佐藤真夏 2010年11月4日3時11分から2014年12月14日20時18分まで ---------------------------- [自由詩]ぷろぐらむ/佐藤真夏[2010年11月4日3時11分] せかいのあちこちに 内緒で敷かれている 内緒の線路を走行する 打ちっぱなしの コンクリートの でっかいとんねるは せかいの中身を くり抜きながら こわれた部分を直して 通り過ぎる 風の吹く速さで いま わたしを飲み込んで 踏みつけることもなく 通り過ぎた 踏切が降りる音に似た 空気を切る音が、一瞬だけ 聞こえた バグが バグが生じ バグがわたし わわわたしがせかいのバグに にににいなったたたたた 日 ととんねるが 走行しま、しました カンカン 飲み込まれている 通り過ぎたら なにも変わってはいません のに そう言われても教えられてももも、しんじられ ない チガウから 違うのでしょう ここには 在 った くるうほど いいもの そんざい あいしてる やわらかい 血が雨 ちがう 食べられたの せかいのおくちに せかいのおなかで ただしく 溶けたのかな 泡わわわたしは いつだって 正気なのに ---------------------------- [自由詩]割愛/佐藤真夏[2010年11月9日18時54分] かくかくしかじかで 魚の骨が喉に刺さっているからどうにかならないかなって食卓を挟んで彼が言う。 かくかくしかじかで 多分どうにもならないんじゃないかなって私は箸を口に運びながら、そんなことよりも かくかくしかじかで あなたが好きだから結婚しましょうと言う。 それなら かくかくしかじかで お金が必要だけど、どうにかならないかなって左手でお椀を持ちながら彼が言う。 かくかくしかじかで 多分どうにもならないんじゃないかなって私は箸を持ち直して、そんなことよりも かくかくしかじかのせいで 夕飯がおいしくなくなるから早く食べようと言う。 それならかくかくしかじかを止めたいんだけど、どうにかならないかなって魚を口に運びながら彼が言う。 かくかくしかじかで わたしたちには時間が足りていないからどうにもならないんじゃないかなって私はお茶を注ぎながら、そんなことよりも かくかくしかじかで 結婚しましょうよと言う。 ---------------------------- [自由詩]とりっぷ/佐藤真夏[2010年11月24日20時13分] 指の先で三日月が伸びる夜 まるまるふとった空に ふぁんたじいを映して げんじつが困ってしまうような視線で見た明日の 嘘 熱烈な   * 光を集める目のなかを 飛んだひこうき よーいどんで降る みえないばくだん 犯人は戻らなくて エンジン音に髪が絡まる 罠 点々と ---------------------------- [自由詩]湯船/佐藤真夏[2010年12月11日19時08分] 1 水が 押し寄せている。 2 外は、寒いからね、 3 蓋のない瓶の中に 私と 君と 泡と、埃と 唾を 浮かべて 4 恥らいを捨てたあと 5 固まるのを待つように 眠って。 ---------------------------- [短歌]sorekkiri/佐藤真夏[2011年1月4日23時51分] 白雪に赤い水飴垂らす頃 あの子は少女と呼ばれていたか 目の前を振り子がとおる 催眠を 迂闊に噛んではいけない指が 灰皿の上に広がる砂景色 嬉しかったね、呼吸すること お風呂場のひかりを落とす 海の底 プランクトンのことだけおもう 停電のはじまるとこから漏れていた小さな声が稲妻だった ---------------------------- [短歌]非常事態/佐藤真夏[2011年1月23日0時19分] 箸置きに次元をかえて架ける橋 転がる二本の非常階段 きみの手のあやとりの糸たぐり寄せ真水に飛び込む指を絡めて 爪先もまなこも縦に尖らせて剥がす鍵盤しろいとこから 朝焼けを乱反射する異類の眼 垂れるナミダに絶世をみる 弱まった心拍の音が萌えている種にもどってまるくまるくなる 「針千本呑ませて、くすりみたいにさ」口約束に添え木する指 濁流に沈めど浮かぶ木の実らの保つ黄緑 闇夜に映えて 跨って線路をめくる踏切で粘土細工の肌を脱ぐため ---------------------------- [短歌]darekanomono/佐藤真夏[2011年2月23日10時19分] 暗算しわざと優しくなる胸の膨らみ私は恋をしました 発達す不安にさせる曲線をくるんでバスタオルは笑った 惜しみ無くぬくい言葉を絞るうち 生クリームは腐りかけてる 濡れた指乾かすように立て掛ける名前も知らない木枝の間 灰に似た白黒フィルムを舐めながら現像液で溺れる夜明け イコールで私に戻らぬものすべて他の誰かのものの気がした ---------------------------- [自由詩]発酵/佐藤真夏[2011年4月8日20時18分] 陽の溜まる部屋で 私たちはボタンのとれたシャツのように笑う まいにち 洗濯をして 汚いってどんな色か確かめる 互いの背中に腕を回して 肩の下から腰の上までぎゅうと絞れば 背骨をつたう 乳精だらけのヨーグルトが つんと匂った 低血糖に目を回しながら 私たちはボタンのとれたシャツのように泣いた 発酵したさみしさを 舐め取る舌の 付け根を どこに植えても根腐れしないように まいにち 起立して しわを伸ばすように笑う ---------------------------- [自由詩]風通し/佐藤真夏[2011年7月10日14時38分] 夏のおもいでっていうもんが 裸足で踏みしめる畳の網の目につまっていくもんなんやと思って お風呂上がりにちゃんと足の裏を拭いたり できるだけ汗をかかんように制汗剤振ったりしよるわけじゃないけど できるだけあの薄暗い隙間が湿らんように 黴の生えんように気をつけて生活しよる。 前の夏にな、 冷凍庫の引き戸を少しだけ閉め損ねて そのまま3日間放ったらかしにしてしもたことがあって そうしたら水が漏れに漏れて 小さい水溜まりがちゃぷんで黴が生えてしもて 畳のなかにおったであろう虫とか何やかやがみんな逃げたか死んだか、そんな感じになったんとちがうかなと思った そんな虫やらがおったんかどうかも私よく知らんのやけど 畳のなかって隙間だらけで住めそうやし むしろ日差しとか防げて住み良いんじゃないかなとか思ったりして。 何層にも織り成されとる内なる畳の世界は 公衆トイレのドアの隙間に差し込む程度のひかりの連なりで構成されとるんかなあとか考えよると ちょうどええ眩しさってどのくらいやろって思うわけで 私の部屋やって、私の内なる世界やって、 ドアの開き加減を調節しながらちょうどええ塩梅になるように明るさとか涼しさとかを調節しよるはずで、結局 どこに黴が生えるのも嫌やけん身体中どこもかしこも風通しよくしておきたいわー、畳みたいに全身スカスカさせてあっちこっちすり抜けながらできるだけ風と同じ質感でおりたいわーって思いながらあくびして寝る。 ---------------------------- [短歌]summer/佐藤真夏[2011年8月19日0時02分] 花火、風。立ち尽くす夏 陸橋で麦わら帽子は抑えずにいた 日に焼けた腕に食い込む荷の持ち手 両てのひらで生かした金魚 向日葵が燃えない程度に咲いていて息継ぎの度ちらりと見える かみさまの星流れ切り小さな火 溶解速度を増しゆく夕べ ひとりごと墨を垂らした水のよう 点が続いてまだらな時間 すくわれる まくった袖のひだの間に君らの笑みを溜めておけたら せーのってわたしは言うから手を繋ごう足並み揃え虹に近づく ---------------------------- [自由詩]缶蹴り/佐藤真夏[2011年9月29日2時17分] 秋空に寄りかかる鱗雲が 開け放たれた海の際までずり落ちて きみが咳込みながらズボンを降ろすのを見ていた 秘め事はスライドガラスに貼り付けて 食べきったトマトの缶に詰めてある きみと 初めて手を繋いで眠った夜がカチャカチャ鳴って 顕微鏡を覗くわたしの目はきゅうと締まった どこからか なみだの玉が転げ落ち レンズの上でくるりと回って往生し すやすやと眠るわたしたちは                       海の底 しあわせそうに ふやけていった ---------------------------- [自由詩]つなひき/佐藤真夏[2011年11月13日17時25分] わたしらは雨の日には傘をさせばよかったんやと思う のらりくらり運ばれよるうちに ぜんぶの角がとれた小石みたいに 下流で山積みになってしもうたね 流れ星が流れたあとで願いごとするように 時間を追いかけながら このまま地球の裏側まで流れていくんかな 光りつつ去るもんについていってしまうんかな 机上の地球儀がまわり始めて それにつられて地球がまわる ---------------------------- [短歌]ひしめき/佐藤真夏[2012年1月8日21時22分] みずいろの舟には乗れたきみなのに雨にまぎれて みみみ と降った 君 私 君 私 君 私 君 ミサンガみたいな長いごめんね おしなべて答えは雪のしたにある きみのゆめばかり見る、えとせとら スクラップ間近の廃車をジャックしてどこへもいけない遊び   あわ雪 美しい字を書いておく はじまりとおわりを見破られてはいけない ---------------------------- [短歌]みぞれ/佐藤真夏[2012年1月16日23時34分] 気がつくと夢中で空を掃いているわたしはいつかの雨の一滴 薄まって波の光を目に宿す あなたはすでに透明標本 それぞれの同化できない手の指が束ねた数字のようにひしめく あの二等河川で清める あい まよい 素足はこわくないのに泣いた チョコレート食べたら帰る 東京のやさしいところそればかりいう ---------------------------- [自由詩]設問/佐藤真夏[2012年2月3日22時14分] とりなさい。 する場合を除く。) 泡立ちが いくつもの水脈のこじれに 目視し、小刻みに糸は 及ぼす事があるという 範囲を侵す事が という。あなたの所有する空 専用部である 中心線を引き、適切な位置をとりなさい。(素足の場合は 薄れ、ならびに濁り 雨を呼び込む 小刻みに糸は揺れ、鈴の という。あなたの所有する雨 。 ---------------------------- [短歌]すべての傘をさします/佐藤真夏[2012年2月20日12時00分] 屋根裏に集めた傘をさす 息が飛行機雲のようにまぶしい ---------------------------- [自由詩]春の温床/佐藤真夏[2012年3月11日12時58分] その珈琲豆は挽かないほうがいいです その鉄のにおい そのままでいてとてもわるい この身には どろみず色の牛乳紅茶が 湧きつづけていてとてもわるい ひしめく指と指の間から 点々とにじみ出す 結露した わたしの所有する雨は みちというみちをたどるように 手相に沿って うごきつづける 海への入り口を捜しているのだろう こんなにも泡立ち ひかろうとする 前の春あたりに 溺れた渦のひと巻き 陽だまりを飲み込んで 閉じてしまった台風の目が ひらくとしたらそこです ---------------------------- [短歌]pisa/佐藤真夏[2012年4月5日0時23分] 春だから育て過ぎます 槍などが貫いているあいすべき塔 ---------------------------- [自由詩]八月にあつまる/佐藤真夏[2012年4月16日23時43分] 全身が混線しようと企んで逃がしてしまう唯一の鳥 コードの うねりを 生き物かと おもった 先端に 触れそうなつまさき 電気が 必要 わたしはいつも 夏になりたい ---------------------------- [短歌]短歌二篇/佐藤真夏[2012年5月26日2時29分] 一、告白 飛行機が頭上を通りすぎている さよならのなか密かな発作 骨の間を縫うように飛ぶ飛行機に印字する風 わざと会いたい 透明に傾き無色の戦場を駆けてかならず君をたすける 二、忘却 からだじゅう耳をあてるとロッカーのひとりでに開く音がきこえる 耳栓をあげたい今日は耳栓をあげたいわたしを忘れてもいい だれですか砂いいえ灰わからない肌わからないわからない火も いくつもの過去が佇む目のなかに温度を変える水銀がある たんぽぽを手折って渡す綿毛ではなくても吹くね ゆれてうれしい ---------------------------- [短歌]そのままにする/佐藤真夏[2012年8月5日1時04分] はつなつに絡まる雪がふやけ出しわたしのもとに届く霧雨 七月は暑くて、暑くて 水際を探して歩き回っている 運よく見つけた堤防にのぼりながら そそくさと 身分証明書を書き のぼりきると同時に 海に流れ込む いつまでも水面に浮かんでいなくては 自動扉に見つからぬよう 何度も魚になって 何度も魚になって からい水を飲み 薄い紙切れに掬われる  金魚、弱ってるね って言われたら 大事にしてもらえる みぞおちのあたりに流れ星が降りハザードランプになった中点 ---------------------------- [短歌]、となりへ/佐藤真夏[2012年10月21日0時14分] 横断し続けた川の端と端もちあげ上手に運ぶ 、となりへ 窓外に無数のつぶてが降る いつか海に沈んだ都市に住もうね 痛いかと自分に聞いてしまう夜 括弧のなかで息を整え 夕焼けは火薬の音と呼びかけとエンジン音の混ざる音階 内圧があがるわたしを脱衣させ調べ抜いたら焦げ付いた鈴 天井に時計の溶けた跡があり絆創膏を目に貼って寝る ---------------------------- [自由詩]オペレーション/佐藤真夏[2012年10月21日0時25分] 一、 顕微鏡を抱えて 潜り込んだ湯船に わたしたちの空が眠っている あぶくを 覗こう 口から吐いたあぶくを 捕らえて なにが詰まっているか 知りたい ふ、ゆ、と言ったらふゆが満ちたよ あ、さ、を呼んだらあさが満ちるよ 二、 わたし 流れているような そうでないような 夢をみながら 浮上して 現像液に浸ります ああ、 一体なにをころしたくて 銀色の あぶくばかりを 追うのです か わたしの な、い、ふ、/な、い、ふ、 ただしい なみだ ---------------------------- [自由詩]間欠/佐藤真夏[2012年11月29日23時29分] 1 眠るってなんなの とても 生きているとは思えないほどの平穏だろう なにも知らなくてもわかる 静かなことはわかる 2 目を覚ますと ありとあらゆる音が聞こえ始めて 驚きもしないくらい 自然な おはようおやすみ 聞こえ終わって 視聴覚が封じられた夜 まぶたのうらに ぼんやりと浮かぶ空には 時間が失われていることを知るのです 再び時のなかに目覚めて 3 青くてきれいな惑星が まぶたのうらに降っているよ こわれながら 展開されて それはそれはこの世のものとは思えないほどの輝き わたしはわたしの持てる息のすべてを ごくりごくりと飲み干し そして 青い星から滝のようにこぼれ出す海原 こんなにもつめたく満たされるおはようこんなにも朝こんなにもゆめ ---------------------------- [自由詩]春/佐藤真夏[2013年1月7日21時30分] 継ぎ目という 継ぎ目が、 糊できらめいて わたし今とても資材 軋んだ   書かれている 紙としての 反応 きみの筆跡が わたしから透けて見える   あいうえお 順番に燃えて   春、なんだろうね   校庭の白線のうえ 歩きながら 失っていく軌道 ひとりでに破れてしまう   身体中に貼りついた 石灰を払い落として 広がる手型は ひしめき そこら中に 星団が 生まれては燃える 連絡係は 何度も あたらしい 理科のはなしを 放送する   (連詩:Recent Report From First Complex 5) ---------------------------- [自由詩]不一致/佐藤真夏[2013年1月7日21時36分] 一、   ひとつ、ふたつ もっと でたらめなものとして   の わたしの きみのわたしの きみ   一列に重なり   二、   吐く息を白と呼ぶならば 黒板のうえに白はなくて   (架空に、さわりました   鍵穴から 初雪を観測する   三、   多目的室の戸締まりをすると 理由が蒸発してゆくのがわかります   このあたりのうそからは 、味のない水だけがはみだしてしまう   四、   ぼんやりとくるまいすを押し合いながら 渡り廊下を渡りきる朝     (連詩:Recent Report From First Complex 10) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]【HHM参加作品】しろいろさんと大森靖子さん/佐藤真夏[2013年1月25日22時28分]  今回は、しろいろさんと大森靖子(おおもりせいこ)さんの表現する世界をのぞいていこうと思います。ふたりとも、私がいい意味でショックを受けた方ですので、大切に考察していけたらな、と思います。  まずは、山田航さんの考察を参考にしつつ、しろいろさんの作品の特徴を整理していきたいと思います。 しましまの正義を装填した銃を抱えて眠る 夜よ明けないで Tシャツを着替えるように毎日を無造作にいきて沢山失って   間違って指さして、あれは春じゃない、の白昼夢だよ、 白線の外側で聞く警笛がとてもきれいで少し目を閉じた 目が覚めたのは君だけださあ早く、首のバーコードをひっぺがせ! 大人って死にぞこないの子どもでしょ?錆びたブランコ軋ませわらう 初期の作品から最近作までを時系列順に並べてみたが、破壊のイメージが目を引く。銃や爆破のイメージもそれに重なる。生ぬるい日常や幸福を拒否し、「子ども」であろうとする姿勢が見て取れる。破壊願望と成熟への拒否が、しろいろの歌のキーワードであろう。 山田航「現代歌人ファイル83 しろいろ http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20100505/1273062675  確かに、山田航さんのいうように、しろいろさんの作品からは随所から破壊願望と成熟への拒否がよみとれます。特にそれらを象徴しているのが、「チョコレイトマシンガン(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=148258&from=listbyname.php%3Fencnm%3D%25A4%25B7%25A4%25ED%25A4%25A4%25A4%25ED)」のなかの マシンガンにチョコレート詰めてぶっ放す発情都市への宣戦布告 という一首です。主体は、「マシンガン」という兵器に甘さや幼児性を連想させやすい「チョコレート」を詰め、成熟した人々の社会である「発情都市」に宣戦布告します。しかし、決着はつきません。なぜなら、この歌にはつづきがあり、 マシンガンにチョコレート詰めて逃げだそう裸で泣いてるわたしをさがしに に結着するからです。最終的に、主体は戦いを放棄して裸の(本来の、というニュアンスで受け取ります)わたしをさがしにいくようですが、それはどういうことなのかちょっと考えてみます。  ひとりの「わたし」が二分されているとすると、裸のわたしが主体の〈本質的な部分〉なら、戦うわたしは〈現象的な部分〉といえます。このような外面的には戦い、内面的には泣いているという「わたし」の不安定さ(言い換えると、内と外が〈合致しない〉構造)は、チョコレート(内)の入ったマシンガン(外)の構造につながります。マシンガンは「わたし」そのもので、身を削りながら戦っていると思うと痛々しいですね。本来のわたし(=チョコレート)を弾丸としてぶっ放してしまいますから、戦えば戦うほど、中身が消費され、空っぽに近づいていくのでしょう。それを「さがしに」(=回収しに)いくために戦いを放棄するのでしょうから、ここから見えてくるキーワードは、成熟の拒否というよりは欠乏感や危機感からくる〈混乱〉、また、そもそも成熟に価値を見出せないという〈虚無感〉ではないでしょうか。  次に、大森靖子さんの歌を聴きながら〈子ども〉というものについてよくよく考えていきたいと思います。 大森靖子「君と映画」「プリクラにて」 http://www.youtube.com/watch?v=yeat4nctFx0  これらの歌には、「知らない誰かに財布を握られ」たり、「(見えない人に)あたしのリモコン握られる」のがこわいという、恐怖をベースにした社会(他者)への敵意があります。「あたし」の目からみた社会には「かみさま」は消費されるものとして登場し、「あたらしい」かみさまはお金で買えます。その本質は映画であり、漫画であり、テレビです。つまり「かみさま」に「かみさま」という本質はなく、なんでも「かみさま」になり得る=「かみさま」なんていない、という構図が成り立っています。これは信じたいものを信じればいい、という究極の自分主体の世界です。だからこそ、知らないうちに他者に操作され、オリジナルでないものをオリジナルだと思わされて(だまされて)いると気づくと苦しいのでしょう。ウソをウソとも思わぬほどウソにまみれている社会を「おとな」として受け入れる(諦める)ことができない(したくない)から、「はなからおとなをやめときましょう」になるのでしょうか。  また、「魚に泳ぎかた 鳥に飛びかた 君に歩きかたあいしかた」を教えたひとがいないように、本能こそがオリジナルという立場をとり、「ロングもいいけどショートもいいね  オリジナルなんてどこにもないでしょ」と対比させています。この流れから「それでも君がたまんない」のは「あたし」が「君」を本能的に「あい」しているせいだと解釈できます。この「あい」が自分のオリジナルだという認識により、自分の本能を通して「君」を信じることができるのでしょう。「あたし」にとって「君」は「かみさま」になりつつありますが、そのあたらしい「かみさま」は「君と映画」というタイトルに象徴されるように、映画を「かみさま」とする人物で、このふたりの間の溝はどうしても埋められない、私にはそんな風に聴こえます。どうしてそんなことになるのでしょう。大森さんの「キラキラ(http://www.youtube.com/watch?v=ugMgdYHGtc4)」という曲を聴いてみます。 明日の朝もとても早いのに眠ることも忘れてしまうような生きがいがこんなもんだなんてウソみたいだろ。(キラキラ)君の毎日がたいせつさ。(キラキラ)君の毎日に触れたい、体ごと。ラブホテル。ウソだらけでしょ。明日の朝もとても早い。 ※歌詞の表記は公式ではありません  ウソに気付いてしまうこと、そして、見つけたウソをウソのまま“そういうものだ”と見逃すことができないことが、歌の内部にひろがる社会における〈子ども〉の素質なのでしょう。大人になれない子どもではなく、社会から一方的に〈子ども〉と決めつけられている敏感で素直な大人です。反対に、社会でいうところの〈大人〉は鈍感になった子どもといえ、「大人って死にぞこないの子どもでしょ?」というしろいろさんの立ち位置がはっきりしてきます。  ただし、大森さんの曲が、〈子ども〉と呼ばれる存在でいたいと思うことに対し、それが間違っていないと肯定的であるのに対し、しろいろさんの作品では、みんなウソ、という意識に、“自分も誤っている”という認識が加わっています。 ニセモノをニセモノとして愛しなさい 商店街は長すぎるけど 反抗期は死ぬまでつづける 執拗に電信柱ローキックしながら しろいろ「誤発」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=197248&from=listbyname.php%3Fencnm%3D%25A4%25B7%25A4%25ED%25A4%25A4%25A4%25ED この2つの歌が収められている作品群のタイトルは「誤発」です。ニセモノをニセモノとして愛するのも誤っているけれど、ずっと〈子ども〉のままでいるのも誤っている、ということでしょう。では、正しいものはなんでしょうか。 匿名の傷のかたちを 彫るように 想いはぜったいタダシイ刃 しろいろ「ユモレスク」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=195651&from=listbyname.php%3Fencnm%3D%25A4%25B7%25A4%25ED%25A4%25A4%25A4%25ED  ここで、正しいものは、想いと表現されています。しかしこの作品集のタイトルは「ユモレスク」。語源は、ユーモア、冗談という意味を含みます。決して想いも正しくはないのでしょう。そして、 なにもかもうそっぱちでもひりひりするひふ1ミリの世界がいとしい を読むと、もはや、なにが正しくてなにがウソかわからなくなっている、というところを超えて、「どうせみんなウソなのだから、現状を打ち破るためならウソでも構わない」という方向性がみえてきます。これは大森さんの「キラキラ」と同じ方向であり、ふたりの作品の重なる部分です。  ただし、先ほど述べたように、ふたりには違いがあるのは確かです。大森さんの曲が〈子ども〉を連れて歩くのに対し、しろいろさんの歌には〈子ども〉に引きずられている部分があります。山田航さんが、先に挙げたブログの中で、しろいろさんの歌について「不思議な残酷さと切なさ」があるとおっしゃっていますが、この、混乱からくる受動性がその所以といえるのではないでしょうか。 おしまい ---------------------------- [自由詩]Mekakushi/佐藤真夏[2014年4月2日23時23分] 子どもだから知らない漢字は飛ばしてもいいんだよ、漢字ドリル斜め折りして目印をつけたページ、「大切な」を十回書き写して、[音読しました]に丸だけつけて、手のひらの外側がすこし黒くなったまま誇らしげに食卓につけば、リビングの明かりがまぶしくて、きれいにしてってだれも言わなかったけど手を洗った。 漢字ドリルひらいて、「切」の順番がくるまで大切なひとって大きいひとのことだと思ってた、大きなやくそく、大きなみらい、順番に知っていって、もう大人だから、何を許すのも自由だし、車を運転できる、きみは来てくれる。 明かりを消してもいいんだよ、降ってくる秒針を胸のうえに並べていく。「切ない」って刀がないってことじゃないのにね、切れ味を試すみたいに伝える手のひらのかたち、きみが私の外側をそっと撫でる。 ---------------------------- [自由詩]夜は目が覚めるほど近くで明ける/佐藤真夏[2014年10月5日11時51分] 夜は目が覚めるほど近くで明ける。 まぶしい朝、ひどく生きる。 白いシーツ 顔までかけてもらって 幸福の尺度 はかりかねる 鎖かけて、    なだれる。 きみの手の届くところにいる。 ---------------------------- [自由詩]ふたり跳び/佐藤真夏[2014年12月14日20時18分] ふるい駄菓子屋さんで買ってきた縄跳びは、のばした水飴みたいに、すぐにくずれていたからね、 私、縄が切れるのを待っていたんです こつこつ続けるしかなかった、なんて、ずるいこと、いっぱい重ねてきたから、だ、もうなんだって愛せるからだ、底のほうで、跳ねる、空色の洋服 朝霜のなか、きみとふざけて駆け足をして、窒息しないように上手に転ぶ、スケートリンクみたいな十二月を埋めていく 愚かなものは、かなしくなるほどあたたかい、 ふたり跳びで夕暮れを迎える ---------------------------- (ファイルの終わり)