら笑いのように歪んでゆく。 僕はそのまま屋根裏をあとにする。 背後で声がする。 「お前は常に自分が正しいと思っているのか」 同時に生ぬるい空気が背中をぐいと押す。 ---------------------------- [自由詩]船/ひろよ[2005年6月6日0時56分] 泥船に乗ってしまったと 退廃色の涙を流す 行き着くところは地獄が浜と 漕ぐのも忘れ泣きじゃくる 独りぼっちが淋しいのなら 私も一緒に乗りましょう 沈んでしまえば手に手を取って 別の浜辺を探しましょう あれから何年経ったでしょう 小さな可愛い箱船だけど 子宝と言う宝を積んで 今はとっても幸せと 沈む事ない船に乗り 金色色の涙を流す 行き着く先は極楽浜と 新たな海へと漕ぎ出した ---------------------------- [自由詩]マナー違反/プテラノドン[2005年6月6日7時16分]  見上げてみたところ、誰もが手を取り合ってる様子。「やあ」とか、 「またね」とか、迎え入れる言葉はまだまだ尽きない。 とあるレストラン。ナプキンの上に置かれたままのナイフとフォークは スプーンに交渉する。「彼等にはもう切るだの、刺すだのは必要ないだろ?」 「すくえるお前だけいればいいのだよ。」 スプーンは違う違うと首を振り、たしなめるように言う。 「彼等にとって本当に必要なのは、素手で掴み取ることだよ。」 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せっかちなかぜは わたしのさきっちょの かみのけを なでては またぼうしを とばして こんどは きっと あなたのもとへ そうして くうきにまじっては はなびを さそうこえ やくそくを おもいだす おふとんのうえ かとりせんこうが はなさきを とおりすぎて つきあかりのした かずすくない やみをぴょんぴょん わたりあるいては やまのむこうに きえてゆく ねむり ---------------------------- [未詩・独白]Y/船田 仰[2005年6月6日22時22分] どうでもいい、が腐っていく。干乾びた太陽がぼくを揺らして、さよなら? 口調を真似てしまったがために、思い出した。 要らない、から好きだよ、までをフォローして下さい。そして出来るならあの坂道の全てに足跡を、つけて、目をつぶってる間にもう一度消して、またつけて下さい。そしたら楽になって誰かが許すかもしれないじゃない。 ゆるぎなく過ぎてしまった客観世界への信仰をいまさら乱すこと。さよならへの期待は飛んでいってしまうので、泣けもしない。君がいるなら笑っててもいいのに、からっぽをからっぽだと言うことさえしないから、夜を歩いてるんだ。ひとりですら。 ロールと打とうとしてソースって打った。でも間違いじゃない気がしたのでそれを覚えていることにする。きみの指のながさを測りたいので、太陽を見ることにする。 どうかさよならをフォローして、きみはひとりぼっちだと言って、ぼくはきっと忘れられないから、目をつぶってるあいだに全部。 矢印ばっかり書いてるから怖くなってしまった。  腐るはじまりへ、からっぽだ、それだけ。 ---------------------------- [自由詩]ゼンマイ仕掛けの飛行機が/yuma[2005年6月8日22時24分] 退屈を嫌う甥が「私の相手」に飽きて 玩具箱からソフトビニール(そしてきっと抗菌使用)の怪獣を乱暴に持ち出した 嬉しそうに昼前にはもう遊び尽くしたトミカ製のプラレールと私を押しのけて 甥が向かった箱庭は甥が遊ぶにはどうして懲り過ぎなようにも思えた。 窓を見れば贋物臭い飛行機が空を飛んでいる 子供の落書きのような嘘の無い嘘臭い青が私の詮の無い空想を助長していく。 戦車に無理矢理詰め込まれたLEGOの警官達が高らかに正義を叫ぶ。 戦車の砲台は最新式の巻きバネで打ち出されたBB弾の威力は凄まじい。 午前中に私が体験済みだ。 怪獣が戦車を踏み潰す。誇らしげに傾いて叫び声を上げる。 戦車の脇をすり抜けてチョロQがせわしなく逃げ回る。 逃げ惑う人々の中にはきっと正義のヒーローや怪人だって混じってるんだろう。 抗菌使用には菌はおろかライダーだってショッカーだってかなわないんだ。 (なんならスパイダーマンだって。) 電子音が鳴り響く。 超合金と銘打たれたヒーローが待たせたなとばかりに秘密基地から現れる。 きっとあの秘密基地は「公然の秘密」なんだろうな。と思う。 可哀想に悪の秘密結社も見てみぬ振りで大変だ。 ヒーローは何時だって卑怯なほどの奇跡と偶然が味方する。 喩え怪獣が放射能を放ってもそれに勝る勇気で打ち勝つのだろう。 ヒーローは怪獣に勝てても甥には勝てない。 上手いこと持ち主の目を盗んだゼンマイ仕掛けの飛行機が 窓の隙間を摺り抜けて青白い空へと落ちてった。 何かの間違いで私の甥の手元にある本物の飛行機の中で 乗客たちだけが妙にリアルに現実を理解していた ---------------------------- [未詩・独白]空中回転/木葉 揺[2005年6月16日12時14分] 庭先にバイクの部品 雨に遊ばれて 貝が話す声を聴く 雲はただ 自在さに気づかず 恵む心が溢れて 太陽を説く 転がる部品が 小さな光を生むことをやめ ただ風が吹けばいいと 雫を振り落とす ああ、遠い憧れ かがり火を消さぬよう うずくまって休めよ ---------------------------- [自由詩]意外とバイパス/木葉 揺[2005年6月16日22時30分] アホの振る舞いは 小さい頃に母に叩き込まれたから 自然と所作として表れる でもバイパスを渡るときは 高校球児のようにお守り握って 全てを忘れて決死の勝負 渡りきって汗をぬぐい安堵感いっぱい で、そんなとき さとみくんのマネがしたいのか テレクラティッシュの要領で 横からフッと二本指で 名刺を差し出し微笑むサラリーマン お昼過ぎにはある話です 私は慌てて自分の身なりの汚さを恥じて 「カクカクシカジカピーポーポー」 というと 「そんなことは見りゃわかるよ」 と改めて徹夜で読破した参考書の威力を知るのです だから一つのデータとしての「営業」 に対し 普段の口のあけ方は○でなくて△なんだ そう力説したところで ごろん! と丸め込まれて そのまま近くのスタバまで転がされてしまいました だけどやはりコーヒーを一杯注文すると 参考書の56ページが気になり 彼のサクセスストーリーが進んでゆくほど 滑車の実験の図を自分で描いてみたくなり 「あの時どうして授業をさぼったのか」 悔やまれたのです ずずず・・・ コーヒーがかなり減りました とうとうお話は「恒星と惑星の違い」に展開し 耐えられず半泣きになって 「そのオチだけは言うなーー!!」 と叫んで 薬指にフィンガーパームしておいた五百円玉を コップを通り抜けるマジックをする間もなく 叩きつけて飛び出しました 後はもう、つながれて暮らしてる日本のワンちゃんの散歩 勢い余って、方向を失って グルグル回って おしっこが出る限りマーキングを続け 自分のテリトリーを明確にしておいたのです ただ、予想外の道に出くわし 涼しさに誘われて つい書店に入ってしまったのがいけなかった 見つけちゃったんですよ、「中学生理科」 もうこれ以上 手を出しちゃいけない分野なのに ---------------------------- [自由詩]にぼしのジョニー/たもつ[2005年6月16日22時38分] 池袋のスクランブル交差点 ど真ん中で俺は 釣り糸をたれる ジョニー にぼしのジョニー おまえはどこか 白い皿の上で美しく 干からびている ジョニー にぼしのジョニー おまえもかつては 遠くの海を泳いでいた ここ十数年海で泳いでいない俺は その悲しみを知らない そもそもおまえに悲しみはあるのか 干からびた目の玉で 中空を見つめ にぼしのジョニー 俺に釣れるのは いつも季節感の無いものばかりだ そう ジョニー 恋人のマリーは おまえがにぼしになった後も 海を泳ぎ 海で躍動し そして昨晩 海で力尽きた ジョニー にぼしのジョニー おまえの干からびた脳みそに 俺はかぶりつきたい! 俺が釣りをしているのは いったいどこの池袋なのか おまえが干からびている その白い皿こそが 池袋ではないのか ジョニー いわしのジョニー 俺もおまえも この池袋から早く帰りたいのだ ---------------------------- [未詩・独白]初夏の庭/フユナ[2005年6月24日0時12分] 何年も 荒れはてていた庭に 野菜の苗が植えられ 植木鉢の マリーゴールドが置かれた 母と父が水をまいて コンクリのように 馬車道のように押し固まった土を いくぶんか、柔らかくさせた 網戸越しに見ていると それはまだ スクリーンの薄もやの むこう 上の木々にはまだ混沌が満ちており 小さな弟はまだ その蜃気楼に気付いてはいまい どこも悪くなくなった 私と小さな弟は 今度は どこも悪くないことに 冒されまいとも思っている 上の木々にはまだ混沌が満ちており 下には枝豆とミニトマトとマリーゴールド そして網戸の隙間を 通り抜けてくる 夏の臭気と水音 まだ何も網戸を越してこない 初夏 その向こう を 私も小さな弟も もてあまして うだるように 祈っている     ---------------------------- [自由詩]僕の空/英水[2005年7月27日5時42分] 駅のコンコースに敷き詰められたタイルの一枚が エレベータになっていて 上昇 もしくは 下降する という都市伝説 それは、踏み込んでみなければわからないという カフェでビールを飲んでいた グラスの底を覗き込んだ時 チカチカ黄色く揺れてるタイルが見えた グラスの底から空を覗く 黄色く汚染された空が タイル状に分割される 踏み込んで見なければ、どの空へ辿り着くのかわからない 踏み込んでみたら下降するかもしれない  鳴いている子午線に隠れて  きっと泣いている  あらかじめ僕に与えられた空は。 ---------------------------- [自由詩]おとといきやがれ!/umineko[2005年7月27日13時31分] ある朝 会社までの道を急いでいると 見慣れた制服姿 サルサ銀行のお兄ちゃんだわね あ、そ、と思って通りすぎようとしたら 突然制服は 深々とお辞儀をして 申し訳ありません、と わたしに向かって謝った なんのことだかわからない しかし彼は真剣である まなざしに宿る光がホンモノだ 仕方がないので そのわけを聞いてみた どうやらわたしは 今度の週末サルサ銀行に行って 振込やら通帳記入やら両替やらなんやら たまりにたまったこもごもを その兄ちゃんの窓口にぶちまけたらしい そのあまりの繁雑さに おまけにリラへの両替という難問も手伝って それでも彼は一生懸命 あっちの机こっちの担当に聞きまくって そうこうするうち 昼休みをつぶされたわたしがブチ切れてしまい おとといきやがれ!と  叫んだらしいのだ 「だからこうして  あやまりに来たンです」 なるほど 時空も超えたか わたしの妙な感慨などおかまいなしで なおもくどくどと反省と感傷は続く しかしわたしには わたしの朝とわたしの一日があるのだ 突然の時間旅行者の 馬鹿丁寧な言い訳など聞いている暇はないのだ 貴重な時間を奪われたわたしは ついに再び大声で叫ぶ おとといきやがれ! すると 彼はゆっくりと 白いもやに包まれて だんだん薄れてゆくではないか ああ なんということだ そういえばおとといコンビニで 見知らぬ青年が話しかけてきたのだった 「今度は許してくださいますか」、と 立ち読みをしていたわたしは 完全無視を決め込み ウィンドゥに写った姿に向かって おとといきやがれ!と つぶやいた気がする 顔だちまでは覚えてないけれど 声の感じがどことなく似ていないか ああ そういえば先週土曜日に…            ---------------------------- [自由詩]記す//////[2005年7月27日17時15分] あくびと同時に何か言った 瞬間何をいったか解らなかったが 「死ね」 と言っていた 自分に向かってだ 死が入ってきた いかん と 左目の少しうえの 米粒くらいの空間が突然神になった 死は出ていった その小さな空間に感謝の念を捧げた 午後3時18分、7月27日 ---------------------------- [未詩・独白]夏休みの宿題/yozo[2005年7月27日19時27分] 通勤電車から見えるいつもの煙突 15時になると渋滞するバス通りの十字路 新幹線の車窓をすべる田園風景 飛行機から望む眼下の蛍火 きみは今なにしてるだろう 日常を台風一過 剥げ落ちたシャトルの特殊金属 ラジオからは緩くファンク 塩素臭い夏休みのプール 気付くまで少し時間がかかる事柄 息を潜め眠る人の生活 1日に3度時差を超えるセレブ 汗で湿る生え際の産毛 ハロー宇宙はいい匂いがします 将来の夢なら読書感想文のがラクだったかな 隣の席の子とする ドリルの答え合わせばかり凄く覚えてる [問1]  夏休みの思い出を100文字にまとめなさい ---------------------------- [自由詩]そろもん(映像の話)/みつべえ[2005年7月27日20時45分] スペースシャトルの打ち上げが映っていた アトムや鉄人28号の時代から ずいぶん経っているのに いまどきロケット噴射とは なんて野蛮なイメージだろう ぼくは未来からきた人のように かんがいぶかく 粉塵のなかに とり残される地球の姿を見ていた ---------------------------- [自由詩]目覚め/なつ[2005年8月3日21時34分] ふいに 欠けた気持ちで目覚めた 三日月の朝 とんとん、と 階段を降りながら わたしを満たしていた はずの あたたかい何かを 必死で思い出そうとする 思い出そうと コーヒーから 目をそらす 食卓では ヨーグルトに 鮮やかに煮つめたいちごが 一粒のっている ほのかに染みわたる ルビーの色 これが、心臓で 胸に手をあてれば もう 酸っぱくなった記憶が 教えてくれる 夢のなかでは 失ったものを もう一度失うことが くせになるのだ、と 昼間の三日月は 新しい空気に触れ やがて 溶けてしまうから 目覚めは ひかりの下での逢瀬を けして許してはくれない ---------------------------- [未詩・独白]ノート(25Y・11.7)/木立 悟[2005年8月20日17時06分]     私の瞳は濁った緑     私の指は三本しかなく     私の髪は闇の捨て子だ     私へ向かうすべての心は     空の貝のようにねじくれている     本当の心はいつの世もあるが     私の濁った目には映らず     私はいつしか迷路の住人     ほどなく飢え死にするさだめ     私のすべての液がたどるべき     あなたへの道はいつしかふさがれ     私はどこからか来た種を喰む     水のないまばゆい原となる     想いの星座をかたどる飾り     私と同次の鉛のくちべに     私のなかに溶けてしまった     無数の兄 姉 妹とともに     ふたたびの ふたたびの     白しか描かぬ邪の秋と     ヒメジョオンの篝うつぶせ     私は弾けない楽器を鳴らす ---------------------------- [未詩・独白]落陽の標本箱/青色銀河団[2005年9月14日0時48分] 静かな風が吹き始めます。感情は涙の滴り。イバラの花びらはぼくらを遠くに抱きます。ようやくちいさな春がきましたが、ようやくきたちいさな春は、白い舗道の悲しい小学校に続いていました。香りの道にそって、夏の紙飛行機を飛ばしました。落陽は標本箱の中に大事にしまいました。 終わりのために始まりはあるのです、と先生は言った。ずるい先生。新しい鑵のようにいつだってぼくらの生活は淋しいのだから。もう夜明けは透明な凍土になりましたよ。別れのために歌ううたなのですから、鳥篭は空っぽなのですから、渦巻きの空へはもう戻れません。 隠し持ったナイフは瞬く夕陽のような匂いがします。星は方位を告げ、空は深い信仰に導きます。冬の意味を問うてはいけません。都会に眠る者の羽はいつだって濡れていますから。食物をたべると静かに血を流します。その傷口は古く細くどこまでも続いています。 雨の日には小鳥の原石を探そう。いつしか落陽が溢れてわれわれの生活がずぶ濡れになるとき、羊水の底は人間の岸堤です。海は叫ぶ石灰の書物です。表象の夏が過ぎても、小さな卵は、まだ月の光を浴びているでしょう。 ささやかな恐怖だけが生きる糧なのです。朝のように冷たい水脈を泳ぐと、うれしそうに骨は響きました。 ---------------------------- [自由詩]ころがるちゅうしん/カンチェルスキス[2005年9月14日15時53分]  得意げにまわってる  あの子は  何も話せないから  おどけてるだけなんだよ  水色の音楽の真ん中  はしゃぎ過ぎて  黄色のスカーフが  ほどけて  落ちたよ  拾うのも忘れて  お家に帰ったのです  ビー玉を机に四つそろえて  ふぞろいの前髪を  うつした  ちょうど雲の切れ間から  お日様が顔を出し  意外とつめたかった五月の朝の水を  思い出したのです  何度もさわっては  ぷくぷくした指の先から  かわいいお豆さんが  出てくるのを  待っている横顔は  しんけんなのです    ++++++++  あわてても  ないのに  ぬいだ靴のかたほうが  ひっくりかえっている  花に水をあげたあとで  ねむる  川のせせらぎの底  ころがる小石のように  ころころした音が  やがて聴こえてくるのは  自分のひみつを明かすかのように  しずかになっても        ころがり続けている  あの子のこころのちゅうしん  ゆえなのです。       ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]昔の駄文「他者の発見」/佐々宝砂[2005年10月29日16時38分] 戦争の話をしたもんだから、私が16歳のとき書いた詩を思い出した。意識的に詩を書きはじめて2作目の詩である。  「所有者」 あたしはいつだってあたし自身のものだと彼女は思っていた。彼女の思想が通用せぬ時代があったことを学んではいたが、彼女は、それはあくまで彼女とは関係せぬ昔語りであると信じて疑わなかった。そして彼女は、閃光を浴び最期の瞬間を迎えたときでさえも、気付くことがなかった。彼女の生きる時代もまた、過ぎ去ったあの暗い時代と大差ないのだということを。 彼女の膨れ爛れた醜い肉体は、今や誰の所有物でもない。 これを書いた時、世界は冷戦まっただなかだった。1984年のことである。私は切実に核戦争がこわかった。世界は終末の一歩手前だと思っていた。私は死ぬ、みんな死ぬ、世界は終わる。切実にそう考えて、私はひとつの結論を得た。 「私は私のものではない」 私に思想らしきものが生まれたのはこのときである。この散文詩がいい散文詩だとは思わないけれど、この散文詩は私にとって大切なもの、迷ったとき立ち戻るひとつのポイントとなった。これが私の基本なのだ。私は私のものじゃない。私という人間は、私にとってさえも他者なのだ。当然のことながら、この結論に到る前に、私は「他者」というものを発見している。 いつからそうだったか思い出せないけれど、私にとって「他者」という概念は自明のものだった。私以外はみんな他者だ、そして「他者=私でないもの」があるからこそ、私は「私が私であること」を確認できる。そして私自身もまた、他者から見れば他者である。アッタリマエなんだけどねえ、こんなこと。 しかし、せばさんが言うには、これは普通そんなに自明のことではないらしい。普通のヒトは、恋愛を体験してはじめて「他者」を発見するらしい。そんなもんかと思って、ちょっとびっくりした。私にとっての「当たり前」が他者にとっての「当たり前」じゃないのは「当たり前」なのだが、忘れてた(笑)。自分だけを基準にモノを考えてはいけません、またも、自戒自戒なのだった(笑)。 私が他者を発見したのは、たぶん、私が周縁にいる人間だったからである。首都に住んでるわけでない。田舎に住んでるがその土地で生まれたわけではなく、なんとなく、除外されている。女である。子供である。地理的に周縁に住み、その周縁にある小さな共同体のさらに周縁に住み、男性中心の社会にとっては周縁にある女性の世界に住み、さらに周縁にあえて言えば下位に位置する子供の世界にいる。しかも私は趣味が風変わりだった。そして身体が弱かった。だから私はみんなと遊べなかった。子供の世界の中でもさらに周縁にいた。それが私だった。 子供という点を除けば今もそんなに変わりはない。むしろ、広い世界を知ってしまったので、周縁にいるという意識はさらに強くなっている。私は黄色人種(白人中心の視点からすれば周縁)で、日本人(西洋中心の世界からすれば周縁)で、クリスチャン(現在の日本人の多数が無宗教か自覚のない仏教徒であることを考えると周縁)だから。 周縁にいる私は「中心」を想像した。自分がそこに属しているとは思われない世界の「中心」を想像した。想像しないでも周縁で生きてゆくことはできる。狭い世界で自分の位置を確保していれば、そこが自分にとっての「中心」であって、自分以外の「中心」のことなど考えなくても生きてゆける。しかし私は狭い世界の中ですら、自分の位置を確保できなかった。心臓が悪くて外で遊べなかった私の世界は、子供の世界ではなく、本の、活字の、物語の世界にあった。そしてその世界の「中心」にあるものは私ではなかった。どう考えてもそうではなかった。だから私は、恋愛を体験する前に「他者」を発見せずにいられなかった。 子供のときの話なので、なかなか思い出せない。順序だって理路整然と考えたことでないとは思う。しかしとにかくこの「他者の発見」が、私という人間の、また私の詩作の土台になっていることは確かだ。最近になるまで忘れていたくらい下にある土台だ。私はそこに立ってものを言わねばならない。      * * * 恋愛についてちょっとだけ。恋愛以前に「他者」を発見していた私に恋愛がもたらしたものが何だったかって、それは、私を好きになる他者もいるとゆー驚愕である。それは今もなお驚きだ。あんまりビックリしちゃって泣きながら土下座したくなるほどだ(笑)。他者が私を排除するとは限らない。私を受けいれてくれる他者、私と似た他者、私に受け容れることのできる他者がいる。私はまだそのことに慣れていない。慣れた方がいいのかどうか、決めかねている。 私はときどき、頭が真っ白になるような歓喜とともに、私は孤独ではないのだと感じる。それは恋愛とは無関係なのだけれども、恋愛で「他者」を発見した人には「恋愛のようなものだ」と説明しておいた方がわかりよいだろうと感じる。 2002. ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]夜警/MOJO[2005年10月29日19時33分]  日が沈みかけたので金庫の現金を数え、出納帳に記した。数十円の誤差は、自分の財布から補填し帳尻を合わせた。電気、空調のスイッチをオフにし、扉に施錠しエレベーターのボタンを押す。エレベーターはがらんがらんと音をさせながら私のいるフロアまで昇ってきた。一階に降りるまで、まだ仕事をしている同僚が乗ってくることはなかった。  晩飯は会社から最寄の駅までの道沿いにある蕎麦屋で済ませることにした。この時間になれば、かつては毎晩のように上司や同僚と酒を酌み交わしたものだ。学生のころは、居酒屋の隣のテーブルで熱く語る背広姿の者たちを嫌悪したものだが、自分が背広を着てみると、会社帰りの居酒屋でするのは、やはり仕事の話だった。  蕎麦を啜り、勘定を済ませ店を出ると、日はすっかり沈み、街は暗かった。歓楽街のネオンが歩道に反射し、私の影と交錯する。いつものことだが、駅のホームで電車を待つあいだ、ここに立っている者のなかで、唯一自分だけが孤立している、との思いに囚われる。  混雑した車両に乗りこみ、つり革に掴まる。車窓に流れる民家の灯りはいつも私の孤立感を募らせた。つい先日、カソリックを信仰する作家のエッセイを読み、不覚にも涙を滲ましてしまったことを思い出す。  明日は神経科の医者に通う日だ。処方された抗うつ剤が効くことに愕然としたのは、もう遠いむかしのことであるように思えた。あちこちの神経科で様々な薬を処方されたが、いま服用しているものは、一分が何事もなく過ぎ、六十分が過ぎ、二十四時間が過ぎる。そんなふうにもう二年ちかくが過ぎていった。血圧の高い者が薬を常用するようなものさ。そうたかを括っているが、一方ではそれでは済まない、済むはずがない、と囁く声も聴こえる。  日付が変ってから、眠剤を服用し、ベッドに入る。目を閉じて暫らくすると、いつもの如く異形の者達がベッドの周りによってくる。彼らは毎夜現れて、私についてあれこれ語り合う。 「こいつ、案外しつっこいな、この期におよんで、自分は何か創造できる、と想っているみたいだ」 「まったく図々しいやつさ。未だに自分の居場所が見つからない、なんて寝ぼけたことをいう」  私はしばらく彼等の会話を聴いている。彼等の表情は段々凶悪なものに変化してきた。ある者は赤く濁った眼がつり上がり、口が耳まで裂け、黄色い歯の奥が黒ずんだ赤だ。またあるものは頭部が異様に大きく、眼の黒い部分が胡麻粒ほどしかない。  衆目に晒されて断罪。  そんなキイ・ワードのような一節が私の心中に流れてきたが、なおもすると手足が弛緩してくるのが実感できた。つまりはもうすぐ眠ることができるらしい。しかし眠れる、と意識した途端に異形の者達の囁き声が壊れかかった冷蔵庫のモーター音の如く私の神経を刺激する。  夜警である。  私は眠れぬ自身をそう規定した。野営するキャラバンの一員として歩哨に立ち、交代の者が来るまで眠ることは許されない。  暗い天井の染みが地図のようだ。圧政に耐えかねて、約束の地カナンへ旅だった人々の、荒涼とした行路に想いをはせながら、眼はいっそう冴えてくるのだった。  来なくても一向に差し支えないが、朝はやってきた。魍魎どもはいつの間にか去り、私は僅かだが眠ることができたようだ。  私は目覚める直前まで女と一緒にいた。夢の話である。女は日当たりの良い部屋のベッドに身体をSの字に曲げ横たわっていた。その耳もとに女の名前を囁くと、女はSの字のまま手を伸ばし、人差し指の先で私の胸の辺りに触れてきた。もう一度名前を囁く。指先が伸びてきて私に触れる。私の心中は甘味なもので満ちていた。  そんな断片を書き写そうと、枕の脇に置いておいたメモ帳を広げたが、何も書かず閉じてしまった。すぐに出かけないと神経科の予約した時間に間に合わなくなるのだ。私は洗面もそこそこにデイパックを担ぎ部屋を出て、駅までの道を急ぎ足で歩いた。  寝覚めてすぐに服用した抗うつ剤が効き始めてきたのだろう。休日のプラットホームはとてものどかに感じられた。部活に向かう少女たちの嬌声や赤子をあやす若い母親の声をぼんやり聞くうちに、クリーム色の車両が速度を下げながらホームにすべりこんできた。  車両内は空席が目立つ。デイパックには数冊の文庫本と一冊のハードカバーを入れてきた。文庫は偏愛する作家の短編集やエッセイで、ハードカバーはこれから診せに行く医師の著作だった。半年ほどまえに、時たま訪れる古本屋の、心の健康、なる一角で見覚えのある著者名を見つけ、手にとり著者紹介の頁を確かめると、私が二週間に一度通院する医師の顔写真があった。しかし私は未だにこの本を読む気にはなれない。  待合室の扉を開けると、くの字型のソファーには初老の男が座っていてた。スポーツ新聞を読んでいる。私は男から離れたところに座った。バロック調のピアノ曲に耳を傾けていると、化粧室の扉が開き、若い女が出てきた。表情を窺うと、明らかに苛々しているのが見てとれる。  女はソファーに座ったが、ものの数十秒で立ち上がり、再び化粧室の扉の前に立った。濡れティッシュで丁重にドアノブを拭いてからなかに入り、しばらくすると不機嫌な貌で出てくる。ソファーに座る。再び立ち上がり、ドアノブを拭く。なかに入り出てくる。診察室から呼びだされるまで、女は延々とその行為を繰り返した。  女が診察室に入ると、私は初老の男に目を移してみた。しかし禍々しいことが起きてしまったあとに、残された者同士が共有する、あの奇妙な連帯感はそこになかった。男の視線の先は四つに折りたたんだスポーツ新聞だったが、記事の内容などもう上の空であるに違いない。見てはいけないものを見てしまったことへの恐怖感。それが起きたすぐ近くに自分が居たことへの嫌悪感。かつて初めて私がこの待合室を訪れたときに覚えたと同質のものを男は感じているに違いなかった。  名を呼ばれ、診察室へ入った。 「いかがですか?」 「はい、あい変らずです」 「眠剤を減らす検討はしていただけましたか?」 「色々考えましたが、やはり従来通りの量を処方していただきたいです」  検討の余地などないが、とりあえずそう言ってみた。 「分りました」  医師はそれ以上は何も言わず、処方箋を書いてくれた。  神経科の入っている雑居ビルの、大通りを挟んで反対側にある薬局で、処方箋と薬類を交換し、そのまま自宅に戻った。途中、自宅近くのコンビニで弁当を買った。遅い昼食だが、それがきょう初めての食事だった。  今夜もあと数分で日付がかわる。眠剤は既に服用し、そろそろ手足の関節に脱力感を覚えはじめてきた。私はいま、ここ最近入り浸っている、インターネットの某巨大掲示板に書き込みをしている。しかし徐々にキーボードを叩く指先がおぼつかなくなってきた。  ベッドに横たわる時間がきたようだ。異形の者達は今夜も来るのだろうか。奇妙なことに、私は挑むような心持ちになってきている。  部屋の灯りを消し、身体をベッドに横たえた。暗い天井を見上げ、昨夜は地図のように見えた辺りに目を凝らす。手足が痺れ、周りの空気が重く粘ってきた。アフリカ大陸のような形の染みが、今夜は女の横顔のように思えてくる。暫らく見つめていると、横顔は陽炎がたったように輪郭がぼやけてきた。  そういうことか。  私は先の展開が予想できた気がして苦笑した。そのうち横顔が何か言いだすに違いない。陳腐な演出で登場するからには、それなりのことをしてもらいたい。横顔に孔が開き、それが目となり私をじっと見つめている。私も目を逸らさない。今夜の私は好戦的である。  しかし横顔は何も語ろうとはしない。そろそろ焦れてきたころ、物音にはっと我に返った。枕もとに置いた雑誌が床に落ちたらしい。天井の横顔はただの染みにもどっている。拍子抜けしたその瞬間、開かれた状態で床に落ちた雑誌が、ばたばたと音を立て宙に浮いた。暫らくベッドの周りを飛ぶうち、雑誌は白い鳥に化け、カーテンの向こう側に入りこんだ。 「意気地がないな」 「ああ、想像力も幼稚」  異形の者達がいつの間にかベッドの周りで囁き合っている。 「でも、最近は素直になってきているな、ついこの間までは、かたく目を瞑り、耳を塞いでいたものな」 「そろそろ見せてやるか」 「今夜は何にする?」  彼等はとても穏やかだ。その会話に耳を傾けるうちに、私は澄んだ水のような心持ちになってくる。  ランドセルを背負った二人連れの男の子が、商店街を抜けたところの掲示板のまえまできて足を止めた。学校帰りだろうか、二人が見上げる先には、きのうまではなかったポスターが貼られていている。カーキ色の制服を着た屈強そうな男が敬礼していて「自衛隊、隊員募集」と大きな書体で書かれている。 「かっこいいね、あれ」 「うん、かっこいい。ジェット機とか操縦するのかな」 「ジェット機、操縦したいの?」 「うん、したいな」  二人は掲示板から離れ、歩きだした。 「きのうの国語の作文、あれいやだったよな」 「べつに。巨人に入りたいって書いたよ」 「なんか、なんにも書くことがなくて、こまっちゃったよ」 「将来の夢って題で、まえにも書かされなかったっけ」  そのとき二人の後ろからベルが鳴る音がし、黒い学生服姿の少年が漕ぐ自転車が二人を追い越していった。  作文が嫌だ、といったのはかつての私であるらしかった。はるか彼方の「将来」にたどり着くまでには、来年からは、とりあえずあの自転車の少年のように黒い学生服を着るのだ。そう思うと眩暈がしてくるようだった。 「まてよ、小学生の抱く感慨にしては、妙に可愛げ気がないぞ」  疑念が生じたと同時に目が覚めた。  異形たちはもう姿を消していた。喉が渇いているが、身体が鉛のように重く、起き上がり台所まで行く気にはなれない。時計を見ると、そろそろ雀が鳴きだす時間だ。私はしばらく暗い天井を見上げていたが、染みが何かに化けることはなかった。  「シュリム、シュリム…シュリム」  手足が弛緩して重い。心臓が脈打つごとに、こめかみで、首筋で、血液の循環を知覚できる。  シュリム、それが私に与えられた聖句だった。  カーテンを閉め、灯りを消した部屋で、椅子に座り、私はひたすらその一語を心中で唱えている。眼は閉じている、というよりも、瞼の裏側を見つめている、といったほうが正しいかもしれない。さっきまで右の瞼に貼り付いていた猿の異形は、私が決して眼を逸らさないことに嫌気がさしたのか、姿を消してしまった。次第に吸う息がみじかく、吐く息がながくなってくる。冬眠中の熊が見る夢のなかにでも入りこんだような、そんな悠々とした気分で、私は想念の海を浮遊している。  眠剤を服用するようになる、ずっと以前の話である。  ある日、クルマを運転しながら、何気なく聴いていたラジオ番組に、テレビドラマでよく見かける役者がゲストとして出演していた。  自分は役者であるが、じつは瞑想者でもあり、最近瞑想についての本を出版し、きょうはそのキャンペーンのためにやってきた。瞑想の実践は極めて簡単で、機械が作動するが如く自動的に無我の境地に導かれる。そのときの脳波を計測すると、修行を積んだ禅僧が、座禅を組むさいに発する脳波と同じ性質のものである。この瞑想を実践するうち、日々を穏やかに過ごせるようになった。  私はその役者の話に甚く興味をもった。その頃、雑踏にまぎれて交差点の信号で立ち止まると、信号が変わってもいつまでも動き始めることができずに立ち尽くしてしまうことがおこり始めていた。当時は神経科で診察を受けることなど、まったく念頭はなかった。この何処からやってくるのか分らない厄介な現象を、追い払う手がかりがその瞑想者の話しにあるように思ったのだ。  その日、所用を済ませた私は、帰宅する途中で書店に立ち寄り、瞑想者の著作を買った。翌日には電話で面会の予約を取った。  数日後、私は花束を抱え、都会の片隅にある古びた集合住宅の一室の扉のまえに立ち、呼び鈴を鳴らした。応対にでた者が某と名のり、電話で話した人物と知れた。グレーのスーツを着た、植物質な印象の男だった。部屋のなかに入ると、シタールの音色が静かに流れていた。床も壁もリフォームされてから日が浅いのか、建材や接着剤のにおいが強く残っていた。ソファーに座り、所在なさげにしている私に 「迷わなかったですか?」  コーヒーカップをテーブルに置きながら、男が柔和な表情で話しかけてきた。 「はい、勤め先がここから近所ですから、この辺りはよく知っています」  私は自分の声が必要以上に大きいことに気づいた。緊張している。しかしその男は表情を崩さなかった。 「そうでしたか、花束をお預かりしてもよろしいですか?」 「どうぞ、これで良かったですか?」 「はい、と言うより、花なら何でもいいのですよ」 「やはり、あれですか。俳優のAさんの影響は大きいのですか?」 「どうでしょうか、この教室では、あの本を読まれておいでになった方は、あなたが初めてです」 「時間はどれ位かかりますか?」 「小一時間ですが、後にご予定がおありですか?」 「いえ、そういうわけではないのですが」  私は言葉を繋げずにいる。 「では、そろそろ始めましょうか」  男は立ち上がり、私から受け取った淡い紫色の花束を祭壇の上に置いた。祭壇は、ヨガの行者のような、この瞑想方法を世に広めた人物の顔写真が、小机のうえに掲げられただけの簡素なものだった。  男は祭壇に向かい、片膝を床に付け、眼を閉じた。左手は胸に置き、右手は虚空から何かを捕らえるが如く、顔写真のまえで微妙に位置を変えながら、掴んだり開いたりを繰り返している。私は男の左斜め後ろで、座布団に座り、男のする一部始終を眺めている。男が聴きなれない外国語で何やら呟きはじめた。一瞬、ここへ来たことを悔やむ気持が生じたが、効果がなければ、体験そのものを捨ててしまうだけのことで、そう考えれば、大した間違えではないように思えてきた。 「あなたのマントラが決定しました、シュリム、です。さあ、眼を閉じて心のなかで唱えてください」  私は、男のリードに従い、たったいま決定した私の聖句を唱えた。  シュリム、発音し難いが、音声はないのだからべつに構わない。シュリム、シュリム、シュリム、シュリム…シュリム……身体の芯が暖かくなってきた……シュリム、シュリム、シュリム……。 「はい、静かに眼を開けてください」  男の声で我に返り眼を開けた。全てがどこか青みがかって見えるような気がする。 「いかがでしたか?」 「はい、なんだか、身体の芯が暖かいです」 「いま、リラックスした気持になっていますか?」 「どうでしょうか。ところで、シュリムとはどういう意味ですか?」 「どうしても、とおっしゃるのならお教えしますが、マントラは意味を知らない方が集中できます。あなたはいま、二十分ほどのあいだ、眼を閉じ、静止した状態を保っていたわけです。長く感じましたか?」 「いえ、ちっとも。むしろ短かったです」 「短く感じたのなら、あなたは既に瞑想者です。マントラに対して疑念を持たずに唱えたから、二十分があっという間に過ぎたのです」 「言われてみると、目を閉じて二十分じっとしていろ、と命じられたら、苦痛でしょうね」 「マントラの意味を知れば、そこへ意識が向きますから、初めのうちは、意味を知らない方が良いのです」 「分りました、気が向いたら自分で調べてみます」  部屋からでて、大通りを歩きながら、たったいま起きたことを反芻していると、地下鉄の入口から花束を抱えた女がでてきた。私は冷水を浴びたような気がしたが、その女には決して視線を向けずにすれ違った。  こうして私は瞑想者になった。しかし半年経ち、一年が過ぎても、心に平穏はやってこなかった。そればかりか、瞑想中にふと視線を感じ、気配のある方へ神経を向けると、シュール・リアリズムの画家たちが描くような、目鼻立ちのバランスがはげしく崩れた者がじっとこちら見ているようなことも起こりはじめていた。  私とベッドの周りに寄ってくる異形たちとは、こうして出会ったのである。                       〈未完〉           ・左記カフカの掌編に触発されて書き出しましたが、どうにも纏まりません。  夜に沈んでいる。ときおり首うなだれて思いに沈むように、まさにそのように夜に沈んでいる。家で、安全な屋根の下で、寝台の上で手足をのばし、あるいは丸まって、シーツにくるまれ、毛布をのせて眠っているとしても、それはたわいのない見せかけだ。無邪気な自己欺瞞というものだ。実際は、はるか昔と同じように、またその後とも同じように、荒涼とした野にいる。粗末なテントにいる。見わたすかぎりの人また人、軍団であり、同族である。冷ややかな空の下、冷たい大地の上に、かつていた所に投げ出され、腕に額をのせ、顔を地面に向けて、すやすやと眠っている。だがおまえは目覚めている。おまえは見張りの一人、薪の山から燃えさかる火をかかげて打ち振りながら次の見張りを探している。何故おまえは目覚めているのだ? 誰かが目覚めていなくてはならないからだ。誰かがここにいなくてはならない。               「夜に」F・カフカ 池内 紀訳 ---------------------------- [自由詩]快感原則/佐々宝砂[2005年11月6日21時21分]  それぞれを組むと九つの詩ができます 1.ところ  A.霧にけむるノスタルジイの森林  B.磁器の王国  C.ひとけのない商店街  D.海のうえを走り抜けるフリーウェイ  E.動物園  F.博物館  G.ギラギラした星のあふれる夜空  H.水晶製のアポロンのトルソーが林立する庭園  I.ココア色した図書館 2.とき  A.夏休みの初日、午前四時  B.そこに時はない  C.十月最後の日曜の早朝  D.五月はじめの土曜、午後一時  E.九月二十二日、午後三時  F.冬至、深夜(時刻は不明)  G.幼年時代の追憶の彼方のある夜、夜八時  H.人類が滅びてから二十万年後(時制が異なるため時刻は不明)  I.長すぎる秋の夜、午後十一時 3.天候  A.きつね雨、もしくはフッカケ  B.そこの天候は情緒によって左右される  C.晴、ただし鰯雲が見受けられる  D.晴、ただし綿雲が見受けられる  E.快晴、明るすぎる陽射しは陰気  F.曇天、建築物のうえに重く垂れる舌  G.もちろん雲ひとつあるわけがない  H.快晴なれどその天体の大気は呼吸に不適  I.台風、あるいは雷雨 4.登場人物  A.ざしきぼっこと豆腐小僧  B.象とスフィンクスと鳥と魚  C.五人の名前をあげてください、その四人目の人物  D.姉と弟、あるいは兄と妹  E.子供をひとり連れた若い夫婦  F.恋人たち  G.三人の少女(歳は下から十二、十三、十四)  H.人類ではない知性  I.ひとりきり、私だけ 5.サウンド  A.陰音階による女性三部合唱  B.ガラスが割れる音、その後の静寂  C.ドラゴン・クエストのテーマ  D.雑音の混じる五十年代のロック・ン・ロール  E.遠くから聞こえるオルゴール  F.ハイヒールが床を蹴る音  G.ビブラフォンが演奏するラベルのボレロ  H.水晶製の木の葉が歌う硬質なワルツ  I.窓を叩く風、雷、ならびにピアノ独奏の子守歌 (1997) ---------------------------- [自由詩]おめでとうの仕方/吉田ぐんじょう[2007年1月12日11時12分] 二十三年間生きてきたのに おめでとうのひとつも 満足に言えない そのことについて 頬杖をついて考える 一人で 室内で吐く息は白い ストーブは足元ばかりを熱くする 家族宛てに届いた年賀状は なんだか生まれたての鳩に似ている わたし宛に届いた不採用通知は 死んだ蛇に少し似ている 午後三時 中途半端な切れ端をごみ箱に沈めて わたしは新しい履歴書を買いに出る 歩きながら 御免ねと思う 何に対してでもなく 又は何もかもに対して 最寄のコンビ二へ入って直ぐ 高校時代にここで アルバイトをしていたことを思い出す 店長は六年前と同じで 懐かしくて声をかけようとしたが おでんに夢中の店長は ただそっけなくいらっしゃいませと言うばかり 癪に障ったので履歴書と一緒に レモン味のアルコール飲料を購入した そうして近くのたんぼのあぜ道に座って それを飲んだ 正月の町は モノクロのサイレント映画のようだ 俯いて小声で おめでとう、と練習してみたが わたしの軽薄なおめでとうは あっというまに風にさらわれ 鼻先にはレモンのにおいだけが残った ---------------------------- [自由詩]ホテル・リグレット/小川 葉[2010年1月15日3時02分]     ちょい悪オヤジがホテルに泊まった 何かの手違いだった 手違いだったはずなのに 彼はホテルの一室で 快適な時間を過ごしていた ノックする音がして ドアを開けた ボーイだった ボーイはちょい悪オヤジに そのように言った すみません 手違いだったのは ホテルではなく ちょい悪オヤジでした ちょい悪オヤジは もはや「ちょい悪」でもなく 「オヤジ」でもない 「ちょい悪オヤジ」は ただの「○○○○○○○」でしかなく それ以降それ以外が 世界となった 一方ホテルは 「ホテル・リグレット」に名前を変えた 何かの手違いだった 手違いだったはずなのに その名前のまま営業を続けた 手違いだったのは 「ホテル」のほうだったのに 「リグレット」が残った 「ホテル」はただの「○○○」となり 荒野の果てに 赤ん坊が生まれた そのことを知る由もなかった 名前のない赤ん坊の 「○○○○○」を 「リグレット」という文字で埋めた それが名前だった 生まれて寿命まで生きた そのことに 手違いはひとつもなかった それこそが 何かの手違いだというのに     ---------------------------- [自由詩]抱える/相田 九龍[2010年1月17日1時23分] 花瓶を洗面所まで持っていく。 中の水を排水口にゆっくりと垂らす。幾分大きな花瓶のためどうして水を汲もうかと逡巡したのち病院の外の水道を探しに行く。消毒の効いた洗面台が花びらの一枚一枚を枯らすかもしれない。 裏から出ると、謳う、宇宙まで続く青空が広がり、それを享受する緑が出迎えた。彼女は窓べりからこちらを見ている。手を振り返す。彼女の手相はとても薄い。花びらが一枚、ひらりと落ちる。 売店の店員さんは大きな花瓶に戸惑ったが事情を説明すると少し微笑んで了解をくれた。ホースから水を入れる途中、誰かに言い訳をしなくては、と思った。でも今まで誰も責めなかったし、この先も責められない気がした。入れ過ぎた水を少し流して、もと来た方へ戻る。 空気はひやりとしている。 *  *  * 病院からの帰り、寄り道をしながら家族のことを考えた。抱えた鞄には着替えが詰まっている。橙に染まった公園、景色が揺れた。記憶と未来の間で、私は泣いた。どこかで花びらが一枚落ちた。 涙はすぐに止まった。そこに居たいだけ居たかった。陽は落ち切って私は帰らなきゃいけない。しかし一歩を踏み出すごとに歩いていることを忘れた。視界が歪んで、立ち止まったが何も変わらなかった。何も変わらない現実が何も変わらなかった。 後ろを振り返ると私がたくさんいた。たくさんの私が涙を枯らしてもまだ泣き足りない顔をしていた。その中に鞄を抱えている私がいたと思ったら、それは私だった。やはり涙を枯らしてまだ泣き足りない顔をしていた。いつの間にかひとりだった。私はいつもひとりだった。 鞄を地面に叩きつけた。砂埃がたって、砂を風が連れ去ってたくさんの旅が始まった。最後の一滴が落ちた。鞄は重そうにへしゃげている。私のようじゃないか。 ---------------------------- (ファイルの終わり)