佐々宝砂 2011年2月14日22時52分から2018年2月17日22時18分まで ---------------------------- [自由詩]わたしのこころはサーモンピンク/佐々宝砂[2011年2月14日22時52分] 「わたしのこころはサーモンピンク」 そのフレーズを見出したのは 確か「りぼん」誌上であった もしかしたら「なかよし」だったかもしれないが 「少女コミック」や「プリンセス」や 「花とゆめ」ましてや「Lala」ではなかった 薔薇の花束を抱いた少女がいう 「わたしのこころはサーモンピンク」 「濁ったピンク」 「だけどピンクなの」 薔薇の花束なら深紅がすきだった 白い薔薇はすぐに傷む 黄色い薔薇は持ちがよいけど品がない 薔薇の花束なら深紅がすきだった だけどわたしに深紅は似合わないのだった それから年月経って わたしもいっちょまえに恋に落ちたが 相手のバカ野郎は 深紅の旗を掲げているようなやつで おまえの思想は濁っている と批判しやがるので わたしはかるくあかるく 心のなかでうそぶくのが常だった そう 「わたしのこころはサーモンピンク」 という青い(んだか赤いんだかの)時代もすぎて わたしはひとり 窓から半月をながめる 数十年後にわたしがまだ生きているとして 窓から半月をながめるだけの余裕があるとして そのときやっぱりわたしは 静かにうそぶいてみよう 「わたしのこころはサーモンピンク」 2009.7.14 ---------------------------- [自由詩]あくまでもシャープ/佐々宝砂[2011年5月15日1時05分] わたしがシャープと言えば きみはフラットと言う いつだってそういうことになっている。 わたしはあがり調子の躁状態で うきうきとよく冷えたビールをあおる きみはどん底に停滞して 苦虫かみつぶして生温い珈琲をすする ああ今日もおてんとさんは腐敗する大地をあたたかく肥やし そんなこととは無関係に洞窟のバクテリアは硫酸を生産し 広がりゆく宇宙はまだまだきらびやかに幸福な不均一 この驚くべきシアワセを満喫するわたしは わざとらしく口の端をつりあげて 隠し味にフラットを入れた Cメジャーセブンスのコードを響かせる きみは不機嫌きわまりない顔で あかるい窓辺に這う蝿を憎々しげに見つめ きみをわずか慰める旋律に そうたとえばシとミとラとレとソにフラットのついた 変ロ短調の重々しくも陰鬱な旋律に 耳を傾けていて わたしのささやかなフラットになどまるで気付かない そうそんなことには気付かぬがよいのだ わたしはかろやかにステップを踏み ほんの出来心できみの足を踏もうとして やっとのことで思いとどまる 踏んづけたりしたらどんなことになるか 平手打ちを喰らわしたらどういうことになるか ましてグーで殴りつけたらどんな恐ろしいことが起きるか もちろんそんなことやるべきじゃない。 なぜなら宇宙はできるだけ長いこと 不均等を保つべきであるから それが人類のために最もよいことであるから そうほんのすこしの反転もやるべきじゃない。 この世がもしも平均律なら 半音下げたフラットと半音上げたシャープは 同じ音を響かせているのではないか と そうつまりきみとわたしは実は同じ種類のイキモノなのではないか と わたしは思いこいねがう きみが決して知ることのない衷心から わたしは決して、 いや。 わたしはいつもあからさまに心を告げる。 わたしときみは見事なまでに濁り澱み唸り決して和せず わたしはあくまでもシャープな態度で シャープを盛大に六つもぶらさげた嬰ヘ長調を高らかに歌い上げる そうつまりは煮え切らないきみに向かって 断固とした口調できっぱりはっきりと 複雑怪奇なこの混沌を さらけ出し 預け渡し だってわたしはきみを愛している。 わたしがシャープと言えば きみはフラットと言う ---------------------------- [自由詩]魔女の娘は/佐々宝砂[2011年5月15日2時23分] 私の娘に出会ったら どうか伝えておいてください 何一つ伝えるもの残すものはないのだと ただそれだけを伝えてやってください 私が道のそこかしこに置いた石に あのこが躓こうとも 教えられようとも そんなこと私の知ったことではない あやしげな石像に どんな赤い花を供えたらいいかなど 決して教えてやらないでください ひらひらとてのひらを動かして 口の中で唱える言葉など ひとつたりとも教えてやらないでください あのこの父親のことなど 教えるのはもってのほか ほのめかしさえ禁じるべきです 幼いあのこは やがてはこの冥い道をゆっくりと歩き出すのでしょうけれど そんなこと私の知ったことではない ただ まあ お乳がほしくてなきわめくときだけは 渇きを満たしてやってほしいと そんなことを言う 私はたいへんわがままですが そんなことは伝える必要もなく あのこも理解するはずです 魔女の娘は魔女ですから このうちの東北にこんもりとしげる あの冥い森に ひょこひょこ頭を出す真っ白なきのこ あの使い道なども伝えなくていいのです 私の娘に出会ったら 鼻であしらって おまえの母親はおまえに何も残さなかったし 伝えることもなかったのだと 冷笑しながら伝えてください それですべてが伝わるはずなのですから それですべてが ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]カモノハシのパンセ 震災編/佐々宝砂[2011年11月12日10時38分] 2011年03月13日(日) 「どこそこに勤めてる誰それからの情報ですが」っていうツイートをRTするのはやめとこうや… 2011年03月14日(月) 一日おにぎり1個あればしばらくは餓死しないよとおもう私は冷たいのだろう。 2011年03月15日(火) 善意のRTはそれがデマっぽくとも繰り返しでも古くても我慢してきたが、○○町○○区の話はなんかこう我慢ならん気持ち悪さがある。「被曝してないから受け入れてくれ」というのは考えてみればひどい話だ。被曝した人はどこにゆけというのか。 津波から奇跡的に助かった赤ちゃんが避難所で泣きわめいて家族が身も細る思いをする、というのを想像する程度にわたしのあたまはわるいです。 いま目的はひとつだろうか。違うとおもう。目的はちっちゃな目前のことだ。おなかすいてる人にはとりあえずごはんを。寒い人にはともかく毛布を。風邪ひいた人には薬を。不安な人には安心を。苦しんでいる人それぞれの苦しみにそれぞれの必要なものを。それぞれはちいさい。あわさればおおきい。 被爆を避ける方法って聞くと必ず「風が吹くとき」を思い出してしまう。政府のいうとおり予防策をとるけどむなしく死んでくの。でもそれでも何かを信じて予防策をとるほうが、ただただ不安なままより幸せ。 私は共感するのもされるのも不得意で、それで困ることもあるが、こういう事態のとき遠隔地にいると共感できないくらいでちょうどいいかもしれない。遠隔地からの多大な共感は今は不要。必要なのは金とプロフェッショナル。 2011年03月18日(金) 日本はいまいつもよりちょっとリスクが高いんだよ。リスクが高いから生きることが死と隣り合わせだって気付いてしまった。地震前だっていつも死と隣り合わせでいたのにそれを忘れていただけ。死だけじゃなくて犯罪にあうリスクだって放射性物質を浴びるリスクだって。前からあったんだ。 2011年03月20日(日) こんなとき感動を誘う文章を書こうとする自分に嫌気がさす。私は怪奇詩人なので感動なぞ誘ってはいけないのである。恐怖を誘うのがおしごとだ。 2011年03月21日(月) 私は涙を流さないタイプなのでこういうときは役立つのではないかと思いますが、それは事実誤認です。 2011年03月23日(水) 悪いことをしたひとは悪い目にあうというのはうそです。よいことをしたひとは悪い目にあわないというのもうそです。どっちも論理的ではありません(棒読みに近い読み方で、自分に向かって) 詩人て役に立たないなあと思ったが詩人が役立つ世の中なんて自衛隊が役立つ世の中より悪い。 うまく言えないけど「悪いことしてないのにこんな目にあうのはあんまりだ」というのは、心情的にはわかるが、理屈にはあわない気がする。 2011年03月24日(木) 泣ける人が多いようでうらやましい。私はやっぱりどこかおかしいのかもしれないがそれが役立つときもないではないから生き延びよう。個々の多様性は全体を生き延びさせる。 2011年03月25日(金) そうか詩というものは放射線とおなじだったのか。「ただちに影響を与えるものではない」 だまされたひとを責めてもいいことはないし、わたしだってだまされる。と自戒。なんでこんなに自戒ばっかせなあかんねん。 2011年03月26日(土) テレビを見ていて思うのは、東電だって明日のことはわかっておらんだろうということ。 原発関連の話は正直よくわからない。いま静岡にいるあいだはそう気にしなくていいんだってことはわかる。ただ明日はわからん、ということもまあ、わかる。 2011年03月27日(日) 私の実家のある町は、ちいさな町で、自転車で15分くらいいくと海があって。私の実家は茶畑だらけの低い山がちょこちょこあるようなところで。春祭の日には桜が咲いてタケノコがとれて気の早いキイチゴの花が咲く。浜岡原発から10km圏内。ちいさないなかのまち。 ともあれ和合亮一の名は311の震災とともに記憶される。詩の世界では。それは決まった。 なんだか考えがまとまらない。というか考え始めてさえいないかもしれない。 2011年03月28日(月) 列を離れてありんこをつついてるようなヤツが、 どういうわけかそれが理由で生き延びるかもしれません。 2011年03月29日(火) 日本がひとつの集団になっているとは思いたくない。いっせいに咲く花はいっせいに散る。わたしはちょっとズレていたい。 いろいろ考えたあげく、「やはり黙っていてはダメだ」という結論に達する。間違うのは確実なのだけれど。間違ったら都度訂正してゆくしかない。そういう面倒くさいことの先にしか未来はない。 2011年03月31日(木) 東海地震がくるときは、訓練していれば地震がきても安心、静岡県民は訓練されている、準備している、そういう神話が崩れるときだと思う。 ---------------------------- [自由詩]ほむらやまい/佐々宝砂[2013年7月24日13時04分] 真夜中の校舎がいきなりスライドした。 なんのことかわからなくて目をみはる。 見覚えのある建物はすでにそこにはなく 見たことのない建物がそこにあった。 そこに行かねばならないとわかっていたので 歩いて行った。 幽鬼の淡青をまとったひとびとが 幽鬼のように歩いていた。 わたしのように歩いていた。 けれどわたしは彼らとは違って けれどわたしはそれを隠しておかねばならなかった。 彼らとは違うということを 絶対に悟られてはならない。 けれど彼らに紛れて歩いて行かねばならない。 どこへ? このわけのわからない 工場とも学校ともオフィスビルとも見分けがつかぬ 無機物でありながら有機的に増殖してゆく このわけのわからない建物の いったいどこへ? それはどうしてもわからなかった。 身を隠しながら進んでいった。 芝生が夜露に濡れていた。 幽鬼の淡青がそこここにきらきらと光った。 腐臭が漂っていた。 彼らはみな正しく死んでいた。 うつくしいとおもった。 しかしどうあがいてもわたしは彼らではなかった。 手を握りしめる。 痛くなるほど握りしめる。 わたしの手のひらはぎょっとしそうな緋色。 決してうつくしいとは言えぬ生の色。 血液の色。 見られてはならぬ。 悟られてはならぬ。 建物に入り込み 白塗りの狭い階段を進む。 どこかに仲間はいないだろうか。 緋色の手のひらを持つわたしの仲間が。 ひとりでいい。 たったひとりでいいから。 廊下の突き当りに重そうな扉があった。 冷凍室とあった。 鍵はかかっていない。 ぎい と開けた。 冷たいはずのその部屋の中央に 輝かしい緋色のヒトガタがあった。 ほむらやまい。 そのヒトガタが口にしたのか それとも単にわたしの思いつきだったのか。 他にどうしていいかわからなかったから しかしそれしか方法がわからなかったから 手を伸ばした。 友よ。 ヒトガタは燃え上がり 燃え上がり ヒトガタではなくなり ほむらやまい。 友よ。 わたしはまだそこに行きつけない。 しかしわたしは見た。 緋色に燃え上がるヒトガタを。 ひいろ。 醜い色。 月経の色。 しかしこの冷たい幽鬼の世界にただひとつ燃え上がる 生命の色。 固く握りしめていた手をひらく。 これがわたしだ。 これがわたしの色だ。 #蘭の会 2013年7月「緋色」 # http://www.hiemalis.org/〜orchid/public/anthology/201307/ ---------------------------- [自由詩] 深夜一時、心地よくない秘密めいた場所にて/佐々宝砂[2013年7月24日13時07分] 心臓がゆっくり動いている。 ゆっくりすぎる。 こういうのを徐脈というのだと 知識としては持っている。 目の前が白い。 何も見えないほどギラギラと白い。 白いがこれは眼前暗黒感に変化するものだと 経験として知っている。 などと考えることは可能で 脳裏にはあの使い古されたメタファのように ここ何年かのあれやこれやが駆け巡るが そのイメージも圧倒的なギラギラに覆い尽くされてゆく。 プレス機が乗っているかのように腹が痛い。 さっき排泄した大量の茶色い液体と 自分の尻についているであろうその液体の名残を 手探りで始末する。 自分の手首を探る。 脈が触れない。 私の心臓は動いているはずだ。 でなければ私は。 無理に立ち上がりパンツをあげる。 ギラギラがグラリと反転する、 暗黒がやってくる、 もう何も見えはしない、 これはだめだ、 もうだめだ、 どうしよう、 せめて、 せめてズボンをきちんと穿きたい、 それが最後の願いだとしたら 悲しすぎる願いを血流の足りない脳で願いながら 私は意識を失った、 心地よくない秘密めいた場所で、 深夜一時、 ひとが孤独になれる小さな空間で、 ひとがみなひとに見せたくないものを放り出す場所で。 心臓がゆっくり動いている。 ゆっくりだけれど動いている。 確かに動いている。 こんなところに倒れていたくはない。 充分すぎる慎重さで時間をかけて立ち上がり ズボンを穿き あたりを見回す。 とりたてて異常はない。 ゆっくりゆっくりドアを開け ゆっくりゆっくり手を洗い またグラリときた。 しかしさっきほどにはひどくない。 立っていられるうちに水分を と思ったが無理だ。 立つことをあきらめて 決して衛生的とは言えない床に這いつくばり 這いつくばり 這いつくばり たった数メートルの長い道のりを進み 布団に倒れこむ。 手首に触れてみる。 脈はあいかわらず触れない。 でも私は生きていて 自分が生きていることを 確かめるために今度は胸に手を置き、 と。 く。 視野半分に腎臓形のギラギラ。 これがふたつあったらハートだな。 #蘭の会 2013年6月「ハート」 # http://www.hiemalis.org/〜orchid/public/anthology/201306/ ---------------------------- [自由詩]○○○のはなはよるひらく/佐々宝砂[2013年7月24日13時13分] 横向きの首をゆっくり上向きにする。 夜が来ていることをたしかめるように息をする。 汚い音をたてて空気を吐き出し 汚い音をたてて空気を吸い込む。 夜だ。 夜の臭いがする。 手探りで自分の顔を確認する。 鏡を見る気が失せてからもう長い。 ファンデーションとチークと口紅で抵抗したこともあったが いや、年齢の話ではないし 器量の問題でさえない。 この顔に皺はない。 皺がなければいいという問題でもない。 問題は顔のパーツがちゃんとついていて機能するかどうかだ。 目はひとつ使い物にならなくなった。 残るひとつにもあまり時間は残されていないと思う。 歯もほとんどが落ちてしまった。 舌と声帯はまだ使えるので喋ることはできる。 喋る必要はないのだけれど。 それをいうなら息をする必要だってないのだけれど 息をするのは臭いをかぐためだ。 私の体臭は芳しくない。 特に昼日中はよろしくない。 本人は馴れてしまっているし そもそも人に会うこともないので気にする必要はないが。 上体を起こす。 やや苦労して寝具から身体を引き剥がす。 ちょっと失敗した。 取り返しはつかない。 こうやって私は日々欠損してゆく。 しかし今は夜だ。 少しなら出歩くこともできる。 夜の道にながれる夜の臭い。 視力が喪失してもこの感覚を味わうことはできるだろう。 夜こそは私の時間だ。 こうなってしまってから。 いやこうなる前からきっと。 こうなると決まっていたのだからきっと。 冬の夜だがとうぜん煖房はつけない。 むしろ冷房をいれたいくらいだ。 冷え冷えとした夜の空気の中 私は久しぶりに腐った肺をフル活動させて息を吸い込む。 #蘭の会 2012年12月「ひらく」 # http://www.hiemalis.org/〜orchid/public/anthology/201212/ ---------------------------- [俳句]夏の焚き火/佐々宝砂[2013年7月25日14時15分] 極楽や照らせば光る蜚?(ごきぶり)も 持続可能な崩壊、夏。 botにも陰日向あり半夏生 汝が前の妖かし涼しくて夜更 真夜中のデパート小袖の手はゐるか 座敷ぼこ居らぬ古家の古簾 実体はなし簾には影あれど 美しい月夜でボツリヌストキシン 洗ひ髪より漂へる妬みかな 冷房が効かない斬首だ 簾ぶち破れば畳にぼろぼろ 暑いからコンクリに詰める 小平次は生き蠅は死す昼餉かな 桑苺酸つぱしガキは赤いもの みんな夢あかくないのよ桑の実は 魔女たちよ集えここには夏の焚き火 ---------------------------- [自由詩]しょうけらのいる窓/佐々宝砂[2013年7月27日17時38分] その古い家には ちいさなあかりとりの天窓があって 夜ふとんに入ると その窓がいやに気にかかってたまらなくて ぎゅっと目をつぶった 星も見えないようなちいさな天窓 月明かりだけはぼんやり射しこむ天窓 古ぼけたガラスは古ぼけた木の桟に囲まれて 射しこむ光はゆがんで あのゆがんだ光の向こう側には きっとしょうけらがいて こっちをそうっとうかがっているのだ 脳裏に思い浮かべるしょうけらは 水木しげるの絵の通りで つまりは 鳥山石燕の絵にそっくりだったのだけど そのころわたしは鳥山石燕なんかしらなかった それから何年も何年も経ってしまって それでも夜半にふと目覚めて天井を見つめれば 今はもうない家の 今はもうない天窓から 今もやっぱり しょうけらがそうっとこっちをうかがっている ---------------------------- [自由詩]さかな。/佐々宝砂[2014年1月21日12時29分] どこであろうと 浜は潮臭く沼は生臭いのだと知った。 ならば。よろしい。 塩水湖をぐるりとめぐるいかにも寂しい鉄道の 無人駅のそばに男は暮らした。 男はいつも自室でひとり酒を呑んだ。 家族の顔を見るのがいやだった。 ことに自分の息子をみるのがいやだった。 息子は父親によく似ていた。 そして男は祖母によく似ていた。 ハワイ生まれの日系二世だった祖母に。 "Green Lady"の目はひとつきり。 "Green Lady"に鼻はない。 "Green Lady"の足はひれあし。 緑の髪は海草で、 冷たい肌はウロコでびっしり。 沼に行っちゃいけない。 沼に行くと"Green Lady"がおまえをつかまえるよ! そう言って祖母が男を脅しつけたのは あれは何十年前のことだったか。 入ってはならぬとされた三日月沼にはまって 行方知れずになったのは男ではなく祖母だった。 その沼もすでに埋め立てられて久しい。 "Green Lady"なんて子ども用の脅しに過ぎない。 過ぎないはずだ。 だいいちここは日本だ。 ハワイの妖怪がここにやってきたりするもんか。 男は首をふった。 窓ガラスに映る男自身の姿が見えた。 目を逸らした。 ひとつの単語が頭に浮かぶ。 さかな。 それは小さなころから男のあだ名であった。 男の顔を見れば誰でもなるほどと思うだろう。 頭全体が妙に平べったく極端に鼻が低く 丸く飛び出た両眼はあまりにも離れていた。 おまけに原因不明の皮膚病で 肌がいつもカサカサしていて まるでウロコのようだった。 俺だけじゃない。 ばあさんがそうだ。 息子がそうだ。 さかな。 いまいましい。魚は嫌いだ。 生臭い。べたべたする。気持が悪い。 あんなもん食べるやつの気が知れない。 昔を思い出して今さら憤慨しながら 男は箸で肉じゃがの小鉢をつついた。 すると小鉢からにゅるり現れたのは 小鉢には収まりきらないような 大きな大きなマグロの頭で――― あまり鋭利でない刃物で切られたらしい切り口から でろんと茶色い内臓が下がり 丸い目玉は白く濁り半ば腐って悪臭を発し しかもそいつは――― にやりと笑った。 肉じゃがを煮た嫁さんは そんなことあるわけないでしょう気のせいよ、と 明るく笑って亭主を仕事に追いだした。 そうよ、魚が笑うもんですか。 マグロなんてあんな莫迦な生物が笑うもんですか。 魚ってのは無表情なものよ。 ねえ? 海草の髪を持つ母親と 魚の顔した息子は 一つ屋根の下 楽しそうに笑いあった。 ---------------------------- [自由詩]ここ、通れます/佐々宝砂[2014年2月16日8時52分] 伊栖摩への道? あそこは友だちがいるから行ったことはあるけど。 地元民に聞くのがいちばんよ。 地元で聞いたらルートがややこしすぎたって? ややこしいルートが正解なの。 近道しようとするとかえって時間がかかる。 ねえ。 私が伊栖摩で迷ったときの話をしてあげようか。 あれは冬の夕方のことでね。 伊栖摩の友だちんとこに遊びに行ったの。 帰り道、友だちが教えてくれたせせこまい道じゃなく 広い通りを走りたくなった。 教えてくれた道よりはるかに広い道があったの。 方角はあっていたはずよ。 ところが走るにつれ道が狭くなってゆく。 あたりは生け垣の高い民家ばかりで見通しもきかない。 おまけにそこいらじゅう一方通行の標識だらけ、 一方通行を無視したら小さな沼につきあたる始末。 あそこらは沼が多いのね。 沼に用はないもの。 もういちどいま来た道をとって返して 一方通行地獄から抜けだそうとよくよく見ると 白い看板にはっきりした読みやすい赤い字で 「ここ、通れます」と書いてあるの。 もちろんそこに入ってみた。 川沿いの茶畑のあいまの道。 男蛇川か女蛇川だなと思った。 一方通行の標識はなし。 走ってれば広い道に出るだろうと進んだ。 しかしそうはいかなかった。 道なりに走って行ったら民家が減っていき そのうちなんにもなくなり 鬱蒼と木が生えてると思ったら そこにまた白い看板があって赤い字で。 「マルミ霊園」って書いてあるのよ。 こりゃ変なところにきちまったわと 引き返して。 また男蛇川だか女蛇川だかの川沿いの道。 今度は違う道を行こうと思って あえて一方通行を無視してみたのね。 そしたらまた白い看板。 真っ赤な文字で「ここ、通れます」 もちろんそこには入らなかったわよ。 またあえて一方通行を無視して走ると 十字路に出たわ。 すると進行方向すべての道に看板が立ってるのよ。 いつものあの赤い字で、 「ここ、通れます」 怖くなって車をUターンさせたら またもそこには白い看板。 「ここ、通れます」 通るしかないから通ったわよ。 川沿いの広い道に出たわ。 道なりに走ってゆくと 夜道にぼんやり明かり。 ああ明かりがあると嬉しくて走ってゆくと。 「スミミ霊園」って看板が立っているの。 もちろん白い看板に赤い文字で。 マルミっていうならまだわかるけど スミミってなによ。 しかたないから友だちんちに電話したわよ。 正直に道に迷ったって。 スミミ霊園っていうところに着いちゃったって。 友だちはなんかわかってるみたいで、 そのまま待っててねって電話を切った。 震えながら待ってると五分もしないうちに友だちが来て。 とりあえず一服しようって変なこと言い出すの。 この子タバコなんて吸ったかしら。 ちょっと不思議に思ったけれど 二人でタバコを一服。 それから地図書いてもらって帰ったの。 そのあと? あとはなんにもなかったわ。 ---------------------------- [自由詩]ParaParaInferno/佐々宝砂[2014年2月16日8時55分] 野太い声が きれいな顔の整った唇から出ていた。 好きじゃなかったので 特に気に留めもしなかった。 ただ名前だけはちょっとイケてた。 死か、生か。 踊るのもあたしは好きじゃなくて 壁の花にすらにならなくて カウンターで飲みほすウオッカライム。 連中が踊ってるのはパラパラ。 そう確かに パラパラって言ったと思うけど。 記憶っていうのはいつも怪しい。 パラパラパラ。 結局みんな崩れてゆくのだ。 パラパラパラ。 野太い声の持ち主の顔も。 泡ぶくみたいな恋も。 泡ぶくみたいなお金も。 泡ぶくみたいに。 あんまりみんなそういうから あれは泡ってことになってるんだよね、 あああたしって凡庸だな。 パラパラ。 崩れてゆく顔から これだけはかわらない声がひびく。 死か、生か。 ああ結局 あのひとも生きているんだね。 (for Pete Burns) ---------------------------- [自由詩]世界の蝶番は音もなくゆるやかに動いて/佐々宝砂[2014年2月16日23時11分] 世界が裏返るとき 世界のどこかで蝶番がきしむだろうか それとも 世界は一瞬のうちに裏返るだろうか ほんのわずかな音も立てないで たまに飲むビールは いつもの発泡酒と違ってちょっとだけ甘い あくまでもちょっとだけ 世界は今日も基本的には苦くてちょっとだけ甘い ちょっとだけだなんて あまりにもつまんなさすぎるよな。 強風吹きすさび 砂塵が空を茶色に染めても 世界は裏返ろうとしない わたしひとりが あっちの側に突き抜けることさえ 簡単にはできない それでも わたしは確かに 世界の裏返し方を知っていて 自らの内臓をさらけだし その臭い内容物をさらけだし やわらかな皮膚の裏側を したたる血とともにさらけだし そうすることによって すくなくとも わたしの世界は裏返る 世界の蝶番は音もなくゆるやかに動いて くるん。 ---------------------------- [自由詩]痒い夜/佐々宝砂[2014年8月18日23時30分] アトピーを掻きむしることのほかに 何ができるわけでもない夜 手の甲をがりがりと掻けば 私がこぼれる 私であったものが はらはらと床に落ちて蓄積する 少し血の滲んだ指に絆創膏を貼って いざ寝ようと布団を敷いたが またも痒くて眠れない 指を掻いたがまだ痒い 足を掻いたがまだ痒い 顔も背中も胸もお腹も 肛門のまわりまで掻いたが それでもやっぱり痒くてたまらない どうやら痒いのは布団の下の床である しかたないので布団を片付け 布団の下のカーペットも片付け 板張りの床をがりがりと掻けば ぼろぼろと床板がはがれる ああ掻くってきもちいい 欲望のおもむくままに掻きまくる 掻いて掻いて血が滲むまで掻いて ふと思い出す 旧約聖書レビ記の一節 あわててぼろぼろになった板を布で覆い カーペットをもとに戻し 布団を敷いて 無理矢理に目を閉じてみたが 今度は夜が痒くてたまらない そこにここに あっちこっちにあって汲み取れない夜 その夜自体が痒くて眠れない さてどうしたものか レビ記には対処法が書いてあっただろうか ---------------------------- [自由詩]虫の定義/佐々宝砂[2014年9月15日0時42分] 虫とはなんぞやという定義からはじめたら いくら秋の夜が長くても朝が来てしまう かといって わたしもあなたも虫のようなものである 地球からみたらダニがたかっているようなもんだ と知ったふうなことを言ってみれば 隣の和室の障子でチャタテムシが騒ぐ 小豆研ごうか人とって食おかなどとはいわないが あるいは古代中国では虎まで虫扱いしたんだぜ と書棚の李徴が怒り出しそうなことをつぶやけば 荒れ果てたわたしの庭でアオマツムシが鳴く 以前はあんなもんいなかったのにいつのまにか住み着いた あやつらとわたしは間違いなくちがうイキモノだよ とホモ・サピエンスらしい意地を張って焼酎を含めば キーンと虫歯に沁みたりする 秋の夜の歯に沁み通る酒はイタイねえ ぜんぜん白玉の歯じゃあないからだね だいたい虫歯の虫ってなんだよ ミュータンス菌って虫なのか そういえば水虫も田虫も虫なわけだが つまり白癬菌も虫なのか かつて白癬菌の巣窟であった足指が痒い気がして ぼりぼりぼりと掻きむしる美しからざる秋の女は 薄汚れた壁を這ってゆくアシダカグモに目をとめる アシダカグモは昆虫ではない 昆虫ではないが疑いなく虫である ミュータンス菌や白癬菌よりはずっと虫である 虫度が高いとでもいおうか そして見た目とは裏腹に アシダカグモはきわめて清潔な生物である 彼らの主食は雑菌にまみれているが アシダカグモの消化液はそれら雑菌を抹殺できる 自らの脚も消化液で清潔にする そして清潔も不潔もどうでもよくなるほどに 彼らの眼は美しい 引き出しの中で忘れ去られたビーズのように美しい ああそうだ すべて美しい眼を持つものは虫なのだ 青空がひとつの美しい眼を持ち 夜空が無数の美しい眼を持つならば 空もまたひとつの虫なのだ この身もまた美しい眼を持つ虫でありたい などとがらにもなく嘆息すれば 机のうえにひょんと飛んできたハエトリグモの 丸く磨かれたジェットのような四つのまなこ ---------------------------- [自由詩]姉たち/佐々宝砂[2014年10月16日9時26分] 末の娘は末の娘なので どんな失敗をしても許されます 開けてはならない箱を開けてしまっても 池の水をうっかり飲んでしまっても くしゃみしたあと神の名を唱えなくても 閉じてはならない扉を閉じてしまっても ほら森の木陰から池の深みから たくさんの救いの手が 小さなミソサザイ 賢いカケス ノルウェーの茶色い熊 虹のうろこの小魚 夜空に光る月にいたるまで みんながみんな末の娘を助けることでしょう 姉たちは姉ですから どんなことをしても失敗します 開けてはならない箱を開けてしまう 池の水をうっかり飲んでしまう くしゃみしたあと神の名を唱えない 閉じてはならない扉を閉じてしまう それで姉たちは罰されます 姉たちは姉であるがゆえに ミソサザイに突かれ カケスには馬鹿にされ ノルウェーの茶色い熊に半殺しにされ 虹のうろこの小魚に水をひっかけられ 夜空の月は顔を隠し 姉たちは闇の中をうなだれて歩きます 姉たちはわたしの同胞です わたしも姉たちのひとりです 闇を歩くのはいたしかたありませんが せめて顔をあげてゆきましょう 姉たちのひとりとしてわたしは進みます 姉たちのひとり 足が大きすぎただけの普通の娘と腕を組み 姉たちのもうひとり 薔薇ではなくバイオリンをほしがっただけの普通の娘と声をあわせて 罰された姉であるわたしたち 成長しても 焼けた鉄の靴を履いたお妃になるわたしたち 顔をあげてほほえんで 進んでゆきましょう 昏い方へ 昏い 昏い方へ ---------------------------- [自由詩]タロットカードのいちまいめ/佐々宝砂[2014年12月12日21時35分] 無限大をよこちょにかぶって 生真面目な顔して散薬を調合する あるいは坩堝をかきまわす 半分だけ金に変わった銅貨が あなたの夢想を具現する それが真実の科学の結婚で あなたの欲するものであるとして 私がここでこうして いつまでも虚空に手を伸ばして つかもうとしているものは何だというの 私はあなたに対比されるものではない あなたは陽ではない 私は陰ではない そう私たちは結婚できない いかなる意味においても でも ああ それは つまらない妨害があるという意味ではない 障害があるという意味でもない 夢想の科学の結婚こそが 私たちには遠いのだ 薔薇十字の下 永遠に灯り続けるランプがあろうとも 永遠に錆びることのない鉄柱があろうとも 歓喜の声をあげて 七の三倍の世界が完結しようとも あなたは無限大をよこちょにかぶって 上目遣いでこっちをみる 私は無垢な振りして白いドレスを着てみるが あなたの横顔を盗みみることすらできない それでも かみあわぬ私たちを アンドロギュヌスの片割れ同士ではありえぬ私たちを 月と太陽は ときおりは同時に照らしたりもするのだ ---------------------------- [自由詩]アーカム・ハウスの詩の小部屋/佐々宝砂[2014年12月18日12時45分] 待っているうちに、 背筋がちりちりしてきた。 正面の壁には食屍鬼の絵。 出されたコーヒーはいやに薄くて、 いつもは入れない角砂糖をひとつ落としたが、 ぜんぜん味がしない。 窓のむこう風がフルートのようにきこえる。 あれは風だ、風だ、ただの風だ。 風に決まっている。 ドアにノックの音、 それから、 顎の長い妙な顔したおちょぼぐちの男が、 するり音もなくはいってくる。 私は深く深くこれ以上ないくらい深く頭を下げて、 許しを乞い、 秘儀への参入を乞い、 イア! シュブ=ニグラス! と叫んでみたがどうやらこれは違ったらしい。 狂えるバストの司祭ラヴェ・ケラフは、 馬面を憂鬱そうに横に振り、 おもむろに、 自分の腕と、 顔を、 外した。 ――ないしょだ、ないしょ! なんで倒れたのかよくわからない。 私はじゅうたんに伸びていて、 目の前に椅子があった。 椅子のうえには、 二本の腕、 皺くちゃになった白い顔の皮膚。 さすがに怖いが、これはゲームだ。 たぶんゲームだ。 「闇に囁くもの」そのままの情景じゃないか、 これはやっぱりただ私を試してるんだ。 頭を働かせなくちゃならない。 私はあたりを見回す。 椅子の横には銀色の円筒がある。 あれがポイントだろうか? 銀色の円筒に触れると、 くらり、 私は、 地球から消えた。 ――ないしょだ、ないしょ! さて私は冷気の中に目覚め、 かぼそいフルートの響きに耳を澄ました。 もちろんあれは風なんかじゃない。 疑いなくフルートだ。 私はそれから書類に署名し、 ラヴェ・ケラフと力強い握手を交わし、 輝くトラペゾヘドロンを媒介に、 ナイアルラトホテップの姿を垣間見たが、 それ以上のことは、 あなたに教えるわけにいかない。 ないしょだ、ないしょ! 知りたかったら、 アーカム・ハウスの詩の小部屋においで。 銀色の円筒を持って待っている。 ---------------------------- [自由詩]Another Kiss/佐々宝砂[2015年1月3日18時04分] 一杯のお茶と読みさしの本と 夫と娘の寝息と膝のうえの一匹の猫 それが私には相応なものなのだと 私は知っていたしまた満足もしておりました そんなとき それは私の額に堕ちてきたのです 祝祭も戦争も宗教もない国から 恋も家族も不倫もない時間から 味噌汁も指輪も酒もアイロンも選挙権も 一切無関係な次元から それはまっすぐに堕ちてきて 私の頬をさっとかすめたのです でも かるく首をよこにふって いまはだめ まだだめ とつぶやくと 気配は消えました それでどうなったかってあなた それから長い長い年月が過ぎました 夫は十二年前に逝き 娘は四年前に嫁ぎ 私は白髪頭の婆さんになって 今でも信じて待っているのですよ ええ今度は くちびるに堕ちてくるでしょう きっと ---------------------------- [自由詩]ひとり/佐々宝砂[2015年6月15日1時06分] ひとり、は飛べるが、 ふたり、は飛べない。 雨のなかに手を伸ばすと雨姫の声が聴こえる、 きゃっきゃと笑いながら、 誰かをダンスに誘っている。 眠ったままのこどもが浮き上がる。 雨姫のところへ。 雨姫のドレスは暗い。 流れるしずくが 見えるか見えないかのくらさで。 どこかあまり遠くないところで鳧(けり)が鳴く。 夜に鳴く鳥は夜を飛ぶだろうか。 雨姫のダンスにはリズムがない。 あるいはひどい変拍子なので私にはリズムがわからない。 夜鳴く鳥が合いの手を入れる。 私にはわからないリズムで。 浮き上がったこどもが両手を天に伸ばす。 雨姫がその手を取る。 連れていかないで。 ううん。 連れていっちゃって。 その子が飛べるうちに。 ひとり、は飛べるが、 ふたり、は飛べない。 私は目を閉じて眠ろうとする、 そのまぶたに、 圧倒的な波が押し寄せる、 ふたり、でも 溺れることはできるかもしれない。 ---------------------------- [自由詩]ベテルギウスは突然に/佐々宝砂[2015年9月15日1時19分] 彼岸前に咲いた彼岸花 十日も早くやってしまった敬老の日 もう動いてない扇風機 時が早く行き過ぎるように思うのは 忙しいからでも年をとったからでもなくて たぶん 昨日の空と 今日の空に 違いがないのだと感じてしまう病のせいで 昼の空は知らんが 夜の空はめぐる いまは天頂に白鳥座 朝を待たずに ベテルギウスがその赤い顔を見せるだろう 昨年の夏と 今年の夏と 来年の夏に 違いがないわけがない 来年の夏 明け方の空で ベテルギウスは突然に ということがないとは誰にも言えない 恐怖の大王が支配しなくても アンゴルモアの大王が降りてこなくても 静寂にほど遠く イキモノたちが騒ぐ夜の庭で 空を見上げる 首が痛くなるほど空を見上げる 突然に ベテルギウスは突然に こころに満ちて爆発する ---------------------------- [自由詩]おまえが生まれた年に/佐々宝砂[2016年3月11日9時30分] おまえが生まれた年に 菜の花が庭にはびこって それはそれはたいへんだったよ おまえはまだ二ヶ月だか三ヶ月だかで はじめてみる菜の花に はじめて嗅ぐ菜の花に 目をまるくしたりぱちくりしたりした おまえが生まれた年に おまえのとうさんが 庭の杉の木を切った 大きな木だったから 切り倒したときは大きな音がしたよ おまえはまだ二ヶ月だか三ヶ月だかで 大きな音にびっくりして 両腕をつきだしてあたふたするから わたしはおかしくって笑ったものだった おまえが生まれた年に おおきな地震があって おおきな津波がきて おまえはまだ二ヶ月だか三ヶ月だかで 何もわかっていなかった わたしも 何もわかっていなかった わかっていないということだけわかってた おまえが生まれた年にも 春はきて 庭にはいつになくたくさんの 菜の花がきいろく咲き誇っていたのだけれども (2011.4月に書いたもの) ---------------------------- [自由詩]遊泳禁止区域/佐々宝砂[2016年6月14日9時02分] 白い波に足をひたして 海に走り込もうとするこどもをつかまえる 波に洗われる砂のうえ 何かの記念の石碑みたいに ぽつんと残される丸い石 背の立たない輝く水に浮かび ようやく息を継ぎながら ずんずん遠くなる岸をみていた あの記憶は まだふくらはぎのあたりに残っている 誰が招くのか 何が招くのか 遊泳禁止区域の看板の下 忘れられたまんまのサンダル 干からびたカジメ へこんだペットボトル ツメタガイが穴を開けた二枚貝 さほど美しくもない砂浜で わたしたちは確かに何者かに 招かれていることを悟りながら わたしはやっぱり 海に走り込もうとするこどもをつかまえる ---------------------------- [自由詩]大皿の日々/佐々宝砂[2016年6月19日10時53分] わたしたちは一枚の大皿に住んだ 皿は基本的に何の模様もなく 真っ白な大地にところどころ土が盛られた わたしたちはテントを張り ひまわりを植え にわとりを飼い 真っ白な地平線をながめた 地平のむこうには常に巨大な何かが霞んだ 大皿の生活は平穏で たまに地震があっても テントはテントに過ぎないので 恐ろしくはない 雨が降るほうが大変で わたしたちは大雨が降るたびに 禁断の地平線近くに避難した どうしてこの世界には地平線があるのか 地平線とはなんなのか 誰も疑問には思わなかったが 記憶に重大な穴があるのはみんなが知っていて 地平線に危なっかしく腰掛けるとき うっすらと何かを思い出すのだった 地平のむこうには今日も巨大な何かが動き わたしたちは大皿の上で生活に忙しい ---------------------------- [自由詩]夢の中で墓からでてきた黒人女が歌った歌/佐々宝砂[2016年6月19日12時45分] あいつはいつも金がなくて いつでも誰かに金をたかった 嫌われ者の ジョン・ホーミ・ウォーター! あいつはあいつでいいとこもあって 優しかった、野良犬にも、あたしにも ひとりぼっちの ジョン・ホーミ・ウォーター! あたしがいるのにあたしがいるのに おれはひとりだと笑う さみしすぎる ジョン・ホーミ・ウォーター! あいつはある日連れてゆかれて あと十五年は帰ってこない 檻のなかの ジョン・ホーミ・ウォーター! あたしはいつまでも若くてはいられない きれいでもいられない でも あたしは待ってる ジョン・ホーミ・ウォーター! 絶対に待ってる ジョン・ホーミ・ウォーター! ---------------------------- [自由詩]ちあらのはし/佐々宝砂[2016年7月15日1時12分] 牛が不思議に騒ぐ夜があるの。 台風の夜でもないし地震の前触れでもない。 乳に血が混じったりもしない。 虫が多いわけでもない。 まあ牛舎なんてのはいつも虫だらけだけど。 夜なのにもぐもぐ反芻している牛たち、 眠りもしないでどこかを凝視している牛たち、 しかたないから御札持ってでかけるわけよ。 家の裏手の。 ちあらの橋へ。 血を洗う、と書いて、ちあらと読む。 誰が名付けたか知らない。 いつからそう呼ばれているか知らない。 なんてことない田舎の橋。 自動車一台がやっと通れるような欄干もない橋。 そんな橋のまんなかあたりにしゃがんで。 持ってきた御札を 背中越しにぽーんと投げる。 家に帰ると牛は静かになっている。 それだけの話。 私の家ではそんなことを数十年は続けてる。 蘭の会月例詩集より https://t.co/8QAxYFMI6s ---------------------------- [自由詩]蕪の葉/佐々宝砂[2016年11月15日0時40分] わたくしの心にだって情念の火くらいはありますのよと 微笑んで密集した蕪を抜く 抜いても抜いても蕪は密集していて 今日も明日もあさっても蕪の抜き菜がおかずですねと やっぱり微笑んで蕪を抜く 微笑みを返してもらえないのはわかっていますのよと 蕪の泥をざっと手で落として蕪を洗う 小さな蕪を切り落としでも捨てるのはもったいないから 橙醤油に漬ける 蕪の葉はざくざくと刻む フライパンに胡麻油をひいて シラス干しがカリカリするまで火を入れて 切り刻んだ蕪の葉を手早く炒める ほんのちょっとだけ塩 入れ過ぎたらシラスも蕪の葉も負けてしまいますのよと 青菜に塩みたいになってる人に向かって微笑んで (ああわたくしは微笑んでばかりいる) 今日もお肉がなくって申し訳ありません うちの財布にはお金がありません 食品棚だっていつもからっぽです わたくしはどうやって火を維持したらいいのでしょうか いえ維持しようと思わなくても火は燃え上がるものなのです などとわたくしは申し上げたりはしなくて かわりに食卓にどんと焼酎の瓶を置く ---------------------------- [自由詩]したたれ/佐々宝砂[2017年6月15日8時48分] 生ぬるい湯が入ったゴムの風船、 それがわたしだ。 熱々だったことなんかないし、 凍りついたこともない。 手の届くところに何もかもがある。 肩こりの塗り薬(インドメタシン入り)、 豆乳で割ったウィスキー、 メンソールの煙草、 灰色のくたびれたカーディガン、 パンツ、 スマートフォン、 茶色な帽子がひとつ、 たくさんの本、本、本、本、 ニ穴パンチ、 それからこれはなに? 千枚通しだ。 木製の持ち手部分は油で黒ずんでいるが、 金属でできた部分はぎらぎらの銀色。 この部屋に誰かきたことがあっただろうか? わたしの意志に関係なく、 この部屋にものが増えたことがあっただろうか? ない。 そんなことはなかった。 ではこの千枚通しは、なに? したたれ、と声がする。 わたしはわたしの指に千枚通しを突き刺す。 てのひらに突き刺す。 太ももに突き刺す。 抗えない命令に従って。 生ぬるい湯が入ったゴムの風船、 それがわたしだと思っていた。 でも。 わたしがしたたる、 赤いしずくがいくつもいくつも、 ぺちゃんこになったゴム風船から這い出して、 はじめての外の空気を胸いっぱいに吸い込む。 ---------------------------- [自由詩]血と百合の遁走曲/佐々宝砂[2017年12月13日22時21分] 墓所 朝な夕な花を捧げる、 深紅の薔薇ではなく、 白い百合を。 ただひとつだけ、 海に背を向けたその墓。 没年は百年前かあるいは二百年前か、 墓石の文字は薄れて読めない。 なぜ心惹かれるか知らず、 疑いも覚えず、 ただ心惹かれるままに、 彼女は花を捧げる、 刈りとったばかりの、新鮮な、 露に濡れた白い百合を。 早朝の弥撒(ミサ) 賛美歌を耳にしたとたん、 彼女は叫び声ひとつあげずに倒れた。 明け方前の弥撒ははじまったばかり、 彼はまだ説教台にあがっていなかった。 床に落ちた聖書と百合。 抱き起こそうとする腕。 首筋にくっきりと刻印された紫の傷跡。 彼女から少しずつ離れてゆく信徒たち。 ざわめき。 まき散らされた百合は拾い集められ、 捨てられた。 彼は弥撒を中断し、 人々に口止めをした、 しかし今日のうちに噂は広まるだろう。 村は小さく人々は娯楽に飢えている。 誘惑 しかし私はあれを拒めません。 むしろ毎夜私はあれを待っているのです、 あれがやってきてはじめて生きていると感じるほどに。 まず犬の遠吠えで目が覚めます。 それから胸が悪くなるような臭いがするのです。 息苦しい、と思うと同時に、 胸に重みを感じます。 それから首に冷たいものが触ります。 すると私は何がなんだかわからなくなります、 いろいろなことが突然に変わってしまいます、 むかつくようだった臭いは甘く重い薔薇の香に、 喉に押された冷たいものは甘く熱いくちづけに、 そしてそのあと私は泥のように眠ってしまいます、 朝がきても目眩がして起きることができません。 今朝は無理矢理に起きてみたのです。 このところずっと弥撒に出られませんでしたから。 夜に目覚めるようになったのは、 あの墓に百合を捧げてからです。 海に背を向けたあの墓です。 なんとはなしに私はあの墓が気になっていました。 小さなころからです。 けれど百合を捧げたのはつい最近のことでした。 ねえ、神父さま、 淋しい墓に百合を捧げることがいけないことでしょうか? 私にはどうしてもそうは思われないのです。 どうか、お願いです、神父さま、 私を愛しているとおっしゃるのなら、 その首筋にキスをさせてください。 祈祷室 夜の祈祷室。 野イバラの蔦にいましめられて木のベンチに眠る彼女。 蝋燭の明かり。 窓辺にイチイの暗いざわめき。 彼は待っている。 流れる赤い血を持たぬ屍が、 なぜ血生臭い霧とともに現れるか? 死して久しい屍が、 なぜこれほどにひとりの女を魅惑するか? 彼は待っている。 用意するべきものは用意した。 大ぶりのナイフ、生のニンニク、 祈祷書、聖水、ケシの実、 そして鋭く尖らせたサンザシの杭。 彼は待っている。 誘惑のときを? 対決のときを? 否、拒絶のときを。 再び、墓所 母親の嘆きを彼は慰め得なかった。 どうしたら信じられよう、 桜色の頬と深紅のくちびるを持ち、 しかも夜になれば目覚める娘、 その娘がもうこの世の者でなかったと。 彼はすべてをひとりでやってのけたので、 疑う者も多かったのだ。 しかし彼は根気よく語りみなを納得させ、 海に背を向けた墓を暴いた。 そこには一人の男が眠っていた、 たった今死んだばかりのような顔色で、 深紅のくちびるから赤い糸をひいて。 だから彼はまたサンザシを削らねばならなかった。 みたび、墓所 彼女は古い墓所に小さな地下の室をみつけた。 埃に埋もれてふたつの柩があった。 長たらしい墓碑銘は彼女の手に余った。 ただ女の名だけが読みとれた。 私と同じ名前だわ! 小さく叫んで、 彼女は百合を捧げる。 彼女に手をひかれてやってきて、 まだ若い神父が墓碑銘を読んだ、 彼女は内容をとても知りたがっていたのだけれど、 彼はどうしてもそれを伝えることができなかった。 墓碑銘 死者のために、また、生者のために、 なんぴともこの者らに触るることなかれ。 キリスト再臨のとき到るとも、 清き百合を捧ぐるなかれ。 父と子と精霊の御名によりて。 エピローグ、彼 象徴的に屹立する塔の先端、 閉ざされた部屋に彼は横たわる。 寝床にはやわらかな布も肌もなく、 ただ冷たく並ぶ鉄の針。 灰色の壁、灰色の床、 目を楽しませるものは何もない、 無機的な空間で彼は祈る。 死語で。文字通り、死んだ言葉で。   赤く濡れた傷口から流れ出す、   生命の潮よ、   約束を口にするな!   それは神にのみ許されてあるもの。   ただ簒奪することしか知らぬくちびるよ。   キリスト再臨の時到るまで、   目覚めることなかれ、   父と子と精霊の御名において!   薄明の墓所の地下、   暗黒の柩に眠る青ざめた頬よ。   おまえは死ぬことがない。   しかしおまえは生きたことがあったか? いずれにせよ百合は冒される運命にある。 彼が敬虔に祈るとしても。 聖書を掲げ、聖水を撒き、 サンザシの杭を尖らせるとしても。 さて、読者よ、物語も終わりに近い、 お気づきかも知れぬが秘密を告げておこう。 さよう、サンザシの杭は牙と同じものなのだ。 彼がそれを知ろうと知るまいと。   私は眠りたいのだ。神よ。   平安を。眠りを。   この私に。 濃い霧のなか誰かが嘲笑う。 インキュバスか? 悪魔か? 魔女か? ラミアか? いや、違う、   彼女だ。 ――吸血鬼たちへのオマージュ、あるいはある詩人への挑発的恋文 ---------------------------- [自由詩]プロメーテウスのおバカさん/佐々宝砂[2018年2月17日22時18分] 火を盗ってきたから ここで炎が燃えているのだと プロメーテウスは言うのだけれど プロメーテウスはおバカさんだから 火から離れて星を見ている もちろん星はたいてい火なのだけれど そうじゃない星もあるけどそれはさておき とりあえず星はとっても遠い 遠い火 近い火 火にもいろいろあるけれど プロメーテウスのおバカさんは 遠い火が好き 手に入らない火が好き がんばらないと手に入らない火が好き プロメーテウスのおバカさんはきっと知らない 私たちにごく近いところで いえ私の内部で 火が燃え盛っていることを知らない 生まれたばかりのほかほかの赤ん坊でなくても なにか知り染めたばかりの若いのでなくても 熱意などなくても ここにはいつも火がある 私たちの細胞は常に 私たちが生きている限り燃え続け プロメーテウスのおバカさんは星を見る 私だって 火の番をしなくていいなら星を見る ---------------------------- (ファイルの終わり)