クローバーのおすすめリスト 2004年5月5日20時58分から2010年4月19日0時00分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]あなたへ てがみ/かえで[2004年5月5日20時58分] もう会えないあなたへ ちょっと照れくさいけれど今日は語ろうと思うんだ **************** こんにちは 私のことをあれからも親友と思ってくれていますか 別れてからあなたのことを毛嫌いしていたけれどあなたの事が誰よりも好きでした あれからあなたは元気にしているのでしょうか 奥さんには恵まれましたか どうせあなたのことだから相変わらずあの約束の為にせっせと働いているのだろうね 寝癖頭でほとんど眠らず休日がやってくるまで体を駄目にして ご飯はカップラーメンばかりなのでしょうね そんなこと書いていたら今からでもあなたの世話をしに出かけたいくらいだわ ねぇ そこのバカ 私の拙い言い付けだけは破っちゃダメよ あなたのよく見ていた空は今どうですか 君がいつか見せてくれた絵の具の淡くて澄んだ青色みたいに見えますか あなたはあの時の青色をおぼえていますか 今まで言えなかった事がさ いつもあなたの手をほどくと どくどくと溢れ出すのに どうしてだろう またうまく言えないや もうこの言葉が届くかも分からないけれど あなたにはまだ言いたいことが沢山あるんだよ でもあなたは決まってこの時間はお酒を沢山飲むのよね そうよ それでいいの お酒の力を借りて沢山眠りなさい 少しでもあなたから毒が抜けますように 少しでも私とあなたが夢で出会えますように ------------ ねぇ この手紙届くかしら 私あなたの頭上にいるの あなたがよく語っていた お空のうえよ これが届いたら笑ってやって 便せんはあなた好みの水色のストライプ いつもみたいに景色の写真は送れないけれど 今回は雲をすこしつめておいたわ 私のお気に入りのリボンで結んでおいたから そのリボンはねこちゃんに付けてあげてね さぁ そろそろだわ あなた目がけておとさなくちゃ さようなら あなたに届きませんように ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]空想現実 夢/かえで[2004年5月7日14時05分] そろそろ外に出ようかな 引きこもりではないけれど 柔らかな日差しに触れたいのだけれどね ちょっと怖いのよ ビルの上のあの秘密基地から飛びたくなってしまいそうで --------- 外に出たら何をしようか まず手を繋ごう なんていうか、ぎゅっと握ってやるよ パン屋さんでお前の好きなパンを一緒に買おう そしたらお前のうつろな目は少しは微笑むかな 海にも行きたいね なぁアリス たまにはあの田舎道を足が棒になるまで歩いてみようぜ それで砂浜で少し休もうか 魚の死骸がこの前あったんだ まだあるかもしれない お前が見たらどんな顔するかな 海より近くの公園に行きたいわ ベンチに座ってパンを分け合いましょう 貴方はいつもはいている擦り切れたジーンズにTシャツ 私はあの白いスカートをはこうかな 似合うかしら? 私、貴方のあのジーンズが好きなの 捨てちゃうなんて絶対ダメよ 貴方にしか似合わないものなのだから --------- お日様ってあたたかいわ そうだな さっきまで私は何故おびえていたのかしら 君の気持ちのせいだよ 気にすることない 私このままずっとここにいてもいいわ 貴方とずっとここにいるの それはダメだよ それじゃあ夕飯の支度は誰がやるんだ? 「私、貴方のこと好きよ誰よりも」 ・・・・夕方になったらこのまま浜辺を歩きましょう 私、貝殻をひろうの 綺麗なものみつかるかしら 見つかったら貴方に一番のをあげるわ -------- 声が届いていますか 声が届いていますか 貴方はどこにいますか やっぱりこれは夢なのね 貴方との馴れ初めかしら 思い出? なに なに なに なに 教えてくれる? ---------- ねぇ夢を見たの こんなの久しぶり 貴方に似ている人と沢山外を歩いていたわ きっと貴方だと思うわ だってすごく仲が良さそうだったもの 貴方は昼からビールなんて飲んじゃっているの いつかの私たちみたいだった 食事たまに一緒にしない このドア開けてくれないかしら? (ドアが開かないこと位知っている私がそうしたの) 幸せになる為に確か貴方が 何かを口走ったのよね わかってる でも何かは靄の中で もう見えないわ 怖いわ このまま私あのビルに向かっていいかしら ドアの釘はもう抜いておいたから 貴方はそのままどこかへ消えて そんなこと言われたって貴方にはきっと出来ないでしょうね わかっているわ 「だからさようなら」 大丈夫これは夢よ 目をつぶってごらんなさい ほら  ひとつ ふたつ ぽつぽつ ぽたぽた 朝がやってきた ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評という暴力的愛情表現/佐々宝砂[2004年5月8日4時15分] 私が人様にはじめて認められた文章は、詩ではなく評論であった。それは静岡県民文学祭で芸術祭賞を受賞した。今の私からみると暴論みたいなところもあるし、古くなっているところもあるし、そもそも「評論」と名乗っていいものなのか未だに自信がないけれど、最初に認められた文章だから愛着はある。それは「后の位も何にかはせむ−少女小説私見−」というタイトルでわりと長文、論じられている小説も一冊ではなく、作者も複数だ(「后の位も何にかはせむ」は、http://www2u.biglobe.ne.jp/〜sasah/reviews/hyo0.htmlにおいてありますが、昔つくったHTMLなのでけっこう読みにくいシロモノです。ごめんなさい)。 複数の作者の複数の作品をあたかも一連の流れのなかにあるもののように論じるという行為は、作者の考えを酌み取るためのものではなく、極端に言えば評論の執筆者である私自身の考えを発表するためのものである。プロである作家たちを読者対象にしてはいないし、少女小説という特殊な分野の読者を対象に書かれたものでもない。「后の位も何にかはせむ」は、少女小説を全く読みそうにないオッサンたちが読者対象なのだ。より正しく言えば、静岡県文学祭評論部門の選者であるオッサンたちである。彼等に「おめーらこんな世界のこと知らねえだろ」と啖呵を切ることを目的に書かれたといってもさしつかえない。しかしそれでもなお、「后の位も何にかはせむ」を書いた根元的動機は、少女小説という特殊な分野と各々の作品への愛である。私は愛情なしに批評を書きたくない。私にとって批評を書くということは、愛情表現以外の何者でもない。他の人がどう思っているかは知らないが、私にとって、批評は私の表現手段のひとつなのである。 何に対する愛情表現かは、場合によって異なる。「后の位も何にかはせむ」という批評は、少女小説に対する愛情表現として書いた。200を越える私の書評は、そのほとんどが各々の書物への愛情表現として書いたものだ(一部例外がある)。「たもつさんの詩の印象」という未完のまま終わりそうな気配の一連の批評は、たもつという詩人の詩に対する愛情表現として書いた。批評に関する雑文(強いて言うなら評論)である"Cry For The Moon"http://po-m.com/forum/grpframe.php?gid=349は、批評という分野への片思いを表現したようなものだ。かつて蘭の会で行っていたまなコイの私の総評は、各々の詩に対する愛情というよりは、詩という分野に対する愛情を表現したつもりだ。 いったい誰のための批評だ?と私に問わないでほしい、批評は私の表現手段であり、私が表現したいのは愛だ。あなたが詩で愛を歌いたいと願うように、私は批評という理屈っぽい文章で愛を伝えたいと願う人間なのだ。 しかし、いくら動機が愛だとしても、摩擦は避けにくい。「詩という分野に対する愛情」を表現しようとして、結果として酷評になることがある。「詩という分野」の全体的向上を願って、添削的なセンセーぶった批評を書いてしまうこともある。場合によっては「あるひとつの詩サイト」への愛情ゆえに、なんだかひんまがった優しいのか厳しいのかわからん文章を書いてしまうこともあり、そんなものが原因でブチ切れてしまった苦い過去が私にはある。しかし私はもうそういうことをしないだろう。私はいま、「あるひとつの詩サイト」に対する激しい愛情など持っていないから。 また、あるひとつの作品への複雑な愛情を表現しようと努力したあまり、結果としてその作品に対する批評への反論になってしまうこともある。ひとつの詩に対する解釈が異なる場合があるのは当たり前で、たとえ解釈が似たようなものであったとしても、批評と批評はぶつかりあうことがある。まるで、ひとりの恋人を巡ってふたりの人間が争うかのように。恋人が人間であれば、どちらかを選んでくれることが多いから、話はそれで済む。しかし詩の場合は難しい、たとえ作者が片方の批評者の意見を認めたとしても、読者の多数はもう片方の批評者の意見の方こそ正しいと主張するかもしれない。ふたりの批評者のどちらが正しいか、誰一人決めることはできない。強いて言うならば、未来の誰かが歴史的観点に基づいて決めてくれるだろう(それだけ長くネット上の詩と批評が生き延びたら、の話である。もしかしたら、根気強く長く続けたもん勝ちかもしれないぞ)。 私は釈明しない、無罪を主張しない。私の批評は酷評になる場合がある、私は批評に対しきつい反論をする場合がある。私は自分の有罪を認める。しかしそれでもなお私は主張する、私の批評がどんなに暴力的に見えようとも、その根元的動機は、愛だ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評は愛か、それともエゴか。/宮前のん[2004年5月12日15時25分] 批評は愛(詩や詩人のためを思っての行動)なのか。 批評はエゴイズム(己の利益だけを考えた行動)なのか。 私は、その人によって違うし、その時々によっても違うと思う。 どんなに酷評したって、その詩が大好きで、すごく好きで、 でも詩としては稚拙で、って場合もある。 「この詩、好きです! でも点数は0点♪」なんて某詩の批評会でコメントした人が居た。 あるいは、どれほど言い訳したって、自分の論文に酔いしれている場合だってある。 それは、詩によっても違うし、批評する人によっても違う。 「愛を持って詩を批評しよう!」と心に誓っても、どうしても嫌いで愛のない場合も あるし。 逆に「素晴らしい論文を展開してやるぞ!」って思ってても、 すごく素敵な詩に向かっては、もう、愛情表現しか出来ないって場合もある。 要するに、決めつけられないものだと思う。 本人がそれを愛と自覚するなら「批評の根源は愛」なんだろうし、 本人がそれをエゴと認識するなら「批評の根源はエゴ」なんだろう。 それは、子育てに似ている気がする。 私の母親のように、子供を産んだけど「自分の人生を彩るために子供を育てた」 ような人も居るし、「本当にその子に幸せに成って欲しい」と思って育てる 母親もいる。また、それは子供と親の相性のようなものあるし、あるいは タイミングのようなものもあるかもしれない。 でも私の母親は、エゴイズムで私を育てたけれど、本人には全く自覚は無い。 むしろ、その横暴とも言える押し付けを「愛」だと言ってはばからない。 「あなたのためよ」と言うことを止めない。自分のためだろ!って言いたくなる。 私だって、愛を持って子供を育てようとしているけれど、いつのまにか エゴになっていないか、そういうのがふと心配になる時がある。 理想を、自分の理想をただ単に押し付けているだけなんじゃないか、と。 私は「批評は詩のために、愛を根源にしたい」と思う。 でも、エゴになっていない自信はない。 だから、常にエゴになっていないか、検証しなければならないし、 あるいはエゴな部分を認めながら、愛をベースに語りたい。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]やりたいことがあるんです/佐々宝砂[2004年5月20日2時18分] 批評だ批評だ批評が必要だとネットで吠え続けて、おそらく数年になる。私自身は、地方同人詩誌での合評会や蘭の会内部でのわずかな批評と、詩集そのものに対するいくつかの批評をのぞき、自分の作品に長文の批評をネットに書いてもらった経験が一度しかない。私はそのたった一度の経験を宝物のように大事にしている。感謝してもしきれないほど、その批評を書いてくれた人に感謝している。 その人は私を理解してくれたし、私に方向性すら示してくれた。その人はその批評を大々的に発表したりはしなかった。自分のサーバにこっそりあげて、URLを教えてくれた。その人が何のためにその批評を書いたか、当時の私は、その人が私の詩を買ってくれているからだと思っていた。しかし実際には、おそらく、私に「批評の書き方の一例」を示すための批評だったのだろうと思う。その人自身が批評の重要性を認識していて、批評の書き手を欲していたからなのだろうと思う。私はほんとのことを言えば、たいした批評屋ではない。でも批評が好きだ。批評の書き手になりたかった。私に「批評の書き方の一例」を示してくれた人に感謝を捧げたかった。しかし世の中は、思った通りには進まない。そのくらいのことは認識しておこう、でも絶望はしないでおこう、私もはや三十半ばを過ぎたけれど、まだ介護保険を払う年齢ではない。 批評の書き手は、自分の文章に対する批評・批判を覚悟しなくてはならないと、私は思っている。私は自分のHPに置いた近作に、 Text&Image Copyright(C) 佐々宝砂 sasahosa@muh.biglobe.ne.jp 全文転載は要相談。 批評における部分引用自由、連絡してくれると喜びます。 直リンクは自由、連絡不要(デッドリンクになるかも)。 というキャプションをつけている。私の文章は勝手に批評して下さいどうぞ、でもいくらなんでも全文転載の場合は連絡してね、それが私のスタンスだ。だが、他人の作品まで勝手に批評していいと思っているわけではない。勝手な部分引用や直リンクお断りのキャプションをつけている人もいるが、それはそれでいいと思っている。それぞれの作者の考えを大事にしたいと思っている。 問題は、批評に対する筆者(作者)の考えがつかみきれないときに起きる。あるいは批評する側のスタンスがはっきりせず、曖昧な言葉を使っているときに起きる。たとえば紙の同人誌の合評会のとき、確か私はまだ二十代終わりくらいだったか、「こういうこと書いて恥ずかしくない?」と訊ねて十代の女の子を泣かせてしまったことがある。私は彼女の詩が悪いものだと思ったわけではない、むしろたいへんいい詩だと思ったのだ。でも私にはこういう内容は恥ずかしくて書けないと思ったので、「恥ずかしくない?」と訊ねたのだった。「Tバックってなんか恥ずかしくない?」と訊ねたよーなもので、「きみは立派だ」と言いたかったのだけど、うまく伝わらなかった。あのとき私の言い方はとても悪かった。うまく伝えられなくて私自身悲しかった。二度とああいう思いはしたくない。 ネットで発表される作品を見ていて「この詩なんとかならんかなあ、ここをなんとかすりゃいい詩になるのになあ」「この詩テーマと視点がめちゃくちゃいいのに文章がめちゃくちゃだ」などと思うことがしょっちゅうある。けれど、たいていの場合、私は厳しい批評を避ける。私は争いたくない。愁嘆場も見たくない。未熟な書き手や、批評する側(私)に理解できない詩を書く作者に、手厳しい言葉は禁物だ。半端なものいいも禁物だ。きちんと、わかりやすく、はっきりとした批評ができないなら、私は黙ってる方がいいかもしれないと思う。 愚痴のようになってきてしまった、こんなこと書くために書き始めたのじゃあない。 実は、いま、やりたいことがある。やりたいことはいっぱいいっぱいあるんだけど、早急に(9月末日までに)やりたいことがひとつある。地方の文化団体にネット詩を紹介したいのだ。静岡県詩人会総会で痛感したことだが、地方の詩人会とネットの詩人会とのつながりはあまりに少ない。ネットの詩を見ているごく少数の人も「ネットの詩ってなんか違うのよねー」などと言ったりする。彼等は、ネットの詩の海に潜るのが面倒なのかもしれない。確かに数がいっぱいありすぎて、追っかけるのがたいへんだ。だから私は彼等にネットの詩の良質な部分を見せたい。どのように? もちろん直接詩をプリントアウトしてもってって「この詩いいでしょ!」と言ったっていいのだけれど、それで紹介できる相手は少数だ。私はもう少し多くの人々にネットの詩を見せたいのだ。自分の住む地区の隣人達に見せたいのだ。 だから、今、紹介的な批評文を書いて静岡県の芸術祭に応募しようと考えている。入賞したら、私の批評は「県民文芸」なる本に収録され、静岡県の公立図書館と高校・大学に配布され保存される。地方のニュースや新聞でも紹介される。しかし「入賞したら」の話だ。また批評全体の長さにも限度があるから(原稿用紙四十枚まで)、あまりたくさんの詩を紹介することはできない。長い詩は部分引用ということになるかもしれない。また、ネットの詩全部がいい詩なわけじゃないよということも、私は書かねばならない。それは悲しいかな真実だから。それでも「私の詩に批評を書いていいよ」と言ってくれる人はいるだろうか、どのくらいいるだろうか。 もしいるのだったらメールを下さい。私信でもかまいません。私は批評を書きたいのです。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]御飯限定茶碗、スープもサラダも不可。/宮前のん[2004年6月10日0時54分]  一昨日、某友人に連れられて、和歌山のある陶芸工房を訪ねた。  そこは10年前に都会から引っ越したご夫婦が経営している工房で、そこの土が気に入って、陶器を焼くためにわざわざその地に住み着いたのだという。  入ってみて、並んでいる陶器を見せて頂いたが、ちょっと見ただけでは何に使うものかがわからない。どういうものが並んでいたかというと、直径30センチくらいの巨大なフジツボ(もちろん陶芸作品である)が10数個とか、山の上の遺跡発掘現場(縄文時代の遺跡のように、柱の跡や一段下がった炉の跡などが模してある)オブジェ、ピエロの群像、長い脚のついた茶椀(のようなもの)などである。すいません、これって何に使うものですかと尋ねると「えっと、実は用途は最初から決めずに焼いてるのよ」というお返事だったので、とても嬉しくなってしまった。つまりは「食器にでもガーデニングにでも置物にでも、買って下さったお客さまの好きにお使い下さい」という事なのだ。巨大フジツボなんかは、土の切れ端を火山のような形に寄せ集めた感じに出来ていて、用途としては植木鉢が妥当でしょうかと聞いてみたが、いや実は全部ではないけれど、中には水が駄々漏れになる物があって、たまに偶然水漏れしないやつだけは花を植えたりも出来るんですけど、と陶芸家さんは頭をかいている。なんという自由度の高さだろう。  散々迷ったあげく、パスタ皿(に出来そうなヤツ)2枚と、サラダボール(に出来そうなヤツ)2個を買って帰ってきた。私は子供が生まれて以来、まずは壊さないように壊れても勿体なくないようにという考えが先にたって、高価な陶器を買い控えていた。100円ショップ以外で陶器を購入したのは、考えてみれば数年ぶりじゃないかしらと、後で気が付いて笑ってしまった。  物は、その用途を決めつけたり、その名を限定したりした時点で、他のすべての可能性を失うような気がする。それは、レッテルを貼る、という行為そのものだ。たとえばガラス瓶に「イチゴジャムしか入れちゃダメ」というラベルを貼ってしまうと、他のものが入れにくくなってしまう。ただのガラス瓶のままに置いておけば、マーマレードを入れることも、ビー玉を沢山集めることも、金魚鉢にだって、あるいは逆さまにして色を塗って電球にかぶせることだって出来たかもしれないのに。人間にだって「あの子はお嬢様だから」とか「彼は劣等生だからな」なんてレッテルを貼ってしまうと、そのレッテルに全部ひっくるめられて、個々の個性や可能性を見失ってしまうのと同じだと思う。レッテルを貼らなければ、その可能性は無限大なのに。あるいは、そのレッテルに眼がくらんで、他の可能性が見えにくくなってしまうというのが当たっているかもしれない。  かの陶芸家がおそらく「御飯限定茶碗、スープもサラダも不可」なんていう物を作って売っていたら、あの工房は私にとって本当につまらない場所だっただろう。作者が、買う側に想像の幅を残してくれた事で、その陶器たちを「料理限定皿」などというつまらなさから解き放ってくれたのである。(こだわりのキツすぎる陶器ってのも別の意味で面白いかもしれないが、私には苦手だっただろう)  余談ではあるが、「山の上の遺跡発掘現場オブジェ」は1個2万円もしたので買えなかったが、実はあの山頂の凹みに茶碗蒸しを作ってみたくてたまらなかった。スプーンで茶碗蒸しを食べながら掘り進むと、遺跡が発掘されていくのである。壷型に切り目を入れたニンジンなんかを埋めておくと、さぞかし食事が盛り上がるだろうと思っていたのだが、あのオブジェは大き過ぎて、入る蒸し器が無いんだよなあ、残念。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]婆/城之崎二手次郎[2004年6月25日18時21分]  駄菓子屋のおばあちゃんは、いつも居眠りをしていた。だから子供たちによく万引きをされた。ある日、閉まった店の戸に、閉店のお知らせと書いた紙が貼られた。子供たちはみんなが万引きをしたからつぶれるんだと思った。出し合った小遣いを封筒に入れて、こっそりポストに入れた。一ヵ月後、店は再び開いた。店の入口には、こんな貼り紙があった。子供たちへ、そして、かつて子供だった皆さんへ。お金は確かに受け取りました。 あとがき。 二〇〇字物語第二十三弾。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]羽虫/生田[2004年7月12日11時51分]  黒というよりかは藍色の夜空を羽虫が通過した。深夜のコンビニエンスストアー。壁面ガラスには黒い点が、わさわさしている。ため息をつきながら、私はキンチョールの煙をその点々に振りかけていく、そうして落ちていく羽虫の名前を私は知らない。私は殺戮者ではなく、店員なのだ。客が私の名を知らないように、私も羽虫の名を知らない。  もしかしたら、いまさっきの羽虫すべては一夜の命だったかもしれない。本能とは厄介だね、と茶化す。羽虫が思考をする生き物なのか、感情を抱く生き物なのか私は知らない。おでんの什器に落ちた羽虫をおたまで掬い上げて流しへ。店内放送を止める深夜帯、排水口の先からは、あらゆる機械の呻き声が聞こえてくる。飲み込まれていく羽虫は抗わない。  羽虫と私との違いを考える。午前四時、撒きすぎた殺虫剤が目に沁みる。羽虫は涙を流すのだろうか、汗腺はあるのだろうか。一時に廃棄になった弁当を電子レンジに放り込んだ私と羽虫の間に連続性はなかった。お互い、断絶した点であった。しかし、私は羽虫を認めたが、羽虫が私を認めたかは定かではない。人でいえば、致死性の毒ガスを用いた無差別殺人に出くわしたようなものか、とゴミを出しに行く途中、さっき落とした羽虫を掃いていなかったことに気づいた。片付けねばならない、店員として。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]多重化してゆく夢の記録/佐々宝砂[2004年7月27日13時31分] 【シーン1】 舞台は海外。時代は現在。学会の会場のようなところ。会場は満員。夜。カメラはまず会場を俯瞰し、それから屋根に近い高く大きな窓へ。その窓を外側から割って、光り輝くような女性がスローモーションで入り込んでくる。人種不明のその顔は若々しく、長い白髪はうしろになびき、表情は恍惚として、女神のようだ。空中を滑りながら会場中央の空中で停止し、さしのべた手の元に、銀色の縦の円盤があらわれる。女性はそれを触らずに操る。カメラは次に反対側の窓へ。今度は一人の男性が窓を割って入ってくる。黒髪に茶色い目、ヒスパニックだ。少し頼りなげな表情で、自信がなさそうだ、コマ落としのようにぎくしゃくと、空中をおっかなびっくり歩いてくる。銀色の円盤が、男性の手に渡される。彼は、その円盤を操ることができない。別なカメラが会場を写す。女性が白い液体を満たした大きな瓶を抱えている。歩いて会場に入ろうとしてきたごくふつうの女性だ。そこに会場の中から走りかけてきた男が体当たりする。瓶が割れて、白い液体がこぼれちる。画面はホワイトアウト。 【シーン2】 舞台は「この次元の日本」ではない日本。時代は昭和初期? ロシアでは革命が起きず、日本とロシアは軍事的に協力して、アジアを支配しようとしている。そんな世界である。手持ちカメラの目線。十代半ばと見える少女が一人、アパートの共同水場で、毒薬を飲もうとする。そこに母親がやってくる。「本を十冊いただいたから、お読みなさい」と言う。本好きな少女は毒薬を飲むのをやめて部屋に戻る。十冊の本のうち、一冊だけ粗末なザラ紙でカバーがつけてある。「汚しちゃいけないから、とりあえず一冊だけ紙で包んだわ」と母親が言う。「じゃあそれから読む」と少女がとりあげたカバー本は第二巻。 【シーン3】 シーン2と同じ舞台。時代はすこしだけ前。少女の兄が官憲にとらえられ、拷問を受けている。拷問が突然中断され、いぶかしい表情のところに、彼と幼なじみの男が軍服を着て入ってくる。「無罪放免にしてやるぞ、ただし条件付きだ」……独房で苦悩の表情の兄。画面かわる。少女は暗い表情で、当時流行の服に身を包み、軍服を着た男に伴われて彼の家に入って行く。妾として。また画面かわる。釈放された兄は、地下組織からひそかな連絡を受ける。手渡されたのは印鑑と「四−十三X佐々宝砂」と書かれた小さな紙。兄は賢明に考える。街を走る、地図に当たる、これは何の数字だろう? 彼はとある貸金庫で、「四−十三×佐々宝砂」という番号を見つける。貸金庫に入っていたのは、十冊の本とビデオテープと小型発電機とビデオ付きテレビと説明の書面。彼は説明に基づきそれらを接続し、自宅でビデオをみはじめる。 【シーン4】 ビデオの最初の方にはアニメが入っている。坂を転げ落ちゆくカバのアニメだ。昔のアメリカのアニメに似ている。日本の古い音楽も入っている。曲名はよくわからない。明るくて古くて調子がよくて脳天気な唄だ。そのあたりは早送りしてくれと説明書にあるのだが、彼はついつい画面に見入ってしまう。長い時間が経ってから、彼は十冊の本を荷にまとめ、母と妹の住むアパート宛の住所を書き、自分の親友宅を訪ねその荷物を親友に託す。画面かわって妾となった妹が、暗い部屋の布団の上で泣いている、そのまま、フェイドアウト。 【シーン5】 シーン1と同じ時代。同じ国。夜に近い夕刻。カメラは風光明媚な小さな島を俯瞰し、その島の小さな街が写され、だんだんクローズアップされてゆき、最終的にひとつのガソリンスタンドを写す。ごくふつうの日常的風景、ひとりの女性が自分の車にガソリンを入れている、そのとき、突然、何かが起きる。あるいは起きたのか。島の山手のどこかから巨大な何かが立ち上がり、その山の方角から白とも灰とも青ともつかぬ不気味な色の何かがじんわりと空一杯に広がってゆく。あたり一面が白く輝き、地面にこぼれていたガソリンが燃え始める。画面はストップモーション、ガソリンを入れていた女性の独白が聞こえる……「あれは、はじめての経験でした、何が起きているかわからなかったにしろ、なんだかとてつもないこと、とりかえしのつかないこと、恐ろしいことが起きているのだと思いました。いまこれから私は死ぬのだ、と自覚して、自覚したとたんに時が止まったようでした。まるで映画のストップモーションみたいに。」 【シーン6】 シーン1と同じ舞台。学会の会場のようなところ。会場は満員。夜。カメラはまず会場を俯瞰し、それから屋根に近い高く大きな窓へ。その窓を外側から割って、ヒスパニック系の男性が入ってくる。自分にはやるべきことがあるのだと決意した人間に見られるような毅然とした表情で、空中をゆっくり滑りながら会場中央の空中で停止する。さしのべた手の元に、銀色の縦の円盤があらわれる。男性はそれを触らずに操る。カメラは次に反対側の窓へ。今度は一人の女性が窓を割って入ってくる。白髪に灰色の目だが、顔は若い。今こそそのときなのだと確信した人間にしか見られないような表情で、空中をゆっくり滑りながら会場中央で停止する。銀色の円盤が、女性に渡される。彼女はその円盤を触らずに操り、円盤を会場の玄関口に落下させる。会場の中から走りかけてきた男が円盤にぶつかり、倒れる。そこにごくふつうの女性が白い液体を満たした大きな瓶を抱えて会場に入ってくる。 【シーン7】 シーン6の続き。会場の中空での出来事などなかったみたいに会議がはじまる。白い液体を満たした瓶が検査され、その検査結果が公表されている。OHPが写す難解な科学的説明。どうやら二組の派閥が争っている。片方は汚染があると主張し、片方は汚染などないと主張しているが、牛乳らしきその白い液体が汚染されているということは、誰の目にも明らかなのだ。勝利を確信した陣営から拍手喝采が湧き上がる。 【シーン8】 シーン1と同じ舞台。学会の会場のようなところ。会場は満員。夜。カメラはまず会場を俯瞰し、それから屋根に近い高く大きな窓へ。その窓を外側から割って、光り輝くような男性がスローモーションで入り込んでくる。ヒスパニック系のその顔は若々しく、黒髪はもつれうしろになびき、表情は恍惚として、バッカスを思わせる。彼は空中を滑り会場中央まで行って停止し、さしのべた彼の手の元に、銀色の縦の円盤があらわれる。男性はそれを触らずに操る。カメラは次に反対側の窓へ。今度は一人の女性が窓を割って入ってくる。白髪に赤い目、人種不明だがアルビノだ。少し頼りなげな表情で、自信がなさそうだ、コマ落としのようにぎくしゃくと、空中をおっかなびっくり歩いてくる。銀色の円盤が、女性の手に渡される。彼女は、その円盤を操ることができない。別なカメラが会場を写す。女性が白い液体を満たした大きな瓶を抱えている。歩いて会場に入ろうとしてきたごくふつうの女性だ。そこに会場の中から走りかけてきた男が体当たりする。瓶が割れて、白い液体がこぼれちる。画面はホワイトアウト。               *** 【独白―わたし】 宵闇のなか、ふわり、とわたしの身体は浮かび上がる。慣れてしまえばこんなこととても簡単。でも彼はまだ慣れていない。それはしかたがないわ、だって彼は今日がはじめてなんだもの。さあ、行きましょう、窓が割れる、蓋然性のひとつとして、それがそのようであるほんのわずかな確率にのっとって、窓が割れる。でも誰一人わたしたちを見上げない。会場の人々は、たまたま音を聞かなかったの。たまたま、わたしたちを見なかったの。わたしは蓋然性のうえを滑りながら銀盤をくるくる回す。ぎくしゃくしながら彼がやってくる。彼が失敗することはわかっている。でもこれはひとつの可能性に過ぎない。私は彼にささやく、これはひとつの可能性に過ぎないのよ、あなたが失敗することはわかっていたわ、落ち込まないで、わたしはもう知っているの。わたしたちは、成功するのよ。わたしたちは、あの事故を防ぎ得るのよ、成功するのよ。ひとつの可能性として。 【独白―私】 ロシア革命が起きなかったということは、この世界、私佐々宝砂が生きる世界が舞台ではない。ではここはどこだろう、私の夢であることは明白だが、私は自分が夢見ていることを知りながら、夢の舞台を操作することができない。いや、簡単にはできない。私の眼前で、三つの物語が錯綜している。一つは、アメリカを思わせる土地での事故、おそらくは放射能事故を巡る物語で、多重世界をテーマにしたSFだ。そちらの物語ではロシア革命があったのだろうか、なかったのだろうか? 判然としない。もう一つの物語は、ロシア革命がなかった世界の、日本の、お涙頂戴物語だ。非合法活動に従事する兄と、兄を救うために妾になる妹と。さて? 残るひとつの物語が私の物語だ。それは、二つ並んだ画面のように展開されている。まさに画面だ。片方の画面では私の祖母が素っ裸になって「お祭りマンボ」にあわせて踊っている。もう片方の画面では、アニメのカバが転げ落ちている。なにものかわからないがやたら声高に明るく、誰かが演説している。なんという調子の良さ。私はどちらのビデオ画像も恐ろしく長いものであることを知っている。私の記憶すべてが詰まっている可能性すらあると考えている。この二つは、もしかしたら、私の右脳と左脳だろうか、と夢見ながらも私は。 夢の中の登場人物にビデオを送る。それが可能だとは思わなかった。驚いた。私はハラハラしながら兄の一挙手一投足を見つめる。私のどうでもいいビデオの部分なんか見るんじゃない、おまえにはやることがあるんだぞ。妹を救え。本を送れ。妹が毒を飲もうとする瞬間、おまえはもう死んでいる、私はそれを知ってる、だから私は事前に知らせなくてはならなかった。本を託せ。最も信頼おける友に。母親は本の二巻目にカバーを掛けるだろう。一巻目ではいけない。二巻目だ。それでいい、それがいいのだ、それでうまくいくはずなのだ。だが私は結末を見届けることができない。なぜだか私はそれを知っている。 【独白―おれ】 自分にできることと、できないことがわかっている。空を滑ることは可能になった。というよりも、それはもともと可能性のひとつに過ぎない。おれの下で、とてつもなく低い確率で、しかしゼロではない確率で、一瞬空気の分子すべてが停止する。おれの身体は、だから空気が海の波か何かであるかのように空中を滑ってゆく。彼女のおかげだ。彼女が教えてくれた。次回からはおれが彼女に教えることになるのだろう。窓を割って彼女が入ってくる。彼女は自分の容貌を変化させようとはしなかったが、目の色だけは変えたらしい、不透明なガラスのような灰の目だ。彼女はこれまででいちばん魅力的だ、これまでの彼女はあまりに神々しすぎた。おれと彼女の時間軸は逆転している。おれはおれがこれからどうなるかを本当には知らない。だが彼女が教えてくれた、おれたちは、成功するのだ。今まさに。この瞬間に。偶然に。ひとつの可能性として。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]一枚の絵/ ひより[2004年11月10日0時21分] 絵の具が描きたかったのは 校庭のブランコの横の大きな一本の木だった。 一枚 一枚、 葉っぱさん達は 気持ちよさそうに 揺れていた。 「はじめまして・・ 」と お話しをされてきたのは、少し右寄りの 一番お空に届きそうなところで揺れていた葉っぱさん。 その時 たぶん 私・・ ・ 葉っぱになっちゃったんだと 思う。 校長先生が そ〜っと そっと様子を見てた。 いつのまにか絵の具は お話しを聞きながら その大きな木の 一枚の葉っぱさん を描いていた。 てんてんてんてん の中に たった一枚 見えないはずの葉脈が描かれた。 すると、隣りの葉っぱさんが語りかけてきた。 「お日様とお話しをしてみないか? 」 いつのまにか その隣りの葉っぱさんも、そのまた隣りの葉っぱさんも・・ ・ 描いた。夢中になって 描いていた。 気付いたら 校長先生は 居なかった。 チャイムは鳴って てんてんてんが 落っこった。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]松島やと猫語とパクリとボルヘスと/佐々宝砂[2004年12月10日3時20分] いま私は激烈に機嫌が悪いのだが、これはパキシル切れのせいだと思われる。薬を切らしたのは私の責任であって、他の誰のせいでもない、などと書いてる場合ではなく、書くべきものはきっちり書かねばならんのだ。ううう面倒くさいぜ。 まずは「松島やああ松島や松島や」について簡潔に。この句はなぜか一般には松尾芭蕉のものとされているが、実際には田原坊なる狂歌師が作った「松嶋やさてまつしまや松嶋や」が変化したかたちで人口に膾炙したものだという。つまり「松嶋やさてまつしまや松嶋や」には作者がいても、「松島やああ松島や松島や」には、実際の名前ある作者というものはいないのだ。詠み人知らず、アノマニス、なのである。わらべ歌や諺、あるいは梁塵秘抄や閑吟集に採取された作者不明の当時の流行歌のようなものだ。日本語を使う人々の共有財産だと言ってもよい。ささやかで、かなりバカな財産ではあるけれど。 この句は、単に有名なだけであって、いい句でない、というか、いい句かもしれないが俳句でない。季語が入ってないし、切れ(この場合「や」)が三つもある。なんてことをいちいち指摘するのもアホらしい。句には間違いないが、大バカ句なのである。何を言いたい句なのかさっぱりわからないが、覚えやすい。覚えやすくて意味がないゆえに、誰でも使える。やたら使える。「松島」を他のものに置き換えれば、何にでも使える。元句の「さて」は、妙に文語めいて意味深げだが、ちまたに伝わる「ああ」の方は「さて」以上に意味がないのでバカさ加減に拍車がかかる。ここまでバカなのはすばらしい。バカも極めればご立派というひとつの典型だと思う。 で、次に猫語について語らねばならない。うううむ面倒だなあ。と思ってしまうくらい猫語には歴史があり、今さら「ああ松島や」を「にゃあ松島にゃ」に換えたところで、とても猫語のパイオニアとは言えない。なにしろウェブ上には、すでに猫語変換cgi( http://www.st.rim.or.jp/〜hyuki/mp/05/neko1.cgi)が存在するほどなのだ。「にゃ」を使えば猫語だというならば、『無敵看板娘』(週刊少年チャンピオン連載中)の勘九郎なんか猫語使いまくりだ。そんなんでパイオニアだったら、名古屋人はネイティヴにパイオニアじゃねーか(決して名古屋人をバカにしているわけではない。静岡県民の一部もにゃあにゃあ言う。我が静岡も猫語使いの土地なのである)。 では、猫語のパイオニアとは何者か? 昨日から必死に調べていたのだが、日本におけるパイオニアはわからなかった。海外におけるパイオニアは、調べなくてもわかる。『猫語の教科書』の作者ポール・ギャリコだ。まあこの本は「猫のために書かれた猫が快適な生活を送るために人間をしつける方法」を人間が解読してしまった!というお話であって、本当に猫語の教科書なわけではない。とはいえ、猫語というものの存在を明かした初期の文献であることは間違いない。猫は猫語を使うのである。そして猫は人間の想像以上にお喋りであって、だから雄猫ムルは自分の生涯を誰かさんの伝記の裏に綴ってしまうし、漱石の猫も名前がないままにいろいろと語ってしまうのだ。だが雄猫ムルも吾輩も、猫語を使って喋っているわけではない。これらの物語において、猫は、猫語ではなく人間の言葉で喋っている。しょせん、猫耳猫しっぽのない時代の文献に過ぎないのだ。 日本のカルチャーまたはサブカルチャーの世界に猫語が登場したのは1960年代後半ではないかと思うが、推測の域を出ない(というかてきとーに書いてみただけだったり)。1970年代にははっきりとした猫語使いが二人登場する。一人は柳瀬尚紀。この人は半猫人を自称する猫語使いであり、あの『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳した人なのだから猫語翻訳などたやすくこなすに違いあるまい。世紀が変わってもなお半猫人ぶりは健在で、朝日新聞に「猫舌三昧」というタイトルからして猫っぽいエッセイを連載していた。もう一人は谷山浩子。1976年に三回目のデビューを果たした谷山浩子は、猫森に出入りしている猫語使いであり、人間よりも猫に近い。その筋の情報によれば、彼女は21世紀に入ってもまだ猫の集会を開いているらしい。 この二人のパイオニアの力によって(この二人の力のためだけではないんだけどなんかこう書きたいのよん)、1980年代の日本では猫語文化というべきものが花開いた。オタクなるものがまだ世間一般に知られていなかったこの時代、オタク的なものをぎっちり充満させていたマンガ『うる星やつら』(高橋留美子、少年サンデー掲載)のラムちゃん(ちゃんつけるのやめようと思ったけどどうしてもつけちまうのはなぜだ!)は、格好からして猫に近いだけあって、猫語ではないものの猫語に近い言語を使う。「〜だっちゃ」というあの独特のしゃべりがそうだ。この、特定の登場人物の語尾に特定の音をつける手法は、いまだにたくさんのマンガに使われている。その他いちいちあげてったら、とてもキリがない。谷山浩子とのつながりが深いマンガ、矢野健太郎作『ネコじゃないモン!』(ヤングジャンプ掲載)あたりが代表か。 オタク的なものが徐々に認知され、猫耳も猫しっぽも単なる変態プレイの一種となった現在、猫語もすでに単なる変態プレイのひとつと化している。猫語のでてくる小説・映画・マンガのたぐいは、いちいち調べる気にはならないほどたくさんある。いまさら猫語ねえ、昔はそんなもの使った覚えがあるけど(遠い目)……ってなもんだ。猫語で詩・短歌・俳句を書いた人も、おそらくいるだろうと思う。推測だが、絶対いると思う。猫語オンリーの詩集・歌集・句集を作ったひとは、まだいないかもしれない。しかしそのうち出てくるだろう。ま、私はめんどくさいので、猫語詩歌句集をつくる予定はない。 で、ああ、やっと語りたいことを語れる、パクリの問題だ。パクリとは何か。この手の言葉を辞書で調べてもしかたないので、ウェブで調べてみる。はてなダイアリーによれば、パクリとは「1.他人のものをこっそりと泥棒すること。 2.逮捕のこと。 3.他人・他社・他国の製品・作品を真似すること。」なのだそうだ。詩の世界におけるパクリは1または3にあたるだろう。これいいな♪とおもったフレーズを好きなフレーズスレに投稿してもおそらく著作権侵害にはあたらないが、それを自分の詩だと言って世間様に発表すると著作権侵害にあたり、謝罪の記者会見が必要になる。2の逮捕につながりそうな行為が1なわけだ。しかし3となると話が微妙だ。こと文学に関しては。どこからどこまで真似で、どこからどこまでがオリジナルか、誰に判定できるだろう。少なくとも、私には、できない。言葉とはもともとオリジナルなものではない。真実オリジナルな言葉なんか、誰にも伝わらないではないか。オリジナルではなく、ある程度の人数が共有するものであればこそ、言葉は相手に伝わるのだ。 人の考え方はさまざまだから、自分の作品を「これはオリジナルなのよっ」と叫ぶ人がいても私はちっとも気にしない。だが私は断言する。私の作品は私のオリジナルではない。私はものを書き始めた当初から書き替え作家である。私が作品として書くものには、たいてい私が書いたのではない元のバージョンがある。私は引用のカタマリだ。それがいけないことだと、私はちっとも思わない。なぜって私は、私のオリジナリティーを主張しない。私が何をどこから引用してきたかなんて、調べればすぐにわかる。私自身が引用元を明記することも珍しくはない。私は「こっそり泥棒」なんてことはしないのだ。正々堂々と、「いただいてきました」と書く。だって実際にそうなんだからね。ま、誰に言葉を教わったかとか、どこでその言葉を覚えたかとか、そういう細かい話になると私本人も覚えてないしいちいち書くと面倒なので書かないけれど、とにかく私の言葉はぜーんぶ借り物である。私は借り物である言葉を、私の好きに配置する。その「配置」の加減が私のオリジナリティなのであり、実はこの考え方も私のオリジナルではなく、ベンヤミンが主張した「星座」の概念に酷似している。私の詩に「星座」という言葉がでてきたら、お空の星座ではなくてこっちの「星座」であることが多い、しかしそれはここでは余分な話。 私にとって、世界のすべてはパクリである。あるいは、世界のすべては(パクリと呼ばれるものも含めて)オリジナルである。 と、ここまで書いてこの文章を終わりにしてもいいのだが、ホルへ・ルイス・ボルヘスのある小説について書いておきたい。ボルヘスの代表的短編集『伝奇集』に収録された「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」という小説を御存じだろうか? 非常にとんでもない小説である。つーか小説なのかどうかすら私にはよくわからない。まあ短編集の中に入ってるのだから小説だろうということにしておいて、この小説における『ドン・キホーテ』とは、セルバンテスの書いた有名な『ドン・キホーテ』ではない。ピエール・メナールなる20世紀の作家がセルバンテスになりきることで、元の『ドン・キホーテ』と一字一句同じ作品を作ろうとした、という設定の元で書かれた(しかし書き終わらなかった)小説のことなのである。ボルヘスのこの作品は、その、一字一句異ならないはずの2つの作品、ピエール・メナール版『ドン・キホーテ』と、セルバンテス版『ドン・キホーテ』を比較検討してみせた論文、という形式の小説なのであった。 作者名以外全く違わない2つのテキスト。しかしそれらテキストには異なる時代背景があり、異なる文化があり、異なる思惑がある。それを読み取ることは決して不可能ではない。かなり無理矢理だが、不可能ではない。批評家というのは、そんな無理矢理なことを日常的にしているバカのことを指すのだ。 意味わかる? わかんなかったら私のせいじゃないや、ボルヘスのせいだい。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]修羅街の人/チャオ[2004年12月11日13時28分]   それにしても私は憎む、   対外意識にだけ生きる人々を   ―パラドクサルな人生よ                         中原中也 修羅街輓歌より 最近、本屋さんでアルバイトを始めた。書棚を持つことが出来ないからずっと、レジカウンターの前で突っ立ってる。あきれるくらい暇だ。でも、本に関わりたいという少年みたいな願望が、まだ僕をレジカウンターの前に立たせている。 いろんなお客さんが来る。老若男女問わない。でも、持って来る本は、あまり変わらない。そして、お客さんが探している本もいつも変わらない。スーツを着た人は、語学かビジネス。女の人は、旅行か料理、雑誌。そんなものばかりだ。十人十色だとは言うが、住人三色くらいに見えてくる。 僕は、中也のように純粋じゃない。だから、それはそれとしてよしとする。だけど、さすがに嫌気がさすときがある。本に書かれた言葉たちは、言葉のない声を発しはしない。さすがに、苛立ちを抑えることが出来ない。すぐに、名誉につながること、お金につながるものだけが売れていく。もちろんいい本だって売れる。でも、いい本も、偉い人が進めないと売れない。売れてからじゃないと売れない。本の中にひっそりとしまわれた感情を、自分の手で解き放とうとはしない。なぜだか悔しい。言葉を書く側だから?そうかもしれない。でも、そうでないかもしれない。 いつだって、感情論は時代遅れの教師のような扱いを受ける。技術も、理論も排除した感情論なんてこの世に一切存在しないのに。伝えたい言葉があり、それを伝えるべく言葉を駆使し、結局、言葉が死んでしまうこともある。それがいいって言う人もいる。残念だけど、評価されなきゃ食えないこの世に生きて、それをありがたく受け取るほかに手段はないのだ。 対外意識に生きたい思はない。なのにいつだって、誰かの目を気にしなきゃいけない。描きたいもの。受け入れられるもの。苛立ちを、葛藤を、胸中に秘め、吐き出した言葉。それが、売れても、売れなくとも、結局書いた人間はその言葉へ不信を抱いてしまう。「パラドクサルな人生」だ。 大きな波が立たず、波紋が大きければいい。でも、そんな器用なことが一体誰に出来るのだろうか?それでも、それを求める人々の言葉は、名誉や、金に埋もれてもなお、未来へ続こうとする。その世界で傷ついた心を、捨てられた心を、そっと、拾い上げることの出来る読者になりたい。   いま茲に傷つきはてて、   ―この寒い明け方の鶏鳴よ!   おお、霜にしらみの鶏鳴よ・・・・                          中原中也「修羅街輓歌」より ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]時代外れなエッセイ 虫/佐々宝砂[2004年12月11日14時36分] 夏休みは毎年キャンプにでかける。たとえ休みが一日しかなくても無理矢理でかける。わざわざキャンプにでかけなくてもうちは田舎にあるから山のふもとに住んでいるようなものなのだけど、やはり山奥にまで入り込むと、空気が違う。水が違う。植物が違う。住んでいる虫が違う。違いがあるから山奥に入り込みたくなるのだ。自宅にやってくる虫ならほとんどが馴染みの虫ばかりで、いちいち図鑑を見て調べる必要もないのだが、アマゴが泳ぐような渓流近くでみる虫たちは名前のわからんやつらが多くて、図鑑をみてもわからなくて、「おまえ何者だよ」と問いかけたくなる。もちろん問いかけたって答はない。虫は自分が何者なんて考えない。どんな特殊な虫だって、虫は単純に虫として生きている。 今年はばかに小さなアゲハを見かけた。形は間違いなくアゲハ、尾は短め、腹が赤と黒のストライプだったのはジャコウアゲハに似ていたものの、あまりに小さすぎた。モンシロチョウ程度の大きさしかなかった。小さいというだけでもなんだか哀れを誘う蝶だったが、なお哀れなことに鱗粉がかなり剥がれていて、今にも死にそうに思えた。そいつを見かけたのは家族連れの多いオートキャンプ場の中だったから、子どもにつかまえられそうになって羽を痛めていたのかもしれない。こいつどうせもうすぐ死ぬのだろうなと思いながら、私はその蝶をつかまえようとは思わなかった。標本にしてあとで図鑑で調べようとも考えなかった。携帯電話を持っていたから写真に撮ってもよかったなとあとで思ったけれど、写真すら撮らなかった。キャンプ中の私は本当にぼけぼけしていて、おまけにいつでもアルコールが入っている状態なので、ほとんど何の役にも立たない。 小さな謎のアゲハは、タープ中央に吊り下げた電池式蛍光灯ランタンにとまって動かなかった。私以外のキャンプメンバーは、みなバンガローに寝ると言って引き上げてしまっていた。私は一人でテントに寝るつもりだった。テントで寝なけりゃキャンプな気がしないじゃないか。しかしひとりなのであまりに暇だった。本もなけりゃパソコンもない、携帯電話は電源を切ってバンガローにしまいこんである。汚れた食器も洗ったし、鉄板も洗ったし、やることがない。やることがなくても人間は何かをやりたがるものなので、石でつくったかまどに無闇に木ぎれを放り込んで火を熾した。猛暑の都会と違って、午前3時の川辺は肌寒い。たき火はやわらかな熾き火になってほどほどに温かく、心地よかったが、身体が温まったせいか午後七時ごろからずーっと飲み続けていた日本酒が急にまわってきた。さすがにこりゃ寝なくちゃなあと私らしくもないマトモなことを考え、蛍光灯ランタンを消し、テントに入り、寝袋にもぐり込んだ。 トイレに行きたくなって目を覚ましたのは何時頃だったろう。東の空が明るみヒグラシが鳴いていたから、午前5時頃だったと思う。ふらふらと小用を済ませてから、煙草を一服しようと先のたき火の近くに座り込んだ。すると、かまど近くの石に何か小さな黒いものがあった。なんだろうとよくよく見たら、例の謎アゲハだった。熾き火の明るさを恋しがって、明かりの消えたランタンからここまで飛んできて、死んだらしかった。おそらくたき火の熱で死んだのではない。石の表面は冷えていたし、謎アゲハの身体は、焦げたり焼けたり変形したりはしていなかったから。 「飛んで火に入る夏の虫」と言うけれど、この謎アゲハは、火に入ることもなく死んだわけだ。まだアルコールを充分残していた私の脳味噌は、この「飛んで火に入らず死んだ夏の虫」のことを可哀相に思った。火に入りたけりゃ入って焼けてしまえ、焼けて死んでしまえ、その方が本望なんではないか? 私はかまどに残っていたごく小さな熾をウチワであおぎ、薪を継ぎ足した。ぐいっ、となまぬるい焼酎をストレートで飲んだ。さらに熾をウチワであおいだ。炎があがった。また焼酎を飲んだ。それから私は小さな謎アゲハの死体を炎の中に落とした。火は瞬間ちいさくなり、そしてまためらめらと大きくなり、もともと小さなアゲハの身体はあっという間に燃え尽き、紙を焼いたようなぺらぺらした灰になり、風に乗ってどこかに飛んでいった。 虫は単純に虫として生き、単純に虫として死ぬ。そんな単純な事実に無理矢理意味を与えるのは間違いなく私、人間である私だと思った。すこし、嫌気がさした。またも焼酎を飲もうとした。だが、しっかり焼酎を飲み込みきるまえに、うっとこみあげてきた。こみあげたのはもちろん、涙ではなくゲロだ。私は虫が一匹死んだくらいで泣きはしない。それがどんなに特殊な虫であったって。 キャンプ地の朝は早い。近隣のテントの人々は、そろそろ目覚め始めていた。 初出 2004.8. 蘭の会コラム http://www.os.rim.or.jp/〜orchid/column_n/index.html ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]程よく狭い包容力/宮前のん[2005年5月28日20時37分] 先日、医療関係の講習会を聞きに行った。 そこで大阪の老舗会社であるM社という会社で顧問医をしていた精神科医の先生の講義を聞いた。 M社は創業20年の総従業員数500名ばかりの会社だった。だった、というのは平成10年に倒産したのだ。 倒産したM社は京都のK社という巨大会社に吸収合併された。K社は従業員3000名の大手で、MはK社の一部門となった。 倒産する直前まで、かのドクターはM社の医療相談室で10名の鬱病(うつびょう)患者さんを受け持っていた。 毎日数人が医療相談室にやってきては、仕事上の悩みをブツブツと話していったそうだ。 「女子社員にバカにされているようで」「営業に出ようとすると胃が痛む」といった内容の、相談とも愚痴ともつかないカウンセリングを行っていた。 そのM社が倒産して、K社に吸収合併されたのだ。ドクターは一番にまずその10名の鬱病患者さんのことを心配したそうだ。 ただでさえ鬱病でフラフラなのに、その上職場環境が新しく変わってしまったら、そのストレスに耐えきれず、自殺でもするんじゃないか。ドクターはそう考えた。 ところが、びっくりするような現象が起こった。なんと10名中5名の鬱病が治ってしまったのだというのだ。 倒産したM社の社長は、かなり包容力の広い人だった。許容範囲が広く、社員の提案をことごとく受け入れてくれた。 「社長、こういうアイデアがあるんですが」 「やってみればいいよ」 「社長、ぼくはこういう戦略で行きたいのですが」 「いいんじゃないかな」 と、社員の意見を尊重してくれる温厚な人物だった。 ところが、合併したK社の社長はそれとかなり相反する人物だったようだ。 明確な企業コンセプトが打ち立ててあり、それから外れるアイデアをことごとく却下する。 一か月先の努力目標を社員全員に決めさせ、その達成度合いを毎月評価する。そして、目標以外の事はやらせない。徹底した管理主義だったそうだ。 本来なら、包容力のある社長のもとで働く方が鬱病が治りそうなものなのに、実は全く逆だった。 ある一定の狭いコンセプトに乗っ取った企業経営の元で働いた方が、鬱病が治ったのだ。 何でも自由にやって下さい、と言われると、逆に迷う事がある。 たとえばマラソンにしても、コースを決め、タイムアップという目標を定めると、あとは走ることだけに集中できる。 しかし自由にどこにでも行って全部で42.195キロ走って下さい、と言われると、どっちの道へ走ればいいのか迷ったり、距離が気になったりで、逆にタイムが伸びなかったりする。 この迷いが、精神的な不安定さを生み、鬱病の原因を作っていたのだ。 長く続く平成不況の嵐の中で、船(会社)を沈めずに岸までたどり着かせようというのは並大抵ではない。 もし船員(社員)が、「僕は右に行きたい」とか「僕は左回りで行きたい」とか言う希望を口々に言って、船長(社長)がそれをいちいち許していたら、船は岸辺にたどり着けない確率が高くなる。 あっちにフラフラ、こっちにフラフラする船に乗りながら、船員たちはジワジワと不安感を募らせることだろう。 だが、「舵取りは私船長がする。目標はあの島だ。あそこにたどり着くために有用だと思われる手段があれば、意見を取り入れよう。だが、目標はあくまであの島だ。」 これぐらい船の方向性が決まっていれば、そして基本コンセプトに沿う内容であればどんどん意見を取り入れる姿勢であれば、船員は一丸となって島を目指すだろう。 トップに立つものは、程よく狭い包容力を持つべきなのだ。それはたぶん、会社に限らず。 もちろん、船員の意見を全く取り入れないぐらい船長がワンマンであれば、逆にストレスが高じて、船員は暴動を起こすかもしれない。 こだわりがきつく、人の意見を聞かない人ほど孤立するからだ。 だが、適度に狭い包容力というのは、目的や目標を絞り込むことになり、またそれによって、全員が結束を固めるという結果を生むことになるのだ。 人の意見を聞き過ぎた結果かどうかは判らないが、温厚な社長のM社は倒産した。 そして、K社は今でも順調に営業成績を伸ばしているらしい。 こだわりを持ち過ぎるのはもちろん、こだわりがなさ過ぎるのも、どっちもいい結果を生まない。 やはり両極端な偏りのある考え方は、控えた方がいいような気がする。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]昔の駄文「他者の発見」/佐々宝砂[2005年10月29日16時38分] 戦争の話をしたもんだから、私が16歳のとき書いた詩を思い出した。意識的に詩を書きはじめて2作目の詩である。  「所有者」 あたしはいつだってあたし自身のものだと彼女は思っていた。彼女の思想が通用せぬ時代があったことを学んではいたが、彼女は、それはあくまで彼女とは関係せぬ昔語りであると信じて疑わなかった。そして彼女は、閃光を浴び最期の瞬間を迎えたときでさえも、気付くことがなかった。彼女の生きる時代もまた、過ぎ去ったあの暗い時代と大差ないのだということを。 彼女の膨れ爛れた醜い肉体は、今や誰の所有物でもない。 これを書いた時、世界は冷戦まっただなかだった。1984年のことである。私は切実に核戦争がこわかった。世界は終末の一歩手前だと思っていた。私は死ぬ、みんな死ぬ、世界は終わる。切実にそう考えて、私はひとつの結論を得た。 「私は私のものではない」 私に思想らしきものが生まれたのはこのときである。この散文詩がいい散文詩だとは思わないけれど、この散文詩は私にとって大切なもの、迷ったとき立ち戻るひとつのポイントとなった。これが私の基本なのだ。私は私のものじゃない。私という人間は、私にとってさえも他者なのだ。当然のことながら、この結論に到る前に、私は「他者」というものを発見している。 いつからそうだったか思い出せないけれど、私にとって「他者」という概念は自明のものだった。私以外はみんな他者だ、そして「他者=私でないもの」があるからこそ、私は「私が私であること」を確認できる。そして私自身もまた、他者から見れば他者である。アッタリマエなんだけどねえ、こんなこと。 しかし、せばさんが言うには、これは普通そんなに自明のことではないらしい。普通のヒトは、恋愛を体験してはじめて「他者」を発見するらしい。そんなもんかと思って、ちょっとびっくりした。私にとっての「当たり前」が他者にとっての「当たり前」じゃないのは「当たり前」なのだが、忘れてた(笑)。自分だけを基準にモノを考えてはいけません、またも、自戒自戒なのだった(笑)。 私が他者を発見したのは、たぶん、私が周縁にいる人間だったからである。首都に住んでるわけでない。田舎に住んでるがその土地で生まれたわけではなく、なんとなく、除外されている。女である。子供である。地理的に周縁に住み、その周縁にある小さな共同体のさらに周縁に住み、男性中心の社会にとっては周縁にある女性の世界に住み、さらに周縁にあえて言えば下位に位置する子供の世界にいる。しかも私は趣味が風変わりだった。そして身体が弱かった。だから私はみんなと遊べなかった。子供の世界の中でもさらに周縁にいた。それが私だった。 子供という点を除けば今もそんなに変わりはない。むしろ、広い世界を知ってしまったので、周縁にいるという意識はさらに強くなっている。私は黄色人種(白人中心の視点からすれば周縁)で、日本人(西洋中心の世界からすれば周縁)で、クリスチャン(現在の日本人の多数が無宗教か自覚のない仏教徒であることを考えると周縁)だから。 周縁にいる私は「中心」を想像した。自分がそこに属しているとは思われない世界の「中心」を想像した。想像しないでも周縁で生きてゆくことはできる。狭い世界で自分の位置を確保していれば、そこが自分にとっての「中心」であって、自分以外の「中心」のことなど考えなくても生きてゆける。しかし私は狭い世界の中ですら、自分の位置を確保できなかった。心臓が悪くて外で遊べなかった私の世界は、子供の世界ではなく、本の、活字の、物語の世界にあった。そしてその世界の「中心」にあるものは私ではなかった。どう考えてもそうではなかった。だから私は、恋愛を体験する前に「他者」を発見せずにいられなかった。 子供のときの話なので、なかなか思い出せない。順序だって理路整然と考えたことでないとは思う。しかしとにかくこの「他者の発見」が、私という人間の、また私の詩作の土台になっていることは確かだ。最近になるまで忘れていたくらい下にある土台だ。私はそこに立ってものを言わねばならない。      * * * 恋愛についてちょっとだけ。恋愛以前に「他者」を発見していた私に恋愛がもたらしたものが何だったかって、それは、私を好きになる他者もいるとゆー驚愕である。それは今もなお驚きだ。あんまりビックリしちゃって泣きながら土下座したくなるほどだ(笑)。他者が私を排除するとは限らない。私を受けいれてくれる他者、私と似た他者、私に受け容れることのできる他者がいる。私はまだそのことに慣れていない。慣れた方がいいのかどうか、決めかねている。 私はときどき、頭が真っ白になるような歓喜とともに、私は孤独ではないのだと感じる。それは恋愛とは無関係なのだけれども、恋愛で「他者」を発見した人には「恋愛のようなものだ」と説明しておいた方がわかりよいだろうと感じる。 2002. ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]夜警/MOJO[2005年10月29日19時33分]  日が沈みかけたので金庫の現金を数え、出納帳に記した。数十円の誤差は、自分の財布から補填し帳尻を合わせた。電気、空調のスイッチをオフにし、扉に施錠しエレベーターのボタンを押す。エレベーターはがらんがらんと音をさせながら私のいるフロアまで昇ってきた。一階に降りるまで、まだ仕事をしている同僚が乗ってくることはなかった。  晩飯は会社から最寄の駅までの道沿いにある蕎麦屋で済ませることにした。この時間になれば、かつては毎晩のように上司や同僚と酒を酌み交わしたものだ。学生のころは、居酒屋の隣のテーブルで熱く語る背広姿の者たちを嫌悪したものだが、自分が背広を着てみると、会社帰りの居酒屋でするのは、やはり仕事の話だった。  蕎麦を啜り、勘定を済ませ店を出ると、日はすっかり沈み、街は暗かった。歓楽街のネオンが歩道に反射し、私の影と交錯する。いつものことだが、駅のホームで電車を待つあいだ、ここに立っている者のなかで、唯一自分だけが孤立している、との思いに囚われる。  混雑した車両に乗りこみ、つり革に掴まる。車窓に流れる民家の灯りはいつも私の孤立感を募らせた。つい先日、カソリックを信仰する作家のエッセイを読み、不覚にも涙を滲ましてしまったことを思い出す。  明日は神経科の医者に通う日だ。処方された抗うつ剤が効くことに愕然としたのは、もう遠いむかしのことであるように思えた。あちこちの神経科で様々な薬を処方されたが、いま服用しているものは、一分が何事もなく過ぎ、六十分が過ぎ、二十四時間が過ぎる。そんなふうにもう二年ちかくが過ぎていった。血圧の高い者が薬を常用するようなものさ。そうたかを括っているが、一方ではそれでは済まない、済むはずがない、と囁く声も聴こえる。  日付が変ってから、眠剤を服用し、ベッドに入る。目を閉じて暫らくすると、いつもの如く異形の者達がベッドの周りによってくる。彼らは毎夜現れて、私についてあれこれ語り合う。 「こいつ、案外しつっこいな、この期におよんで、自分は何か創造できる、と想っているみたいだ」 「まったく図々しいやつさ。未だに自分の居場所が見つからない、なんて寝ぼけたことをいう」  私はしばらく彼等の会話を聴いている。彼等の表情は段々凶悪なものに変化してきた。ある者は赤く濁った眼がつり上がり、口が耳まで裂け、黄色い歯の奥が黒ずんだ赤だ。またあるものは頭部が異様に大きく、眼の黒い部分が胡麻粒ほどしかない。  衆目に晒されて断罪。  そんなキイ・ワードのような一節が私の心中に流れてきたが、なおもすると手足が弛緩してくるのが実感できた。つまりはもうすぐ眠ることができるらしい。しかし眠れる、と意識した途端に異形の者達の囁き声が壊れかかった冷蔵庫のモーター音の如く私の神経を刺激する。  夜警である。  私は眠れぬ自身をそう規定した。野営するキャラバンの一員として歩哨に立ち、交代の者が来るまで眠ることは許されない。  暗い天井の染みが地図のようだ。圧政に耐えかねて、約束の地カナンへ旅だった人々の、荒涼とした行路に想いをはせながら、眼はいっそう冴えてくるのだった。  来なくても一向に差し支えないが、朝はやってきた。魍魎どもはいつの間にか去り、私は僅かだが眠ることができたようだ。  私は目覚める直前まで女と一緒にいた。夢の話である。女は日当たりの良い部屋のベッドに身体をSの字に曲げ横たわっていた。その耳もとに女の名前を囁くと、女はSの字のまま手を伸ばし、人差し指の先で私の胸の辺りに触れてきた。もう一度名前を囁く。指先が伸びてきて私に触れる。私の心中は甘味なもので満ちていた。  そんな断片を書き写そうと、枕の脇に置いておいたメモ帳を広げたが、何も書かず閉じてしまった。すぐに出かけないと神経科の予約した時間に間に合わなくなるのだ。私は洗面もそこそこにデイパックを担ぎ部屋を出て、駅までの道を急ぎ足で歩いた。  寝覚めてすぐに服用した抗うつ剤が効き始めてきたのだろう。休日のプラットホームはとてものどかに感じられた。部活に向かう少女たちの嬌声や赤子をあやす若い母親の声をぼんやり聞くうちに、クリーム色の車両が速度を下げながらホームにすべりこんできた。  車両内は空席が目立つ。デイパックには数冊の文庫本と一冊のハードカバーを入れてきた。文庫は偏愛する作家の短編集やエッセイで、ハードカバーはこれから診せに行く医師の著作だった。半年ほどまえに、時たま訪れる古本屋の、心の健康、なる一角で見覚えのある著者名を見つけ、手にとり著者紹介の頁を確かめると、私が二週間に一度通院する医師の顔写真があった。しかし私は未だにこの本を読む気にはなれない。  待合室の扉を開けると、くの字型のソファーには初老の男が座っていてた。スポーツ新聞を読んでいる。私は男から離れたところに座った。バロック調のピアノ曲に耳を傾けていると、化粧室の扉が開き、若い女が出てきた。表情を窺うと、明らかに苛々しているのが見てとれる。  女はソファーに座ったが、ものの数十秒で立ち上がり、再び化粧室の扉の前に立った。濡れティッシュで丁重にドアノブを拭いてからなかに入り、しばらくすると不機嫌な貌で出てくる。ソファーに座る。再び立ち上がり、ドアノブを拭く。なかに入り出てくる。診察室から呼びだされるまで、女は延々とその行為を繰り返した。  女が診察室に入ると、私は初老の男に目を移してみた。しかし禍々しいことが起きてしまったあとに、残された者同士が共有する、あの奇妙な連帯感はそこになかった。男の視線の先は四つに折りたたんだスポーツ新聞だったが、記事の内容などもう上の空であるに違いない。見てはいけないものを見てしまったことへの恐怖感。それが起きたすぐ近くに自分が居たことへの嫌悪感。かつて初めて私がこの待合室を訪れたときに覚えたと同質のものを男は感じているに違いなかった。  名を呼ばれ、診察室へ入った。 「いかがですか?」 「はい、あい変らずです」 「眠剤を減らす検討はしていただけましたか?」 「色々考えましたが、やはり従来通りの量を処方していただきたいです」  検討の余地などないが、とりあえずそう言ってみた。 「分りました」  医師はそれ以上は何も言わず、処方箋を書いてくれた。  神経科の入っている雑居ビルの、大通りを挟んで反対側にある薬局で、処方箋と薬類を交換し、そのまま自宅に戻った。途中、自宅近くのコンビニで弁当を買った。遅い昼食だが、それがきょう初めての食事だった。  今夜もあと数分で日付がかわる。眠剤は既に服用し、そろそろ手足の関節に脱力感を覚えはじめてきた。私はいま、ここ最近入り浸っている、インターネットの某巨大掲示板に書き込みをしている。しかし徐々にキーボードを叩く指先がおぼつかなくなってきた。  ベッドに横たわる時間がきたようだ。異形の者達は今夜も来るのだろうか。奇妙なことに、私は挑むような心持ちになってきている。  部屋の灯りを消し、身体をベッドに横たえた。暗い天井を見上げ、昨夜は地図のように見えた辺りに目を凝らす。手足が痺れ、周りの空気が重く粘ってきた。アフリカ大陸のような形の染みが、今夜は女の横顔のように思えてくる。暫らく見つめていると、横顔は陽炎がたったように輪郭がぼやけてきた。  そういうことか。  私は先の展開が予想できた気がして苦笑した。そのうち横顔が何か言いだすに違いない。陳腐な演出で登場するからには、それなりのことをしてもらいたい。横顔に孔が開き、それが目となり私をじっと見つめている。私も目を逸らさない。今夜の私は好戦的である。  しかし横顔は何も語ろうとはしない。そろそろ焦れてきたころ、物音にはっと我に返った。枕もとに置いた雑誌が床に落ちたらしい。天井の横顔はただの染みにもどっている。拍子抜けしたその瞬間、開かれた状態で床に落ちた雑誌が、ばたばたと音を立て宙に浮いた。暫らくベッドの周りを飛ぶうち、雑誌は白い鳥に化け、カーテンの向こう側に入りこんだ。 「意気地がないな」 「ああ、想像力も幼稚」  異形の者達がいつの間にかベッドの周りで囁き合っている。 「でも、最近は素直になってきているな、ついこの間までは、かたく目を瞑り、耳を塞いでいたものな」 「そろそろ見せてやるか」 「今夜は何にする?」  彼等はとても穏やかだ。その会話に耳を傾けるうちに、私は澄んだ水のような心持ちになってくる。  ランドセルを背負った二人連れの男の子が、商店街を抜けたところの掲示板のまえまできて足を止めた。学校帰りだろうか、二人が見上げる先には、きのうまではなかったポスターが貼られていている。カーキ色の制服を着た屈強そうな男が敬礼していて「自衛隊、隊員募集」と大きな書体で書かれている。 「かっこいいね、あれ」 「うん、かっこいい。ジェット機とか操縦するのかな」 「ジェット機、操縦したいの?」 「うん、したいな」  二人は掲示板から離れ、歩きだした。 「きのうの国語の作文、あれいやだったよな」 「べつに。巨人に入りたいって書いたよ」 「なんか、なんにも書くことがなくて、こまっちゃったよ」 「将来の夢って題で、まえにも書かされなかったっけ」  そのとき二人の後ろからベルが鳴る音がし、黒い学生服姿の少年が漕ぐ自転車が二人を追い越していった。  作文が嫌だ、といったのはかつての私であるらしかった。はるか彼方の「将来」にたどり着くまでには、来年からは、とりあえずあの自転車の少年のように黒い学生服を着るのだ。そう思うと眩暈がしてくるようだった。 「まてよ、小学生の抱く感慨にしては、妙に可愛げ気がないぞ」  疑念が生じたと同時に目が覚めた。  異形たちはもう姿を消していた。喉が渇いているが、身体が鉛のように重く、起き上がり台所まで行く気にはなれない。時計を見ると、そろそろ雀が鳴きだす時間だ。私はしばらく暗い天井を見上げていたが、染みが何かに化けることはなかった。  「シュリム、シュリム…シュリム」  手足が弛緩して重い。心臓が脈打つごとに、こめかみで、首筋で、血液の循環を知覚できる。  シュリム、それが私に与えられた聖句だった。  カーテンを閉め、灯りを消した部屋で、椅子に座り、私はひたすらその一語を心中で唱えている。眼は閉じている、というよりも、瞼の裏側を見つめている、といったほうが正しいかもしれない。さっきまで右の瞼に貼り付いていた猿の異形は、私が決して眼を逸らさないことに嫌気がさしたのか、姿を消してしまった。次第に吸う息がみじかく、吐く息がながくなってくる。冬眠中の熊が見る夢のなかにでも入りこんだような、そんな悠々とした気分で、私は想念の海を浮遊している。  眠剤を服用するようになる、ずっと以前の話である。  ある日、クルマを運転しながら、何気なく聴いていたラジオ番組に、テレビドラマでよく見かける役者がゲストとして出演していた。  自分は役者であるが、じつは瞑想者でもあり、最近瞑想についての本を出版し、きょうはそのキャンペーンのためにやってきた。瞑想の実践は極めて簡単で、機械が作動するが如く自動的に無我の境地に導かれる。そのときの脳波を計測すると、修行を積んだ禅僧が、座禅を組むさいに発する脳波と同じ性質のものである。この瞑想を実践するうち、日々を穏やかに過ごせるようになった。  私はその役者の話に甚く興味をもった。その頃、雑踏にまぎれて交差点の信号で立ち止まると、信号が変わってもいつまでも動き始めることができずに立ち尽くしてしまうことがおこり始めていた。当時は神経科で診察を受けることなど、まったく念頭はなかった。この何処からやってくるのか分らない厄介な現象を、追い払う手がかりがその瞑想者の話しにあるように思ったのだ。  その日、所用を済ませた私は、帰宅する途中で書店に立ち寄り、瞑想者の著作を買った。翌日には電話で面会の予約を取った。  数日後、私は花束を抱え、都会の片隅にある古びた集合住宅の一室の扉のまえに立ち、呼び鈴を鳴らした。応対にでた者が某と名のり、電話で話した人物と知れた。グレーのスーツを着た、植物質な印象の男だった。部屋のなかに入ると、シタールの音色が静かに流れていた。床も壁もリフォームされてから日が浅いのか、建材や接着剤のにおいが強く残っていた。ソファーに座り、所在なさげにしている私に 「迷わなかったですか?」  コーヒーカップをテーブルに置きながら、男が柔和な表情で話しかけてきた。 「はい、勤め先がここから近所ですから、この辺りはよく知っています」  私は自分の声が必要以上に大きいことに気づいた。緊張している。しかしその男は表情を崩さなかった。 「そうでしたか、花束をお預かりしてもよろしいですか?」 「どうぞ、これで良かったですか?」 「はい、と言うより、花なら何でもいいのですよ」 「やはり、あれですか。俳優のAさんの影響は大きいのですか?」 「どうでしょうか、この教室では、あの本を読まれておいでになった方は、あなたが初めてです」 「時間はどれ位かかりますか?」 「小一時間ですが、後にご予定がおありですか?」 「いえ、そういうわけではないのですが」  私は言葉を繋げずにいる。 「では、そろそろ始めましょうか」  男は立ち上がり、私から受け取った淡い紫色の花束を祭壇の上に置いた。祭壇は、ヨガの行者のような、この瞑想方法を世に広めた人物の顔写真が、小机のうえに掲げられただけの簡素なものだった。  男は祭壇に向かい、片膝を床に付け、眼を閉じた。左手は胸に置き、右手は虚空から何かを捕らえるが如く、顔写真のまえで微妙に位置を変えながら、掴んだり開いたりを繰り返している。私は男の左斜め後ろで、座布団に座り、男のする一部始終を眺めている。男が聴きなれない外国語で何やら呟きはじめた。一瞬、ここへ来たことを悔やむ気持が生じたが、効果がなければ、体験そのものを捨ててしまうだけのことで、そう考えれば、大した間違えではないように思えてきた。 「あなたのマントラが決定しました、シュリム、です。さあ、眼を閉じて心のなかで唱えてください」  私は、男のリードに従い、たったいま決定した私の聖句を唱えた。  シュリム、発音し難いが、音声はないのだからべつに構わない。シュリム、シュリム、シュリム、シュリム…シュリム……身体の芯が暖かくなってきた……シュリム、シュリム、シュリム……。 「はい、静かに眼を開けてください」  男の声で我に返り眼を開けた。全てがどこか青みがかって見えるような気がする。 「いかがでしたか?」 「はい、なんだか、身体の芯が暖かいです」 「いま、リラックスした気持になっていますか?」 「どうでしょうか。ところで、シュリムとはどういう意味ですか?」 「どうしても、とおっしゃるのならお教えしますが、マントラは意味を知らない方が集中できます。あなたはいま、二十分ほどのあいだ、眼を閉じ、静止した状態を保っていたわけです。長く感じましたか?」 「いえ、ちっとも。むしろ短かったです」 「短く感じたのなら、あなたは既に瞑想者です。マントラに対して疑念を持たずに唱えたから、二十分があっという間に過ぎたのです」 「言われてみると、目を閉じて二十分じっとしていろ、と命じられたら、苦痛でしょうね」 「マントラの意味を知れば、そこへ意識が向きますから、初めのうちは、意味を知らない方が良いのです」 「分りました、気が向いたら自分で調べてみます」  部屋からでて、大通りを歩きながら、たったいま起きたことを反芻していると、地下鉄の入口から花束を抱えた女がでてきた。私は冷水を浴びたような気がしたが、その女には決して視線を向けずにすれ違った。  こうして私は瞑想者になった。しかし半年経ち、一年が過ぎても、心に平穏はやってこなかった。そればかりか、瞑想中にふと視線を感じ、気配のある方へ神経を向けると、シュール・リアリズムの画家たちが描くような、目鼻立ちのバランスがはげしく崩れた者がじっとこちら見ているようなことも起こりはじめていた。  私とベッドの周りに寄ってくる異形たちとは、こうして出会ったのである。                       〈未完〉           ・左記カフカの掌編に触発されて書き出しましたが、どうにも纏まりません。  夜に沈んでいる。ときおり首うなだれて思いに沈むように、まさにそのように夜に沈んでいる。家で、安全な屋根の下で、寝台の上で手足をのばし、あるいは丸まって、シーツにくるまれ、毛布をのせて眠っているとしても、それはたわいのない見せかけだ。無邪気な自己欺瞞というものだ。実際は、はるか昔と同じように、またその後とも同じように、荒涼とした野にいる。粗末なテントにいる。見わたすかぎりの人また人、軍団であり、同族である。冷ややかな空の下、冷たい大地の上に、かつていた所に投げ出され、腕に額をのせ、顔を地面に向けて、すやすやと眠っている。だがおまえは目覚めている。おまえは見張りの一人、薪の山から燃えさかる火をかかげて打ち振りながら次の見張りを探している。何故おまえは目覚めているのだ? 誰かが目覚めていなくてはならないからだ。誰かがここにいなくてはならない。               「夜に」F・カフカ 池内 紀訳 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]夏のおわり/イシダユーリ[2010年3月7日17時50分] 夜、真っ暗な中、なにもないような山間の道をえんえんと走った。連れと、ここを二人で走ったら、どんな二人でも、恋に落ちるかもね、と話した。人生について語らなきゃいけない気がするからね、と言った。そして、いま、この時間にも、様々な都市で、音楽や芝居、ダンス、映画、そういうものが何億と行われているかと思うと、とても不思議な気持ちになった。ただ、生活していればいいのに、どうして、表現やら芸術やら、そういうものを語ったり、やったり、するのだろうな。この、飢えみたいなものはなんだろうね。わたしは、ずっと、ただ振動、ただ運動、ただ震え、ただ痙攣、ただ、ただ、そういうものになりたかった。そういうものになれるときやものや空間があると信じさせてくれるものが好きだった。それはいまもだけれど、それっていったいなんなんだろう、ほんとうにそんなものがほしいのかな、いつも、うまくいかなかった試みで、いま、ただただ暗い道を行って、これは人間が作ったものだ。いったいなんなんだろう。と。言った。いつも、失敗する試みを。いつも、仮想する試みを、求める、のは、どうして、なんだろう。卑しいと思いながら、それが純粋なものだと思っていて、けれど、それはいのちのやることじゃないとも、思っているのだから、いつもだめだ。 日本人が信仰するのは「ち」だと思う。 それは、血と地だけれど、それを強烈に身に受けるわけじゃない。空気に血と地を位置づけて、それを信じる。嫌がりながら信じる。そうしたら、具体的に位置づくものは神や仏ではなく、祖先だろう。とにかく祖先を信じることはできる。そしてそれが嫌でも間違いでも、いや間違いだから嫌だから信じる。空気の中にはいつでももう死んだ誰かの祖先が漂っている、それは絶対に誰かの祖先なのだから、感じつづけなければならない。いやおうなく分断し繋げ分断し繋げる。感じつづけているから不安で怖いけれど、感じつづけないのならなにもないのと同じだから。わたしの抗いはいつも、そこからなんとか切り離されたいと願うこと。ほんとうにひとりで生きること。わたしの自責は、その空気を吸って吸い続けて感じつづけているのに、それに満たされようとしないこと。ただのプールだと思おうとすること。 ちゃんと連なりたい、けれど、逃げ出したい、ずっとこれだ。 それは曖昧な匂いでしみわたるものなのだから、身体は壊れない。 けれど、よくわからないじゃないか、どうして壊れないのか。血で地のはずなのに、どうして裂けないのか。もうはっきりとは形を成していないからいつまでもある。 都市では、振動が宇宙とつながろうとする。 祖先ではないルーツを口に出して、音にして、物語にして、空気をすっとばして、真空を信じて、つながろうとする。 毎夜、毎夜、行われる。試み。 わたしは、ただ運動になりたくて、なんにもないのなら、ほんとうになんにもなく、そこにあればいいと、思っていたけれど、そんなのは比喩じゃんか、くだらない、それはもういいじゃんか、十分やってみたじゃないか、試みてみたじゃないか、結局どうにもならなかったじゃないか、と声に出して言ってみたところで、なにも変化がない。あるのは飢えのような空白、飽和した肌色。 結局、わたしはかみなりにうたれない。 いつも、気づいたふり、わかったふり、転換したふり、決意したふり、気がすんだふり、なにもないふり、なにかあるふり、ぜんぶポーズ。 本当はいつもおなかがすいている 足りてない なにもかもが 一番 足りてないのは 打ちのめされることだ 打ちのめされないのは どうしてだろう なんだろうね 逃げてんのかな ああ ちがうな やっぱり強度の問題だ 強度が足りないんだ だから いつも思っている 強い力が わたしを もう許して 助けて 逃がして 死にたくないって 言うことしかできなくなるようにしてくれればいい 次の日には 泣くだけに そして その次の日は 手足を ばたつかせるだけに そして その次の日は まばたきだけ その次の日は すっかり 止まる そして そうなる前に わたしが どういう手をつかっても 逃げ出そうとするのならば  もしくは 完全に 誰もに 忘れ去られて 捨てられて  その時に 全部つかって 誰かを 繋ぎとめようとするならば わたしは まだ わたしを 信じていられるのかもしれないのにと思う ただ運動 ただ振動 ただ震え ただ痙攣 ただ瞬き そんなものに わたしがなれるはずがない ただ そうなりたいと あがくだけで もし それを 誰かが みせてくれるなら なんだって なげうろう どんなところにだって いこう と 思う けれど そんなんじゃねえだろ もう とも 思う もう すっかり わたしは わたしを 信じていないし わたしのもとにある からだが ほんとうに哀れで ごめんなさい わたしなんかの からだで もっと ちがう人の からだだったら よかったのに と 思う だから からだだけは なんとか 生かしてあげなくちゃって さいごまで なんとか 嫌な気持ちなんか 計算しておさえて なんとか ちゃんと だから  わたしは 卒業して 仕事があるところへ どこへなりとも行って 仕事をすればいい わたしのことを 知っている人 付き合いがある人 知らない人 これから 会う人 どんなひとも みんな みんなは それぞれ 好きにやるのだろうし わたしは 目の前に ひろがる 一方向の時間の上に ただいるだけでいい 時間は過ぎるのだから ただそれだけなんだから 感情を もっとも 揺り動かすのは 生理と 天気 生理は いつか なくなって 天気は ただ 記録されていく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]割れない卵/亜樹[2010年4月19日0時00分]  夜、寝たくないので夜更かしをする。面白くもないテレビをつけたまま、渇いた笑い声を聞いて、インターネットで開くだけ開いて、ぼんやりとしている。日付が変わって、頭が痛くなってきたら、寝ることにしている。パソコンの電源を落とし、電気を消すと、とたんに眠気はとんでしまう。仕方なく、遠い昔の失敗を思い出して、もう会わない人に謝ったりする。  朝、起きたくないので限界まで寝る。平日はそれでも仕事があるので、時間に間に合うように起きてはいるが、休日は本当にひたすら寝ている。起きたときには頭が痛い。活動するのは昼過ぎで、それもそんなにすることがない。掃除をして、洗濯をし、食事を作って、それでお終いだ。三時のおやつを食べてから、することがないのでただぼうっとしている。昔はそんなときは本を読んでいたのだけれど、最近は視力がひどく落ちて、活字を読むのが辛い。一日に何度も目薬をさす。眼鏡をかけてもあわない焦点に、また頭が痛くなる。  休みの日に何してるの?、と聞かれると困る。  何もしてない。  一日の半分以上は寝てる。  眠たいわけではなくて、他にすることがないから寝てる。  それでも時々、どうしても眠れない日がある。そんな日はゆで卵を作る。  冷蔵庫の中からあるだけの卵を出して――といっても、多くて五個だ――固めのゆで卵を作る。  煮沸する湯の中で、ぐらぐらと煮て、時々掻き混ぜる。卵の殻がこつこつと鳴る。  湯だったそれを冷水にかける。そうしてできた細かなヒビに、爪をかける。  ぽろぽろと落ちる白い欠片を見ていると、なんとなく眠たくなる。  固い殻を剥いでも、その中にあるのはしっかりと弾力をもった、卵である。  そのことに安堵する。中身はまだ守られている。  産まれない雛たちの安全を確認してから、私はまた布団にもぐりこむ。 ---------------------------- (ファイルの終わり)