田中修子のおすすめリスト 2018年5月26日16時14分から2018年6月24日22時25分まで ---------------------------- [自由詩]ふたつつむじのゆくえ/そらの珊瑚[2018年5月26日16時14分] 通夜のさざなみ 鯛の骨がのどに刺さって 死んでしまうなんてね 或る死の理由が 人の口から口へとささやかれ 悲劇 重力がない世界では シャボン玉も落ちてはこない だから 永遠に虹を映して さまようしかないのです シ二ボタル 夏に光る虫のいくつかは もうすでに死んでいて 死んでいることに気づかずに 光っているから かごに閉じ込めてはいけないよ 浮遊する祖母の遺言 初夏 空白をぬりつぶしていくと 一日が終わる すり減ったクレヨンの分だけ 今日の画は重く 飛び立った雛のぶんだけ 巣は軽い ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]元気/水宮うみ[2018年5月26日19時56分] たとえ、評価されなくても、たくさんの人に読まれなくてもいい。 僕はただ、誰かの心に残る言葉を書きたい。 僕のなかに言葉を残していった彼らは、僕にとってとても大切な人達で、心のなかでずっと輝き続けている人達で、 彼らのような存在に僕はなりたいのだ。 誰かを少しでも、元気づけられる言葉が書きたい。 だからこうして今日も、元気に言葉を綴っています。 ---------------------------- [自由詩]脱ぎ捨てて/若原光彦[2018年5月28日1時17分] わたしの手は ぱたぱたと飛んでいきたかろう 耳もまた できるなら連れだちたかろう あるいは別々の方向へ行きたかろう 肺も海へ行きたかろう ひがなぷかぷか浮いてみたかろう 臓物どもは川がよいかもしらん 池の水ではあきたらんだろう ほほや眼のことはわからぬ やつらは大概むすっとしている だが顔の総意としては ぼとりと落ちてしまいたいだろう こんな主人のもとでやっていけるかと わたしを懲らしめる暇がほしかろう みんな 行っといで こんなことを言ってはいかんだろうかな すまんがな 行ってらっしゃいな しばらく しばらくといわず気が済むまで 気が済むどころかせいせいするまで あやまちおかしに行っといで わたしのことはいいからさ お前に慰めてもらうつもりはない 二度と戻るかよ馬鹿 と怒鳴ってまずちんぽこが出ていった それから荷が降りるたぁこのことですな とご挨拶して肩がころころ遠のいていった 毛がばっと四方の物陰へ失せ 歯は爪を引き連れて風に舞った 唇は背骨の胴上げにさらわれていった 神経はなぜかわざわざ他を押しのけた みんなみんな離れていった 心臓と脳だけがぷるぷると残った おまえらも行っていいんだよ とわたしは言った やさしく発したつもりだった どこへ と片方が吐いた なぜ ともう片方がそえた わたしは ここで待ってなきゃならんからね おまえらしたいこと何もないとしても じゃあおつかいを頼めるかな わたしのかわりに ちょっと震えてきてもらえんかな 片方が承知しましたと答え だが不服なのだとわたしにはわかった もう片方がすぐ戻りますと述べ そうはならないだろうとわたしにはわかった わたしはさあさ行ってらっしゃいと笑い そんなこと笑ってやしなかった しばらくして けさ出たくしゃみと名乗るのがやってきて 退屈やらあ居とろうげえと告げた それからうんこだの汗だの大勢やってきて 大好きでしたとかどうとかほざいて わたしを取り囲みぼこぼこになじった 咳だけが加わらず遠巻きにうっとりしていた なるほどこれは退屈しないな とわたしは思った わたしはそうは思わなかった わたしは わたしから静かに離れた わたしによくない気がして あるいは どこへ行こうかと考えて いなかった いようもなかった ただひとつだけ あった そうだ わたしだけの墓に めぐりあいにゆこう もしあえたなら わたしはその墓の墓になろう ---------------------------- [自由詩]黒くはるかに/若原光彦[2018年5月28日1時17分] ありとあらゆる愉しいもの 俺の前に待て 俺が死んだ翌日に咲け 昨日のことなど打たせてしまえ 喪失を喪失したひどさ伏せて 地上をきれいにしてしまえ 違和感を殺し合え またありとあらゆる苦しみごと 俺の前に待て 俺をおどらせ俺にくらわせ 手持ちのかなしみや怖じけをふるえ さとい俺にはよく効くだろうとも 俺は嬉しくてたまらない 訪れのしなりがその炙り漿水が 甘くてうまくてこそばゆい 俺へ書き写される光栄に どこまでも不可知な禍福ども 俺の宇宙に棲まえ そしてありとあらゆる穏やかなもの 俺の前に広がれ 俺のものすぎて捨てたやつと つねに思い違いさせろ 透いたどくろが到頭きたか のびた日影がじゃらけたまでか 看過ごすぐらいに引きつけて襲え 一般にそれは歓喜とあだされ 俺はなんたる卑劣と猛ぶ ---------------------------- [自由詩]そこが始まりとするなら辿ってゆくだけのことだ/ホロウ・シカエルボク[2018年5月29日21時43分] 冷たい水が流れてゆく先は ここよりもっと暖かいところだろう 冷たい心が流れてゆく先は ここよりもっと冷たいところだろう 名もない小さな流れに右手を浸して 青い星の温度を知る 景色はしっとりと口をつぐんで ここに俺が居ることなど意に介さない 地平に穿たれた 槍のように真っ直ぐな木々は 先を争うように空を目指して ただでさえ心許ない梅雨時の空を隠す その空が教える歌は きっと俺には判らない言語だろう その空が見下ろす世界は 波ひとつない凪の海のようなのっぺりとしたものだろう 身体は汗をかいているのに 風は骨に届くほど冷たい 迷い込んだ道の終わりは 「もうなにもない」と語るように こちらに向けて開かれたふたつの手のような低木だった ---------------------------- [自由詩]静止性/ただのみきや[2018年5月30日18時43分] 流れ出た血が固まるように 女は動かない 動かない女の前で暫し時を忘れ 見つめれば やがて そよ吹く風か 面持ちも緩み ――絵の向こう 高次な世界から 時の流れに移ろい漂う 一瞬の現象でしかない わたしを眺めている 叩かれて扉を開けただけ たぶん 画家も彫刻家も こちらに流れ出るには 静止性こそ相応しい 生々しさと普遍性を併せ持つ 人を引き寄せて止まない作品たち 時の流れを覗く箱眼鏡         《静止性:2018年5月30日》 ---------------------------- [自由詩]赦しのあめ/朧月[2018年5月30日20時48分] ふっているのに ふっていないとあなたが言うのなら ふってはいないのだろう あめは濡らすばかりではないから あなたと私に ただ触れてゆくあめもゆるそう ---------------------------- [自由詩]ご利用は計画的に/徘徊メガネ[2018年5月31日0時00分] 無責任 無計画に人は産み生まれてくる 父は初め父ではなく 母は初めから母である 境界線があるようだ 個でありながら個を生む どちらにも言える事なのに 境界線があるようだ 母は初めから母であり 父は初めから父である事を望まない 無責任 無計画で人は産み私は生まれた ---------------------------- [自由詩]薔薇と神様/卯月とわ子[2018年5月31日15時10分] 貴女は 手の届かない高い処に咲く花だった わたしは貴女を見上げて その美しさにため息していた そしてその先の空を見上げて 雨が降るように祈っていた 貴女が枯れてしまわないように 愛をもたらす神様を探していた たっぷりと貴女の根深くまで染み込むような 愛を降らせる神様を 神様は突然現れた 貴女を深く深く愛する神様 貴女はより一層輝いて美しく わたしはまた貴女を好きになったんだ そして貴女を愛してくれる神様を愛した 神様は優しくて わたしの心にも花を芽吹かせた まだ生まれたばかりのこの子は 貴女のように美しく咲くだろうか 小さな花でも構わない 今日もわたしは貴女を見上げています ---------------------------- [自由詩]Inorganic(性質など関係ない)/ホロウ・シカエルボク[2018年5月31日22時52分] 俺の無機質を食う お前の無機質を食う 俺の無機質はスイートで お前の無機質はデリートだ 俺は気に入らないものには手も付けないが お前はまずいものでも残せない性分だ ずっとそうだった そして これからもそうだろう 俺の不均一を食う お前の不均一を食う 俺の不均一は粒状で お前の不均一はどろりとした半固形だ 俺は矛盾の姿を知っているが お前は矛盾をあるべきではないと思っている ずっとそうだった そして これからもそうだろう 食らったものたちが胃袋のなかで蠢き、形を変えていくさまを 幾種類もの筋肉の動きで感じながら生きたことがあるか それはお前の思っている知とは違うものだ お前の言う知とは抽斗を綺麗に整頓出来るとかいうことと同じことだ 俺は血の動きで知る お前が知らぬまま流している血の動きで 食い尽くされた皿の上には 書かれることがなかった詩のような空白が乗っている 見えるものには片付け辛いシロモノだ こともなげにそれをシンクに持っていくのは決まって いままで目にしてきたどんなことをも 深く考えたことがない世界の奴隷たちだ 空っぽのテーブルが語ることはなにもない そこにはなにかが用意された形跡はないからだ しいて言えば片付けられた過去が少しの間 雨のあとの景色に漂う 薄い霧のように流れていくだけだ 見ろ、お前の目の前に広がる景色を それを空白と取るも何かの準備と取るもお前の自由だ 選択と結果はイコールではない どんな道をどんなふうに進もうと、結局 お前そのものが深層で求めているなにかに近付いていくだろう 見つめようとすることさえやめなければ 断ち切ろうという決意さえしなければ… すべての食事が終わったあと、食卓は二度と準備されなくなるだろう シンクはがらんどうを約束され、二度と片付けられることはなくなるだろう 定義すら意味を失くす世界がそこにはあり もしかしたらそこは永遠に 閉じられた扉になるかもしれない さあ、目を閉じろ なにを食らおうと生きていくことが出来る 飲み込んで それがどんな作用を及ぼすのか あらゆる感覚のなかで確かめるといい そこには制約はない 生きようとする本能があるだけだ 本能が選んだものが細胞に染み込んでいくさまを 感覚のなかで確かめるといい 蠢いているか? 奥底で 片隅で 忘れられた記憶のなかで 飲み込んできたいくつもの いくつもの愛おしい破片 緩み、形を変え、溶け込み、混ざり合って お前の未来の一部と化けていくものたち あたたかな色も つめたい色も 等しくお前を生かしていく いつかまた出会うだろう 初めて出会うみたいに 抑えた調子の挨拶を交わして… そうしてお前は 俺の無機質のことも少しは知ることが出来るだろう ---------------------------- [自由詩]棘/暁い夕日[2018年6月1日10時21分] 棘の生えた心だ もう、侵食されて、棘の生えた魂へ 伸びた棘を削るのは 友人 伸びた棘を取るのは 嫁 伸びた棘を刈るのは 母 周りの人に支えられる若い介護 情けなさは通り越して 甘えてしまっている自分の棘 一人で転がって、苦しんで 棘なんて取り払ってしまえばいいのに 俺のバカ! いつまでためらってるんだ! 丸くなったら、大好きな子供へ会いに行こう 棘が取れたら、大好きな嫁に告白しよう なあ、もっかい見捨てないで、 なあ、もっかい俺の人生を一緒に 泳いでくれないか? ---------------------------- [自由詩]六月の朝はまどろむ/そらの珊瑚[2018年6月2日11時07分] 薔薇の散るかすかなざわめき 酸性雨はやみ コンクリートは少し発熱している 大きな海で貝は風を宿し 小さな海では蟻が溺れる 波紋はいつだって 丸く 遠く 対岸で鳥はさえずり ポストはチョコレート色にぬりかえられ 影の縫い目はほどけかかっている 鍵を失くした錆びた錠前 レコードの溝をたどる針の鋭さに 反比例する やわらかい音色 この世の歌たちに言葉など求めなければ 昨日 地に垂直に下ろしたはずの わたしの錨が いとも簡単に かしいでいく ---------------------------- [自由詩]エデンのジグソー/ただのみきや[2018年6月2日21時00分] 男がエデンの欠片(ピース)をひとつ拾う 女もひとつエデンの欠片を拾う 二人は寄り添い夢を見た 悲しみも争いも飢えもない 身も心も裸のまま 愛し愛される生活を 男がまたひとつ欠片を拾う 女も拾うまたひとつ欠片を 男は男のエデンを求めて 女は女のエデンを集めた エデンは広い 二人の夢より遥かに 互いの欠片はいつまでも繋がらない エデンを知る者は誰もいない ただ夢見るだけ 素足で走り後を追う無邪気な二人 ひび割れた鏡から立ち上る仮象 男は自分の幻を追っていた 女は自分の幻に追われていた 完全だった楽園の 完成しないジグソー 誘惑と裏切りの地 呪いを受けて追放されて 貧しさと労働 病と死 男は現実の女と 女は現実の男と暮らした 今は遠いエデンを時折夢に見ながら かつて二人は生き抜いた エデンを夢見よ 豊穣なる実りを 神の恵みを想え 瑞々しい果実の香り 果実より尚甘く続く蜜月のままの愛を そうして現実の中で擦り切れた心を 諦念の包帯でぐるぐる巻きにして 生きよ かつての二人のように エデンの欠片をポケットに入れたまま 死こそその門口と想えるまで 涙枯らした屍になるまで 苦しめよ 人よ 憧れ故に                《エデンのジグソー:2018年6月2日》 ---------------------------- [自由詩]わかったように言ったところで/ホロウ・シカエルボク[2018年6月4日0時41分] 近頃はなんだかテレビで誰某があんなこと言ってやがったとか政治家が遊んでたとかどこぞのスポーツでひどいラフプレーがあったとかでたんびに炎上とかなんとかでボサっと座ってテレビ観てるぐらいしか能のない烏合の衆が馬鹿でも出来る一四〇文字程度のつぶやきで聖人君子みたいな口ききやがっておいおいいちばん醜いみっともないのお前らだぜなんて独り言ちている今日この頃でございますがさて梅雨でございます、梅雨だというのにああいった連中は飽きることもなく変わらずじめついた真似を繰り返しておるわけでございますがさてどういったわけで彼らはそういう真似をしているのかと言いますとこれが簡単なことでございまして、早い話手軽に自分がひとかどの人間であるという風に思われたい、ただそれだけのことなわけです、もちろんそんなことで誰かが「おう、あいつはもっともなことを言う、きっと怖ろしく頭のいいやつに違いないぞ」なんて思ってくれるわけもなく、そもそもそこら中でそういう程度の人間が似たようなことを似たような言葉でつぶやいてるわけですから取り立てて目立つわけもなく、ただただ時間の流れに埋没していくのみでございます、でもそれじゃあ連中納得しませんわな、そうなるとどうなるかと言いますとこれがまた簡単なことで延々と延々と同じことを繰り返すわけでございます、まるでそういう風にやっているといつか自分が勝つのではないかと信じているかのような有様で、いや実際信じていないとああした馬鹿げた真似は出来ないのでございましょうが、それにしても連中の口ぶりときたら一ミリも進化することはなく、もういっそのこと同じ文章をコピー&ペーストで毎日貼り付けてればいいんじゃないのなんてわたしなんか思うわけなんですけどもね、さて、そんな連中の中にももちろん千差万別、いろいろな人間が居るものでございますがひとつ、共通していることがございます、お分かりになりますかね?そう、「自分を見ない」という部分です、手前はそんな偉そうなことを言うけれども、自分のやってることはいったいどういうものなんだい、他所様に対してそんな偉そうな口がきけるのかいというね、そういうところなんですね、要するに自分に目を向けない分、他人様のことが気にかかる、他人様になにかしらモノ申したい、そういう方向へ情熱が向くというわけでございます、これね、面白いものでございまして、自惚れとかね、自信過剰とかね、そういう言葉があるでございましょ、そういうのともちょいと違う、連中ハナから自分に問題があるなんてこと思ってもいないんですよ、あいつこんなこと言いやがった、あいつこんなことやってやがった、とんでもねえ野郎だ、とっちめてやる、そういう考えの中に自分という存在はいっさい存在しないとこういうわけだ、要するに画面を見てる、ギャラリー、視聴者、そういう思考ですわな、手前は画面のこっち側に居るからそっちの出来事とはまるで関係がないんだ、そういう風に位置付けているというわけで、もちろんこれ、正しいことじゃございません、他人様を正すことが出来るのは正しい人間、そういう人間のみでございます、ではその正しい人間というのはいったいどういう定規ではかったものなんだいといったようなクエスチョンが当然産まれてくるであろうと思いますが、これは非常に面倒なものでございまして、あらゆるジャンル、あらゆる土地、あらゆる年代にそれ相応の正しさというものがございます、まあざっくり言ってしまえば、モラルとかマナーとか、そういうものを持ちながら流動的に変化している、そういったものでございます、イデオロギーというのは本来そういうものでございます、なぜなら、人は人生の間変化あるいは進化、そして深化をし続けるものでございます、お題目なんかを決める人生は嘘っぱちでございます、預金が趣味の人に例えれば、それは預金残高のようなものでございます、貯めて貯めて貯め込んでも、より貯めたいものでございましょ?人間が生きるテーマというのもおそらくはそういう風に追い求められていくものなんじゃないかとわたしは思うわけでね、ですからね、正しい人間なんていうものは、他人様に向かってやいやい言ったりする暇なんかないんですよ、命尽きるまで追い求めていかなくちゃいけないわけですからね?ですからみなさんね、ああいうのカッコいいとか思っちゃ駄目ですよ、ありゃあ生きる時間を無駄にしてるだけですからね、きちんと自分の人生に目を向けて、いま自分がどういう人間なのか、そういうところをきっちりと知る方がきっと先々人生楽しいんじゃないかとわたしなんかそうおもうんですけどねぇ…そうそう、コーヒーかなんかのCMであるじゃないですか、いろんなジャンルの売れっ子に目標を尋ねるっていうの、あれ、ユーチューバーとかそういう輩はすぐ「世界」って言うでございましょ、「世界中の人を笑顔にすることです」とか、「世界一の音楽家になることです」なんてね、すぐ世界って言いますね、これがアスリートの方なんかになりますとね、「毎日成長していきたいです」って言うわけですよね、非常にね、勉強になるコマーシャルでございますよねぇ…と言ったところで、今宵はこれまでにしたいという風に思っております、みなさまの目標っていったいなんですかね?もしよろしかったひとつ教えていただきたいですねぇ…。 ---------------------------- [自由詩]ホトトギスの木/ただのみきや[2018年6月6日19時57分] 道路が出来て分断されて この木は孤独に真っすぐ伸びた 辺りの土地が分譲されて 真新しい家が茸みたいに生えてくると 繁り過ぎた木は切られることになった ざわざわと全身の葉を震わせて 震わせて木は ただ立っている 六月にしては暑い日だった 太陽の斧が振り下ろされて 影はすでに静かに倒れている ホトトギスが一羽 このごろは居座っていた 身を擦り寄せるようにして てっぺんかけたかー そう 鳴こうとするが 舌が回らずにどもってばかり 言いたいことが言えなくて 鳴けども泣けども伝わらない 心を鎮め 想いを込めて 木の葉に隠れて叫んでみるが 応える声も仲間もなく 暑さに唸る蝉ばかり ホトトギスの言葉は解らなかったが 木には それが 声のない自分の心の声に思えた 日の光も届かない懐の奥深くから 悲しく 苦しげで どこか陽気で 訴えるような節がある 自分が歌っているのだと思った 鳴かねば殺すと言うのなら 鳴いてもいつかは殺される 不愉快だからと我慢がならぬと 被害者面して殺すのか 鳴かせてみせると言う者は 鳴きたくなくても鳴かすのか 騙して脅してお世辞を言って 拷問してでも鳴かすのか 鳴くまで待つという者は 鳴いたら最後やって来て 自分の手柄と言うだろか 自分のものだと言うだろうか 何十年も前のこと 雑木林を削り道路は出来た こちら側に一本 孤独に真っすぐ伸びた木は 今日 切り倒される 全身の葉が細波立った 懐深くホトトギスはやっぱり 言葉足らずの舌足らず鳴けども泣けども 蝉たちは無表情で読経を続ける 業者のトラックがいま到着した               《ホトトギスの木:2018年6月6日》 ---------------------------- [自由詩]草の歌 ?/flygande[2018年6月7日5時02分] くさきりはら橋、火に包まれる。燃え上がる?(ぶな)、椎、樫の森、火事のさなかにも岩魚は泳ぎ、水の中でなお炎上する。腹を見せれば狐に食われ、背中には芥子の膏(くすり)が塗られる。大火は山を焼き払い、あとには煤けた骨だけが残った。夜明けは青く、朝の雨、骨の隅々まで染み渡り、細切れになった命は土へと流れて隠される。飢餓の鹿は栗を求めて焼野原をうろうろ歩き、炭となった切り株を踏み砕いては膝を折る。川の水はようやく冷たく、渡された倒木を渡りながら、かえすがえす、この向こうには、霞む目のこの向こうにはと、春を望んで幻視する。新芽は秘匿された命の告白。やがて水辺から野は始まる。 くさきりはら橋、切符を切る。渡行者は四つ足に始まり、二つ足、三つ足、六つ足、七つ足、十四足、百足、百二十八足を数える。足のある者は足で渡る。足のない者は足を借り、足を返すと腹ばいになってまた山へと消える。その体に手を振り彼らは彼らの体と別れる。その心に手を振り彼らは彼らの心と別れる。洞(うろ)で生まれた子鹿を連れて母鹿が渡りに来るけれど、橋のたもとでくすぶっていた蚯蚓(みみず)に最後の足を貸してしまう。風は親子を優しく包み、その膝下からまた野を始める。首だけを動かして食む野いちごは口の中で腐っている。 くさきりはら橋、石を積ます。長い雨季の終わり、地獄の入り口は涼しい河原。閻魔は夕餉を摂りながら子供たちにひとつずつ石と食べ物を分け与える。清らかな水を含むから、稗(ひえ)の重いこうべは深く垂れ、風が立てば穂波はさざめき、農具を担いだ鬼たちを振り返らす。鬼角は額から頬へとやさしく根を張り、悲しげな眼球を抱いている。さて、積み石遊びは子供の領分。鬼たちに手引かれて笑い声。小さな手と手は不揃いな賽を組み上げる。生きていることはほがらかな罰。死んでいることはさびしい許。やがて屈曲しながら彼岸へと向かう、橋梁とは地から始まり地に終わる祈塔。石の隙間から一輪の竜胆(りんどう)、新しい水の味を確かめている。岩上で休む野猫の片目は潰れ、ときおり白い宇宙がこぼれている。 くさきりはら橋、足音を知らせる。からだを失っても気付かない幽霊医者は患者をさがしていつまでも歩けども、歩けども続くのは青空と道ばかり。魚獲りを辞めた漁村では蜂や花がせわしなく勤めあげ、村人は病を眺めながら濃く熟れた西瓜を吸った。かつて握った患者たちの掌のつめたさあたたかさ。海はきらめき、波がどこかで破砕する。岩に腰掛け、幽霊医者は聴診器を空に宛てる。その存在感は畑に吸われ、森に吸われ、雲に吸われ、やわらかなことは残酷だった。ならば石橋だけが摂理に反し、さびしい幽霊の足跡(そくせき)を数える。北(kita)、事(koto)、簡(kan)、夙(tsuto)、紺(kon)、菌(kin)、疹(shin)、天(ten)――文字は橋から浮き剥がれ。やがて来る雨は豊かな構文を湛え。 くさきりはら橋、堰に沈む。紫陽花、風に膨らむ蜘蛛の巣、ブロンズの牛、観測者、ことごとく水の底で言葉を失う。水面は鏡となり、真昼の銀河を映し出した。空では映せない鳥が水の影を飛行し、水では映せない魚が空の向こうへ泳いでいく。送電塔のてっぺんに腰掛け、閻魔は遠くの山を見遣る。呼びかけても声はなく、問いかけても応えはなく、断じても抗うことをしないから、みずすましと肩を抱き合い、溶けないバターをいつまでも舐めている。堰内に遺物を捨てた者は五年以下の懲役もしくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。古びた法律は挽歌のように、人を守らず、人を裁かず、人のかたちをただ悼む。切なさに目を瞑れば、天から無数の廃棄物が剥落し、新しい酒瓶、砕かれた位牌、灰色インキのカートリッジ、静かに、あるいは音もなく、飛行船の残骸、発火する電子レンジ、色とりどりの宝石のように降り注いでは、深く沈められるための罰を探して息を吐く。 くさきりはら橋、陰を貸す。借料には利子が付き、かならず花を添えて返さねばならない。橋の下には蝶が休み、蛇が休み、人が休み、機械が休んだ。打ち捨てられた車の空席には医者が座り、橋の裏側を見上げてはすこし眠る。天国は過去を置き去りにし、地獄は過去を慰めた。だから病はもう探さない。骨髄に忍び込んだ小間切れの命が肉を突き破って芽吹くなら、この体からもういちど野を始めたい。小石がひとつ崩れ、乾いた頭骨をこつんと打つ。眉間から一輪の竜胆が咲く。大事なことはみな深い場所に埋められて、忘れられたころ春になる。借金取りは鹿の姿をし、債務者たちを正しく花野へ連れていく。 くさきりはら橋、橋を渡る。やがて村は終わり、橋脚は崩れ、礎石は割られ、土塁は破れ、水は枯れ、鳥達は散会し、あとには空だけが残される。夜、見上げればそこに橋はもう無く、はじめから闇であったもの、いつしか闇となったもの、暗い宇宙に炭酸のように溶けている。ここに佇み、私が夜を見上げている。どこからとなく現れた孤独な蛍が、どこへともなく消えていく。その残照に私は私が私であったことを知る。草切原橋、それはこの風。草切原橋、それはこの夜。体と心を交換し、どこへともなく消えていくための。私の背中を誰かの角が優しく掻く。隠された水脈のありかを伝えたがって。振り返らず、ただ謝辞を述べて私は息を引き取る。朝になれば光を走らせ、緑の塋域(えいいき)どこまでも拡がっていく。私たちみなこの墓場から生まれた。足を返し、水色の蛇となって新しい野を探しに行く。目を開いたら、その空にまた伸びやかな名前をつける。 ---------------------------- [自由詩]不運も幸運もすべてシャッフルしたような雨上がり、ひとり洗濯機を回す。/そらの珊瑚[2018年6月7日9時34分] 朝から珈琲をぶちまける。おそらく私が無意識にテーブルに置いたカップは、テーブルのふちから少ししはみだしていて、手を放した数秒後引力の法則によって、まっとうに落ちた。……なんてこった。一瞬の気のゆるみが、惨事をまねく。小さい頃からそれは幾度となく体験しているはずなのに、まるきり学習していない。まだ半分覚醒していない脳内に、それはこだましていく。半分覚醒していない脳は、無理やり起こされた腹立ちで、理由のない怒りを産む。なんでおまえは珈琲カップをテーブルにちゃんと置かないのだ。ソファーはまだいいとしよう。革は拭けばなんとかなる。問題は、コタツ敷きだ。もっと早く片付けておけばいいものを、ずるずると6月まで出しっぱなしにしておいた罰なのか。神様はきっとなまけものがお嫌いなのだろう。そもそもコタツを出すのは嫌だったんだ。コタツの魔力で、家族はトド化して(特に娘)寝たら最後起きてくれない。そんな訳で、ここ数年コタツは出していなかったのだが、去年の12月頃、押入れの奥から娘がコタツ一式を引っ張りだしてきた。そうだ、娘だ。全ての始まりは娘の行動からだったのだ。だけど娘はこの4月から家を離れて、ここにはいない。 「誰かのせいにしてはいけません」すっかり覚醒した脳内に、誰かの声がする。神様か、いや、違う。かつて、小さかった娘が何かやらかして、私がそう言ったのだった。私の声だった。もしかすると母の声でもあった。 だけど、こんなしょうもない朝でも、冷静になってみれば、いいことも見つかる。このコタツ敷きを買う時、汚れの目立たないような黒っぽい柄にしておいた事。白色を買わなかったことは幸運だったし、お気に入りのカップは無傷だ。 数年前に割と大きな洗濯機に買い替えたので、コインランドリーに行かなくてよいことも幸運のひとつかもしれない。 神様がいるかいないか、多分死ぬまで知り得ないだろうけど、遠くで啼く鳥の声は、なんて美しいんだろうと思う。やはりどこかに神様はいるんじゃないかって思う瞬間。神様の、まにまに。有名なオペラ歌手の歌より、無名の鳥の歌の方が素晴らしいと思う瞬間。おまけに、無料。うっかりしてしまったことが、もしかすると即命取りになる世界では、誰のせいにもしないでただ生きているから、だろうか。 鳥が啼いているから、たぶん今日は晴れそうだ。 ---------------------------- [自由詩]さよなら/たもつ[2018年6月8日18時16分] 僕に関係の無い人が笑っている 僕に関係の無い人が泣いている 僕に関係の無い人が風に揺れている 僕も少し風に揺れながら口を開けて あの日のことを思い出そうとしている あの日、が何のことなのかも もう思い出せないのに さよなら 幸せになることばかり考えてた ---------------------------- [自由詩]亀裂/ただのみきや[2018年6月9日18時01分] 亀裂が走る 磨き抜かれた造形の妙 天のエルサレムのために神が育んだ 光届かない海の深みの豊満な真珠と 人知れぬ絶海に咲きやがては 嫉妬深い女の胸を鮮血のように飾る珊瑚 その両方から彫られたのか 濁ることも混じることもなく一体の女神像に 亀裂が走った 鍛え抜かれた鋼の意志 処世の鎧を身にまとい 働き続けて止まることなく戦車のように突き進む 積み重ねられた日々が城壁となり 守ってくれるはずだったが 間者がいるかのよう 内から聞きなれない悲鳴 それが自分の声と気付かないまま 亀裂が走る 卵の殻より脆く蛹より薄い 上澄みが被膜化しただけの 美しいペルソナが萎んで往く 手にしかけた言葉を掴み切れず一息の風が漏れた 女の素肌を包む 喜怒哀楽綯交(ないま)ぜの 透き通った衣のよう なよやかな匂いが 赤錆びた血に変わる                 《亀裂:2018年6月9日》 ---------------------------- [自由詩]終末/本田憲嵩[2018年6月17日20時07分]      ※ 死の匂う、音を聞く。だいぶ疲れているのだろうか。考える人のようにソファーに座り込んで、夕方に近い、昼下がりのつよい陽射しに少しうつむく。それは沈んでいる、僕の罪悪そのもの。不意に、朽ちた老木が倒れ込む寸前のような、あるいはそれは、一家の没落への道に吹き付ける、ひとひらの風として、そのまま直結しているかのような、父の深いため息。      ※ (この古ぼけた駅はまるでオレそのものだ。かつてこの市(まち)の炭鉱から採れた石炭は、もはやとっくの昔に時代遅れのものとなり、それさえも底を尽きてしまった。目の前にひろがる北の大通りの店さきどもは、生ぐさい潮風で錆びついたシャッターを常に降ろしてしまっている。オレは半ばゴーストタウンとなった市(まち)の駅そのものだ。視えもしないものを描きたがった結果がついにこれなのだ。オレはかつての昭和の栄光をとどめたまま朽ちて風化した残骸だ。そしてもはやそれ以下の存在だ。なぜならば本当はそんな栄光すらも何ひとつとして有りなどはしないのだから。ただただ日に日に老いて朽ち果ててゆくばかり。あの幣舞の橋から見える、あかい夕映えは世界でも三番目ぐらいの美しさだ。オレはもはや――)。      ※ この夕暮れ時に、ひとときの、安堵とさびしさ、とのあいだで、時のながれを 溯る、瞳の中を 泳ぐ、俎板のうえ かなしい、小魚たち、台所に立つ 萎んだ、母の背中、そのように、拙く、頼りない 水道水は、かぼそく、揺らめいて、ガスコンロの火、さえも、寂しげに、揺らめいて。 小さな、四角い、窓からは、まだ、葉をつけていない、冬の裸の老木、木は、たとえ倒れても、春 に、なれば、また、葉を、茂らせることが、できるのだと、また 生きてゆくことが、できる のだと。あるいは、西の窓 から滲む、紅のまぶしさと、温かさ、そのように、包みこむ ことが、 もしも もしも、できる のなら、 このような、やさしい、夕暮れ 時に、 もしも できる、のなら、      ※ 週末、太陽とともに、最後の炎を夕空に燃やしている、夕刻を告げる、モノラルのスピーカーの懐かしいフレーズ、祇園精舎の鐘の音のような近所のお寺の鐘の音、そして電線に集結しているカラスたちの焔のようにけたたましく赤い鳴き声、それらの音が一斉にあべこべに混ざり合う。不協和音で構成されたきわめて短いひとつの曲を奏でる。西窓から射し込んでくる赤い光に照らされている、子供のように老いた母、老木のように老いた父、そして老いの戸口に立たされた僕、三人で丸いちゃぶ台で食卓を囲む。「いただきます」まるで世界の終末の最後の光景、そのもののように。(西窓から外界は、落ちてきた太陽によって、真っ赤に燃えている、燃えている、)。 ---------------------------- [自由詩]まっさらな海へつながる/そらの珊瑚[2018年6月19日8時36分] 雨の音のくぐもり かえるの声は少し哀しい 遺伝子を残すために 自分とは違う誰か 或いは 自分と同じ誰かが必要なんて 生きていくことは 素敵で 残酷だね 結ばれない糸は 螺旋を繋げず ほろんでいくだけ 手のひらを丸くすれば 耳を覆うのに ちょうどいい もちろん 刹那の水をすくってみたっていいけれど 次第に耳の中はもやいで 水平線を見失う わたしは今 どこを歩いているのだろう 少女はアトランティス大陸を想う 彼女の手にはまだ薄い水掻きが残され 透明な痕跡 子守歌みたいな いくつかのメロディしか知らない 現実はくぐもり 失われたのはどっちなんだろう 目を閉じて 泡立つ渦の歌に包まれる ---------------------------- [自由詩]錆びる/青の群れ[2018年6月20日23時02分] 嵐の到来を伝えるラジオの音 突然の雨がアスファルトを冷やす 雲が覆い尽くした赤黒いアーケードを足早に歩いた 湯気のように霧散していくこともなく ただじっとりと身体に纏わりついている ぐずぐずになった靴 心地いいところに吐息をかけて 泳いだ目の波間を縫う 隠れた太陽を待ちわびて 時計の長針が十二回ぐらい回るあいだ 布団から出ないような季節 触れ合うだけが娯楽だった 増えたり減ったりするビニール傘には だれにも所有権がない なんでも防水にしないでね 錆びて使い物にならないくらいがちょうどいい 豪雨に投げて終わりにしよう 消えた電話帳、あの人の誕生日だけ覚えてる 自然災害みたいなものでした ---------------------------- [自由詩]6月のぬりえ/tidepool[2018年6月24日1時03分] 雨のにおいがする 一年ぶりの青紫を滲ませて 水たまりは歌う いいな そうだ きいてよ わたし ほんとうはクラゲに生まれて 不老不死の体で漂っていたかった けれど わたし は wqTasgihw」 msda: sginitsjun@%々?×÷々:×」→\ あれ 今日はちょっとうまく吹けないや ごめんね ほるんさん わかるよ 荒波の間から 使い回しの命がこちらをみていること いいよ でも この汚れた皮膚を 骨を 細胞を ひとつ残らず解体して 海に溶かしてよ 来世でも きみの好きな色が 青色でありますように ---------------------------- [自由詩]生温い風邪の週末/ホロウ・シカエルボク[2018年6月24日22時25分] 狂った世界の鼓動からは もう受け取るものはなにもない 梅雨の晴間のウザったい午後に 少し前に死んだ詩人の詩を読んでいる 俺の世界は幸か不幸か たいして変化してはいないが 本棚に並んでいる本やコンパクト・ディスクには もうこの世には居ない人間の名前の方が多くなった 時間というものが確かに存在しているのならば きっとそんなふうに現在を植え付けていくのだろう 記憶が未来を構築する まだ熱いコーヒーを急いで飲み干してしまって せっかく冷えた汗がまた吹き出してくる もうそんなことを気にしてもしかたがない 気にしなければならないことは他にたくさんある 珍しく風邪を引いて この三日間考え事もままならなかった ただ咳をしては鼻を啜りあげ ヴィデオ・ゲームに精を出していたのさ たくさんの人間を殺した ディスプレイのなかで 爆薬で吹っ飛ばしたり 火炎瓶で燃やしたり 戦車で引き潰したりした ゲームにはあらゆる罪状が記録される 殺した警官の数 殺した民間人の数 破壊した車の数 撃墜したヘリコプターの数… その他もろもろ あらゆる罪状が記録される もしも戦争ならそれは成績と呼ばれる 判る?言ってる意味 巷はとことん青臭い まるで誰かのあけた穴を突っついてりゃ 人間として一人前だと言わんばかりだ やつらの口はきっと 虫歯だらけに違いないぜ 自分を見て欲しくてしかたないんだろう 中身のないやつは喧しく吠えるものだ 昔俺は 読みかけの本をそのまま閉じるのが好きだった 栞など挟まなくてもいいと思っていた どこまで読んだかなんてすぐに判るから― そう、そんなことはずっと忘れていたんだけど これを書いてる途中で急に思い出したんだ だけどいまはきちんと挟んでるってことは きっとそんなに重要なことじゃなかったんだろうな 本を読むときに必要なことは そこになにが書いてあるのかきちんと読み取ること 字面を流し見て判ったような気になってるやつらが増えたぜ きっとSNSの仕業なんだろうな 優れた文章には二つ以上の意味が必ずある テキストの読み方しか知らないやつが口を挟んでいいものじゃないのさ 昔はみんなそういうことをちゃんと知っていた 今じゃ詩人にだって知らないやつがごまんと居る 俺はそいつらを捕まえて なあ、間違ってるぜ、なんて忠告したりしない だってそんなやつら 俺の詩には関係がないからだ 別に道を急いでいるわけじゃないが 回り道をするような気分じゃないって感じかな 他人を巻き込むことを前提に書いてるようなやつらは ひとりになるとなんにも出来やしないのさ 「はじめぼくはひとりだった」なんて、古い歌があるけれど ひとりでなくっちゃ書く意味なんかないだろう それはコミュニケーション・ツールか否かとか メッセージとか否かとかそういうことではなくて まずは自分がどんなものを書こうとしているのか 本能的に知っているのかどうかってことさ 言葉に出来るかどうかなんてどうでもいい 知るべきことを知っているかってそういうこと はじめは勘違いでいい、俺だって最初はそうだった なんだっていいんだ 続けていれば自ずと判ってくるものだからさ ちょっと待って、エアコンをもう一度つけてこなけりゃ まったく今頃の夜は調節がし辛いね そして、そう 同じフレーズを何度使ったって構わない ひとりで書けるやつは 馬鹿のひとつ覚えとは無縁なものさ 同じ歌を繰り返し歌っても同じ歌にならないように 同じ詩だって違う詩になったりするものさ 同じ詩が同じ詩にしかならないものは 技術に囚われてるかそもそも才能がないってだけの話さ そう、囚われるのはよくない、テーマにも、技術にもね そして、自分自身にも 禁句を作っちゃいけない 禁則を作っちゃいけない 踏み込んじゃいけない場所を作っちゃいけない 紙と鉛筆さえあれば誰にだって始められるものに 御大層な名目なんて必要ないのさ パンク・ロックと同じようなものさ ジョニー・サンダースのチューニングは人任せ だけど彼は自分が弾くべきことを知っていたから… 狂った世界、ひどく湿気ている シャツが汗で滲むことに悪態をつきながら なにも出来なかった休日をいくつかのフレーズで縛り付ける 鼻水はもう垂れてこないし、咳もずいぶんマシになった 明日は仕事でひどく汗をかくだろうし 気が付けば風邪なんて治っているかもしれない たまには具合でも崩してみなけりゃ、そうさ 本も読めない時間にイラついてみなくちゃ 人生には落とし穴が必要だ 自分で掘ったっていい たまには落ちてみればいい あらゆる物事には 違う視点ってものが存在するんだぜ ---------------------------- (ファイルの終わり)