クローバーの佐々宝砂さんおすすめリスト 2004年4月25日0時55分から2010年5月19日1時05分まで ---------------------------- [自由詩]「宇宙犬ライカ」序文/佐々宝砂[2004年4月25日0時55分] 我々人類の起源については諸説あるが、我々がこの惑星トピアに本来存在する生物でなかったことは、人類にのみDNAが存在することや、トピアの生物群が持つコンドリミトアを人類だけが持たないことなどにより明白である。我々はまさしく霊の長たる霊長類であり、人類の他に霊長類は存在しないのである。 では我々はどのようにしてトピアにやってきたか。代表的な説として、「第二の地球説」「ボイジャー説」「ガガーリン説」「宇宙犬ライカ説」などがある。しかし「第二の地球説」は科学的説とはいえず、宗教的な説であり、「第一の地球」なるものが存在していたという根拠を持たず、我々がどのように「第一の地球」から飛来してきたかの説明もできない。「地球」が我々の祖先が発祥した惑星の名である可能性はあるが、地球を我々の祖の発祥の地であると同時に死後の世界であるともみなす「第二の地球説」は宗教でしかない。「ボイジャー説」は「第二の地球説」よりもやや科学的な説ではあるが、いまだもって我々が乗ってきたはずの宇宙船ボイジャーを発見できないがため、いまだ推測の域を出ない。「ボイジャー説」派が発見した宇宙船らしき遺跡には、ボイジャーという名がどこにも記されていないのである(巻末注1参照)。「ガガーリン説」はくだらないの一言につきる。最初に宇宙に出た人間がたったひとりの男性であったはずがない。男性ひとりでどのように繁殖することができようか。のちに「テレシコワ」なる女性が送り出されたというのが「ガガーリン説」派の主張だが、テレシコワは人間ではなく「ヤーチャイカ」という人類以外の生物だったという文献が存在するため、私は「ガガーリン説」を採らない(巻末注2)。 私が採るのは「宇宙犬ライカ説」である。我々人類の発祥の地の名前はまだ判明しないが、私は「オーストラリア」だと考えている。トピアを「第二のオーストラリア」とする文献は、トピアを「第二の地球」と唱える文献よりも数多く存在し、またそうした文献の中で、我々は「宇宙犬」と比喩されたり、「宇宙犬」と比較されたりしていることが多い。そしてそうした文献は、「ガガーリン説」「ボイジャー説」が証拠とする文献に較べ、より古いものなのである(巻末注3)。我々はおそらく、「オーストラリア」から「宇宙犬」として、あるいは「宇宙犬」のようにこのトピアに送られたのだ。 では「宇宙犬」とはなんなのであろうか。ストラウドによれば、宇宙犬とは宇宙に送り出された犬のことであり、ライカとはガガーリンよりも先に宇宙に送り出された女性の名という(巻末注4)。私は、宇宙犬ライカがライカという名の女性であったという説には賛同するが、充分な食料と酸素と冷凍精子を携えてトピアに降り立ったというストラウド説には頷けない。私はライカの食料と酸素は決して充分なものではなかったと考える。ライカは、自分の食料や酸素が充分でないことや、自分の播種が失敗する可能性を知っていたため、毒薬をも携えていたという文献がある(巻末注5)。ライカがトピアに到るまでの道のりは、非常に長く苦しいものであったろう。 「宇宙犬ライカ説」を否定する学者は、ライカが人間ではなく「宇宙犬」という人類以外の生物であったと主張する。しかし私はライカが人間でなかったとは考えない。我々の言語には「犬」という言葉が確かに存在するが、それは特定の生き物を指すものではなく、主に奴隷的な立場の人間や、卑屈な人間に対する蔑称として用いられる。おそらくライカは、何らかの原因で蔑視される女性であったのだ。 このことから、私は、我々の祖先がおそらく追放奴隷ないし犯罪者であったと推測する。犯罪者を宇宙船に乗せて追放するという刑罰が、かつてオーストラリアに存在したのであり、我々の祖ライカも犯罪者の一人であり、それゆえ「犬」という蔑称で呼ばれたのであろう。あるいは、ライカは追放奴隷の最初の一人であったのかもしれない。 この説を嫌う人は誠に多い。しかし我々の祖がたとえ「犬」であったとしても、それは、我々人類が卑しいものであるということにはならない。ライカは故郷「オーストラリア」をひとり出立し(それが犯罪に対する刑罰としてなされたものであるとしても)、ひとり新たな惑星に降り立ち、我々人類の祖となったのである。たとえ犯罪者であろうとも追放奴隷であろうとも、ライカの功績はたたえられるべきだ。「宇宙犬ライカ説」を否定することは、我々の母たるライカの存在を否定することであり、かえって冒涜的ではないかと私は考えるのである。 なお、この書物が、K・マッキントッシュ氏の協力により生まれたものであることを明記しておきたい。マッキントッシュ氏に感謝を。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評という暴力的愛情表現/佐々宝砂[2004年5月8日4時15分] 私が人様にはじめて認められた文章は、詩ではなく評論であった。それは静岡県民文学祭で芸術祭賞を受賞した。今の私からみると暴論みたいなところもあるし、古くなっているところもあるし、そもそも「評論」と名乗っていいものなのか未だに自信がないけれど、最初に認められた文章だから愛着はある。それは「后の位も何にかはせむ−少女小説私見−」というタイトルでわりと長文、論じられている小説も一冊ではなく、作者も複数だ(「后の位も何にかはせむ」は、http://www2u.biglobe.ne.jp/〜sasah/reviews/hyo0.htmlにおいてありますが、昔つくったHTMLなのでけっこう読みにくいシロモノです。ごめんなさい)。 複数の作者の複数の作品をあたかも一連の流れのなかにあるもののように論じるという行為は、作者の考えを酌み取るためのものではなく、極端に言えば評論の執筆者である私自身の考えを発表するためのものである。プロである作家たちを読者対象にしてはいないし、少女小説という特殊な分野の読者を対象に書かれたものでもない。「后の位も何にかはせむ」は、少女小説を全く読みそうにないオッサンたちが読者対象なのだ。より正しく言えば、静岡県文学祭評論部門の選者であるオッサンたちである。彼等に「おめーらこんな世界のこと知らねえだろ」と啖呵を切ることを目的に書かれたといってもさしつかえない。しかしそれでもなお、「后の位も何にかはせむ」を書いた根元的動機は、少女小説という特殊な分野と各々の作品への愛である。私は愛情なしに批評を書きたくない。私にとって批評を書くということは、愛情表現以外の何者でもない。他の人がどう思っているかは知らないが、私にとって、批評は私の表現手段のひとつなのである。 何に対する愛情表現かは、場合によって異なる。「后の位も何にかはせむ」という批評は、少女小説に対する愛情表現として書いた。200を越える私の書評は、そのほとんどが各々の書物への愛情表現として書いたものだ(一部例外がある)。「たもつさんの詩の印象」という未完のまま終わりそうな気配の一連の批評は、たもつという詩人の詩に対する愛情表現として書いた。批評に関する雑文(強いて言うなら評論)である"Cry For The Moon"http://po-m.com/forum/grpframe.php?gid=349は、批評という分野への片思いを表現したようなものだ。かつて蘭の会で行っていたまなコイの私の総評は、各々の詩に対する愛情というよりは、詩という分野に対する愛情を表現したつもりだ。 いったい誰のための批評だ?と私に問わないでほしい、批評は私の表現手段であり、私が表現したいのは愛だ。あなたが詩で愛を歌いたいと願うように、私は批評という理屈っぽい文章で愛を伝えたいと願う人間なのだ。 しかし、いくら動機が愛だとしても、摩擦は避けにくい。「詩という分野に対する愛情」を表現しようとして、結果として酷評になることがある。「詩という分野」の全体的向上を願って、添削的なセンセーぶった批評を書いてしまうこともある。場合によっては「あるひとつの詩サイト」への愛情ゆえに、なんだかひんまがった優しいのか厳しいのかわからん文章を書いてしまうこともあり、そんなものが原因でブチ切れてしまった苦い過去が私にはある。しかし私はもうそういうことをしないだろう。私はいま、「あるひとつの詩サイト」に対する激しい愛情など持っていないから。 また、あるひとつの作品への複雑な愛情を表現しようと努力したあまり、結果としてその作品に対する批評への反論になってしまうこともある。ひとつの詩に対する解釈が異なる場合があるのは当たり前で、たとえ解釈が似たようなものであったとしても、批評と批評はぶつかりあうことがある。まるで、ひとりの恋人を巡ってふたりの人間が争うかのように。恋人が人間であれば、どちらかを選んでくれることが多いから、話はそれで済む。しかし詩の場合は難しい、たとえ作者が片方の批評者の意見を認めたとしても、読者の多数はもう片方の批評者の意見の方こそ正しいと主張するかもしれない。ふたりの批評者のどちらが正しいか、誰一人決めることはできない。強いて言うならば、未来の誰かが歴史的観点に基づいて決めてくれるだろう(それだけ長くネット上の詩と批評が生き延びたら、の話である。もしかしたら、根気強く長く続けたもん勝ちかもしれないぞ)。 私は釈明しない、無罪を主張しない。私の批評は酷評になる場合がある、私は批評に対しきつい反論をする場合がある。私は自分の有罪を認める。しかしそれでもなお私は主張する、私の批評がどんなに暴力的に見えようとも、その根元的動機は、愛だ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]やりたいことがあるんです/佐々宝砂[2004年5月20日2時18分] 批評だ批評だ批評が必要だとネットで吠え続けて、おそらく数年になる。私自身は、地方同人詩誌での合評会や蘭の会内部でのわずかな批評と、詩集そのものに対するいくつかの批評をのぞき、自分の作品に長文の批評をネットに書いてもらった経験が一度しかない。私はそのたった一度の経験を宝物のように大事にしている。感謝してもしきれないほど、その批評を書いてくれた人に感謝している。 その人は私を理解してくれたし、私に方向性すら示してくれた。その人はその批評を大々的に発表したりはしなかった。自分のサーバにこっそりあげて、URLを教えてくれた。その人が何のためにその批評を書いたか、当時の私は、その人が私の詩を買ってくれているからだと思っていた。しかし実際には、おそらく、私に「批評の書き方の一例」を示すための批評だったのだろうと思う。その人自身が批評の重要性を認識していて、批評の書き手を欲していたからなのだろうと思う。私はほんとのことを言えば、たいした批評屋ではない。でも批評が好きだ。批評の書き手になりたかった。私に「批評の書き方の一例」を示してくれた人に感謝を捧げたかった。しかし世の中は、思った通りには進まない。そのくらいのことは認識しておこう、でも絶望はしないでおこう、私もはや三十半ばを過ぎたけれど、まだ介護保険を払う年齢ではない。 批評の書き手は、自分の文章に対する批評・批判を覚悟しなくてはならないと、私は思っている。私は自分のHPに置いた近作に、 Text&Image Copyright(C) 佐々宝砂 sasahosa@muh.biglobe.ne.jp 全文転載は要相談。 批評における部分引用自由、連絡してくれると喜びます。 直リンクは自由、連絡不要(デッドリンクになるかも)。 というキャプションをつけている。私の文章は勝手に批評して下さいどうぞ、でもいくらなんでも全文転載の場合は連絡してね、それが私のスタンスだ。だが、他人の作品まで勝手に批評していいと思っているわけではない。勝手な部分引用や直リンクお断りのキャプションをつけている人もいるが、それはそれでいいと思っている。それぞれの作者の考えを大事にしたいと思っている。 問題は、批評に対する筆者(作者)の考えがつかみきれないときに起きる。あるいは批評する側のスタンスがはっきりせず、曖昧な言葉を使っているときに起きる。たとえば紙の同人誌の合評会のとき、確か私はまだ二十代終わりくらいだったか、「こういうこと書いて恥ずかしくない?」と訊ねて十代の女の子を泣かせてしまったことがある。私は彼女の詩が悪いものだと思ったわけではない、むしろたいへんいい詩だと思ったのだ。でも私にはこういう内容は恥ずかしくて書けないと思ったので、「恥ずかしくない?」と訊ねたのだった。「Tバックってなんか恥ずかしくない?」と訊ねたよーなもので、「きみは立派だ」と言いたかったのだけど、うまく伝わらなかった。あのとき私の言い方はとても悪かった。うまく伝えられなくて私自身悲しかった。二度とああいう思いはしたくない。 ネットで発表される作品を見ていて「この詩なんとかならんかなあ、ここをなんとかすりゃいい詩になるのになあ」「この詩テーマと視点がめちゃくちゃいいのに文章がめちゃくちゃだ」などと思うことがしょっちゅうある。けれど、たいていの場合、私は厳しい批評を避ける。私は争いたくない。愁嘆場も見たくない。未熟な書き手や、批評する側(私)に理解できない詩を書く作者に、手厳しい言葉は禁物だ。半端なものいいも禁物だ。きちんと、わかりやすく、はっきりとした批評ができないなら、私は黙ってる方がいいかもしれないと思う。 愚痴のようになってきてしまった、こんなこと書くために書き始めたのじゃあない。 実は、いま、やりたいことがある。やりたいことはいっぱいいっぱいあるんだけど、早急に(9月末日までに)やりたいことがひとつある。地方の文化団体にネット詩を紹介したいのだ。静岡県詩人会総会で痛感したことだが、地方の詩人会とネットの詩人会とのつながりはあまりに少ない。ネットの詩を見ているごく少数の人も「ネットの詩ってなんか違うのよねー」などと言ったりする。彼等は、ネットの詩の海に潜るのが面倒なのかもしれない。確かに数がいっぱいありすぎて、追っかけるのがたいへんだ。だから私は彼等にネットの詩の良質な部分を見せたい。どのように? もちろん直接詩をプリントアウトしてもってって「この詩いいでしょ!」と言ったっていいのだけれど、それで紹介できる相手は少数だ。私はもう少し多くの人々にネットの詩を見せたいのだ。自分の住む地区の隣人達に見せたいのだ。 だから、今、紹介的な批評文を書いて静岡県の芸術祭に応募しようと考えている。入賞したら、私の批評は「県民文芸」なる本に収録され、静岡県の公立図書館と高校・大学に配布され保存される。地方のニュースや新聞でも紹介される。しかし「入賞したら」の話だ。また批評全体の長さにも限度があるから(原稿用紙四十枚まで)、あまりたくさんの詩を紹介することはできない。長い詩は部分引用ということになるかもしれない。また、ネットの詩全部がいい詩なわけじゃないよということも、私は書かねばならない。それは悲しいかな真実だから。それでも「私の詩に批評を書いていいよ」と言ってくれる人はいるだろうか、どのくらいいるだろうか。 もしいるのだったらメールを下さい。私信でもかまいません。私は批評を書きたいのです。 ---------------------------- [自由詩]停車場/佐々宝砂[2004年6月16日15時05分] (1) 高校生のとき、 まだJRが国鉄だった時代、 三十日間三十万円日本一周鉄道の旅を計画した。 青春18切符があれば、不可能事ではなかった、 東京を通過しないとどこにも行けない関東圏、 とりわけ千葉と埼玉あたりの時間割に苦労したが、 またどうしても沖縄と北海道だけは、 鉄道を使わないで行かねばならなかったが、 計画はできた。計画作りは楽しかった。 三十日間の休みはあった、 両親はそうした冒険を許すタイプだった、 だが三十万円の金がなかった、 だから出発しなかった。 計画のまま終わった三十日間三十万円日本一周鉄道の旅に、 いまもときおり出かけたくなる、 いまなら三十万円の金くらいなんとかなる、 しかしいま日本の鉄道は、 かつてのように日本全国を網羅してはいない。 それでも信じている、いや知っている、 いまも日本のどこかの廃駅で、 分厚い方の時刻表片手に、 どこかで見たような高校生が、 幻の電車の出発を待っている。 (2) 黒服ばかりだ。喪服なのだ。 でもここは葬式会場でも何回忌だかの席でもない。 高速バスの始発バス停。 東京発長崎行きの深夜長距離バスの。 喪服集団のなか一人ジーンズにTシャツで、 大きなリュックを背負って、 リュックにはコッヘルとテントをつけて、 いつもの迷彩色アーミーハットを被っているから、 ちょっと場違いな心持ちで、 ちょっと不安だ。 喪服集団は急いでいる。顔にそう書いてある。 みな一様に、当たり前だが明るくない。 飛行機よりも新幹線よりも、 高速バスこそが目的地に早く着くことがある、 だからこそ何かの不幸に急いでバスに乗る、 そんな人たちがいるのだ。 もっともこっちはちっとも急いでいない、 それがなんだかさみしくて、 急いでいるふりをしてみるがうまくいかない。 喪服の人が一人、 煙草を吸っていいですかと訊ねてくる、 どうぞ、私も吸いますから、と、 アーミーハットに手をかけ会釈し微笑して、 ほんのすこしだけ、 喪服集団に馴染んだ気分になって、 彼等と同じバスの出発を待っている。 (3) もうすぐ貨物列車が到着する時間だ。 ここは煙草工場の工場内貨物駅。 貨物駅だって駅は駅で、 駅らしくプラットフォームもある、 なくっちゃ困る。 ちいさなころいちばん近い駅が貨物駅で、 貨物列車の車両をひとつふたつと数えた、 遠くからくる貨物車両には、 雪が積もっていたりした。 キハ、トラ、トム、そんな呪文のような略号の意味を、 当時の私は知らなかったし今も知らない。 ベルが鳴る。 列車が到着する。 荷物がおろされリフトで運ばれる。 今度はすでに準備してあった荷が積み込まれる。 ハングル文字で、 たぶん「健康のため吸い過ぎにご注意下さい」と 書かれてるのだと思うマイルドセブンのカートン、 パレットにいくつあるのだろう、 魔法のように車両に吸いこまれてゆく。 いま現場ラインは休み時間中だから、 のんきに煙草を吸いながらそれをみている。 貨物駅のプラットフォームで休憩するのが好きだ。 ベルが鳴る。 貨物列車が出発してゆく、 出発してゆく、 私をここに残したままで。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]多重化してゆく夢の記録/佐々宝砂[2004年7月27日13時31分] 【シーン1】 舞台は海外。時代は現在。学会の会場のようなところ。会場は満員。夜。カメラはまず会場を俯瞰し、それから屋根に近い高く大きな窓へ。その窓を外側から割って、光り輝くような女性がスローモーションで入り込んでくる。人種不明のその顔は若々しく、長い白髪はうしろになびき、表情は恍惚として、女神のようだ。空中を滑りながら会場中央の空中で停止し、さしのべた手の元に、銀色の縦の円盤があらわれる。女性はそれを触らずに操る。カメラは次に反対側の窓へ。今度は一人の男性が窓を割って入ってくる。黒髪に茶色い目、ヒスパニックだ。少し頼りなげな表情で、自信がなさそうだ、コマ落としのようにぎくしゃくと、空中をおっかなびっくり歩いてくる。銀色の円盤が、男性の手に渡される。彼は、その円盤を操ることができない。別なカメラが会場を写す。女性が白い液体を満たした大きな瓶を抱えている。歩いて会場に入ろうとしてきたごくふつうの女性だ。そこに会場の中から走りかけてきた男が体当たりする。瓶が割れて、白い液体がこぼれちる。画面はホワイトアウト。 【シーン2】 舞台は「この次元の日本」ではない日本。時代は昭和初期? ロシアでは革命が起きず、日本とロシアは軍事的に協力して、アジアを支配しようとしている。そんな世界である。手持ちカメラの目線。十代半ばと見える少女が一人、アパートの共同水場で、毒薬を飲もうとする。そこに母親がやってくる。「本を十冊いただいたから、お読みなさい」と言う。本好きな少女は毒薬を飲むのをやめて部屋に戻る。十冊の本のうち、一冊だけ粗末なザラ紙でカバーがつけてある。「汚しちゃいけないから、とりあえず一冊だけ紙で包んだわ」と母親が言う。「じゃあそれから読む」と少女がとりあげたカバー本は第二巻。 【シーン3】 シーン2と同じ舞台。時代はすこしだけ前。少女の兄が官憲にとらえられ、拷問を受けている。拷問が突然中断され、いぶかしい表情のところに、彼と幼なじみの男が軍服を着て入ってくる。「無罪放免にしてやるぞ、ただし条件付きだ」……独房で苦悩の表情の兄。画面かわる。少女は暗い表情で、当時流行の服に身を包み、軍服を着た男に伴われて彼の家に入って行く。妾として。また画面かわる。釈放された兄は、地下組織からひそかな連絡を受ける。手渡されたのは印鑑と「四−十三X佐々宝砂」と書かれた小さな紙。兄は賢明に考える。街を走る、地図に当たる、これは何の数字だろう? 彼はとある貸金庫で、「四−十三×佐々宝砂」という番号を見つける。貸金庫に入っていたのは、十冊の本とビデオテープと小型発電機とビデオ付きテレビと説明の書面。彼は説明に基づきそれらを接続し、自宅でビデオをみはじめる。 【シーン4】 ビデオの最初の方にはアニメが入っている。坂を転げ落ちゆくカバのアニメだ。昔のアメリカのアニメに似ている。日本の古い音楽も入っている。曲名はよくわからない。明るくて古くて調子がよくて脳天気な唄だ。そのあたりは早送りしてくれと説明書にあるのだが、彼はついつい画面に見入ってしまう。長い時間が経ってから、彼は十冊の本を荷にまとめ、母と妹の住むアパート宛の住所を書き、自分の親友宅を訪ねその荷物を親友に託す。画面かわって妾となった妹が、暗い部屋の布団の上で泣いている、そのまま、フェイドアウト。 【シーン5】 シーン1と同じ時代。同じ国。夜に近い夕刻。カメラは風光明媚な小さな島を俯瞰し、その島の小さな街が写され、だんだんクローズアップされてゆき、最終的にひとつのガソリンスタンドを写す。ごくふつうの日常的風景、ひとりの女性が自分の車にガソリンを入れている、そのとき、突然、何かが起きる。あるいは起きたのか。島の山手のどこかから巨大な何かが立ち上がり、その山の方角から白とも灰とも青ともつかぬ不気味な色の何かがじんわりと空一杯に広がってゆく。あたり一面が白く輝き、地面にこぼれていたガソリンが燃え始める。画面はストップモーション、ガソリンを入れていた女性の独白が聞こえる……「あれは、はじめての経験でした、何が起きているかわからなかったにしろ、なんだかとてつもないこと、とりかえしのつかないこと、恐ろしいことが起きているのだと思いました。いまこれから私は死ぬのだ、と自覚して、自覚したとたんに時が止まったようでした。まるで映画のストップモーションみたいに。」 【シーン6】 シーン1と同じ舞台。学会の会場のようなところ。会場は満員。夜。カメラはまず会場を俯瞰し、それから屋根に近い高く大きな窓へ。その窓を外側から割って、ヒスパニック系の男性が入ってくる。自分にはやるべきことがあるのだと決意した人間に見られるような毅然とした表情で、空中をゆっくり滑りながら会場中央の空中で停止する。さしのべた手の元に、銀色の縦の円盤があらわれる。男性はそれを触らずに操る。カメラは次に反対側の窓へ。今度は一人の女性が窓を割って入ってくる。白髪に灰色の目だが、顔は若い。今こそそのときなのだと確信した人間にしか見られないような表情で、空中をゆっくり滑りながら会場中央で停止する。銀色の円盤が、女性に渡される。彼女はその円盤を触らずに操り、円盤を会場の玄関口に落下させる。会場の中から走りかけてきた男が円盤にぶつかり、倒れる。そこにごくふつうの女性が白い液体を満たした大きな瓶を抱えて会場に入ってくる。 【シーン7】 シーン6の続き。会場の中空での出来事などなかったみたいに会議がはじまる。白い液体を満たした瓶が検査され、その検査結果が公表されている。OHPが写す難解な科学的説明。どうやら二組の派閥が争っている。片方は汚染があると主張し、片方は汚染などないと主張しているが、牛乳らしきその白い液体が汚染されているということは、誰の目にも明らかなのだ。勝利を確信した陣営から拍手喝采が湧き上がる。 【シーン8】 シーン1と同じ舞台。学会の会場のようなところ。会場は満員。夜。カメラはまず会場を俯瞰し、それから屋根に近い高く大きな窓へ。その窓を外側から割って、光り輝くような男性がスローモーションで入り込んでくる。ヒスパニック系のその顔は若々しく、黒髪はもつれうしろになびき、表情は恍惚として、バッカスを思わせる。彼は空中を滑り会場中央まで行って停止し、さしのべた彼の手の元に、銀色の縦の円盤があらわれる。男性はそれを触らずに操る。カメラは次に反対側の窓へ。今度は一人の女性が窓を割って入ってくる。白髪に赤い目、人種不明だがアルビノだ。少し頼りなげな表情で、自信がなさそうだ、コマ落としのようにぎくしゃくと、空中をおっかなびっくり歩いてくる。銀色の円盤が、女性の手に渡される。彼女は、その円盤を操ることができない。別なカメラが会場を写す。女性が白い液体を満たした大きな瓶を抱えている。歩いて会場に入ろうとしてきたごくふつうの女性だ。そこに会場の中から走りかけてきた男が体当たりする。瓶が割れて、白い液体がこぼれちる。画面はホワイトアウト。               *** 【独白―わたし】 宵闇のなか、ふわり、とわたしの身体は浮かび上がる。慣れてしまえばこんなこととても簡単。でも彼はまだ慣れていない。それはしかたがないわ、だって彼は今日がはじめてなんだもの。さあ、行きましょう、窓が割れる、蓋然性のひとつとして、それがそのようであるほんのわずかな確率にのっとって、窓が割れる。でも誰一人わたしたちを見上げない。会場の人々は、たまたま音を聞かなかったの。たまたま、わたしたちを見なかったの。わたしは蓋然性のうえを滑りながら銀盤をくるくる回す。ぎくしゃくしながら彼がやってくる。彼が失敗することはわかっている。でもこれはひとつの可能性に過ぎない。私は彼にささやく、これはひとつの可能性に過ぎないのよ、あなたが失敗することはわかっていたわ、落ち込まないで、わたしはもう知っているの。わたしたちは、成功するのよ。わたしたちは、あの事故を防ぎ得るのよ、成功するのよ。ひとつの可能性として。 【独白―私】 ロシア革命が起きなかったということは、この世界、私佐々宝砂が生きる世界が舞台ではない。ではここはどこだろう、私の夢であることは明白だが、私は自分が夢見ていることを知りながら、夢の舞台を操作することができない。いや、簡単にはできない。私の眼前で、三つの物語が錯綜している。一つは、アメリカを思わせる土地での事故、おそらくは放射能事故を巡る物語で、多重世界をテーマにしたSFだ。そちらの物語ではロシア革命があったのだろうか、なかったのだろうか? 判然としない。もう一つの物語は、ロシア革命がなかった世界の、日本の、お涙頂戴物語だ。非合法活動に従事する兄と、兄を救うために妾になる妹と。さて? 残るひとつの物語が私の物語だ。それは、二つ並んだ画面のように展開されている。まさに画面だ。片方の画面では私の祖母が素っ裸になって「お祭りマンボ」にあわせて踊っている。もう片方の画面では、アニメのカバが転げ落ちている。なにものかわからないがやたら声高に明るく、誰かが演説している。なんという調子の良さ。私はどちらのビデオ画像も恐ろしく長いものであることを知っている。私の記憶すべてが詰まっている可能性すらあると考えている。この二つは、もしかしたら、私の右脳と左脳だろうか、と夢見ながらも私は。 夢の中の登場人物にビデオを送る。それが可能だとは思わなかった。驚いた。私はハラハラしながら兄の一挙手一投足を見つめる。私のどうでもいいビデオの部分なんか見るんじゃない、おまえにはやることがあるんだぞ。妹を救え。本を送れ。妹が毒を飲もうとする瞬間、おまえはもう死んでいる、私はそれを知ってる、だから私は事前に知らせなくてはならなかった。本を託せ。最も信頼おける友に。母親は本の二巻目にカバーを掛けるだろう。一巻目ではいけない。二巻目だ。それでいい、それがいいのだ、それでうまくいくはずなのだ。だが私は結末を見届けることができない。なぜだか私はそれを知っている。 【独白―おれ】 自分にできることと、できないことがわかっている。空を滑ることは可能になった。というよりも、それはもともと可能性のひとつに過ぎない。おれの下で、とてつもなく低い確率で、しかしゼロではない確率で、一瞬空気の分子すべてが停止する。おれの身体は、だから空気が海の波か何かであるかのように空中を滑ってゆく。彼女のおかげだ。彼女が教えてくれた。次回からはおれが彼女に教えることになるのだろう。窓を割って彼女が入ってくる。彼女は自分の容貌を変化させようとはしなかったが、目の色だけは変えたらしい、不透明なガラスのような灰の目だ。彼女はこれまででいちばん魅力的だ、これまでの彼女はあまりに神々しすぎた。おれと彼女の時間軸は逆転している。おれはおれがこれからどうなるかを本当には知らない。だが彼女が教えてくれた、おれたちは、成功するのだ。今まさに。この瞬間に。偶然に。ひとつの可能性として。 ---------------------------- [自由詩]スランプの天使/佐々宝砂[2004年8月1日3時30分] 1. もうどうしよーもなくスランプなのよッ。 ああどうしたらいーのかしら、夜までにひとつ 歌つくんなくちゃ怒られちゃう。 あたしこれでもけっこう買われてんのよう、 まあうちんとこの姫は歌ヘタだからね、 あたしがいなきゃあんなにモテるわけないんだけどさッ。 でもスランプなのよね、困ったなあ、なに書こう……  恋しきは灯火消えて残り香の…… ああこんなんじゃだめよッ、つまんないのにしかなんないわ。 困ったなあ、困ったなあ、なんとかでっちあげなくちゃ。 2. バレンタインの詩もつくったし。母の日用の詩もつくったし。 父の日のやつもなんとかこなした。 で、次はなんだって? ガイ・フォークス用の詩だって? おい、僕はこれまで15年もこの仕事やってるけど、 ガイ・フォークスに詩入りのグリーティング・カードなんて、 まるできいたことないよ、そんなことやるのははじめてだ。  恋しいのは灯りを消した部屋にただようきみの香水…… いやこんなの、全然ガイ・フォークスじゃないぞ。 何を書いてるんだ僕は。困ったな。でも仕事はこなさなくては…… 3. A子先生はよくあんなに増産するわよね、すごいよね、 なんて感心してる場合じゃないでしょう。 〆切はとーっくに過ぎてるんですよ、先生。 もうなんでもいいですからさささっと描いちゃって下さいよ。 いつもみたいのでいいですよ、いつものイラストポエム、 それなりに好評なんですから。ほらたとえば、  灯りを消した部室 せいたかのっぽのあのひとの汗のにおい…… とかなんとか、そんなんでいいじゃないですか。 そんなの書いてそこに野球部の部室かなんか描いて下さいよう。 4. スランプなんですよ、もう千年も前からそうなんです。 いっつも同じよーな台詞しか出てこないんです。 困りました。どうしましょう、ミューズさま。 5. 困ったって言われてもねえ…… おまえは創作の天使といってもスランプの天使だからねえ。 まあ安心しておいでよ。 いつも同じ台詞でいいのだよ、 それがスランプの天使のお得意のわざなのだからね。 2001.06.11 ---------------------------- [自由詩]ミンミンゼミ(百蟲譜30)/佐々宝砂[2004年8月4日3時34分] 早稲田にも 青山にもなれなかった 予備校の街で 私はその年の夏を過ごした。 現役生のフリしたまま 講義を受けて 教室を出ると ミンミンゼミの大合唱。 ミンミンゼミは ミンミンと鳴くから ミンミンゼミだ。 しかしその年の夏 私は何者でもなかった。 鳴き声さえも持っていなかった。 (未完詩集『百蟲譜』より) ---------------------------- [自由詩]ニイニイゼミ (百蟲譜34)/佐々宝砂[2004年8月5日4時14分] 玄関脇の柿の木の下 アブラゼミの抜け殻はきれいに光る クマゼミの抜け殻もてかてか ヒグラシの抜け殻ときたら繊細な芸術品 なのにニイニイゼミは ニイニイゼミの抜け殻だけは 胞衣(えな)をかぶって生まれた赤んぼみたいに 生まれた根の国を忘れたくないみたいに 乾いた泥にまみれて 泥臭いままで それでも ニイニイゼミは殻を脱いだよ 懐かしの泥だからって いつまでもかぶっちゃいられない (未完詩集『百蟲譜』より) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]松島やと猫語とパクリとボルヘスと/佐々宝砂[2004年12月10日3時20分] いま私は激烈に機嫌が悪いのだが、これはパキシル切れのせいだと思われる。薬を切らしたのは私の責任であって、他の誰のせいでもない、などと書いてる場合ではなく、書くべきものはきっちり書かねばならんのだ。ううう面倒くさいぜ。 まずは「松島やああ松島や松島や」について簡潔に。この句はなぜか一般には松尾芭蕉のものとされているが、実際には田原坊なる狂歌師が作った「松嶋やさてまつしまや松嶋や」が変化したかたちで人口に膾炙したものだという。つまり「松嶋やさてまつしまや松嶋や」には作者がいても、「松島やああ松島や松島や」には、実際の名前ある作者というものはいないのだ。詠み人知らず、アノマニス、なのである。わらべ歌や諺、あるいは梁塵秘抄や閑吟集に採取された作者不明の当時の流行歌のようなものだ。日本語を使う人々の共有財産だと言ってもよい。ささやかで、かなりバカな財産ではあるけれど。 この句は、単に有名なだけであって、いい句でない、というか、いい句かもしれないが俳句でない。季語が入ってないし、切れ(この場合「や」)が三つもある。なんてことをいちいち指摘するのもアホらしい。句には間違いないが、大バカ句なのである。何を言いたい句なのかさっぱりわからないが、覚えやすい。覚えやすくて意味がないゆえに、誰でも使える。やたら使える。「松島」を他のものに置き換えれば、何にでも使える。元句の「さて」は、妙に文語めいて意味深げだが、ちまたに伝わる「ああ」の方は「さて」以上に意味がないのでバカさ加減に拍車がかかる。ここまでバカなのはすばらしい。バカも極めればご立派というひとつの典型だと思う。 で、次に猫語について語らねばならない。うううむ面倒だなあ。と思ってしまうくらい猫語には歴史があり、今さら「ああ松島や」を「にゃあ松島にゃ」に換えたところで、とても猫語のパイオニアとは言えない。なにしろウェブ上には、すでに猫語変換cgi( http://www.st.rim.or.jp/〜hyuki/mp/05/neko1.cgi)が存在するほどなのだ。「にゃ」を使えば猫語だというならば、『無敵看板娘』(週刊少年チャンピオン連載中)の勘九郎なんか猫語使いまくりだ。そんなんでパイオニアだったら、名古屋人はネイティヴにパイオニアじゃねーか(決して名古屋人をバカにしているわけではない。静岡県民の一部もにゃあにゃあ言う。我が静岡も猫語使いの土地なのである)。 では、猫語のパイオニアとは何者か? 昨日から必死に調べていたのだが、日本におけるパイオニアはわからなかった。海外におけるパイオニアは、調べなくてもわかる。『猫語の教科書』の作者ポール・ギャリコだ。まあこの本は「猫のために書かれた猫が快適な生活を送るために人間をしつける方法」を人間が解読してしまった!というお話であって、本当に猫語の教科書なわけではない。とはいえ、猫語というものの存在を明かした初期の文献であることは間違いない。猫は猫語を使うのである。そして猫は人間の想像以上にお喋りであって、だから雄猫ムルは自分の生涯を誰かさんの伝記の裏に綴ってしまうし、漱石の猫も名前がないままにいろいろと語ってしまうのだ。だが雄猫ムルも吾輩も、猫語を使って喋っているわけではない。これらの物語において、猫は、猫語ではなく人間の言葉で喋っている。しょせん、猫耳猫しっぽのない時代の文献に過ぎないのだ。 日本のカルチャーまたはサブカルチャーの世界に猫語が登場したのは1960年代後半ではないかと思うが、推測の域を出ない(というかてきとーに書いてみただけだったり)。1970年代にははっきりとした猫語使いが二人登場する。一人は柳瀬尚紀。この人は半猫人を自称する猫語使いであり、あの『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳した人なのだから猫語翻訳などたやすくこなすに違いあるまい。世紀が変わってもなお半猫人ぶりは健在で、朝日新聞に「猫舌三昧」というタイトルからして猫っぽいエッセイを連載していた。もう一人は谷山浩子。1976年に三回目のデビューを果たした谷山浩子は、猫森に出入りしている猫語使いであり、人間よりも猫に近い。その筋の情報によれば、彼女は21世紀に入ってもまだ猫の集会を開いているらしい。 この二人のパイオニアの力によって(この二人の力のためだけではないんだけどなんかこう書きたいのよん)、1980年代の日本では猫語文化というべきものが花開いた。オタクなるものがまだ世間一般に知られていなかったこの時代、オタク的なものをぎっちり充満させていたマンガ『うる星やつら』(高橋留美子、少年サンデー掲載)のラムちゃん(ちゃんつけるのやめようと思ったけどどうしてもつけちまうのはなぜだ!)は、格好からして猫に近いだけあって、猫語ではないものの猫語に近い言語を使う。「〜だっちゃ」というあの独特のしゃべりがそうだ。この、特定の登場人物の語尾に特定の音をつける手法は、いまだにたくさんのマンガに使われている。その他いちいちあげてったら、とてもキリがない。谷山浩子とのつながりが深いマンガ、矢野健太郎作『ネコじゃないモン!』(ヤングジャンプ掲載)あたりが代表か。 オタク的なものが徐々に認知され、猫耳も猫しっぽも単なる変態プレイの一種となった現在、猫語もすでに単なる変態プレイのひとつと化している。猫語のでてくる小説・映画・マンガのたぐいは、いちいち調べる気にはならないほどたくさんある。いまさら猫語ねえ、昔はそんなもの使った覚えがあるけど(遠い目)……ってなもんだ。猫語で詩・短歌・俳句を書いた人も、おそらくいるだろうと思う。推測だが、絶対いると思う。猫語オンリーの詩集・歌集・句集を作ったひとは、まだいないかもしれない。しかしそのうち出てくるだろう。ま、私はめんどくさいので、猫語詩歌句集をつくる予定はない。 で、ああ、やっと語りたいことを語れる、パクリの問題だ。パクリとは何か。この手の言葉を辞書で調べてもしかたないので、ウェブで調べてみる。はてなダイアリーによれば、パクリとは「1.他人のものをこっそりと泥棒すること。 2.逮捕のこと。 3.他人・他社・他国の製品・作品を真似すること。」なのだそうだ。詩の世界におけるパクリは1または3にあたるだろう。これいいな♪とおもったフレーズを好きなフレーズスレに投稿してもおそらく著作権侵害にはあたらないが、それを自分の詩だと言って世間様に発表すると著作権侵害にあたり、謝罪の記者会見が必要になる。2の逮捕につながりそうな行為が1なわけだ。しかし3となると話が微妙だ。こと文学に関しては。どこからどこまで真似で、どこからどこまでがオリジナルか、誰に判定できるだろう。少なくとも、私には、できない。言葉とはもともとオリジナルなものではない。真実オリジナルな言葉なんか、誰にも伝わらないではないか。オリジナルではなく、ある程度の人数が共有するものであればこそ、言葉は相手に伝わるのだ。 人の考え方はさまざまだから、自分の作品を「これはオリジナルなのよっ」と叫ぶ人がいても私はちっとも気にしない。だが私は断言する。私の作品は私のオリジナルではない。私はものを書き始めた当初から書き替え作家である。私が作品として書くものには、たいてい私が書いたのではない元のバージョンがある。私は引用のカタマリだ。それがいけないことだと、私はちっとも思わない。なぜって私は、私のオリジナリティーを主張しない。私が何をどこから引用してきたかなんて、調べればすぐにわかる。私自身が引用元を明記することも珍しくはない。私は「こっそり泥棒」なんてことはしないのだ。正々堂々と、「いただいてきました」と書く。だって実際にそうなんだからね。ま、誰に言葉を教わったかとか、どこでその言葉を覚えたかとか、そういう細かい話になると私本人も覚えてないしいちいち書くと面倒なので書かないけれど、とにかく私の言葉はぜーんぶ借り物である。私は借り物である言葉を、私の好きに配置する。その「配置」の加減が私のオリジナリティなのであり、実はこの考え方も私のオリジナルではなく、ベンヤミンが主張した「星座」の概念に酷似している。私の詩に「星座」という言葉がでてきたら、お空の星座ではなくてこっちの「星座」であることが多い、しかしそれはここでは余分な話。 私にとって、世界のすべてはパクリである。あるいは、世界のすべては(パクリと呼ばれるものも含めて)オリジナルである。 と、ここまで書いてこの文章を終わりにしてもいいのだが、ホルへ・ルイス・ボルヘスのある小説について書いておきたい。ボルヘスの代表的短編集『伝奇集』に収録された「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」という小説を御存じだろうか? 非常にとんでもない小説である。つーか小説なのかどうかすら私にはよくわからない。まあ短編集の中に入ってるのだから小説だろうということにしておいて、この小説における『ドン・キホーテ』とは、セルバンテスの書いた有名な『ドン・キホーテ』ではない。ピエール・メナールなる20世紀の作家がセルバンテスになりきることで、元の『ドン・キホーテ』と一字一句同じ作品を作ろうとした、という設定の元で書かれた(しかし書き終わらなかった)小説のことなのである。ボルヘスのこの作品は、その、一字一句異ならないはずの2つの作品、ピエール・メナール版『ドン・キホーテ』と、セルバンテス版『ドン・キホーテ』を比較検討してみせた論文、という形式の小説なのであった。 作者名以外全く違わない2つのテキスト。しかしそれらテキストには異なる時代背景があり、異なる文化があり、異なる思惑がある。それを読み取ることは決して不可能ではない。かなり無理矢理だが、不可能ではない。批評家というのは、そんな無理矢理なことを日常的にしているバカのことを指すのだ。 意味わかる? わかんなかったら私のせいじゃないや、ボルヘスのせいだい。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]時代外れなエッセイ 虫/佐々宝砂[2004年12月11日14時36分] 夏休みは毎年キャンプにでかける。たとえ休みが一日しかなくても無理矢理でかける。わざわざキャンプにでかけなくてもうちは田舎にあるから山のふもとに住んでいるようなものなのだけど、やはり山奥にまで入り込むと、空気が違う。水が違う。植物が違う。住んでいる虫が違う。違いがあるから山奥に入り込みたくなるのだ。自宅にやってくる虫ならほとんどが馴染みの虫ばかりで、いちいち図鑑を見て調べる必要もないのだが、アマゴが泳ぐような渓流近くでみる虫たちは名前のわからんやつらが多くて、図鑑をみてもわからなくて、「おまえ何者だよ」と問いかけたくなる。もちろん問いかけたって答はない。虫は自分が何者なんて考えない。どんな特殊な虫だって、虫は単純に虫として生きている。 今年はばかに小さなアゲハを見かけた。形は間違いなくアゲハ、尾は短め、腹が赤と黒のストライプだったのはジャコウアゲハに似ていたものの、あまりに小さすぎた。モンシロチョウ程度の大きさしかなかった。小さいというだけでもなんだか哀れを誘う蝶だったが、なお哀れなことに鱗粉がかなり剥がれていて、今にも死にそうに思えた。そいつを見かけたのは家族連れの多いオートキャンプ場の中だったから、子どもにつかまえられそうになって羽を痛めていたのかもしれない。こいつどうせもうすぐ死ぬのだろうなと思いながら、私はその蝶をつかまえようとは思わなかった。標本にしてあとで図鑑で調べようとも考えなかった。携帯電話を持っていたから写真に撮ってもよかったなとあとで思ったけれど、写真すら撮らなかった。キャンプ中の私は本当にぼけぼけしていて、おまけにいつでもアルコールが入っている状態なので、ほとんど何の役にも立たない。 小さな謎のアゲハは、タープ中央に吊り下げた電池式蛍光灯ランタンにとまって動かなかった。私以外のキャンプメンバーは、みなバンガローに寝ると言って引き上げてしまっていた。私は一人でテントに寝るつもりだった。テントで寝なけりゃキャンプな気がしないじゃないか。しかしひとりなのであまりに暇だった。本もなけりゃパソコンもない、携帯電話は電源を切ってバンガローにしまいこんである。汚れた食器も洗ったし、鉄板も洗ったし、やることがない。やることがなくても人間は何かをやりたがるものなので、石でつくったかまどに無闇に木ぎれを放り込んで火を熾した。猛暑の都会と違って、午前3時の川辺は肌寒い。たき火はやわらかな熾き火になってほどほどに温かく、心地よかったが、身体が温まったせいか午後七時ごろからずーっと飲み続けていた日本酒が急にまわってきた。さすがにこりゃ寝なくちゃなあと私らしくもないマトモなことを考え、蛍光灯ランタンを消し、テントに入り、寝袋にもぐり込んだ。 トイレに行きたくなって目を覚ましたのは何時頃だったろう。東の空が明るみヒグラシが鳴いていたから、午前5時頃だったと思う。ふらふらと小用を済ませてから、煙草を一服しようと先のたき火の近くに座り込んだ。すると、かまど近くの石に何か小さな黒いものがあった。なんだろうとよくよく見たら、例の謎アゲハだった。熾き火の明るさを恋しがって、明かりの消えたランタンからここまで飛んできて、死んだらしかった。おそらくたき火の熱で死んだのではない。石の表面は冷えていたし、謎アゲハの身体は、焦げたり焼けたり変形したりはしていなかったから。 「飛んで火に入る夏の虫」と言うけれど、この謎アゲハは、火に入ることもなく死んだわけだ。まだアルコールを充分残していた私の脳味噌は、この「飛んで火に入らず死んだ夏の虫」のことを可哀相に思った。火に入りたけりゃ入って焼けてしまえ、焼けて死んでしまえ、その方が本望なんではないか? 私はかまどに残っていたごく小さな熾をウチワであおぎ、薪を継ぎ足した。ぐいっ、となまぬるい焼酎をストレートで飲んだ。さらに熾をウチワであおいだ。炎があがった。また焼酎を飲んだ。それから私は小さな謎アゲハの死体を炎の中に落とした。火は瞬間ちいさくなり、そしてまためらめらと大きくなり、もともと小さなアゲハの身体はあっという間に燃え尽き、紙を焼いたようなぺらぺらした灰になり、風に乗ってどこかに飛んでいった。 虫は単純に虫として生き、単純に虫として死ぬ。そんな単純な事実に無理矢理意味を与えるのは間違いなく私、人間である私だと思った。すこし、嫌気がさした。またも焼酎を飲もうとした。だが、しっかり焼酎を飲み込みきるまえに、うっとこみあげてきた。こみあげたのはもちろん、涙ではなくゲロだ。私は虫が一匹死んだくらいで泣きはしない。それがどんなに特殊な虫であったって。 キャンプ地の朝は早い。近隣のテントの人々は、そろそろ目覚め始めていた。 初出 2004.8. 蘭の会コラム http://www.os.rim.or.jp/〜orchid/column_n/index.html ---------------------------- [自由詩]バナナフィッシュがバナナを食べる日/佐々宝砂[2004年12月14日5時11分] たくさん野次馬がいて わあわあ騒いでいる 下りなのか登りなのかわからない坂道を 私は必死に歩いている というか 這ってるみたいになってきた インゲン豆が数限りなく空から降ってきて 今日は草の日だよ! また野次馬が叫ぶ どうせならインゲン豆じゃなくて 生首でも降ってくりゃ楽しいのに 五体倒置の巡礼気分で 這いつくばると 額にごつんとがらんと礫があたる ああもう身体のあちこちが痛い 筋肉痛がひどい 右足首はねんざした 左手にはひっかき傷がある 野次馬どもよ黙れ黙らんか 私は囚われの女王で シジフォスで 荒野の巡礼者 だとおもうけど最近自信がない 今日は特別な日だよ! バナナフィッシュがバナナを食べる日だよ! 野次馬がうるさい 私は忙しいんだよ ほっといてくれ でも少しだけこまっている インゲン豆はこんなにあるのに よく見りゃ生首もたくさんあるのに どこにも 私の大切な石がみつからない ---------------------------- [自由詩]「あなた」と「私」に幸あれと/佐々宝砂[2004年12月20日4時54分] さて地球のこのあたりはまたも日輪を見失い 「私」は青みがかった夕暮れ過ぎの色彩を見ながら そろそろ晩飯を作らなければ いやそれよりも洗濯物をとりこまなければ などと考えている するとそこに「あなた」がやってきて さて今から霧吸の井戸にいこうという そんな井戸が近所にあるとは とんと「私」は知らなかったが 私は知っていた 私の近所には霧吹の井戸というものがありまして つまり霧吸の井戸というのは 霧吹の井戸の名称を裏返しにしただけの私の創作である まあそれはそれとして 「あなた」と「私」と連れだって ご近所の城に出かけてみれば 確かになるほど霧吸の井戸と呼ばれるものがありまして コンクリートの柵に囲まれた空間の中央 ぽっかりと暗い穴が浮かんでいて あたりがなんとなく涼しいのは その穴に空気が吸い込まれてゆくからであった こんな井戸があったら超常現象に間違いないのだが お忘れのないように この雑文は創作に過ぎないのである 霧吸の井戸なんかこの世のどこにも存在せず 類似の名称類似の現象があったとしても それは偶然の一致に過ぎないのだとお断りしておく 井戸のまわりには先ほど述べたように柵があり 柵と柵とのあいだは頭も入らないほど狭かったが 柵の高さはそれほど高いわけではなかった せいぜい2メートルというところであり 登るのは非常に容易てあると思われた そのせいか「あなた」と「私」は どちらからともなくその柵を登りだした 柵のてっぺんにたどりついたところで ケンカになった つまり「あなた」も「私」も 消えてしまいたいのである 何でものみこむらしい霧吸の井戸に 身投げしてしまいたいのである しかし「私」は「私」が消えても「あなた」を残したい そして「あなた」は「あなた」が消えても「私」を残したい そんなわけで柵のてっぺんでつかみ合いをはじめたが そんなことをしたら柵から落ちるに決まっており 実際「あなた」と「私」は当然のことながら柵から落ちたが 井戸のある側に落ちたのではなかった にも関わらず「あなた」と「私」は わざとらしい青白い光輝を瞬間放つとその場から消えた もちろん「あなた」と「私」を消したのは私である こんなまどろっこしい二人に そういつまでも付き合ってられっか というのが表面的な理由ではあるが 本当のことを言えば 私は「あなた」と「私」を 洗濯物と晩飯の日常からすくいあげ 非日常的異次元空間の旅に出してやりたかったのであった つまり私は「あなた」と「私」が好きなのであって 彼等をなるべくなら幸福にしてやりたいと願っているのだが そういえば筆者が「私」とは別人であるように 私もまたこの雑文の筆者とは別人であるかもしれぬ しかしまあそんなことはどうでもよい 異次元を彷徨する「あなた」と「私」に幸あれと 「あなた」ではないあなたもできたら祈ってあげてくれ ---------------------------- [自由詩]北窓開く/佐々宝砂[2005年4月15日1時48分] 強風の夜 窓の向こうで大きな音がした 恐怖に叫んだかもしれないが 身動きしたかもしれないが 記憶にはない  まだ幼い少年が  フルフェイスヘルメットの男に殴られている  やわらかそうな唇は歪み  瞳は恐怖におびえ  腹立たしい私は  フルフェイス男の腹にナイフの洗礼をくれてやる  それからついでに少年の咽にも  ふたり 殺した ということになる  なにひとつ未練がないと言えば嘘になるが  南向きに大きく開いた窓の向こう  きらきらと青い春の海が誘っている  そう 簡単なこと  飛び込めばいい  わたしはナイフを突き立てる  自分の額に眉間に  目にしみるのは  よくわからないが  血液なのだとおもう  ぐりぐりとえぐる  硬いのが頭蓋骨だろう  渾身の力でえぐる  我が第三の目よ開け  松果体よ  この最期のときに本来の機能を発揮せよ  そう これが  ただひとつわたしが未練におもっていたこと  南側に大きくひらいた窓から  わたしはこころあかるく身を投げる  さよなら  さよなら  いたぶられているみじめな少年よ  加虐することしか知らぬ男よ  わたしは心からしあわせだ  さよなら 目覚めて わたしは北の窓を開け放つ 昨夜の強風がわたしの庭木を一本倒している 面倒くさいが片づけるほかない 北の窓からも春風 春風はやがて 新茶の香りを運んでくるだろう 初出 蘭の会2005.4月月例詩集「開く」http://www.os.rim.or.jp/〜orchid/ ---------------------------- [自由詩]猫が空風の空き地を/佐々宝砂[2005年5月3日4時50分] 猫が空風の空き地を歩いている。空耳。夕暮れのネックレスはもうすっかりラピスラズリの感触だ。味わったはずのコーヒーの苦みは、いまやどこにいってしまったのだろう? 透明な連鎖。青ざめたトルソが、臍のあたりに微笑を漂わせている。炬燵をしまった記憶がどこにもないのに、炬燵はなくなってしまって、空風広場を歩いてた猫は炬燵と一緒にどこかにしまわれてしまって(きっとしまっちゃうおじさんがしまったのだ)、玉の緒がきらきらと分断されて空に舞い上がってゆく。絶えなば絶えね? なつかしい歌が耳のうしろから背中に這いおりてゆく。どうしてと問うのは風ばかり。風はいつも、なにも、知らない。自分がどこに吹くかも知らない。自分がどこからきたかも知らない。つまり、私は風である。 ---------------------------- [自由詩]どうしようもない高層ビルが/佐々宝砂[2005年5月3日4時51分] どうしようもない高層ビルが砂煙あげて物静かに崩壊していった。それはいつだったか、たぶん去年の五月のことだ。もう終わってしまったゲーム盤の上で人々は右往左往していた。怒鳴り散らしていた頼りがいのある審判は、先週の土曜日に姿をくらましてしまったのだ。怒号さえ懐かしくてたまらなかった。五月の風は青く、椎の花の香りが漂っていた。ゲーム盤上のひとびとは、取り残されたことを認めたがらず、自分たちのコスチュームに次々とさみしい名前をつけあっていた。夏はもうこないだろう。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]昔の駄文「他者の発見」/佐々宝砂[2005年10月29日16時38分] 戦争の話をしたもんだから、私が16歳のとき書いた詩を思い出した。意識的に詩を書きはじめて2作目の詩である。  「所有者」 あたしはいつだってあたし自身のものだと彼女は思っていた。彼女の思想が通用せぬ時代があったことを学んではいたが、彼女は、それはあくまで彼女とは関係せぬ昔語りであると信じて疑わなかった。そして彼女は、閃光を浴び最期の瞬間を迎えたときでさえも、気付くことがなかった。彼女の生きる時代もまた、過ぎ去ったあの暗い時代と大差ないのだということを。 彼女の膨れ爛れた醜い肉体は、今や誰の所有物でもない。 これを書いた時、世界は冷戦まっただなかだった。1984年のことである。私は切実に核戦争がこわかった。世界は終末の一歩手前だと思っていた。私は死ぬ、みんな死ぬ、世界は終わる。切実にそう考えて、私はひとつの結論を得た。 「私は私のものではない」 私に思想らしきものが生まれたのはこのときである。この散文詩がいい散文詩だとは思わないけれど、この散文詩は私にとって大切なもの、迷ったとき立ち戻るひとつのポイントとなった。これが私の基本なのだ。私は私のものじゃない。私という人間は、私にとってさえも他者なのだ。当然のことながら、この結論に到る前に、私は「他者」というものを発見している。 いつからそうだったか思い出せないけれど、私にとって「他者」という概念は自明のものだった。私以外はみんな他者だ、そして「他者=私でないもの」があるからこそ、私は「私が私であること」を確認できる。そして私自身もまた、他者から見れば他者である。アッタリマエなんだけどねえ、こんなこと。 しかし、せばさんが言うには、これは普通そんなに自明のことではないらしい。普通のヒトは、恋愛を体験してはじめて「他者」を発見するらしい。そんなもんかと思って、ちょっとびっくりした。私にとっての「当たり前」が他者にとっての「当たり前」じゃないのは「当たり前」なのだが、忘れてた(笑)。自分だけを基準にモノを考えてはいけません、またも、自戒自戒なのだった(笑)。 私が他者を発見したのは、たぶん、私が周縁にいる人間だったからである。首都に住んでるわけでない。田舎に住んでるがその土地で生まれたわけではなく、なんとなく、除外されている。女である。子供である。地理的に周縁に住み、その周縁にある小さな共同体のさらに周縁に住み、男性中心の社会にとっては周縁にある女性の世界に住み、さらに周縁にあえて言えば下位に位置する子供の世界にいる。しかも私は趣味が風変わりだった。そして身体が弱かった。だから私はみんなと遊べなかった。子供の世界の中でもさらに周縁にいた。それが私だった。 子供という点を除けば今もそんなに変わりはない。むしろ、広い世界を知ってしまったので、周縁にいるという意識はさらに強くなっている。私は黄色人種(白人中心の視点からすれば周縁)で、日本人(西洋中心の世界からすれば周縁)で、クリスチャン(現在の日本人の多数が無宗教か自覚のない仏教徒であることを考えると周縁)だから。 周縁にいる私は「中心」を想像した。自分がそこに属しているとは思われない世界の「中心」を想像した。想像しないでも周縁で生きてゆくことはできる。狭い世界で自分の位置を確保していれば、そこが自分にとっての「中心」であって、自分以外の「中心」のことなど考えなくても生きてゆける。しかし私は狭い世界の中ですら、自分の位置を確保できなかった。心臓が悪くて外で遊べなかった私の世界は、子供の世界ではなく、本の、活字の、物語の世界にあった。そしてその世界の「中心」にあるものは私ではなかった。どう考えてもそうではなかった。だから私は、恋愛を体験する前に「他者」を発見せずにいられなかった。 子供のときの話なので、なかなか思い出せない。順序だって理路整然と考えたことでないとは思う。しかしとにかくこの「他者の発見」が、私という人間の、また私の詩作の土台になっていることは確かだ。最近になるまで忘れていたくらい下にある土台だ。私はそこに立ってものを言わねばならない。      * * * 恋愛についてちょっとだけ。恋愛以前に「他者」を発見していた私に恋愛がもたらしたものが何だったかって、それは、私を好きになる他者もいるとゆー驚愕である。それは今もなお驚きだ。あんまりビックリしちゃって泣きながら土下座したくなるほどだ(笑)。他者が私を排除するとは限らない。私を受けいれてくれる他者、私と似た他者、私に受け容れることのできる他者がいる。私はまだそのことに慣れていない。慣れた方がいいのかどうか、決めかねている。 私はときどき、頭が真っ白になるような歓喜とともに、私は孤独ではないのだと感じる。それは恋愛とは無関係なのだけれども、恋愛で「他者」を発見した人には「恋愛のようなものだ」と説明しておいた方がわかりよいだろうと感じる。 2002. ---------------------------- [自由詩]快感原則/佐々宝砂[2005年11月6日21時21分]  それぞれを組むと九つの詩ができます 1.ところ  A.霧にけむるノスタルジイの森林  B.磁器の王国  C.ひとけのない商店街  D.海のうえを走り抜けるフリーウェイ  E.動物園  F.博物館  G.ギラギラした星のあふれる夜空  H.水晶製のアポロンのトルソーが林立する庭園  I.ココア色した図書館 2.とき  A.夏休みの初日、午前四時  B.そこに時はない  C.十月最後の日曜の早朝  D.五月はじめの土曜、午後一時  E.九月二十二日、午後三時  F.冬至、深夜(時刻は不明)  G.幼年時代の追憶の彼方のある夜、夜八時  H.人類が滅びてから二十万年後(時制が異なるため時刻は不明)  I.長すぎる秋の夜、午後十一時 3.天候  A.きつね雨、もしくはフッカケ  B.そこの天候は情緒によって左右される  C.晴、ただし鰯雲が見受けられる  D.晴、ただし綿雲が見受けられる  E.快晴、明るすぎる陽射しは陰気  F.曇天、建築物のうえに重く垂れる舌  G.もちろん雲ひとつあるわけがない  H.快晴なれどその天体の大気は呼吸に不適  I.台風、あるいは雷雨 4.登場人物  A.ざしきぼっこと豆腐小僧  B.象とスフィンクスと鳥と魚  C.五人の名前をあげてください、その四人目の人物  D.姉と弟、あるいは兄と妹  E.子供をひとり連れた若い夫婦  F.恋人たち  G.三人の少女(歳は下から十二、十三、十四)  H.人類ではない知性  I.ひとりきり、私だけ 5.サウンド  A.陰音階による女性三部合唱  B.ガラスが割れる音、その後の静寂  C.ドラゴン・クエストのテーマ  D.雑音の混じる五十年代のロック・ン・ロール  E.遠くから聞こえるオルゴール  F.ハイヒールが床を蹴る音  G.ビブラフォンが演奏するラベルのボレロ  H.水晶製の木の葉が歌う硬質なワルツ  I.窓を叩く風、雷、ならびにピアノ独奏の子守歌 (1997) ---------------------------- [自由詩]手首のソネット/佐々宝砂[2010年5月19日1時05分] 手首を切り落とす、 という妄想が頭から離れない。 私の手首を切り落とすのではない。 最愛の人の手首を切り落とすのである。 切り口はなるべくすっぱりと潔いのがよい。 切れ味よく骨まで切り落とせるのは、 鉈だろうか、出刃包丁だろうか。 チェーンソーも捨てがたいがあの切り口はそそらない。 すっぱりと切り落としたら、 傷口を丹念に消毒し、 もし消毒薬がなかったら焼け火箸で焼き潰し、 私だけを頼って暮らすそのひとの、 切り株のような手首を、 私は優しくやさしく包帯で巻いてあげるのだ。 ---------------------------- (ファイルの終わり)