クローバーのおすすめリスト 2004年8月3日23時05分から2004年12月11日14時37分まで ---------------------------- [自由詩]干潟の風景〜アサリ貝の自負/草野大悟[2004年8月3日23時05分] おれたちは おれたちだけで この海の流れをつくる。 呼吸だけで すべてのデトライタスを 浄化し この干潟に 硫化水素はつくらせない。 だれの世話にもならない。 ---------------------------- [自由詩]ミンミンゼミ(百蟲譜30)/佐々宝砂[2004年8月4日3時34分] 早稲田にも 青山にもなれなかった 予備校の街で 私はその年の夏を過ごした。 現役生のフリしたまま 講義を受けて 教室を出ると ミンミンゼミの大合唱。 ミンミンゼミは ミンミンと鳴くから ミンミンゼミだ。 しかしその年の夏 私は何者でもなかった。 鳴き声さえも持っていなかった。 (未完詩集『百蟲譜』より) ---------------------------- [自由詩]黄身/カンチェルスキス[2004年8月4日11時59分]  俺はグレープフルーツジュースを  飲み干す。  頭上の空に半分の月が  まぬけに浮かび上がっていて  横を振り向くと  夕日が海に沈もうとしていた。  グレープフルーツジュース。  半分の月。  夕日。  鋭い二等辺三角形。  俺は満足した。  駅を越えた。いつもの交差点だった。  信号を待った。  向かいの居酒屋の二階席の窓  女が働いてるのが見えた。  宴会客の箸をテーブルに並べていた。  並べ終えると、小さく頷きながら  何度も指で数を確認した。  その下を、スーパーの袋を左手に下げた  老婆が歩いてきて  居酒屋の入り口のちょっとした段になってるところに  腰をかけた。  右手に徳用の焼酎のペットボトルを持っていた。  俺が左を振り向くと  黒のネグリジェのようなざっくりしたワンピースを着た中年女が  薄汚い雑種の犬を連れて歩いてきた。  そして俺の右には  生理がはじまったぐらいの自転車のガキが  二人ガムを噛みながら  信号を待っていた。  それから斜向かいの餃子の王将で  フロアマネージャーが客にしきりに  頭を下げ  車はびゅんびゅん走り  老婆はものすごくリラックスして  腰かけて  居酒屋の女は箸の数を  数え直していた。  信号が青に変わる。  なぜだか知らないが絶望感いっぱいの俺が  武富士のポケットティッシュで  ジーンズの後ろポケットをふくらませ  横断歩道を渡ってゆく。  先頭のマーク?がまず俺を追い越し  続いてフルフェイスの原付が  追い越し  それから自転車のガキが追い越し  俺は焼酎の老婆とすれ違い  新しくできた回転寿司屋は  パチンコ屋の死角になっているから  遅かれ早かれ潰れるだろう  居酒屋の女の姿はもう見えなくなっていて  自転車のガキの姿は  あっという間に暗闇の奥に消えていった。  畳屋の前で伸びをした黒猫の  眼とぶつかった。  変電所の前で  卵が一個  真っ二つに割れて  黄身が飛び出していた。  まだ崩れてなかった。   ---------------------------- [自由詩]ひとつのマニフェスト/みつべえ[2004年8月4日19時47分] あなたが本当に美しいのは 意味の脈絡からはみ出すとき 風物の呪縛をたち切るときだ わたしたちはもっと大胆になろう わたしのささやかな所有がわたしを名づけてしまい それと知りながらそれを明示できないわたしの怠惰 だってさあそれをするのは自らの卑小さを名づけることで いったん言葉にするともう他の命名ができないような せっぱつまったせまい感じになってしまいそうなんだ それに人間って移ろいやすいものだから いつまでも同じ名前では呼べないと思うんだ わたしの自己弁明はみっともないか あなたの興味をひくために ことさら自分の傷を晒してみるべきか これは散文なのか詩なのか わたしはわたしへ向かってかぎりなく遠ざかる わたしはコンテクストを逸脱する瞬間が好きだ 読みかえさない潔さが好きだ ただひたすら前へ前へとかいてゆく いまはそういう時期なのだ わたしはわたしを統御できない あなたを痛切に想う あなたが好きだ 好きだ好きだ好きだ ---------------------------- [自由詩]ニイニイゼミ (百蟲譜34)/佐々宝砂[2004年8月5日4時14分] 玄関脇の柿の木の下 アブラゼミの抜け殻はきれいに光る クマゼミの抜け殻もてかてか ヒグラシの抜け殻ときたら繊細な芸術品 なのにニイニイゼミは ニイニイゼミの抜け殻だけは 胞衣(えな)をかぶって生まれた赤んぼみたいに 生まれた根の国を忘れたくないみたいに 乾いた泥にまみれて 泥臭いままで それでも ニイニイゼミは殻を脱いだよ 懐かしの泥だからって いつまでもかぶっちゃいられない (未完詩集『百蟲譜』より) ---------------------------- [自由詩]TOKYO/たもつ[2004年8月6日8時32分] 何はともあれ やっとのことでお触りバーにたどり着いた とにかくここまでの道のりが大変だったのだ 目覚し時計にカミキリムシが巣をつくって がちゃがちゃ長針と短針を適当に動かすものだから 何時におきるべきかわからなくなるし 朝食だってそうだ トーストとバターの順番が逆じゃないか、と あとミルク、とか五月雨式にそんな感じで 困ったことに、「過呼吸症候群の靴を救え」 と書かれたプラカードを持った人たちが家の前でデモ行進をしていて うちは靴屋じゃない! と怒鳴ると、 アメフラシの汁! そうシュプレヒコールを浴びせられる 毎日触りたいわけじゃないんです! という言葉で威嚇し、峰打ちで中央突破 通りかかったタクシーに乗り込み 今日は朝から犬を三匹見たよ、って 口癖のように繰り返す運転手に場所を教えるために 地図を取り出せばそれは天気図にそっくりで 高気圧の上から三本目の等圧線、海を見ながら右に などと説明しなければならず、それでもようやく到着したのだ ついでに言うと お触りバーは雑居ビルの二階にあって ダッシュ、一段抜かしで階段を駆け上がる途中 彼女に四回もさよならのメールを送るはめになった おかげで足をすべらせ急降下、頭を強打し 耳の穴から何かが出できたぞ ドンマイ、ドンマイ そんなわけで何はともあれ、お触りだ 暗闇の中 触る、とにかく触る 地番のない一点から別の一点へと指を滑らせていく 伝わってくる感触が自分自身のようだ 触る 涙が出てくる 触りたかったのだ 本当に触りたいものはいつも触れないものばかりなのに そんなこと知っていたはずなのに TOKYO、TOKYO、何度か呪文のように唱えると やっと安心することができた 目覚し時計にいたのはセミだったかもしれない そんなふうに思えて 余計に涙が出てきた ---------------------------- [自由詩]窓拭きの人/ミサイル・クーパー[2004年10月22日3時03分] 窓拭きの人が来たのに 誰も返事をしないから 僕が部屋に通したんだよ 窓拭きの人は窓だけ拭いたよ 窓より汚いものは拭かなかったよ 窓拭きの人が行くのに 誰も見送らないから 僕が見送ったんだよ 水なんてここに捨てていけばいいのに 窓拭きの人は水を持って帰ったよ 窓拭きの人が帰ったから この部屋には偉い人が居なくなったよ ---------------------------- [自由詩]君の町まで・使い古したアナザー/示唆ウゲツ[2004年10月22日6時23分] 君の町まであと何百年かかる? 僕は宇宙服を着込んで銀色の砂漠を 君の町まであと何百年かかる 目を閉じて考えようとする愚か者 横浜に雨がふっていて 新宿に虹がかかる そう あのデカい蜃気楼 君の町まであと何億年かかる? 気付いてしまったら終わりなんだ 君の町まであと何億年かかる 風も吹かないおかしなテリトリーだ ピザを頼んで詰まらせた 日曜日の思い出も 拒絶された興奮剤で 何となく蘇ってはまた、死んでいくんだよ 戦場も携帯電話も 緒で繋がっていてしまう 切り離せない煩悩なら ドライヴすればいいよ 足は止めないで 君の町まで ---------------------------- [自由詩]モノクローム、マインド/霜天[2004年10月26日16時59分] そっと、暮れそうで 暮れない 一日はどうにも循環していて 頼りない電信柱 寄り掛ると揺れる、気がする 静かな平面の畑から 土の匂いがした 単調な起伏を ごとごとと越えていく 浮き沈みは激しくも、なく 揺れすぎることもない ほら またトラックが過ぎていく 積荷はほんのわずかで 白と黒とでペイントされている 影が大きく伸び上がって 薄くなって 掠れて 消えた どこかの頭の中で 静かに目が閉じられて もう一度、一日が 循環し始め、て 爪先から冷たさがやってきて 目を開けると 暮れそうで、暮れない 薄く影になっていく景色に 電信柱が突き刺さって 揺れている 揺れている 寄り掛り、一日を、循環、思考 手の届くところで 土の匂いが、した ---------------------------- [自由詩]バタフライジェシカ/からふ[2004年10月26日17時23分] やらしくない裸みたいな 蝶々が翅を広げて 紫色の光を頭の中で回させる つややかな官能 ジェシカ、 君がセックスをせっくすと発音するから 僕はいつまでも取り残されている いつまでも大きくなれない僕は 調味料ときれいごとが並べられたキッチンで 小洒落た料理を作っている 君はそれを食べずに 僕に気づかれないようにシンクに流し込んでいく 笑ったときのくちびるが昇っていく三日月みたいって言ったら 少しだけおびえた顔をしてまた笑った 言い訳を見つけられなかった君は ぱたりと笑うのをやめて 沈んでいく三日月みたいなくちびるをして靴を履いた 君はバス停のベンチに座りながら スカートの裾の悪意を手に取って眺め それと不釣り合いに涙を流す 降らない雨にビニール傘を差して バスも待たずに君は飛び立った ---------------------------- [未詩・独白]海にいこう/よ[2004年10月26日19時32分] なんだろうねえ きっとねえ たおれるねえ わたしは うたがっても どこまでも群青は 消えなかった ひにくって 躊躇もしないで にんげんのその肌の かんしょく たおれるねえ いつか うみをみないで いつか 終えるのは さみしいことかもしれない わたしは うみにいこうよ にんげんのその肌の 群青 どうして わたしのお腹は いつもあたたかいのか なんにもない のに めがねえ あまったるいくせに わたしをばさりと切るから いつかねえ ずぶぬれで わたしは たおれるんだ うみにいこうよ うみにいこう ---------------------------- [自由詩]僕の猫/あとら[2004年10月31日22時38分] 僕の猫しりませんか 行方不明です 指名手配にします 探してください どこへいったのでしょう わかりません どうしていなくなったのでしょう わかりません 僕が何かをしっていそうです それは僕の猫ではありません 僕の猫しりませんか 行方不明です 指名手配にします 探さないでください 涙がこぼれてきそうです ---------------------------- [自由詩]カーディガン/望月 ゆき[2004年11月1日1時23分] 無数ともいえる ボタン を ひとつずつ、かける かけ終えたそのとき もっと別の なにか きらりと光るような、に 心をうばわれて せっかくかけ終えたそれ を 一気にはずす そんなとき もう そこへはもどれない もどらない 直感 そういう覚悟 で 動いている そういう覚悟 で 生きている ---------------------------- [自由詩]溶ける/英水[2004年11月1日2時17分] しなやかな群青体 溶けている  殻を蹴って 熱い空気層の下 よく冷えた水層の中 にじむ 鮮やか 凍てついた花火 魚になりたい そして、通過してゆく  口から流れて えらで出てゆく うらやましい ゆらぐひだ 涼しくて おいしい えぐられて 揺らめいて 多孔体   海中で 見た夢は 呼吸の音さえ聞こえなかった 溶けたバター 冷えた色の無い群青体 包囲された 不器用な四肢  5つ6つ7つ8つ9つ10肢まで増えたのなら よく冷えた海面に 写ることはできるかしら チクタクチクチクチクチククチクツ 夏の海面 わずかにつまみあげて 飛び跳ねるようとする 水滴 からだ 空気中 死ぬまで 気だるい霊長類 ---------------------------- [自由詩]秋冬/nm6[2004年11月8日22時47分] それはもうやわらかさの 空気の眠い部屋が体積を主張し 捏造した自信がゆるりと溶解する夢の直前に 膨大に散乱するやわらかい洋服の それはもうやわらかさの 叫べど数学的に整頓される時間で おもむろさが財布を忘れ だらしなさが風景に逃げていく ビールの泡がくしゃみに変わる頃に 朝方が焼ける頃に 一台の自転車は談笑のように走り抜けてゆき きみは抽象に身を委ねるかどうか迷い 臆病さで煙にまいた暗がりの桃色で ぼくは輪郭に気づいている 味覚で妄想を数えたりしている 空気の眠い部屋に 夢の直前に 散乱するやわらかい洋服の それはもうやわらかさの ---------------------------- [自由詩]悲観/しゅう[2004年11月9日8時58分] もし明日、世界の終わりが訪れて もし明日、あなたが僕を受け入れてくれるなら あなたを抱くことに意味はあるのか 死に急ぐ世界へ 刹那的な衝動であなたを抱いていないと 宣言できるのか けれど今日 あなたが僕を受け入れたとしても あなたを抱くことに意味はあるのか 流転する世界に 独占欲や、顕示欲で立っているのではないと 胸を張れるのか 空が崩れる朝に 負け犬の巣穴へ 降り注ぐ火から逃れて 狭い空を眺めて ひとこえ、あなたに遠吠えする 耳を澄まして いますぐヒトを捨てて 負け犬になってくれと もし、 あなたが生命をむさぼったなら そうして迎えた空のない朝に あなたを抱くことに意味はあるのか どこまでも広がる荒野に 点々とする 負け犬の命に、意味はあるのか ---------------------------- [自由詩]スロウダウン/霜天[2004年11月9日18時00分] 夕暮れの後の雨はどこも優しい 平静な音が響いて 空間が深まっていく、窓の外 思い返すほどに 心落ち着いていく 世界は円になっている そんな 額面通りにはいかないらしい 言葉が繰り返されて 絵は何度も描き直されて 白い空が 塗り替えられていく どこでも、どこまでも 久しぶりに冷蔵庫を開けると 中では世界が作り替えられていた 記憶をひとつ、引きずり出してみても どこも、ひとつ、当てはまろうとしない どこかでモーターの音 それもどこかへ去っていって 平静、深まっていく 冷蔵庫の中でも 静まり返った夕暮れの後 落ち着いた呼吸を繰り返して 届きますように こんな世界でも 変化していく全てでも 雨の後の静寂は どこでも、どこまでも 星がひとつ回って 世界が少し傾いて 夕暮れが作り替えていく 速度 僕等はまたひとつ 取り残されそうになりながら ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]一枚の絵/ ひより[2004年11月10日0時21分] 絵の具が描きたかったのは 校庭のブランコの横の大きな一本の木だった。 一枚 一枚、 葉っぱさん達は 気持ちよさそうに 揺れていた。 「はじめまして・・ 」と お話しをされてきたのは、少し右寄りの 一番お空に届きそうなところで揺れていた葉っぱさん。 その時 たぶん 私・・ ・ 葉っぱになっちゃったんだと 思う。 校長先生が そ〜っと そっと様子を見てた。 いつのまにか絵の具は お話しを聞きながら その大きな木の 一枚の葉っぱさん を描いていた。 てんてんてんてん の中に たった一枚 見えないはずの葉脈が描かれた。 すると、隣りの葉っぱさんが語りかけてきた。 「お日様とお話しをしてみないか? 」 いつのまにか その隣りの葉っぱさんも、そのまた隣りの葉っぱさんも・・ ・ 描いた。夢中になって 描いていた。 気付いたら 校長先生は 居なかった。 チャイムは鳴って てんてんてんが 落っこった。 ---------------------------- [自由詩]ぽたぽた/望月 ゆき[2004年11月13日17時37分] こうやって、ね もちあげたら そうしたら、ね おっこちてきたんだよ ぽた、ぽた、 って おっこちてきたんだよ ぼくが うちゅう、みたいな まっくらで つめたいところ、 りょうほうのうで、で あおくって まるくって うつくしい、それ を もちあげてみたら、ね ぽた、ぽた、 って おっこちてきたんだよ ひがし、へむかう カシオペアが とおりすがりに いったよ 「だいぶん、ないているのだろう、ね」 って、 いったよ いっそ ぎゅう、としぼったら ぽた、ぽた、 は なくなるかしらん、て おもったけれど あおくって まるくって うつくしい、それ を もちあげて りょうてがふさがってる から ぼくには むりそうなんだ しかたがないから くち、をあけたよ ぼくには のむ、しか できないから、ね ぽた、ぽた、 ぽた、ぽた、 うちゅう、みたいな まっくらで つめたいところ、 ぼく、 がんばるから、ね ぼく、 がんばるから、ね ---------------------------- [自由詩]ぽたぽた/石畑由紀子[2004年11月17日21時48分] 両腕でバランスをとりながら黒鍵を渡る。ちろちろとつま先から炎、揺らめくモディリアニ。白鍵 は床上浸水していて、溶けてしたたるたびにじゅう、って、しずくの結晶なんだ。映る、壁に体と もうひとつのゆらゆらの影、踏み、鬼だよ、って口実で追いかけて。嗚呼、のぼせている。ちろち ろと炎のつま先から異国のメロディみたいな。両腕でバランスをとりながら黒鍵の上。溶けてした たるたびにじゅう、じゅう、って、床上浸水の白鍵を呼ぶ。 ---------------------------- [未詩・独白]雨と原/斗宿[2004年12月9日21時52分]  濡れた雨が体に浸み込んでくる。浴びるように天の恵みに身を晒していると、やがて重みを増した黒髪がしとり、と肩を滑り落ちた。濃い土の匂いが全身を突き上げ、雲を叩く雨音の余韻を響かせていく。うねる草原に慈悲はなく、遥かな灯台がほーんほーむと別れの歌を送って寄こした。  星が瞬く。季節は冬へ移ろうとしていた。青い風は萎え、蟲たちの合唱も遠ざかる。わけてもわけても草はら。溺れるように、白い足は浪の間を渡る。ついと裂かれた紅い傷を、雪越しの蛹が見ていた。  燻し銀いろにひらめくうろこの魚。ざやざやと。指と肢をすり抜ける。空は低く光をさえぎり、暗い明日へといざなった。君は何を見ている。星を読んでいる。未来がないと知りながらなおも占うのか。君は笑った。  ぬめる鏡のような水面を乱していた最後の髪の一房がとぷりと沈むと、海は穏やかを取り戻す。やがて現われた太陽も、君を探しはしなかった。ただ唄だけが残る。妖しく。君は容のない生きものになって、僕の上に降り注ぐだろう。その冷ややかな手でからめとり、影へと誘うのだ。緑なす髪と瞳。僕は虜になり、想い出に浸る。やがて地上の幸せを、残らず忘れ去ってしまうまで。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]松島やと猫語とパクリとボルヘスと/佐々宝砂[2004年12月10日3時20分] いま私は激烈に機嫌が悪いのだが、これはパキシル切れのせいだと思われる。薬を切らしたのは私の責任であって、他の誰のせいでもない、などと書いてる場合ではなく、書くべきものはきっちり書かねばならんのだ。ううう面倒くさいぜ。 まずは「松島やああ松島や松島や」について簡潔に。この句はなぜか一般には松尾芭蕉のものとされているが、実際には田原坊なる狂歌師が作った「松嶋やさてまつしまや松嶋や」が変化したかたちで人口に膾炙したものだという。つまり「松嶋やさてまつしまや松嶋や」には作者がいても、「松島やああ松島や松島や」には、実際の名前ある作者というものはいないのだ。詠み人知らず、アノマニス、なのである。わらべ歌や諺、あるいは梁塵秘抄や閑吟集に採取された作者不明の当時の流行歌のようなものだ。日本語を使う人々の共有財産だと言ってもよい。ささやかで、かなりバカな財産ではあるけれど。 この句は、単に有名なだけであって、いい句でない、というか、いい句かもしれないが俳句でない。季語が入ってないし、切れ(この場合「や」)が三つもある。なんてことをいちいち指摘するのもアホらしい。句には間違いないが、大バカ句なのである。何を言いたい句なのかさっぱりわからないが、覚えやすい。覚えやすくて意味がないゆえに、誰でも使える。やたら使える。「松島」を他のものに置き換えれば、何にでも使える。元句の「さて」は、妙に文語めいて意味深げだが、ちまたに伝わる「ああ」の方は「さて」以上に意味がないのでバカさ加減に拍車がかかる。ここまでバカなのはすばらしい。バカも極めればご立派というひとつの典型だと思う。 で、次に猫語について語らねばならない。うううむ面倒だなあ。と思ってしまうくらい猫語には歴史があり、今さら「ああ松島や」を「にゃあ松島にゃ」に換えたところで、とても猫語のパイオニアとは言えない。なにしろウェブ上には、すでに猫語変換cgi( http://www.st.rim.or.jp/〜hyuki/mp/05/neko1.cgi)が存在するほどなのだ。「にゃ」を使えば猫語だというならば、『無敵看板娘』(週刊少年チャンピオン連載中)の勘九郎なんか猫語使いまくりだ。そんなんでパイオニアだったら、名古屋人はネイティヴにパイオニアじゃねーか(決して名古屋人をバカにしているわけではない。静岡県民の一部もにゃあにゃあ言う。我が静岡も猫語使いの土地なのである)。 では、猫語のパイオニアとは何者か? 昨日から必死に調べていたのだが、日本におけるパイオニアはわからなかった。海外におけるパイオニアは、調べなくてもわかる。『猫語の教科書』の作者ポール・ギャリコだ。まあこの本は「猫のために書かれた猫が快適な生活を送るために人間をしつける方法」を人間が解読してしまった!というお話であって、本当に猫語の教科書なわけではない。とはいえ、猫語というものの存在を明かした初期の文献であることは間違いない。猫は猫語を使うのである。そして猫は人間の想像以上にお喋りであって、だから雄猫ムルは自分の生涯を誰かさんの伝記の裏に綴ってしまうし、漱石の猫も名前がないままにいろいろと語ってしまうのだ。だが雄猫ムルも吾輩も、猫語を使って喋っているわけではない。これらの物語において、猫は、猫語ではなく人間の言葉で喋っている。しょせん、猫耳猫しっぽのない時代の文献に過ぎないのだ。 日本のカルチャーまたはサブカルチャーの世界に猫語が登場したのは1960年代後半ではないかと思うが、推測の域を出ない(というかてきとーに書いてみただけだったり)。1970年代にははっきりとした猫語使いが二人登場する。一人は柳瀬尚紀。この人は半猫人を自称する猫語使いであり、あの『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳した人なのだから猫語翻訳などたやすくこなすに違いあるまい。世紀が変わってもなお半猫人ぶりは健在で、朝日新聞に「猫舌三昧」というタイトルからして猫っぽいエッセイを連載していた。もう一人は谷山浩子。1976年に三回目のデビューを果たした谷山浩子は、猫森に出入りしている猫語使いであり、人間よりも猫に近い。その筋の情報によれば、彼女は21世紀に入ってもまだ猫の集会を開いているらしい。 この二人のパイオニアの力によって(この二人の力のためだけではないんだけどなんかこう書きたいのよん)、1980年代の日本では猫語文化というべきものが花開いた。オタクなるものがまだ世間一般に知られていなかったこの時代、オタク的なものをぎっちり充満させていたマンガ『うる星やつら』(高橋留美子、少年サンデー掲載)のラムちゃん(ちゃんつけるのやめようと思ったけどどうしてもつけちまうのはなぜだ!)は、格好からして猫に近いだけあって、猫語ではないものの猫語に近い言語を使う。「〜だっちゃ」というあの独特のしゃべりがそうだ。この、特定の登場人物の語尾に特定の音をつける手法は、いまだにたくさんのマンガに使われている。その他いちいちあげてったら、とてもキリがない。谷山浩子とのつながりが深いマンガ、矢野健太郎作『ネコじゃないモン!』(ヤングジャンプ掲載)あたりが代表か。 オタク的なものが徐々に認知され、猫耳も猫しっぽも単なる変態プレイの一種となった現在、猫語もすでに単なる変態プレイのひとつと化している。猫語のでてくる小説・映画・マンガのたぐいは、いちいち調べる気にはならないほどたくさんある。いまさら猫語ねえ、昔はそんなもの使った覚えがあるけど(遠い目)……ってなもんだ。猫語で詩・短歌・俳句を書いた人も、おそらくいるだろうと思う。推測だが、絶対いると思う。猫語オンリーの詩集・歌集・句集を作ったひとは、まだいないかもしれない。しかしそのうち出てくるだろう。ま、私はめんどくさいので、猫語詩歌句集をつくる予定はない。 で、ああ、やっと語りたいことを語れる、パクリの問題だ。パクリとは何か。この手の言葉を辞書で調べてもしかたないので、ウェブで調べてみる。はてなダイアリーによれば、パクリとは「1.他人のものをこっそりと泥棒すること。 2.逮捕のこと。 3.他人・他社・他国の製品・作品を真似すること。」なのだそうだ。詩の世界におけるパクリは1または3にあたるだろう。これいいな♪とおもったフレーズを好きなフレーズスレに投稿してもおそらく著作権侵害にはあたらないが、それを自分の詩だと言って世間様に発表すると著作権侵害にあたり、謝罪の記者会見が必要になる。2の逮捕につながりそうな行為が1なわけだ。しかし3となると話が微妙だ。こと文学に関しては。どこからどこまで真似で、どこからどこまでがオリジナルか、誰に判定できるだろう。少なくとも、私には、できない。言葉とはもともとオリジナルなものではない。真実オリジナルな言葉なんか、誰にも伝わらないではないか。オリジナルではなく、ある程度の人数が共有するものであればこそ、言葉は相手に伝わるのだ。 人の考え方はさまざまだから、自分の作品を「これはオリジナルなのよっ」と叫ぶ人がいても私はちっとも気にしない。だが私は断言する。私の作品は私のオリジナルではない。私はものを書き始めた当初から書き替え作家である。私が作品として書くものには、たいてい私が書いたのではない元のバージョンがある。私は引用のカタマリだ。それがいけないことだと、私はちっとも思わない。なぜって私は、私のオリジナリティーを主張しない。私が何をどこから引用してきたかなんて、調べればすぐにわかる。私自身が引用元を明記することも珍しくはない。私は「こっそり泥棒」なんてことはしないのだ。正々堂々と、「いただいてきました」と書く。だって実際にそうなんだからね。ま、誰に言葉を教わったかとか、どこでその言葉を覚えたかとか、そういう細かい話になると私本人も覚えてないしいちいち書くと面倒なので書かないけれど、とにかく私の言葉はぜーんぶ借り物である。私は借り物である言葉を、私の好きに配置する。その「配置」の加減が私のオリジナリティなのであり、実はこの考え方も私のオリジナルではなく、ベンヤミンが主張した「星座」の概念に酷似している。私の詩に「星座」という言葉がでてきたら、お空の星座ではなくてこっちの「星座」であることが多い、しかしそれはここでは余分な話。 私にとって、世界のすべてはパクリである。あるいは、世界のすべては(パクリと呼ばれるものも含めて)オリジナルである。 と、ここまで書いてこの文章を終わりにしてもいいのだが、ホルへ・ルイス・ボルヘスのある小説について書いておきたい。ボルヘスの代表的短編集『伝奇集』に収録された「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」という小説を御存じだろうか? 非常にとんでもない小説である。つーか小説なのかどうかすら私にはよくわからない。まあ短編集の中に入ってるのだから小説だろうということにしておいて、この小説における『ドン・キホーテ』とは、セルバンテスの書いた有名な『ドン・キホーテ』ではない。ピエール・メナールなる20世紀の作家がセルバンテスになりきることで、元の『ドン・キホーテ』と一字一句同じ作品を作ろうとした、という設定の元で書かれた(しかし書き終わらなかった)小説のことなのである。ボルヘスのこの作品は、その、一字一句異ならないはずの2つの作品、ピエール・メナール版『ドン・キホーテ』と、セルバンテス版『ドン・キホーテ』を比較検討してみせた論文、という形式の小説なのであった。 作者名以外全く違わない2つのテキスト。しかしそれらテキストには異なる時代背景があり、異なる文化があり、異なる思惑がある。それを読み取ることは決して不可能ではない。かなり無理矢理だが、不可能ではない。批評家というのは、そんな無理矢理なことを日常的にしているバカのことを指すのだ。 意味わかる? わかんなかったら私のせいじゃないや、ボルヘスのせいだい。 ---------------------------- [自由詩]電波少女/瑠音[2004年12月10日18時18分] 私がいつか生きることをやめるときもしくは やめなければならなくなったとき 何を後悔し 誰に懺悔するのかということ 今 知っておくべきことは 不穏であると兄がいい 私はいつか私に楽器を教えてくれた自衛隊員を思い出す トランペットはやめてしまったよ 鏡の前に並んだ化粧品の向こうの自分の顔を見た 見たかったわけでもないのに あのころの私はどんな顔で 世界に向かっていたんだろうね スピーカーから流れるロックだけを愛していけたら 寂しさも戦いも全部いらなかっただろうきっとなんて 結局はそういうことでしかないんだ 笑って話せることなんだ 私から繋がる糸は世界に繋がっているわけじゃない 中途半端に切れている どこまで届いているのかは見えないけれど 確かに切れている それだけは感じているんだ ピンと伸ばした5本以上の この指から とりあえずイラクまでは届いていないみたい 今のところ ---------------------------- [自由詩]詩とは/春日野佐秀[2004年12月10日18時45分] 私が思うに “詩”とは 心のリズムである ---------------------------- [自由詩]UFO/春日野佐秀[2004年12月10日18時46分] ひらひらと 一年の想い出を ひっさげて 木の葉は空へと 舞ってゆく どこかの星へ 報告をしに ---------------------------- [自由詩]車輪人間/RT[2004年12月10日21時55分] 平らな地面で あなたのほうに転がって行ったら 笑われてしまう ---------------------------- [自由詩]車輪人間/あとら[2004年12月10日22時18分] 夏のあいだ 身を粉にして働いた 何も言ってはくれないが 役に立てていた        はずだ もうじき     雪が降る ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]修羅街の人/チャオ[2004年12月11日13時28分]   それにしても私は憎む、   対外意識にだけ生きる人々を   ―パラドクサルな人生よ                         中原中也 修羅街輓歌より 最近、本屋さんでアルバイトを始めた。書棚を持つことが出来ないからずっと、レジカウンターの前で突っ立ってる。あきれるくらい暇だ。でも、本に関わりたいという少年みたいな願望が、まだ僕をレジカウンターの前に立たせている。 いろんなお客さんが来る。老若男女問わない。でも、持って来る本は、あまり変わらない。そして、お客さんが探している本もいつも変わらない。スーツを着た人は、語学かビジネス。女の人は、旅行か料理、雑誌。そんなものばかりだ。十人十色だとは言うが、住人三色くらいに見えてくる。 僕は、中也のように純粋じゃない。だから、それはそれとしてよしとする。だけど、さすがに嫌気がさすときがある。本に書かれた言葉たちは、言葉のない声を発しはしない。さすがに、苛立ちを抑えることが出来ない。すぐに、名誉につながること、お金につながるものだけが売れていく。もちろんいい本だって売れる。でも、いい本も、偉い人が進めないと売れない。売れてからじゃないと売れない。本の中にひっそりとしまわれた感情を、自分の手で解き放とうとはしない。なぜだか悔しい。言葉を書く側だから?そうかもしれない。でも、そうでないかもしれない。 いつだって、感情論は時代遅れの教師のような扱いを受ける。技術も、理論も排除した感情論なんてこの世に一切存在しないのに。伝えたい言葉があり、それを伝えるべく言葉を駆使し、結局、言葉が死んでしまうこともある。それがいいって言う人もいる。残念だけど、評価されなきゃ食えないこの世に生きて、それをありがたく受け取るほかに手段はないのだ。 対外意識に生きたい思はない。なのにいつだって、誰かの目を気にしなきゃいけない。描きたいもの。受け入れられるもの。苛立ちを、葛藤を、胸中に秘め、吐き出した言葉。それが、売れても、売れなくとも、結局書いた人間はその言葉へ不信を抱いてしまう。「パラドクサルな人生」だ。 大きな波が立たず、波紋が大きければいい。でも、そんな器用なことが一体誰に出来るのだろうか?それでも、それを求める人々の言葉は、名誉や、金に埋もれてもなお、未来へ続こうとする。その世界で傷ついた心を、捨てられた心を、そっと、拾い上げることの出来る読者になりたい。   いま茲に傷つきはてて、   ―この寒い明け方の鶏鳴よ!   おお、霜にしらみの鶏鳴よ・・・・                          中原中也「修羅街輓歌」より ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]時代外れなエッセイ 虫/佐々宝砂[2004年12月11日14時36分] 夏休みは毎年キャンプにでかける。たとえ休みが一日しかなくても無理矢理でかける。わざわざキャンプにでかけなくてもうちは田舎にあるから山のふもとに住んでいるようなものなのだけど、やはり山奥にまで入り込むと、空気が違う。水が違う。植物が違う。住んでいる虫が違う。違いがあるから山奥に入り込みたくなるのだ。自宅にやってくる虫ならほとんどが馴染みの虫ばかりで、いちいち図鑑を見て調べる必要もないのだが、アマゴが泳ぐような渓流近くでみる虫たちは名前のわからんやつらが多くて、図鑑をみてもわからなくて、「おまえ何者だよ」と問いかけたくなる。もちろん問いかけたって答はない。虫は自分が何者なんて考えない。どんな特殊な虫だって、虫は単純に虫として生きている。 今年はばかに小さなアゲハを見かけた。形は間違いなくアゲハ、尾は短め、腹が赤と黒のストライプだったのはジャコウアゲハに似ていたものの、あまりに小さすぎた。モンシロチョウ程度の大きさしかなかった。小さいというだけでもなんだか哀れを誘う蝶だったが、なお哀れなことに鱗粉がかなり剥がれていて、今にも死にそうに思えた。そいつを見かけたのは家族連れの多いオートキャンプ場の中だったから、子どもにつかまえられそうになって羽を痛めていたのかもしれない。こいつどうせもうすぐ死ぬのだろうなと思いながら、私はその蝶をつかまえようとは思わなかった。標本にしてあとで図鑑で調べようとも考えなかった。携帯電話を持っていたから写真に撮ってもよかったなとあとで思ったけれど、写真すら撮らなかった。キャンプ中の私は本当にぼけぼけしていて、おまけにいつでもアルコールが入っている状態なので、ほとんど何の役にも立たない。 小さな謎のアゲハは、タープ中央に吊り下げた電池式蛍光灯ランタンにとまって動かなかった。私以外のキャンプメンバーは、みなバンガローに寝ると言って引き上げてしまっていた。私は一人でテントに寝るつもりだった。テントで寝なけりゃキャンプな気がしないじゃないか。しかしひとりなのであまりに暇だった。本もなけりゃパソコンもない、携帯電話は電源を切ってバンガローにしまいこんである。汚れた食器も洗ったし、鉄板も洗ったし、やることがない。やることがなくても人間は何かをやりたがるものなので、石でつくったかまどに無闇に木ぎれを放り込んで火を熾した。猛暑の都会と違って、午前3時の川辺は肌寒い。たき火はやわらかな熾き火になってほどほどに温かく、心地よかったが、身体が温まったせいか午後七時ごろからずーっと飲み続けていた日本酒が急にまわってきた。さすがにこりゃ寝なくちゃなあと私らしくもないマトモなことを考え、蛍光灯ランタンを消し、テントに入り、寝袋にもぐり込んだ。 トイレに行きたくなって目を覚ましたのは何時頃だったろう。東の空が明るみヒグラシが鳴いていたから、午前5時頃だったと思う。ふらふらと小用を済ませてから、煙草を一服しようと先のたき火の近くに座り込んだ。すると、かまど近くの石に何か小さな黒いものがあった。なんだろうとよくよく見たら、例の謎アゲハだった。熾き火の明るさを恋しがって、明かりの消えたランタンからここまで飛んできて、死んだらしかった。おそらくたき火の熱で死んだのではない。石の表面は冷えていたし、謎アゲハの身体は、焦げたり焼けたり変形したりはしていなかったから。 「飛んで火に入る夏の虫」と言うけれど、この謎アゲハは、火に入ることもなく死んだわけだ。まだアルコールを充分残していた私の脳味噌は、この「飛んで火に入らず死んだ夏の虫」のことを可哀相に思った。火に入りたけりゃ入って焼けてしまえ、焼けて死んでしまえ、その方が本望なんではないか? 私はかまどに残っていたごく小さな熾をウチワであおぎ、薪を継ぎ足した。ぐいっ、となまぬるい焼酎をストレートで飲んだ。さらに熾をウチワであおいだ。炎があがった。また焼酎を飲んだ。それから私は小さな謎アゲハの死体を炎の中に落とした。火は瞬間ちいさくなり、そしてまためらめらと大きくなり、もともと小さなアゲハの身体はあっという間に燃え尽き、紙を焼いたようなぺらぺらした灰になり、風に乗ってどこかに飛んでいった。 虫は単純に虫として生き、単純に虫として死ぬ。そんな単純な事実に無理矢理意味を与えるのは間違いなく私、人間である私だと思った。すこし、嫌気がさした。またも焼酎を飲もうとした。だが、しっかり焼酎を飲み込みきるまえに、うっとこみあげてきた。こみあげたのはもちろん、涙ではなくゲロだ。私は虫が一匹死んだくらいで泣きはしない。それがどんなに特殊な虫であったって。 キャンプ地の朝は早い。近隣のテントの人々は、そろそろ目覚め始めていた。 初出 2004.8. 蘭の会コラム http://www.os.rim.or.jp/〜orchid/column_n/index.html ---------------------------- [自由詩]Mタイプ/暗闇れもん[2004年12月11日14時37分] ロボになりたい 目が光り 火を吹き 時を越えて 空を飛び 感情もない どんなに辛くとも 人を傷つけず 自らの命を捨てられない 機械油を垂れ流す ロボになりたい ---------------------------- (ファイルの終わり)