クローバーのおすすめリスト 2004年5月7日14時05分から2004年6月9日23時42分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]空想現実 夢/かえで[2004年5月7日14時05分] そろそろ外に出ようかな 引きこもりではないけれど 柔らかな日差しに触れたいのだけれどね ちょっと怖いのよ ビルの上のあの秘密基地から飛びたくなってしまいそうで --------- 外に出たら何をしようか まず手を繋ごう なんていうか、ぎゅっと握ってやるよ パン屋さんでお前の好きなパンを一緒に買おう そしたらお前のうつろな目は少しは微笑むかな 海にも行きたいね なぁアリス たまにはあの田舎道を足が棒になるまで歩いてみようぜ それで砂浜で少し休もうか 魚の死骸がこの前あったんだ まだあるかもしれない お前が見たらどんな顔するかな 海より近くの公園に行きたいわ ベンチに座ってパンを分け合いましょう 貴方はいつもはいている擦り切れたジーンズにTシャツ 私はあの白いスカートをはこうかな 似合うかしら? 私、貴方のあのジーンズが好きなの 捨てちゃうなんて絶対ダメよ 貴方にしか似合わないものなのだから --------- お日様ってあたたかいわ そうだな さっきまで私は何故おびえていたのかしら 君の気持ちのせいだよ 気にすることない 私このままずっとここにいてもいいわ 貴方とずっとここにいるの それはダメだよ それじゃあ夕飯の支度は誰がやるんだ? 「私、貴方のこと好きよ誰よりも」 ・・・・夕方になったらこのまま浜辺を歩きましょう 私、貝殻をひろうの 綺麗なものみつかるかしら 見つかったら貴方に一番のをあげるわ -------- 声が届いていますか 声が届いていますか 貴方はどこにいますか やっぱりこれは夢なのね 貴方との馴れ初めかしら 思い出? なに なに なに なに 教えてくれる? ---------- ねぇ夢を見たの こんなの久しぶり 貴方に似ている人と沢山外を歩いていたわ きっと貴方だと思うわ だってすごく仲が良さそうだったもの 貴方は昼からビールなんて飲んじゃっているの いつかの私たちみたいだった 食事たまに一緒にしない このドア開けてくれないかしら? (ドアが開かないこと位知っている私がそうしたの) 幸せになる為に確か貴方が 何かを口走ったのよね わかってる でも何かは靄の中で もう見えないわ 怖いわ このまま私あのビルに向かっていいかしら ドアの釘はもう抜いておいたから 貴方はそのままどこかへ消えて そんなこと言われたって貴方にはきっと出来ないでしょうね わかっているわ 「だからさようなら」 大丈夫これは夢よ 目をつぶってごらんなさい ほら  ひとつ ふたつ ぽつぽつ ぽたぽた 朝がやってきた ---------------------------- [自由詩]要冷凍/たもつ[2004年5月7日16時59分] 冷蔵庫の中には青空が広がっていたので 君は買ってきたゼリーを冷凍庫に入れるしかない 冷凍庫は満杯でゼリーをしまうスペースをつくるために 君は肉の塊を取り出す いつ買った肉なのかすっかり忘れてしまっているけれど それをレンジで解凍すると いくつかの野菜を刻みいっしょにフライパンで炒めて 夕食の一品とする 君は冷凍庫の中でソルベ状になったゼリーの食感を空想 そして幸福感に包まれたまま冷凍庫の扉をスライドし ゼリーを取り出す 蓋をはがすとゼリーは既に青空に侵食されている 君はシャリシャリ音をたてて青空を噛む 世界のどこかで青空が崩壊していることに気づいているのか あるいは気づいていないのか それはそれとして 君の薄い唇から「美味しい」という言葉がもれる ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評という暴力的愛情表現/佐々宝砂[2004年5月8日4時15分] 私が人様にはじめて認められた文章は、詩ではなく評論であった。それは静岡県民文学祭で芸術祭賞を受賞した。今の私からみると暴論みたいなところもあるし、古くなっているところもあるし、そもそも「評論」と名乗っていいものなのか未だに自信がないけれど、最初に認められた文章だから愛着はある。それは「后の位も何にかはせむ−少女小説私見−」というタイトルでわりと長文、論じられている小説も一冊ではなく、作者も複数だ(「后の位も何にかはせむ」は、http://www2u.biglobe.ne.jp/〜sasah/reviews/hyo0.htmlにおいてありますが、昔つくったHTMLなのでけっこう読みにくいシロモノです。ごめんなさい)。 複数の作者の複数の作品をあたかも一連の流れのなかにあるもののように論じるという行為は、作者の考えを酌み取るためのものではなく、極端に言えば評論の執筆者である私自身の考えを発表するためのものである。プロである作家たちを読者対象にしてはいないし、少女小説という特殊な分野の読者を対象に書かれたものでもない。「后の位も何にかはせむ」は、少女小説を全く読みそうにないオッサンたちが読者対象なのだ。より正しく言えば、静岡県文学祭評論部門の選者であるオッサンたちである。彼等に「おめーらこんな世界のこと知らねえだろ」と啖呵を切ることを目的に書かれたといってもさしつかえない。しかしそれでもなお、「后の位も何にかはせむ」を書いた根元的動機は、少女小説という特殊な分野と各々の作品への愛である。私は愛情なしに批評を書きたくない。私にとって批評を書くということは、愛情表現以外の何者でもない。他の人がどう思っているかは知らないが、私にとって、批評は私の表現手段のひとつなのである。 何に対する愛情表現かは、場合によって異なる。「后の位も何にかはせむ」という批評は、少女小説に対する愛情表現として書いた。200を越える私の書評は、そのほとんどが各々の書物への愛情表現として書いたものだ(一部例外がある)。「たもつさんの詩の印象」という未完のまま終わりそうな気配の一連の批評は、たもつという詩人の詩に対する愛情表現として書いた。批評に関する雑文(強いて言うなら評論)である"Cry For The Moon"http://po-m.com/forum/grpframe.php?gid=349は、批評という分野への片思いを表現したようなものだ。かつて蘭の会で行っていたまなコイの私の総評は、各々の詩に対する愛情というよりは、詩という分野に対する愛情を表現したつもりだ。 いったい誰のための批評だ?と私に問わないでほしい、批評は私の表現手段であり、私が表現したいのは愛だ。あなたが詩で愛を歌いたいと願うように、私は批評という理屈っぽい文章で愛を伝えたいと願う人間なのだ。 しかし、いくら動機が愛だとしても、摩擦は避けにくい。「詩という分野に対する愛情」を表現しようとして、結果として酷評になることがある。「詩という分野」の全体的向上を願って、添削的なセンセーぶった批評を書いてしまうこともある。場合によっては「あるひとつの詩サイト」への愛情ゆえに、なんだかひんまがった優しいのか厳しいのかわからん文章を書いてしまうこともあり、そんなものが原因でブチ切れてしまった苦い過去が私にはある。しかし私はもうそういうことをしないだろう。私はいま、「あるひとつの詩サイト」に対する激しい愛情など持っていないから。 また、あるひとつの作品への複雑な愛情を表現しようと努力したあまり、結果としてその作品に対する批評への反論になってしまうこともある。ひとつの詩に対する解釈が異なる場合があるのは当たり前で、たとえ解釈が似たようなものであったとしても、批評と批評はぶつかりあうことがある。まるで、ひとりの恋人を巡ってふたりの人間が争うかのように。恋人が人間であれば、どちらかを選んでくれることが多いから、話はそれで済む。しかし詩の場合は難しい、たとえ作者が片方の批評者の意見を認めたとしても、読者の多数はもう片方の批評者の意見の方こそ正しいと主張するかもしれない。ふたりの批評者のどちらが正しいか、誰一人決めることはできない。強いて言うならば、未来の誰かが歴史的観点に基づいて決めてくれるだろう(それだけ長くネット上の詩と批評が生き延びたら、の話である。もしかしたら、根気強く長く続けたもん勝ちかもしれないぞ)。 私は釈明しない、無罪を主張しない。私の批評は酷評になる場合がある、私は批評に対しきつい反論をする場合がある。私は自分の有罪を認める。しかしそれでもなお私は主張する、私の批評がどんなに暴力的に見えようとも、その根元的動機は、愛だ。 ---------------------------- [自由詩]要冷凍/AB(なかほど)[2004年5月9日16時37分] 氷点下十五度の空気を吸いながら せかせかと歩き 空を見上げると雪がはらはらと はらりはらりと 降るのは粉雪でもなく 結晶のままの形で成長し 黒い手袋のひらで そっと受け止めると そこに星が散らばってゆく アスファルトの上にも 星が 帰ったらシチューだよなやっぱり と言いながら手袋で星のままの雪をはらうと 服も靴も濡れてなくて ドアを開けると 夏子がハサミで包装フィルムを切り刻んでいた 切手サイズのそれは ベルマークとかポイントとかそんなものではなく きっとリサイクルマークだろう 中でもお気に入りは塩素を含まないPPだと言っていた のを思い出しながら ふと台所の窓の外に目をやると その中身が散らばっていた そうか 今日は「要冷凍」を 夏子は世界地図に それをひとつひとつ置いてゆく 北極、南極、シベリア マッターホルン 融けてしまうのは 明日かもしれない 僕は 素知らぬふりをしながら 一枚盗み 今住んでる街に そっと置いてみた 溶けてしまうのは 明日かもしれない    fromAB ---------------------------- [自由詩]羽化/有邑空玖[2004年5月9日20時38分] 何処まで行っても交わらない二人の放物線 雲はただ憂鬱に流れゆき 君の声が聞こえない 季節は留まることなく繰り返す その呼吸を それでも介意(かま)わない 空は嵐の日も青く在るから 強く交わした指切りを憶えている? 笑って背を向けた君の肩胛骨の翅 記憶を喪くしてもちゃんと翔べますように 硝子窓は未だ海の底の蒼 生まれる前の世界を憶えている? 永遠は何処にもないよ 願いはいつも叶えられない 期待は裏切られ続けて 胸には小さな絶望を抱えて生きていく 時折空を仰いで それが幸せ 翅はないけれどいつか翔べますように そして今日も朽ちた百葉箱の中で眠ろう ---------------------------- [自由詩]要冷凍/山内緋呂子[2004年5月9日23時44分] 風呂に入る前は 裸になる これからきれいになる 通ってきて  よこ 子供ん頃から隣が冷蔵庫で ここで服を脱ぐけれど 父親にも 裸を見せられないほど 洋服を脱いできた 風呂のお湯など どうでもいい 「あったまりなさい  あなたはそこであったまりなさい  こちらは冷たいから」 水滴があつまることは女のようで 刃物を使うことに もはや抵抗はなく 処理器がピンクだろうと昨日は黄色だったろうと 黒い毛が 刃物にすべりこまれていくこと たとえば 「これ うつくしいでしょう?」 と聞く者は 風呂の外におるかもしらん みずいろの布の上に似合うかどうか見る者はおらん ただ ひろげておく    うつしておく    のしておく 明日 小花と格子のテーブルクロス上に ピクニック用のサンドイッチがおかれている 明日朝  辛子チューブが立っている後ろに 子供がつけた にこマークのシール はがしてもはがしてもはがれるかもしらんが 黒い粘着の跡は もはや 子供が女になるぐらいまで 生きているけども それよりも 後ろのほうの かび 緑色でみずみずしくて 全くやっかいな生きものやねえ 冷凍庫はほら いつもおとなしう 固まってる 何や かわいいわ 冷凍ものって 何や  鮮度がええなあ ---------------------------- [自由詩]蛇口のひねり方を忘れた/カンチェルスキス[2004年5月10日16時19分]  曇天の風のない日  窓の向こう  歪んで映った一本の線は  確かに電線で  姿も見えないのに  鳥の声が聞こえる  洗面所の水道が止まらない  蛇口のひねり方を忘れた  おれは立ち去れずにいる  洗面所の前で  数え切れないほどの瞬間の生き死に  水道の音が  解像度を増して  おれの頭の中で鳴り響く  おれの頭は水道を音だけ  吸い取って  何物にも変換しない  水の落下とだけ  ある目の前は  水の落下  音に溺れるみたいに  おれは立ち去れずにいる  蛇口のひねり方を忘れた  排水口に流れた髪の毛は  おれがなくした   ---------------------------- [自由詩]いやなきもち/アンテ[2004年5月11日1時24分] あたまのなかが いやなきもちでいっぱいになって ねこんでいると みぎのみみから たねがころがりおちた いやいやにわにうえて いやいやみずをやると いやなはながさいて たねがひとつできた もういちどにわにうえて あやまりながらそだてると なんとかふつうのはながさいて またたねがひとつできた にわにうえて たいせつにそだてると きれいなはながさいて できたたねをもっとたいせつにそだてて とくりかえすうち はなはどんどんきれいになって でも あるあさおきると はなはだれかにつみとられていた あたまのなかが いやなきもちでいっぱいになって ねこんでいると ひだりのみみから はさみがころがりおちた こうこくやしんぶんをきりとって かみのはなをつくって くきにくっつけると なんだかとてもいやなかんじだった きもちをこめて なんどもなんどもつくりなおすうち かみのはなはずいぶんよくなった えんがわにすわって ながめていると あめがふりだして かさをさがしているあいだに かみのはなはぐしゃぐしゃになった やっとかさをみつけて あめのなかでたっていると なみだがながれだして とまらなくなった ぽたぽたおちて あまみずといっしょに はいすいこうにながれていった ---------------------------- [自由詩]戦っている/たもつ[2004年5月11日20時03分] 目が覚めると 右手がチョキになっていた いったい僕は何と戦ったというのだろう 夜中、こんなものを振り回して 援軍の来ない小さいベッドの上で ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評は愛か、それともエゴか。/宮前のん[2004年5月12日15時25分] 批評は愛(詩や詩人のためを思っての行動)なのか。 批評はエゴイズム(己の利益だけを考えた行動)なのか。 私は、その人によって違うし、その時々によっても違うと思う。 どんなに酷評したって、その詩が大好きで、すごく好きで、 でも詩としては稚拙で、って場合もある。 「この詩、好きです! でも点数は0点♪」なんて某詩の批評会でコメントした人が居た。 あるいは、どれほど言い訳したって、自分の論文に酔いしれている場合だってある。 それは、詩によっても違うし、批評する人によっても違う。 「愛を持って詩を批評しよう!」と心に誓っても、どうしても嫌いで愛のない場合も あるし。 逆に「素晴らしい論文を展開してやるぞ!」って思ってても、 すごく素敵な詩に向かっては、もう、愛情表現しか出来ないって場合もある。 要するに、決めつけられないものだと思う。 本人がそれを愛と自覚するなら「批評の根源は愛」なんだろうし、 本人がそれをエゴと認識するなら「批評の根源はエゴ」なんだろう。 それは、子育てに似ている気がする。 私の母親のように、子供を産んだけど「自分の人生を彩るために子供を育てた」 ような人も居るし、「本当にその子に幸せに成って欲しい」と思って育てる 母親もいる。また、それは子供と親の相性のようなものあるし、あるいは タイミングのようなものもあるかもしれない。 でも私の母親は、エゴイズムで私を育てたけれど、本人には全く自覚は無い。 むしろ、その横暴とも言える押し付けを「愛」だと言ってはばからない。 「あなたのためよ」と言うことを止めない。自分のためだろ!って言いたくなる。 私だって、愛を持って子供を育てようとしているけれど、いつのまにか エゴになっていないか、そういうのがふと心配になる時がある。 理想を、自分の理想をただ単に押し付けているだけなんじゃないか、と。 私は「批評は詩のために、愛を根源にしたい」と思う。 でも、エゴになっていない自信はない。 だから、常にエゴになっていないか、検証しなければならないし、 あるいはエゴな部分を認めながら、愛をベースに語りたい。 ---------------------------- [自由詩]けろっと(2)/umineko[2004年5月12日20時23分] ★ ゼブラくん    あなたのあだ名    つけてあげたよゼブラくん    よこしまゼブラくん          ★ こむらがえり    営業の小村クンが    人知れず悩んでいました          ★ ブルドーザ的恋の在りし日    ずしゃんずしゃんとなぎ倒し    抱きあうのも一苦労    ショベルとショベル    からみあわせて    ただ欲しいから壊してく    何もできない    何もできないよ    涙の代わりに    また突進    ブルドーザ的恋の在りし日          ★ フレックス    砂漠のキツネ    夜行性に時代を泳ぐ    熱いシャワーで一区切り    がんばがんば          ★ ばくばく    夢をみたばくばく    しんぞうがばくばく    たぶんキミでも    食べ残すことあるんでしょ?    好き嫌いはよくないな          ---------------------------- [自由詩]獰猛な美魚/チアーヌ[2004年5月13日10時52分] 明日のことばかり考えてたら 今日のこと忘れてた 電話もごはんも催促も壁紙の張替えも 全部全部全部 食いつきのいいアマゾンの美魚 食いつきのいいメキシコの美魚 食いつきのいいアフリカの美魚 わたしは食いつきの悪い日本の金魚 しょうがないとりあえず メールメールメール 集団で向きを変えるテトラの群れ それを横目に見ながら 生きのいいエビを死ぬまで小突き回す エンゼルフィッシュ キレイなくせに 残酷な フィッシュフィッシュフィッシュ 天使だって ふざけるな アマゾンの細流を 夢見ながら ここで死んでいく わかってるの? ここで死ぬんだよ こんなところで こんなせまい水槽で ね どんなに大事にされたって どんなにおいしいエサが貰えたって うれしくないよね わかってるよ 今日のことなんか忘れて暮らそう 毎日 今日のことなんか忘れて暮らそう 今日のことなんか忘れて暮らそう 忘れて暮らそう よ ---------------------------- [自由詩]『鬱五郎とライオン』/川村 透[2004年5月13日14時54分] @鬱五郎はライオンの虫歯を見つけた、と言う。 大きくあくびをする顎を覗き込んで、 鬱五郎はライオンの虫歯に話しかけようとした、けれど 眠たげにゴロゴロと喉を鳴らすそいつは、 生臭いあくびをほんの瞬間浴びせかけただけで、 ぷいと不快気にそっぽを向いて寝そべってしまった、らしい。 鬱五郎はライオンの虫歯と話しをしたかった。 ちらりと目蓋の底に焼き付けられた、それ、は ホクロのようにチャーミングで、 象牙を彩るワンポイントの意匠のようにバランスがとれていてステキ 鬱五郎はライオンの虫歯の事をうっとりと思いながら、 そいつの後ろ足にそっと触れる。 ライオンの尻尾がワイパーのように起き上がり蛇みたいにくねり、 鬱五郎の首をくすくすと叩いて、 蝿をうっとうしがるように怠惰な仕草でライオンは彼を振り向く。 ゴゴ、と軽く威嚇して見せたが、なんだか余り気が乗らない様子で、 くいくい、と尻尾を鬱五郎の首に巻き付けた。 ぐいぐいっと尻尾に誘われるまま彼は、 ライオンのお尻を枕にして寝っころがり空を見上げたそうだ。 @鬱五郎はライオンの虫歯がウツクシイ、と想う。 そうそう、鬱五郎とライオンは実はサバンナの木陰にいるのだった。 お日様は白いグルグルでHOTでクールで、 熱いんだけど不思議な事にちっとも暑くなくてスカスカと風が心地よい昼下がり、 とでも言うんだか。 ウツクシイ虫歯の話だったね。 鬱五郎はライオンの虫歯がウツクシイ、と思って、 泣き出してしまいそうにさえなったんだよ。 嗚咽がしゃっくりのようにこみ上げて来て、 彼の頭をささえているライオンの後ろ足の根っ子つまりお尻をビブラートして ライオンはくすぐったかったんじゃないかな、それとも本当に蝿でもいたんだか、 プヴブ!とくしゃみをしたんだ。 ウツクシイ虫歯の事だったね。 鬱五郎はライオンの牙の骨のような白さと 虫歯の黒のコントラストを思うとなんだか ビューティフルで アンビリーバーボーで ホーリィな 変な気持ちになってライオンをアイしたいような ライオンのクチビルをホオばりたいような、 うっとりとタイハイ的なハイトクの思いにとらわれ始めていたんだよ。 @鬱五郎はライオンの虫歯にキスしたい、と思う。 あおぞら、は凄いように硬く重たくて鬱五郎は押し伸ばされてペラペラの紙人形に、 でもされてしまったみたいに、自分の事が薄っぺらに感じられたそうだよ。 仰向けになっているとほんとうに涙がこぼれそうになってきたので、 鬱五郎はライオンのお尻をかき抱くように鬱伏せになったんだって。 するとゆっくりとライオンのお尻が彼をささえて起き上がって来たんだよ。 鬱五郎はぐっとすがりつくように力を込めてお尻をまさぐっているうち、 立ち上がったライオンの背中に目を堅く閉じたまま体ごと、 いつのまにか、しがみついていたんだね。 グルル、とライオンは静かに吠え、スタスタと歩き始めた。 目を開いて鬱五郎はそのたてがみを握りしめたんだ、 ライオンはそっと振り向き鬱五郎と目が合ったんだって。 ライオンの灰色混じりの蒼い瞳を見ているうちになんだか 自分もライオンと同じ色の瞳をしているはずだ、と、思えて来たんだって。 グルル、とライオンは再び吠え、ダダダ/ダダダダっと走り始めた。 するとサバンナはバターの香に満ちたねっとりとやさしい油絵のメリーゴウウランド お日様の廻りを巡る走馬燈みたいに絵の具の色が流れて染みて 緑や黄色や赤や青がくすぐったくって、 胸のあたりで、こほろぎが鳴いているみたいにくすぐったくてウレシクて涙目のまま 大きい声でハハハハハ、と鬱五郎は笑い続けていたんだ、躁だ。 @鬱五郎はライオンの虫歯にキスしたい、と言う。 鬱五郎とライオンはもとの木陰に戻って来たんだ。 ライオンから降りた鬱五郎はライオンを見つめた/ライオンも鬱五郎を見つめた。 ライオンの灰色混じりの蒼い瞳を見ているうちに 自分もライオンと同じ色の瞳をしている事が、なんだか、トテモ、ユルサレテイル みたいで、それが何ヨリモ誰ヨリモ大切に思えて来て胸が、 キュン、となったんだって。 ライオンはグロロロ、と鳴いて静かに大きく顎を開けた。 鬱五郎はオズオズと女の子に始めてキスするみたいに小首をかしげながら、 吸い寄せられるように近付いていったんだ。 @鬱五郎はライオンの虫歯にとうとうキスしたんだって。 ライオンの虫歯にキスする鬱五郎はライオンの顎の間に頭を預け、 ライオンの虫歯、を、噛む鬱五郎はライオンの顎の間で甘く噛み砕かれ ライオンは虫歯、で、鬱五郎をやさしく咀嚼して目の玉がぷつりと潰れ涙、 ライオンは虫歯、で、鬱五郎の唇をやわやわと摺り摺り、押し、開いて ライオンは、舌、で、鬱五郎の口の中を愛撫しまさぐって宝石を見つけたんだ ライオンは虫歯、で、鬱五郎の糸切り歯を抱き締めている葡萄のように甘く渋く ウツクシイ、彼の虫歯菌、ごと、鬱五郎をやさしく噛み砕いた。 噛み砕いたさ。 ライオンは目を細めてゴゴゴと鳴いた。 鬱く、歯躯、毛だか喰ってライオン、トテモ、痛くてかゆゆくって照れ、笑う、 QQ。 鬱五郎はシアワセだった。 シアワセだったんだって、 Qん、 【初出】Fcverse ---------------------------- [自由詩]スベスベマンジュウガニ饅頭/たもつ[2004年5月13日16時06分] 日曜日の午後六時三十分 サザエでございます、で始まる「サザエさん」 に新しいキャラクターが登場した 裏のおじいさんの家に下宿することとなった 私立大学生のスベスベマンジュウガニ これから、どうそよろしくお願いします 故郷の名物である饅頭を持って磯野家に挨拶に来た おいおい、スベスベマンジュウガニの饅頭なんて毒入りじゃねえか? そう顔を見合わせる磯野家(一部フグタ家を含む)の人々 その沈黙を切り裂くかのように わあ、美味しそうでしゅ 場の空気を読むことができないタラちゃんの発言に 顔をひきつらせながら、じゃあお茶でも、と立ち上がるフネ 我々がこの家族に出会えるのは日曜の午後六時三十分から七時までの僅か三十分だけであるが 彼らにも当然のことながら、一日があり、毎日があり、四季がある 波平のスベスベした頭の天辺に残った一本の毛 それはこの物語のシンボルとも言える 戦後、高度成長期、バブル、そしてその崩壊 そういった時代の荒波の中でも挫けることなく生きてきた魂である サザエの誕生からカツオの誕生までのおそらく十数年の間に果たして何があったのか という疑問を抱きながらも、あの歳で二人の子作りに成功した波平、フネの夫婦に 誰もが涙し、拍手喝采を送る この永遠に歳をとることがない家族の物語に終止符が打たれるとき 最後の一本の毛を自らの手で抜こう、と波平は決心している そんな波平の心意気など知る由もなくスベスベマンジュウガニ氏は ドウゾドウゾ、笑顔で饅頭を勧める ええい、ままよ、波平は恐る恐る饅頭に手を伸ばす 家長である自分が家族を守らなければ! その瞬間、タマにこっそりと饅頭を食べさせその安全を確認したカツオが電光石火でパクリ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]やりたいことがあるんです/佐々宝砂[2004年5月20日2時18分] 批評だ批評だ批評が必要だとネットで吠え続けて、おそらく数年になる。私自身は、地方同人詩誌での合評会や蘭の会内部でのわずかな批評と、詩集そのものに対するいくつかの批評をのぞき、自分の作品に長文の批評をネットに書いてもらった経験が一度しかない。私はそのたった一度の経験を宝物のように大事にしている。感謝してもしきれないほど、その批評を書いてくれた人に感謝している。 その人は私を理解してくれたし、私に方向性すら示してくれた。その人はその批評を大々的に発表したりはしなかった。自分のサーバにこっそりあげて、URLを教えてくれた。その人が何のためにその批評を書いたか、当時の私は、その人が私の詩を買ってくれているからだと思っていた。しかし実際には、おそらく、私に「批評の書き方の一例」を示すための批評だったのだろうと思う。その人自身が批評の重要性を認識していて、批評の書き手を欲していたからなのだろうと思う。私はほんとのことを言えば、たいした批評屋ではない。でも批評が好きだ。批評の書き手になりたかった。私に「批評の書き方の一例」を示してくれた人に感謝を捧げたかった。しかし世の中は、思った通りには進まない。そのくらいのことは認識しておこう、でも絶望はしないでおこう、私もはや三十半ばを過ぎたけれど、まだ介護保険を払う年齢ではない。 批評の書き手は、自分の文章に対する批評・批判を覚悟しなくてはならないと、私は思っている。私は自分のHPに置いた近作に、 Text&Image Copyright(C) 佐々宝砂 sasahosa@muh.biglobe.ne.jp 全文転載は要相談。 批評における部分引用自由、連絡してくれると喜びます。 直リンクは自由、連絡不要(デッドリンクになるかも)。 というキャプションをつけている。私の文章は勝手に批評して下さいどうぞ、でもいくらなんでも全文転載の場合は連絡してね、それが私のスタンスだ。だが、他人の作品まで勝手に批評していいと思っているわけではない。勝手な部分引用や直リンクお断りのキャプションをつけている人もいるが、それはそれでいいと思っている。それぞれの作者の考えを大事にしたいと思っている。 問題は、批評に対する筆者(作者)の考えがつかみきれないときに起きる。あるいは批評する側のスタンスがはっきりせず、曖昧な言葉を使っているときに起きる。たとえば紙の同人誌の合評会のとき、確か私はまだ二十代終わりくらいだったか、「こういうこと書いて恥ずかしくない?」と訊ねて十代の女の子を泣かせてしまったことがある。私は彼女の詩が悪いものだと思ったわけではない、むしろたいへんいい詩だと思ったのだ。でも私にはこういう内容は恥ずかしくて書けないと思ったので、「恥ずかしくない?」と訊ねたのだった。「Tバックってなんか恥ずかしくない?」と訊ねたよーなもので、「きみは立派だ」と言いたかったのだけど、うまく伝わらなかった。あのとき私の言い方はとても悪かった。うまく伝えられなくて私自身悲しかった。二度とああいう思いはしたくない。 ネットで発表される作品を見ていて「この詩なんとかならんかなあ、ここをなんとかすりゃいい詩になるのになあ」「この詩テーマと視点がめちゃくちゃいいのに文章がめちゃくちゃだ」などと思うことがしょっちゅうある。けれど、たいていの場合、私は厳しい批評を避ける。私は争いたくない。愁嘆場も見たくない。未熟な書き手や、批評する側(私)に理解できない詩を書く作者に、手厳しい言葉は禁物だ。半端なものいいも禁物だ。きちんと、わかりやすく、はっきりとした批評ができないなら、私は黙ってる方がいいかもしれないと思う。 愚痴のようになってきてしまった、こんなこと書くために書き始めたのじゃあない。 実は、いま、やりたいことがある。やりたいことはいっぱいいっぱいあるんだけど、早急に(9月末日までに)やりたいことがひとつある。地方の文化団体にネット詩を紹介したいのだ。静岡県詩人会総会で痛感したことだが、地方の詩人会とネットの詩人会とのつながりはあまりに少ない。ネットの詩を見ているごく少数の人も「ネットの詩ってなんか違うのよねー」などと言ったりする。彼等は、ネットの詩の海に潜るのが面倒なのかもしれない。確かに数がいっぱいありすぎて、追っかけるのがたいへんだ。だから私は彼等にネットの詩の良質な部分を見せたい。どのように? もちろん直接詩をプリントアウトしてもってって「この詩いいでしょ!」と言ったっていいのだけれど、それで紹介できる相手は少数だ。私はもう少し多くの人々にネットの詩を見せたいのだ。自分の住む地区の隣人達に見せたいのだ。 だから、今、紹介的な批評文を書いて静岡県の芸術祭に応募しようと考えている。入賞したら、私の批評は「県民文芸」なる本に収録され、静岡県の公立図書館と高校・大学に配布され保存される。地方のニュースや新聞でも紹介される。しかし「入賞したら」の話だ。また批評全体の長さにも限度があるから(原稿用紙四十枚まで)、あまりたくさんの詩を紹介することはできない。長い詩は部分引用ということになるかもしれない。また、ネットの詩全部がいい詩なわけじゃないよということも、私は書かねばならない。それは悲しいかな真実だから。それでも「私の詩に批評を書いていいよ」と言ってくれる人はいるだろうか、どのくらいいるだろうか。 もしいるのだったらメールを下さい。私信でもかまいません。私は批評を書きたいのです。 ---------------------------- [未詩・独白]ノート(どこかに)/木立 悟[2004年5月23日23時28分] この世界のどこかに わたしにならなかったわたしがいて やはり ひとりで歩いているなら おそらく わたしは 声をかけることができないので せめて すぐ前を歩いてゆく 少しでも道を固めるように 少しでも風をさえぎるように ---------------------------- [自由詩]雨細工の町/望月 ゆき[2004年5月23日23時45分] 新しい長靴に浮かれて 水溜りを探し 右足をそっと入れると 次の瞬間 目が回り どこかに迷い込んでしまった 「噴水の広場」 あやまって 噴水の真下に立ってしまった と 思ったら それは雨粒で 地面から雨が噴出しては 地面に落ちていた 広場には もう一人 バケツを抱えて 降ってくる雨粒を集める 少年 「街灯の下」 舗道に広げられた 灰色の布きれの上には いくつものビー玉が転がっている 近づくと ビー玉に見えたそれは ぷよぷよと鈍く弾み 曇り空から降る雨粒とそっくりで 布きれの上から 今にも逃げ出しそうだった かたわらに座る少女は やんちゃな子供をつかまえる母親のように 絶妙なスピードで手を出し サッとそれを掴んでは 何か透明な糸に通している しばらく歩いて気づいたのだが ここの人たちは みな服さえ着ていてるが その服も体もびしょびしょに濡れてしまっている どこもかしこも 雨粒が降ったりやんだりなのだから当然だけれど。 しかしそんなことは 誰も気にしてはいない 「レインボーホールの玄関」 小さな屋台を見つけた 威勢のいい高い声に ひきつけられるように近づく その屋台には ネックレスやらブレスレットやらが ところ狭しと並べられている よく見るとそれはみな さっきの少女が持っていた ぷよぷよした玉で出来ていた 糸でつながれてもなお その玉はぷるんぷるんと弾んでいる 屋台の看板を見ると 「雨細工」と書かれていた どれくらい歩いたか 雨粒は相変わらず降っていて 気がつくと 服はすっかり濡れていたけれど それも気にならなくなっていた 時折 虹がかかるけれど 光の源は わからなかった そこから抜け出るすべは なんとなく知っていた 水溜りを探せばよいのだ 長靴の右足を入れればよいのだろう もはや そこがどこかなんてことは どうでもよくなっていた。 とりあえず、とつぶやくと 方向転換して さっきの「雨細工」の屋台に向かって 雨の舗道を戻ることにした ---------------------------- [自由詩]「雨細工の町」/AB(なかほど)[2004年5月27日15時09分]    土の匂いがしてくると どこか懐かしい気持ちになり ああ もうすぐ落ちてくるんだろうな と思いつつ 風邪をひきやすかったことも忘れ 濡れようか どうしようか 結局 しっとりとするころに 石の階段を登って帰る やがて音に変わると  胸が痛くなることも その都度に忘れて 濡れたくなくて という事でもないのに ざあ という音には いたたまれなくなって 走る ざあ こんなふうに いつまで経っても 不器用です ざあ と 雨ばかりの似合う この町も 不器用ですが とても綺麗です ざあ      fromAB ---------------------------- [自由詩]狗月先生/よつやとうじ[2004年5月29日23時50分] 何処か遠くの 坂を流れる 明後日の雨には 耳に馴染まぬ ぴきぴきが 混じっています 夜の重みで 屋根は脆く 傘の骨刺さる喉が ひどく不自由で 独りぼっちもまた 手の込んだ 贅沢なのです 部屋の隅のほうでは 鼻を病んだ空腹が 膝を抱え じっとこちらを 見ておりまして とりあえず パンの耳を 欲の耳だと言い張って 与えますが 先生 どうやらこの夜も 適者生存の夜のようで 混紡の息苦しさに 消えそうになるのです ---------------------------- [未詩・独白]『ヤサシイ救急車のオジサンと一緒に』/川村 透[2004年5月30日12時43分] 僕は、いつものように、 かのん、と救急車に乗っていた。 かのん、は三つで 救急車はキライで でも、救急車のおじさんはヤサシイ、 って言う。 透明な酸素吸入マスクのゴムがきつくて イヤイヤってする。 ちょっとした いわゆる、難病、の、かのん、 かぜを引いただけの、かのん、 入院イヤイヤの強情なかのん、も、 今日はお医者さんの言うことを素直に聞いた。 おとうさんと病院に行こう、もうすぐだから いまおばあちゃんのおうちのまえをすぎたよ ぎゅうとら、が、みえているよ トンネルは暗いけど赤くて暖かいね 少しゆれるけどだっこしてあげるから平気 と、そのときMからの電話だ。 救急車の中だって言うと驚いた様子、 MはPTA会長で、 小学校の移転先が操業しているモーター工場の敷地内だとわかって 土壌が汚染されているかもしれないって こどもたちのことを心配して PTAとして、一大事だからって、言う。 強引な 敷地決定へ向けての動きを止めるんだ市長室へ行こう って言う。 僕たちは運動場でどろんこになって遊ぶこどもたちの 体操服に、ひぞこぞうに、上気したほっぺたに 軟膏のように擦り込まれてゆく 銀色の重金属たちの夢を、見る ベンゼン、ダイオキシン、カドミウム、六価クロム シアン、水銀、フッ素。揮発性有機化合物。 こころなしか、かのん、の顔色が鉛色に見えて 僕はマスクをずらして、ほほ、をそっとなでた。 僕たちは50年後の、この道を イヤイヤをするたくさんの、かのん、たちをのせて ヤサシイ 救急車の オジサンと 一緒に。 ---------------------------- [自由詩]梅雨空に/狸亭[2004年5月30日17時21分] 1 はがき一葉 舞いこみ、大要、 「言語障害が発症しているようです。発作もなく、突然電話中に失言症になり、思う通り表現できなくなりました。脳血管障害なら軽い症状で、希望が持てますが、アルツハイマーだと大変です。連休明けに(脳ドック)に行くつもりですが下手をすると今が明瞭な意識の最後かも知らないので、長年の友情に感謝したいと思います。もし回復したら小説にしたい新体験です。元気でまた会えることを祈りつつ。」と。 明瞭に捺された丸い消印に 逗子12・5・6・8・12 全マスコミが同じ報道ばかり 展開した昭和の終り あの下血騒ぎに明け暮れた日々。 小柄ながらも逞しい体躯 意思を秘めたシャドーワーク 朗々と 高らかに 激しく 真紅の鬼となって 獅子吼。 のめない酒を この日ばかりはのまずにおれぬ、と 怒り狂った君は「下血」を読みあげオーバーヒート 読み終えて畳の上に突っ伏した。 あの日からはや十数年 なお蔓延するエピゴーネン。 多発性脳梗塞とは。 2 雨の日の夢 目の前に炬燵がある ひとりの男を挟んで女がふたり雑魚寝の体 手前の布団から髪をみだした寝惚け顔をよくみると 醇乎だその横が炊く 向こうが龍虎 四畳半は妄想の雨に煙っている 蓬莱山 遺恨 イコン 如何。 3 意思苦労中 多発性脳梗塞 孕まさじ 胆嚢 苦礼悪循 膿胸 検査 治療 入院 続々。 梅雨空に 友はみな病臥。 そう言うおのれも 十六年間 薬ばかりのんでいる せめて 一病息災であれかし。 長野電鉄朝陽駅近辺居酒屋「フクモリ」でのみすぎて 雨の降る堰の早い流れにはまり財布亡失。 この堰は千曲川へ流れて行くらしい 「千曲川旅情の歌」 谷崎潤一郎全集耽読 増殖するナオミ 千変万化のナオミ 一面に寄せ来る活字の波 情けの海 芹ケ丘公園の森 町田市立国際版画美術館にて 夭折の画家田中恭吉展を観る。 年が若くて死ぬこと。わかじに。夭折。夭死。 繊細典雅な寂しい世界を後にして 梅雨時のあつい陽射しの下を大汗かいて歩き ランチタイム特別サービス「天丼五〇〇円」がら空き。 憂き世は今日も  蜃気楼の政府  N・T革命  キ印  そごう  一七歳の犯罪 ジャーナリズムは食いっぱぐれない。 上野の森陰に濡れしょぼれたダンボール。 4 本ばかり読んでいます。 現代語では本も「情報」のひとつにすぎないのに。 (information) あることがらについてのしらせ。 判断を下したり行動を起こしたりするために必要な、 種々の媒体を介しての知識。と、辞書にありますが。 そして、「情報化社会」とは、 情報が物質やエネルギーと同等以上の資源とみなされ、 その価値を中心にして機能、発展する社会。とも。 TV。ラジオ。新聞。雑誌。おまけに インターネット。 林立する。増殖する。美術館。文学館。 世界人口六〇〇〇〇〇〇〇〇〇人。 蓄積されつづける時間。 おまけに近頃では宇宙の果てまで人間は飛んで行きます。 とにかく毎日散歩もしております。 ---------------------------- [自由詩]あんぜん な うちゅう/玉兎[2004年5月31日23時50分] くうき ふるわすのを おそれて のどもとで とまる この かんしょく わたしは いつでも うちゅうを よべる ブラックホールのない あんぜんな うちゅうを ---------------------------- [自由詩]処方箋/たにがわR[2004年6月1日16時53分]  市立病院の待合室には  老若男女、多くのひとが待っていて   呼ばれた名前と引き換えに  番号札をいただけることになっている  わたしの名前の代わりに  渡された番号というデジタルデータは  どれだけのひとがいても  不意に孤独を思い出させて  そんなときは  涙が出てくると決まっているので  油断をしてはいけません  歌を歌っても寂しさがまぎれるだけでした    ドクター  処方箋には地図を書いてください ---------------------------- [自由詩]大きな穴/mayaco[2004年6月1日22時23分] その日から 大きな穴や小さな穴が 空からぽたぽた降ってくる 気をつけていた 時々空を眺めては ふと気を抜いた瞬間 まんまと私ははまってしまった 受話器を置いた直後のことだった 不幸にもそれは 大きな穴の方だった 本当にここは静かです それは雑音がないということで 無音ということではありません 仕方がないので 私は耳を塞ぐことを止めました 息せき切ったように 私の声はしゃべり続けています ---------------------------- [自由詩]カスタードムーン/マッドビースト[2004年6月3日23時25分]  太陽から  熟したとこだけ溶け出して  夜に残った    ぽったりとカスタードクリーム色の  満月が  今日はでていた  あんまり見事だから  僕はぼーっと見上げて立ち止まっているが  だれも僕のとなりに並んでくれないのが  不思議だ  絶対  あれは甘い  あんな巨大で    どうして落ちてこない      不思議だ   遠心力とか  万有引力とかはまやかしで  立ち止まらないひとたちが  そう思ってるから落ちてこないってことになってるけど     そろそろくるね    ゴトっと落ちてくる  僕だけが気づいている  世界の本当の姿  今夜世界はカスタードクリームにまみれるから  僕は大口をあけて待つとしよう  ---------------------------- [短歌]沈黙/松本 涼[2004年6月5日17時10分]  沈黙の闇に寝そべり  ああ此処も  宇宙のどこかと  耳を澄ませる ---------------------------- [自由詩]食卓レモン/湾鶴[2004年6月6日23時55分] 食卓レモンのかなしみは 食卓ってなんだ?と となりのワサビに聞かれたり きいろの表面に こまかい凹凸 みどりのふたが 大きすぎても レモンになろうと  もがいているようで かなしくて  保存料がはいっている 輪切りできない 搾ってもらえない どんどん せつなくなってきて 同情の言葉をかけようとしても ぼくはレモンです。と信じているところに また かなしくなった うそでも きみはレモンだよと いってあげると、 から揚げも上品な味になり 君はレモンじゃない、レモンの妖精だよと いうと、いくらドレッシングをかけても よくわからない味になり ほんとうのレモンだよ。おぼえているだろう。 そういうと 食卓レモンは容赦なく すっぱくなった ---------------------------- [自由詩]ドードーと僕たち/クリ[2004年6月7日0時39分] 家の真ん中に ドードーの巣があるのです 絶滅させた張本人として歴史書に残りたくないので バスルームには大きく迂回しなければなりません 慣れないうちは何度も卵を踏み潰しそうになりました 彼らはめったに鳴声もたてないし 臭いもほとんどありません 他にこれといって困ることはないのですが 問題は 親鳥の餌になるマザーグースベリーを探さなければいけないこと そのために僕は仕事を辞めなければいけませんでした 夜は妻と交替で野犬の群れを追い払わなければなりません 娘は朝晩の二回 巣の周りの糞の掃除です 我が家はドードーを中心に回り始めました そうして3年が経ちました まだヒナは孵りません でもそれでいいのです もしヒナが生まれてしまえばすることがなくなってしまうからです 卵がいつまでも巣の中で卵であり続けるかぎり 僕たちは確かな目的を持って一所懸命生きていけるのですよ そんな生活は止めたらいいのに と思いますか? あなたの人生も そんなようなものなんですよ 子供の将来か仕事か地域の発展か趣味か出世か ドードーか それだけの違い なんですよ 家の真ん中に ドードーの巣があるので 僕たちは幸せです poeniqueの即興ゴルコンダのお題「ホームセンター」に投稿したもの                         Kuri, Kipple : 2004.06.06 ---------------------------- [自由詩]書店にて/石畑由紀子[2004年6月9日21時52分] 自動ドア が開いた途端もうなにも聞こえなくなるくらい饒舌の坩堝なのだった 新参者が特等席でハバをきかせている いたるところで人が出逢い 魅了され きつく絡み合い 約束を交わし 駆け引きをし 嫉妬して 別れ 忘れられず 犯人を追い 追われ 脅迫し 秘密を知って殺されかける あぁ、と嘆き いぃ、と喘ぎ うぅ、と唸り えぇ、と頷き おぉ、と歓喜する 窓際では二週間分のターンテーブルがその見どころを伝え 人気のブティックホテルを調査し 血液型を知りたがり噂話に花を咲かせる いたるところで人がすれ違い 話し相手を探し 愛してくれる人を探し 金を探し 自分を探す ねずみ算式に増え続ける癒し系 ゴーストを使って次々にカミングアウトしてゆく芸能人 壁の設置棚では電車の発車時刻を知らせ 街までの道のりを知らせ 祝儀袋にいくら包めばいいかをアドバイスし 昨夜見た夢を教えろと身を乗り出し 宗教はそれぞれ唯一の神を説きはじめる ともに平積みされシカトを決めあう女性カリスマ作家 村上はもう一人の村上にこの羊男はオレのじゃないから戻れと文句を言い チーズとバターは他愛なくケンカを続け 彼女は息子を彼女の表紙でアルバムのごとくその成長を披露し 写真家はフィルターの使い方とトリミングに得意気で 音楽家は自らの旋律に酔いしれて溜息をつき 詩人は早く朗読してくれとせがんでいる 背表紙が色褪せ始めた無名の小説家は店の片隅で 早く見つけて欲しいと願っている 早く見つけてくれと叫んでいる 早く気づいてくれと     気まぐれに、 手にとった一冊の単行本からポタポタと滴がしたたり 私のスカートを濡らしてゆく それは著者の自意識と想いの深さなのかも知れず 私はこれを棚に戻そうかどうか   迷っている その迷いもすぐにかき消される 私は未だ見ぬ大量の活字の波に飲み込まれる (2002.03) ---------------------------- [自由詩]FISHMAN/本木はじめ[2004年6月9日23時42分] ろくがつの洪水の夜に しばらくぶりに泳いでみたが 溺れるすべを知らない僕は たいへいようおうだん とうとう魚になってしまった 今となってはもう せめて、魚大好き!な君に食べられたいと だけ思いつつ みずほ本社近くの海で 網を探しています ---------------------------- (ファイルの終わり)