片野晃司 2006年10月24日21時24分から2018年1月1日4時57分まで ---------------------------- [広告]【広告】学校を出よう!〈3〉The Laughing Bootleg/片野晃司[2006年10月24日21時24分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


学校を出よう!〈3〉The Laughing Bootleg

谷川 流 (著), 蒼魚 真青 (イラスト)

価格:¥ 578 (税込)
 
レビュー:小池房枝
学校を出よう!シリーズ、現在第6巻まで。谷川流ならこちらもおすすめです。
折々&主要登場人物さんたちの誰もが涼宮ハルヒのどの面々にも劣らぬ際立たしさ、にもかかわらず彼らそれぞれの抱える切実なせつなさ、いたいたしさ、やさしさ。例えば1巻での、王道に則るところ優柔不断な主人公の、けれどその優柔不断さ故では決してない決断なんかしてやるもんかという決断や、巻を追うごとに深まり、なおかつ明らかにもなっていく世界観。そういうものがしっかり書きこまれています。
泣きそうになりながら笑かしてもらった第3巻「The Laughing Bootleg 」と、インスペクタとインターセプタが丁々発止する第5巻「NOT DEAD OR NOT ALIVE」を私はとりわけ愛するものですが、5巻は6巻と前後編ですし何よりamazon.に表紙が載ってなかったので3巻をあげておきます。よろしくどうぞ。

参考:学校を出よう!―Escape from The School
   学校を出よう!〈2〉I‐My‐Me
   学校を出よう!〈4〉Final Destination
   学校を出よう!〈5〉NOT DEAD OR NOT ALIVE
   学校を出よう!〈6〉VAMPIRE SYNDROME
 

---------------------------- [広告]【広告】タイム・アウト/デイヴ・ディグズ・ディズニー/片野晃司[2006年11月8日6時31分] Amazon.co.jp アソシエイト

タイム・アウト

〜 ザ・デイヴ・ブルーベック・カルテット (アーティスト), デイブ・ブルーベック (演奏), ポール・デスモンド (演奏), ユージン・ライト (演奏), ジョー・モレロ (演奏)

参考価格:¥1,696(税込)
 

Amazon.co.jp アソシエイト

デイヴ・ディグズ・ディズニー

〜 ザ・デイヴ・ブルーベック・カルテット (アーティスト, 演奏), デイブ・ブルーベック (演奏), ポール・デスモンド (演奏), ノーマン・ベイツ (演奏), ジョー・モレロ (演奏)


参考価格:¥1,895(税込)

レビュー:ふるる
買おうと思っているので。
あまりにも有名な曲(「タイム・アウト」の中の「テイク・ファイブ」)
ですので、なんて言ったらいいのやら。
映画「コンスタンティン」の中でキアヌ・リーブスがレコードでかけてたんです。
タバコをすごく吸う映画なんですが、タバコとレコードが似合う曲だなあと思いました。
いや、だからどうってことはないんですが・・・。
---------------------------- [広告]【広告】ミッケ! クリスマス/片野晃司[2006年12月13日4時14分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


ミッケ! クリスマス―I SPY 3 (大型本)

写真:ウォルター・ウィック 文:ジーン・マルゾーロ デザイン:キャロル・D・カーソン 訳:糸井重里

価格:¥1,428(税込)
 
レビュー:小池房枝
リアル・クリスマスプレゼントのかわりに、もし宝くじが当ったら、
もし届けたい人に届けられるのならば届けたい本のうちの一冊を紹介します。
12月ですのでクリスマス編、でもほんとはどれでも。
ウォーリーはどこだ!みたいな捜しもの絵本です。
見開きの写真一つずつがぎっしりふんわり一つの世界。

  くさりのついたくもがいる
  たつのおとしごってしってるかい?
  トランペットとようなしをさがそう。
  かえるとぶたとくまもいる

これは I SPY 3 のファンタジー編のとあるページの一節ですが
全部が全部、ボタンやビーズやスパンコールやペンダントトップなどなどなど。
プレゼントされた人は一人ででも家族とでも誰とでも遊べるし、
自分で買ってノストラダムスよろしく新しい四行詩を作るのも楽しいと思います。
---------------------------- [自由詩]フレアスカート/片野晃司[2007年1月3日16時37分] 冬の寒気が細く伸びて 岬の先のほうへ 鋭く尖っていった 遠くで生まれた赤土の丘が 最後に海へこぼれ落ちていく場所で わたしの そしてあのひとの フレアスカートのはためく裾から なめらかに伸びた白い両脚の 踵から先が薄く途切れて その先がない 赤い屋根がひとつ 海へ崩れ落ちていった つぎにわたしの家 そしてあのひとの家 その窓 その奥の細部が 記憶からぼろぼろと崩れてくる わたしたちの日々が わたしたちから 裾のほうへ薄く広がり そこからわたしの そしてあのひとの 脚がなめらかに白く伸びて あのひとの失われた日々へ 爪先立って降り立とうとして 海辺の雑草の中で 見失ってしまった 冬の最後の風が 岬の先のほうへ鋭く尖っていった あのひとの はためくフレアスカートが 岬から見える 同人誌hotel2006年5月初出掲載 ---------------------------- [自由詩]Yちゃんが道を渡ろうとしている/片野晃司[2007年1月27日22時31分] 音楽室の Yちゃんの真新しい椅子の後ろに Yちゃんの埃を被った椅子 その後ろに Yちゃんの足が折れた椅子 その後ろに ばらばらになった Yちゃんの椅子 その向こうは 床が崩れて そこへ 夕陽が落ちようとしている ゆっくりと菱形に捩れながら 錆び朽ちた軋み声をあげている その窓枠の隙間から はつなつの Yちゃんの太腿が見える その太腿が 草叢の中で立ち枯れた頃 Yちゃんの子孫ら あるいは 生まれなかったわたしたちが ようやく幾度目かの死を語り始めようとする 音楽室の Yちゃんの足が折れた椅子 その後ろの Yちゃんのばらばらになった椅子 その向こう 夕陽に追われて Yちゃんが道を渡ろうとしている hotel no14 2005/12初出 ---------------------------- [広告]【広告】画ニメ ざくろ屋敷 バルザック『人間喜劇』より/片野晃司[2007年3月10日1時55分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


画ニメ ざくろ屋敷 バルザック『人間喜劇』より

出演: 深澤研 監督: 深田晃司

価格:¥ 3,129 (税込)
 
レビュー:清野無果
「画ニメ」という、静止画のみの映像作品。紙芝居みたい。
原作はバルザックの同名の小説。
青年ルイ=ガストンの回想から始まる。
ロワール河畔の「ざくろ屋敷」で過ごした日々。
優しかった母、元気な弟の思い出。

一回見ても何とも思わなかった。
三回見たらぐっときた。
五回見たら泣きそうになった。 ---------------------------- [広告]【広告】母の詩集/片野晃司[2007年3月17日10時23分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


母の詩集

池下 和彦

価格:¥1,260(税込)
 
レビュー:たもつ
とある機会に、みつべえさんに紹介してしていただきました。
その時は私家版だから流通してないということで池下さんの住所も紹介して
いただいたのですが、さすがにいきなりお手紙を出すのもはばかられ、その
ままにしてありましたが、昨年、童話屋より出版され、本屋等でも手に入る
ようになりました。

平成三年からお母さんの認知症が発病し平成九年に亡くなるまでの、家族で
過ごした日々や、想いを詩に綴ってます。

なんていうんだろう、物すごく乾いたところがあって、それは詩人(と一言
で括ってよいのかわからないけれど)の視線、視点があって、深刻な状況を
自分のフィルターを通して、どうやって咀嚼していくのか、という葛藤の経
過であるようにも感じます。
だから、先ほど乾いたところがある、と述べましたが、逆に人間的な温もり
や悩みや迷いが生々しく伝ってきます。
この詩集を抱きしめて泣いてしまった。

母は地面をふく
さきほどまで廊下をふいていた
そのぞうきんを差し出し
こんなによごれていると言う
ふいてもふいても
きれいにならないと言って
なお
ふきつづける
母は大地と
じかに話しはじめたらしい

(『地面』より引用)
---------------------------- [広告]【広告】公用文の書き表し方の基準 ? 資料集/片野晃司[2007年11月13日20時15分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


公用文の書き表し方の基準―資料集

文化庁

価格:¥1,680 (税込)
 
レビュー:小池房枝
「こんにちは」の「は」は発音に反してどうして「わ」ではなく「は」と書くのかご存知でしょうか。いろいろな答え方があると思いますが、一つにはそう法律で決まっているから。
というのはウソですが(ですから信じないで下さいね)外来語の表記、現代仮名遣い、送り仮名の付け方やローマ字のつづり方等については総理大臣による内閣告示・訓令という形で「一般の社会生活において現代の国語を書き表すための基準」が発表されています。
違ったからといって何も罰則はありませんし、あくまでもこれは新聞、雑誌、放送など一般の社会生活における”よりどころ”にすぎず、科学、技術、芸術、各々の専門分野や個々人の表記、固有名詞ならびに過去に行われた様々な表現を(おそらくは現在、未来のそれをも)否定しないことは言明されています。
ただ、日本国としての国の言語活動(公用文書etc.)や学校教育や外国語としての日本語教育はこのラインで行くということ、それがこの資料集です。一々の取り決めはそれぞれ合理的な理由乃至は思惑があり、どちらでもいいのに兎に角どちらかに決めたというものではなく、例を追っていけば例えば「こんにちは」が「こんにちは」なのは未だ「こんにちわ」という一語ではなく「こんにち + 助詞の"は"」だからだな等、推測がつくことも多いと思います。
政府刊行物や校正に携わる立場でなくても、自分にとっての"正しい"日本語/個々人の言語感覚が一般に"正しい"とされる日本語に対してどのようなぶれやずれや曖昧さを持つものか持たないものか、表記に関して対照したいときにお薦めです。トリビアの宝庫としてもどうぞ。
---------------------------- [自由詩]星型の住宅/片野晃司[2009年3月28日20時22分] ダイ、ダイラ、 風吹きわたり 陽あたりのいい場所で 投げ捨てた果実の種が ことごとく芽吹いて巨樹となり 大地を引き裂いて ダイ、ダイラ、 風吹きわたり 陽あたりのいい場所で はらわたの 雑木を引きちぎり 舞い上がる星型の住宅 通信状況は良好 わたしたちは上昇しています 遊具は順調に回転しています 給湯器を再点火しています 羨望のまなざしで 生きているものと死んでいるものを 正確に識別できています 燃料タンクを次々と投棄しながら 若かったわたしたち そのわたしたちの子 その子らのてのひらが つぶつぶと群雲に吸い込まれていきます 遠くで千の島が沈んでいきます 皿の上で虫が死んでいます 洗濯機、トースター、 星型の住宅の いくつもの調度が落下しています 退色したダイニングキッチンが 雲の向こうへ落ちていきます テレビが、ラジオが、 ひとつひとつ沈黙していきます ダストシュートは腐敗しています 飲み水はあわ立っています かつてあったもの 手に入れたもの 戻らないもの 抜け落ちていくもの 忘れられながら わたしたちは 急速に老化しています ダイ、ダイラ、 赤茶けた小さな畳 剥がれ落ちたタイル 壁に貼った写真 わたしたちは まだ観測できています ダイ、ダイラ、 まもなくテープが尽きようとしています 星型の住宅が 燃えながら 砕け散りながら 空を横切っていきます 詩誌「ガニメデ」2007年4月 ---------------------------- [自由詩]断頭/片野晃司[2009年3月28日20時42分] T+74.130 Last radio signal from orbiter.*(注:Challenger timeline(UPI)) 切断された管をたなびかせながら 放物線を描いて落下していく頭部の中で 酸素吸入器のスイッチが入れられていた 遠雷の最後の残響 水鳥がいっせいに飛び立ち 切断されたわたしの頭部が 青空の中を墜ちていく その一瞬を分割し わたしは モザイク状に 停止している もう一度 瞬きをすることができる そして忘却 遠雷の 最後の残響 水鳥が飛び立ち 葦原の中で わたしたちが見送ったもの 海原のただ中で わたしたちが見送ったもの 草叢に埋没した無線室で わたしたちが聞き取ろうとした 欠損した最後の信号 そして忘却 わたしたちは死につつある そのわたしたちのすぐ隣で 呼びかけに応えることができる いま死につつあるあなた あるいはわたしの 首がまた分割されている その一瞬をさらに分割し記録する 切断された頭部の わたしたちはまだ生きている わたしはもう一度 瞬きをすることができる 遠雷 枯葦がいっせいに靡き 潮が満ちてくる そして忘却 幾度も繰り返された死を わたしたちは覚えることができない わたしたちのすぐ隣で また切断されるあなた その次にわたし 潮が満ちてくる そして忘却 首切られたわたしたちの数 首切ったわたしたちの数 杭打たれ 焼き払われ 掘り返され 埋められ 忘却 そしてまた断頭 杭打たれ 焼き払われ そしてまた断頭 いま 刃がわずかにうなじに触れる その一瞬を分割し わたしはまだ 瞬きをすることができる その声を聞き わたしはまだ 記録することができる 忘れられた 降りそそぐ六角柱のこと 未帰還の少年兵のこと 死者の数 縦型の船の白い頭部が 海面へ向かって静かに墜ちていく その一瞬が いつまでも続いている 呼びかけの声は まだ聞こえる ランギーユ! 詩誌「ガニメデ」2006年4月 ---------------------------- [自由詩]エネルギー/片野晃司[2009年4月4日21時51分] きのう 飛び去った飛行機のように 蛾が震えていた 取り残された最後の技師が 数値を記録し続けている 薄汚れた窓硝子の向こう 森を走っていく少年あるいは少女の白い素足が 境界を飛び越えながら 血まみれになる 笑いあい殺しあいながら なつかしい速度で 森を捲り上げていく 木々の 匂いのない死 切り倒され 塗り固められ 母の手紙すら届かない場所で いちめんの 子供らがいっせいに靴を脱ぐ きのう わたしたちは生まれ 青い光を見た そして 誰も助からない 観測所に残された技師の かすかな物音 壁の向こうの運河から溢れ出す 黒く苦い水が わたしたちの足音を浸していく 湿地に乗り上げた艀が 骨格から腐り 醜く崩れていく わたしたちの 墳墓の土は流れ去り 灰色の石棺が雨曝しになる 水溜りに向かって 傾いていくわたしたちの住宅 水浸しの小さな靴 その子らは助からない あるいは わたしたちは 誰ひとり助からない 薄汚れた窓硝子の内側で 銀色の鱗粉が舞い上がる いま 生まれたばかりの子供が いっせいに年老いていく 埋め立てられ 塗り固められた 観測所の 最後の技師が 信号弾を打ち上げる 渾身の力で             詩誌「ガニメデ」2006年12月 ---------------------------- [広告]【広告】夜の魂 天文学逍遥/片野晃司[2010年2月14日7時12分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


夜の魂―天文学逍遥

チェット・レイモ(著) 山下知夫(翻訳) マイケル・マカーディー(木版画)
工作舎

価格:¥2,100(税込)
 
レビュー:小池房枝
詩を読むひとのための詩的かつ真正な天文学。
夢見がちな詩人のためのリアル天文学。
出版は1980年代ですがニュートリノ振動や太陽系の銀河面に対する公転等々、
科学書としても古びていないエッセイ集です。
ファンタジックだけれども、ファンタジーではなく、
絶対零度すれすれでありながら、温かく生きいきとした宇宙。
なんのタグもなくカーソルもダブルクリックも効かない本当の空を
自分の目と手で見はるかすために。先人達の詩と知識とともに。
挿絵の木版画もとても似合っていて美しかったです。
---------------------------- [自由詩]大庭園/片野晃司[2010年3月24日19時39分] 庭園を吹き渡る気流に乗って山脈を越えると なだらかに広がる山腹の緑の森と 森に囲まれた湖 そして川があり滝があり 庭園を巡る園路は地形に沿って這い回り 緑の平原は地平まで広がり その地平の先には薄暗く暗い海 その先に島がありまた海があり その先にもさらにこの庭園は広がっているのだった わたしたちは この庭園で生まれ庭園で出会い 少年であり少女であり 手をつないで駆け回り 泥にまみれ 川を泳いで渡り 花を摘んで髪に飾り 夜は抱き合って眠り 園路の曲がり角で また分かれ道の真ん中で ときには庭園を巡るひとの足元で いつでも互いの性器に触れることができた 道すがら 木陰の苔の上へ子を産み落とし それらが成長して わたしたちは少年であり少女であり わたしたちはあまくやわらかな皮膚につつまれてみずみずしく 猛禽にとっては格好の餌であった わたしたちは たやすくその白い皮膚を脱ぎ捨て 捕食の歓びとともに舞い上がり 猛禽の血となり肉となり その広大な庭園の一角を眺めることができた 川に入れば魚の餌となって海へ下ることもできた 獣の肉となって遠くまで駆けることも 地に腐り巨樹となって森を見渡すこともできた そうした快楽の繰り返しの先に ひとがけっして生き抜くことのできぬ季節があり わたしたちすべてが わたしたちをかたちづくる粒子ひとつひとつが散逸し 愛するひとも親も子も兄弟もわからなくなり それはそういうしくみなのだった その季節のあとで わたしたちはまた出会いなおし わたしたちは少年であり少女であり ひとがけっして生き抜くことのできぬ季節があり その季節の先にもさらにこの庭園は続いているのだった (詩誌「ガニメデ」vol.44 2008年12月) ---------------------------- [自由詩]大鉄道旅行時代/片野晃司[2010年3月24日19時40分] そうして 列車は燃え上がる火山の山腹を廻り 向かい合って座っていた僕たちの 車窓から美しく災害が眺められた 列車のドアから乗客たちが飛び降りていった 飛び降りては降りそそぐ炎のように水鳥を抱えて舞い戻ってきた 噴石に打たれてばらばらになった男が びっくりしたような目をして飛び乗ってきた 僕たちは手をつないだままで窓から飛び降りては 丘の上から列車を眺め何度でも飛び乗った 客車はどこまでも連結してどこまでも果てがないから どこで乗ってもよかった 手をつないだままで 生木のようにふたりで山腹で燃えてもよかった 死んでいくきみを車窓から眺めながら 昼食のパンを食べるのもよかった 死んでいく僕を車窓から眺めながら きみが昼食のパンを食べているのを 僕は生木のように燃えながら眺めるのもよかった 断層を引き千切り褶曲の丘を切り通し 荒れ狂う川に沿ってカーブを描いた 川面は膨れ上がって幾度も列車を飲み込んでは 枯れて乾いていった 乾いた頃にまた泥水が押し寄せてきた 家がいくつも流れていった 車窓からそれが美しく眺められた 流れていく家の窓から 走っていく列車を眺めるのもよかった 乗客たちが川へ飛び込んでいった 飛び込んだ端から川は乾いていった それから濁流が押し寄せた 干上がっていく川底の魚たちのように 泥の中に身を横たえて列車を眺めるのもよかった 列車は風に靡く草原の暗闇へ飲み込まれていった ひとは宇宙空間でさえ何分も死ぬことができない そう教えてくれたのはきみだったか 線路の敷石の下で幾層もの堆積が歪み 深みへ落ち込んでいく それが線路の立てる音でわかる 枕木の下で幾層にも死んでいった僕たちが その重みで深みへ落ちながら溶けて 地平の先からまた昇ってくる それが暗闇を走る列車の軋みからわかる 僕たちは手をつないだまま 暗闇を走る列車のあかりを見た それから風に乗って 眼下を走る列車を見た それから 大地の下に仰向けに沈んで 夜空を走る列車を見上げた 客車はどこまでも連結してどこまでも果てがないから どこで乗ってもよかった 夜はもたれあって手をつないだまま眠り 昼は向かい合って外を眺めた (詩誌「ガニメデ」vol.45 2009年4月) ---------------------------- [広告]【広告】ツバメ号とアマゾン号 (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)/片野晃司[2010年7月7日19時56分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


ツバメ号とアマゾン号(上)

アーサー・ランサム (著), 神宮 輝夫 (翻訳)

価格:¥798(税込)
7月15日発売 
レビュー:片野晃司
イギリス児童文学の傑作。湖水地方を舞台に繰り広げられる少年少女とヨットの物語。ランサムの他の物語も順次発売予定。
(以下アマゾンの紹介文)
夏休み、ウォーカー家の4人きょうだいは、小さな帆船「ツバメ号」に乗って、子どもたちだけで、無人島ですごします。湖を探検したり、アマゾン海賊を名乗るナンシイとペギイの姉妹からの挑戦をうけたり、わくわくするできごとがいっぱい! ---------------------------- [広告]【広告】なんとなく・青空/片野晃司[2011年3月13日16時19分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


なんとなく・青空

工藤直子・詩 (著), あべ弘士・オブジェ (著) /文化出版局

価格:¥1,400円(税別)
 
レビュー:小池房枝
図書館の新刊書コーナーでなんとなく・手にとった小さなこの本。工藤直子さんの新刊。なんとなく・不思議な針金小枝ニンゲンの表紙に誘われ読み始め、なんとなく・すらすらさらさらと読み終えてしまったのですがとても良かったです。どことはいえず、今までの工藤さんの詩とは(のはらうた、や、ともだちは海のにおい、や、てつがくのライオン、等が有名だと思うのですが)またなんとなく・ちょっと違う感じ。
あとがきによると身のまわりのモノや風景と工藤さんのやりとりを書いた詩、だそうですがその身のまわりのモノや風景というのがまた工藤さんの場合ちゃぶだいやナベブタ、ミノムシや太陽系や食器棚の宇宙、なわけで・・・。
どうしてここにきたの?と問われた青空の答えは「なんとなく」。なぜ「なんとなく」なの?とさらに問われた答えは「ははは」。それには返事が出来ない、「なんとなく」は最終的返事ですから、とのこと。そう、ほんとに。というわけで、おすすめです。なんとなく・ほっこりととても良かったので。
---------------------------- [広告]【広告】地震の科学/片野晃司[2011年4月15日19時43分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


地震の科学(パリティブックス)

パリティ編集委員会/丸善
 
レビュー:小池房枝
三月以来、図書館で地震ならびに原発関連の本がぞろりと並べられていた中の一冊。
阪神・淡路大震災後には報道や災害対策などに重点をおいた関連書籍が四百点近くも出版されたが、既存の著書に一章書き足しただけのものやハウツーものも目立ったとのこと。だが、災害軽減を実現するためにはまず地震現象そのものの理解が不可欠と考え、地震の物理を一般の読者にもわかりやすく提供すべくわが国で唯一の物理科学雑誌(!)に連載された記事をまとめた本がこれ、だそうです。1996年の出版ですから新刊ではありません。
一般の読者にわかりやすく、と言われても物理学の常。通読して数式等はほぼお手上げでしたが、各種地震用語、マグニチュードの種類、プレートテクトニクス理論が確立する前から地震の研究はずっと行われていたこと、予知と観測、災害と防災、宏観前兆、もちろん津波についても、初めて知ったり、頭の中であらためて整理できたりしたことが多かったです。台風同様、地震そのものを消し去ることは出来ない。けれど普段からの、研究者や自治体での少しずつの研究の進歩や誠実な取り組みには、人間を信じていたいほうの気持ちを支えられるような気もしました。
通信全盛の時代ですが、本には本の役目がまだあります。情報の断片の洪水に押し流されながらではなく、自分ひとりで考えながら読めること。ネットを使いこなせる人ならば少し古い本の何処が古いか、古びていないか、確かめながら読み進む読み方も出来ること。
いざという時(今が/今も、)発表やら流言やらになるたけ右往左往しないための自分ワクチン、慌てないため、せめて少しでも腹を括るためのワクチンとして今更ながら有効でしたので紹介します。amazonでは78円とか4800円とかよく分からない値段が出ていますが、定価は1600円。余震尚、揺れ止まない夜に。
---------------------------- [広告]【広告】チェルノブイリの森 事故後20年の自然誌/片野晃司[2011年4月15日19時47分] Amazon.co.jp アソシエイト
 


チェルノブイリの森 事故後20年の自然誌

メアリー・マイシオ (著)/中尾 ゆかり (翻訳)/
日本放送出版協会 
レビュー:小池房枝

三月以来、図書館で地震ならびに原発・放射能関連の本がぞろりと並べられていた中にはなかった一冊。あくまでも自然誌、だったからでしょうか。事故、原発のしくみ、雨と大気の中で起きていたこと、ひとびと、現地を訪れるための手続き、そんな感じで始まります。
決して同心円状だったりはしない危険区域、それぞれに異なる性質を持つα線とβ線とγ線、半減期だけの違いではない放射性元素のふるまい。そもそも放射線が生体にどのように作用しそれ故にどんな害が生じるのか、最初に原発反対ありきではなく、ましてや推進の立場からでもなく、たんたんと文章は進みます。なにしろ、自然誌ですから。
環境と食物連鎖の中を静かに行き来する核種。例えば、浅く広く菌糸をはりめぐらせるため表層の汚染を一身に濃縮してしまうキノコ。それを食べるイノシシ。河川、養魚池、湿地帯、湖、地下水など水系の循環、拡散。事故以来、20年余もほぼ無人だったせいで再出現した森と、ヘラジカやウモウコウマなどの大型動物たち。鳥たち。
放射能的にはホットなゾーンの春夏秋冬、四方を訪ねた後に、筆者は人間の問題にたちかえります。侵入者、帰村者、健康被害補償の不備、子供たちに対する援助の質。為されるべきだったのに為されなかったこと。高レベルではなく低レベルの放射線を長期間浴び続けた場合の人体への影響の見積もりは研究者によっても意見が異なってしまうこと。そうなってしまう理由。
最終章の子孫へのメッセージも所謂、教訓などではありません。それが何なのかはどうぞ、機会があったら、或いは機会を作ってこの本を読んでみて下さい。ツナミ、に続いてフクシマまでもが今、片仮名になってしまってとても悲しいです。それでも、本を読む余裕のある方、テレビや新聞やネット等とは違う資料も欲しい方におすすめです。amazonでは先ほど中古品19,750円より、ということでまたよく分からない値段になっていましたが購入する前にもまずは図書館で探せることと思います。定価は2310円だそうです。
---------------------------- [自由詩]ともだち/片野晃司[2013年1月6日0時42分] ホームを切り裂いて列車がページを捲っていく。同色の 制服に制服を重ね着してずきずきと圧密する、頭痛がちな 通勤電車のようにきつく綴じられた紙の隙間を押し開き、ぼくと 膝頭から胸元まで触れるほど巧妙に組み合っているきみに、この 前のページの出来事をぼくは教えないし、この 次のページで何が起きるかもぼくは教えない。たとえば 《永きにわたりご愛顧いただきました言語ではございますが》 ぼくたちを充満したこの通勤電車が鉄橋を渡り、腰つきの 丸みを帯びた川筋沿いに小さくなっていく精密の先へ視線を辿ると、雁行して 近景から遠景へと追い越しながら高速度できみと並走する、鈍色の ふたつの頂点をもつ山影がみえる。きみは あの山が見渡すこの平野を覆う蛹の殻のように、すべてが 言語で説明されているのを見ることができるだろう。でも それはあの山から見渡せるこの平野に限ってのことだ。その 先のことはぼくにはわからない。きみとぼくの すべてのはじまりがどこにあって、きみとぼくの すべてのおわりがどこにあるのか、いま こうして詰め込まれ向かい合っているぼくにはわからないこと。たとえば この先のページのことをいまぼくが教えないように。充満した ひどくひといきれにもみしだかれるこの通勤電車の、きみに 向かい合い触れ合うぼくときみがこれまでになく密着して、充満した ぼくときみの狂おしく重複する説明たちが殻を軋ませるとき、きみは その殻のなかですこし身じろぎをする。たぶん 《永きにわたりご愛顧いただきました言語ではございますが》 誰かが同じことをどこかで説明している。つまり この通勤電車の同種の細胞の集合体のように渾然と揺れている、その 一部を摘出して、どれかがぼくであり、どれかがきみであり、こうして 膝の間から胸元までが触れるほどにきつく組み合っているあいだ、これが ほんとうにぼくたちなのか、そもそも ぼくたちはほんとうにともだちなのか、その 疑念がきみについての説明にはじめから含まれている。ぼくは ここにいて、ぼくのことをきみが説明できるのなら、ぼくは 説明そのものであり、これは説明そのものだ。たとえば ぼくがきみを説明できるのなら、きみは 説明そのものであり、ここにあるこの説明がきみだ。いま ぼくの胸がきみの胸にふれる、その 感触を言葉にしてしまうとき、ぼくは きみを覆う蛹の殻に触れた気がする。きみがいま 蛹の殻のなかですこし身じろぎをした気がする。扉が開き 《永きにわたりご愛顧いただきました言語ではございますが》 《このたびサービスを終了させていただくこととなりました》 どこかで聞いた説明が入ってきてすこし狭くなる。扉が開き どこかで聞いた説明が入ってきてまた狭くなる。きつく 綴じこまれてぎりぎりと頭痛がちな制服のすきまで、ようやく きみとぼくのこと、走り去っていく風景のこと、すべての ことがらが説明され尽くされたことがわかる。いま ページの隅で通勤電車は停止して、きみは このページを閉じようとしている。 (詩誌ガニメデ五十一号掲載 2011年4月) ---------------------------- [自由詩]戦闘少女、戦闘少年/片野晃司[2013年1月6日0時46分]  襖で仕切られた四畳半の、その襖を開けるとまた四畳半、また四畳半、大きさの異なる箪笥がいくつもあり、埃避けの布を掛けた雛壇があり、その隙間にすっかり平たくなった綿布団があり、そんな部屋が前後左右に際限なくあって、そこでいま僕は少女である。どこかで襖を次々と開けて駆けていく物音がする。足音から裸足の足の裏が生え上がり両足のあいだから尿の匂いがする。そしてまた別の尿意が遠くで襖を開けて駆けていく。そしてまた別の尿意。開けて襖、そしてまた襖、箪笥、雛壇、布団、尿の匂い。いま私は男の子である。横切って襖、横切って襖、荒々しく足、荒々しく股、荒々しく腹、荒々しく胸、荒々しく腕、荒々しく指、荒々しく尿意、そうして襖を荒々しく開くたびに、その開ける瞬間の一瞬前まで、そこに誰かがいた気配がする。いま僕は少女で、いま私は少年で、なにもかもがまんできない。  どこかで戦いの音がする。高空で一機の飛翔兵器がもう一機に空中衝突しようとしている。照準の中心に捉え、加速する。翼端をかすめて反転し、そしてまた反転。美しく整備された機体がきらきらとしなやかに伸び上がり、気流に沿って反り返り、腰のあたりを中心にして回転する。操縦される私、操縦される僕、ゆびさきが曲げられ、つまさきが曲げられ、うでが曲げられ、あしが曲げられ、微細な電撃が走り抜ける。  それをしてみたかった、いちどしてみたかった、このあいまいなからだもこころも、このあいまいなせつめいも、ぜんぶうそだったんだってひっくりかえしてみたかったって。ぜんぶうそだったんだって、ぜんぶぜんぶうそだったんだってほうりなげてみたかって。不可聴の交響楽に打ち滅ぼされて、まったく役立たずだったって。  いま僕はひとつの神経細胞となってきみに触れている。いま私はひとつの神経細胞になってあなたに触れている。どこかで襖を次々と開けて駆けていく物音がする、その速度はおよそ秒速100メートルである。僕のうごきがきみに伝わり、私のうごきがあなたに伝わり、まじりあい、戦い、まじりあい、戦い、いま僕は少女であり、いまきみは少年である。  高速で衝突しようとしている僕/私の視点から、きみ/あなたの身体の詳細が明らかになってくる。光沢から肌目、肌目から微細な産毛、汗腺、そこからさらに衝突していき、方形に仕切られたひとつひとつの単位が見えてくる。さらに視点は衝突していき、きみ/あなたの中で僕/私は消滅する。わらっちゃうよね。わらっちゃうね。きもちよすぎてね。このままこの紙ぶち破って外まで出てみようか、このかっこうのままで。  襖で仕切られた四畳半の、大きさの異なる箪笥がいくつもあり、埃避けの布を掛けた雛壇があり、その隙間にすっかり平たくなった綿布団があり、そこで僕は少女である。そこで私は少年であり、あなたは少女であり、つりあっているから僕ときみとのあいだでいつも荒々しく戦いが始まるのだった。いちどやってみたかった、たのしかった、いつもやっていたかった、つかみ合い、すれ違い、組み合い、逃げては追い、どこまでも逃げてゆき、どこまでも追ってゆき、そろそろおしっこしたいよね、襖を開ける、襖を閉める。いそがないとね、襖を開ける、襖を閉める、箪笥があり、布団があり、そろそろがまんできないよね、きみは最新の兵器となって僕になり、あなたは最新の兵器となって私になる。完全につりあっているから最後には消えておわる。 (詩誌ガニメデ五十二?号掲載 2011年○月) ---------------------------- [自由詩]シャッター/片野晃司[2013年3月20日7時48分] つまりそういうことにしておこうかな)あっちこっちで閉じ忘れた括弧をあつめて閉じて廻ってみたりして)立派なカメラを持ってるくせに何もしないから)こちらからタイミングよく飛び込んでいかなくちゃならない)背景の紫陽花までもが泥を蹴立てて彩りよく飛び込んでいかなきゃならない)レンズをすり抜け、シャッターをすり抜け)肌色みずみずしく紫陽花と一緒に拘束されていなくちゃならない)その間わずか千分の一秒である)被写体としてのわたくし界が襲いかかっていくような)つまりそういうことにしておいて)こっちはいいのにそっちはそんなで)ノートの切れ端に懸想文なんていまどき誰も書きもしないから)文字のほうから意味深に集まってはぴりぴり剥がれてあなたのまぶたのすきまへ飛び込んでいかなくちゃならない)謝らなくていいよって言ってほしいのかな)もうどうでもいいよって言ってほしいのかな)むしろ校庭の隅で復讐ノートなんかが発掘されたらいいんじゃないかな)死ね、死ね、とかね)冷めたのをこすってはあたためなおしたり息を吹きかけたり)料理のほうからはだかになって唇のすきまへ飛び込んでいくような)つまりそういう料理としての話者わたくしが)サラダにはなめくじ、皿にはかたつむりを添えて)雨の中をはだかで採ってきた朝取り野菜なのだから、と思いなさい)ほら、起立。そしてもぐもぐ。もぐもぐしなさい、もっとよく見えるように)雨降りの通学路なのにいつまでも走り出さないから)遅刻したらどうなるのかな、二十年くらい遅刻してみようかな)田んぼから溢れたあまがえるでいっぱいの濡れた道だから走らなきゃならない、目をつぶって)靴底とアスファルトの中間にあまがえるが飛び込んでくる。間隔は半分になり、その中間にあまがえる)また半分になり、あまがえる)半分)半分)半)半)半)半))))そうしてあまがえるたちがあの子の千分の一秒を引き止めているあいだに校舎は建造物からひとりの生徒へと変身しなくちゃならない)つまりひとつの校舎が生徒として犠牲にならなきゃならない)つまりそういうことにしておこうかな)靴下を泥だらけにして校舎が)制服びしょぬれで校舎が)五秒、四秒、傘に隠れたふりをして校舎が)三秒、二秒、全力で閉じようとする校門をすり抜けようとして校舎が)踏みつけたらどうなるかな、踏みつけてみようかな)一、〇、ぐしゃっと音がして校舎が)起立して。もぐもぐして。ちゃんともぐもぐしなさい。もっとそこがよく見えるように)だからそのあたりを撮っても校庭しか写らないのだった)最後にはのどの奥からいわしの骨のひとつでも踊り出なきゃならない)最後には歯のすきまからアスパラの筋の一本でも這い出てこなくちゃならない)なにごともそんな具合に)あっちこっちで閉じ忘れた括弧をあつめて閉じて廻ってみたりして)結局のところそういうことにしておこうかな。 二〇十二年五月 詩誌hotel第二章 ---------------------------- [自由詩]ショッピングモール/片野晃司[2013年7月20日13時14分]  ほら、たべものがよかったのかなわたし、おいしくできてるからわたし、ほら、軟骨はつやつやとしてみずみずしく、膝はつやつやとして夜に半月映るし、ほら、かわいい服とかかわいい靴とか、化粧品たち、小物たち、ほら、彩りよく盛り付けて、わたし今かなり臓器の具合よくてね、骨の髄からどきどきしてきてね、もっと素肌見せたいよね、粘膜つやつやだしね、ほら、もうすぐたべられちゃうのかなわたし、ほら、唇から粘膜へぐるりと裏がえしていって、わたしぐるりと裏返していってね、たべごろのそれら飲食店街区画、ほら、はらわたしゃぶられてしまうわたし、まっすぐはいっていくと背骨のうらがわごつごつとあたってね、S字にカーブして両側に肋骨、遊歩道を軸線としてショッピングモール北区画および南区画、ほら、完璧に対称系でしょ、たべられるのもたべるのも。  あっ、たましいがはいっちゃう。ダミーすなわちマネキン人形にたましいがはいっちゃう。いれかわりたちかわり、春には夏物、夏に秋、秋には冬、冬は春、FRP等の樹脂製であるところのわたし、着せられ、脱がされ、倒され、しまわれ、ひきだされ、あっ、お客さま、そんなに見られたらたべてしまう、あっ、やわらかいお客さまのいちばんやわらかいあたりからたべてしまう、じゅくじゅくとやわらかく湿り気を帯びてしなやかなお客さまの指先でさわられてしまっては、FRP等の樹脂製であるわたし、銀色にコーティングされた硬質のわたし、あっ、お客さまを押し倒しちゃう、あっ、お店にたましいがはいっちゃう。お客さまを排泄したあとは乾燥したFRP等の樹脂製であるところのわたしおよび乾燥した鉄骨およびコンクリート等の建築であるところのショッピングモール服飾店街、朝、シャッターが開き、あっ、やわらかな肉であるところのお客さま、みずみずしい肌であるところのお客さまがふたたび満ちてくる。  わたしはいまたべられるべきである、性交として  たべられるためにみずみずしく、生殖として  ほとばしり微細に交雑する色彩の家畜のように  わたしはあなたに調理されるべきである。わたしは  おいしげにくびをかしげてみせることができる(5点)。  音をたてずに皿のスープになることができる(30点)。  視線は這いつくばってわたしをねぶるべきである。わたしは  北区画と南区画を対称に分割する遊歩道を歩くべきである。  つまりショッピングモール、つまり腸詰めとしての  お客さま、店内奥の試着室に入るべきである。いますぐに  ファスナーを開き、たべられやすいように髪を上げ  なめらかに背骨の裏側で透明なよだれを流しなさい。  それから館内マップをごらんください。  ほら、たべものがよかったのかなわたし、襲いかかっていくからわたし、ほら、軟骨はつやつやとしてみずみずしく、膝はつやつやとして夜に半月映るし、ほら、かわいい服とかかわいい靴とか、化粧品たち、小物たち、ほら、あなたを彩りよく盛り付けて、ショッピングモール、床も靴も脚も腰もつやつやでね、店舗デザイン、あちこちでたべたものが姿を変えてわたしになっていってね、ディスプレイ、おいしくてとまらなくてね、ほら、もっと素肌見せてほしいよね、粘膜つやつやだしね、ほら、やっぱりたべちゃうのかなわたし、あなたを唇から粘膜へぐるりと裏がえしていって、たべごろのそれら服飾店街区画、ほら、はらわたしゃぶってしまうわたし、ほら、あなたがやわらかく消化されていって、わたしがすこしあなたになる。ほら、骨をしゃぶって、もうすこしあなたになる。唇から喉、その奥へまっすぐはいっていくと背骨のうらがわごつごつとS字にカーブして両側に肋骨、遊歩道を軸線としてショッピングモール北区画および南区画、ほら、完璧に対称系でしょ、たべられるのもたべるのも。 詩誌ガニメデ55号2012年8月掲載 ---------------------------- [自由詩]つまりデートコース、/片野晃司[2014年2月20日6時07分] つまりわたしたち、息詰まる草花たちの体臭と湿度のなかで、街路樹があり、ゆるやかに放物線を描く遊歩道があり、手すりがあり、低く絡みつく視線のなかで、プランターがあり芝生がありベンチがあり、ガラスがありステンレスがありプラスティックがあり、服飾がありアクセサリがあり、敵があり味方があり、もっともなめらかな部分があり、もっともやわらかな部分があり、そして交差する視線、身を隠す薄暗い窪みがあり、食事の予約があり、公共の場所でのセックスはきつく禁じられていましたし、深くキスを交わすことも、みだりに下着を覗かせることすらもできませんでした。そして敵、襲いかかる凶器、つまりわたしたち、死ということについて語り合いながら、いまここでそれを確かめることはできませんでした。つまりわたしたち、沸き立つ内臓の狂乱をひそかに押し隠しながら、放物線を描く遊歩道があり、適切な速度があり、絶え間なく飛び掛り襲いかかる視線があり、切り苛まれるような筋肉の欲情があり、息詰まる草花たちの体臭と湿度、そしてまた襲い掛かる視線、そして磨き込まれ輝かしく地平から立ち上がる凶器たち、つまりそのなかでわたしたち、残された時間について語り合いながら、いまここでそれを確かめることはできませんでした。つまりわたしたち、炎の這い回る遊歩道で爪先を躍らせながら、傾斜していく日差しの角度に赤々と押し潰されていくようでした。つまりわたしたち、そのとき息詰まる草花たちの交尾臭のなかで、燃え上がる街路樹を眺めながらわたしたち、物蔭の薄暗い窪みを探してもそこには必ず先客がいて厳しく追い返されるのでした。つまりわたしたち、正確に計算された露出、正確に計算された色彩、正確に計算された動作、それらがいまこの一瞬のために完全に統制されていなければなりませんでした。ゆるやかに放物線を描く遊歩道があり街路樹があり手すりがあり、プランターがあり芝生がありベンチがあり、転がり落ちる燭台のようにわたしたち、触れるべきわたしたちの部分について語り合いながら、いまここでそれを確かめることはできませんでした。そして視線、服飾がありアクセサリがあり、倒れこんでいく草花たちの体臭のなかで、つまりわたしたち、ようやく日没を迎えるのでした。 Hotel第二章 vol31(2013年1月) ---------------------------- [自由詩]筋肉賛歌/片野晃司[2014年2月20日6時11分] ぎゅんぎゅんと花々の茎と茎との間を抜けて、背丈よりも低い峠をいくつも越えて、あのランナーはわたし。ふくらはぎ縮み、ふともも縮み、南風燃え上がり、握りこぶしほどの小さな山をいくつも踏んで、森の奥のか細いせせらぎをせき止めればあふれ出す、崖から飛び出して向かい風なら旋回する。筋肉から、骨格から、関節から、神経から、わたしをつくる言葉のすべてがこの地勢に逐一符合して、あの海沿いの道のカーブ、あのトンネル、あの崖の褶曲、朝は昼、夜は星々、球体のみどり、球体のあお、脳はどこまでも膨張し拡散し、いくつか戦いがあって、うっすらとばらばらなあわあわになって、そこから一気に筋肉はぎゅんぎゅん収縮、はじけ、ひきつれ、ひねくれ、こねくりまわし、握り潰した指のすきまをすいすいと泳いでいくメダカたち、その一尾のメダカはわたし。何度も叩きつける靴底の迷路できらきらとひらめくユスリカたち、その一羽のユスリカはわたし。打ち捨てられた漁具の陰をひんやりと潜り抜けて、砂浜からホップ、ステップ、ハマヒルガオ、さらさらと走っていく砂つぶのそのひとつぶひとつぶはあの日々の楽しみ、あの握りこぶしほどの小さな山々はあの日々の悲しみ、あのトンネルへカーブしていく海沿いの道はあの日々の喜び、わたしのあの日々のすべてがこの地勢に逐一符合して、あの崖の地層の白黒の縞々、その縞々が皺立って、つまさきでつっかけて、つんのめって浮き上がり、南風燃え上がり、空青くみどりの球体、朝は昼、夜は星々、そして脳はどこまでも膨張し拡散し、いくつか戦いがあって、ぼんやりとふわふわなあわあわになって、そこから一気に筋肉はぎゅんぎゅん収縮、ホップ、ステップ、ハマカンゾウ、ありがとう筋肉、背丈より低い峠を、一歩よりも細いせせらぎを、袖よりも短いトンネルを、指先よりも細い道を、ほら、あのランナーはわたし、あの皮膚、あの筋肉、あの骨格、深い草むらの下を、湿った苔の下を、きらきらしい砂つぶのすきまを、ありがとう筋肉、南風燃え上がり、ほら、あのランナーはわたし。花々の茎と茎との間を抜けて、海沿いの道のカーブを駆けて、トンネルへ、そしてその先はカーブ。朝から昼、昼から夜。春から夏、夏から秋、どこまでも膨張していき、そこからいくつも事象が欠落していく、あのおそろしい、おそろしいところまで走っていって、そこから全力で戻ってくる。 hotel第二章No32 2013年6月 ---------------------------- [自由詩]Shutter/片野晃司[2015年1月4日12時38分] In short I might leave that that be that or not be that) I might try to gather forgotten parts of brackets left here and there and to put ones match) You have a nice camera and do nothing using it) So I have to dive into the range for myself in good timing) The background hydrangea also has to dive with vivid color splashing mud) through the lens, through the shutter) I have to be bundled freshly fleshly with hydrangea) The time would be just one thousandths second) Like that, the me-world as an object rushes on the subject) In short I might leave that that be that or not be that and) I am OK but you're still be there and) A love letter written on a piece of a cut-and-folded notebook, nowadays no one makes such a thing in a classroom) So letters have to gather themselves meaningfully and have to peel one by one by oneself and then have to dive into the slit of your eyelid) Do you want to be said that you don't have to say you're sorry?) Do you want to be said that I don't care?) Or how about a revenge note excavated from a corner of schoolyard) Die! die! or other) Something lost warmth and you rub it or blow breath on it trying to rewarm it or) A dish become naked with its will and rush into the slit of your lips, or something) Or I as a dish of a meal) Salad is dressed with slugs and rim of a dish is garnished with snails) Appreciate the vegetable cut by naked me in the rainy morning) Come on, stand up. Then mumble. Let it show clearly) Rain began to fall on the school-commuting road but no way for running) What happens if belated? Let's see if I've been late for twenty years) The wet road is full of tree frogs overflown from rice field and I must run closing eyes) Frogs jump in between my shoe sole and asphalt. Range halved and frog in the half) Again halved, and frog) halve) hal) ha) h) h)))) While frogs are restraining her one thousandths second, the school building must transform from an architecture to a student) Or, a building must be sacrificed as a student) In short I might leave that that be that or not be that) A school building, with muddy socks) A school building, with soaked uniform) Five seconds, four -- a school building, pretending to be hidden in an umbrella) Three, two -- a school building, running in full speed trying to slip through the closing gate) What happens if I stamp on it, how about stamping) One, zero -- A school building, with a crumpled sound) Stand up. Mumble. Mumble properly. Let it show clearly more) Those are the reason why nothing but the empty school yard is taken when you take a photo around there) In the last something like a bone of a sardine must pop out from the deep throat) In the last something like a string of asparagus must crawl out from the slit of teeth) everything, like that) I might try to gather forgotten parts of brackets left here and there and to put ones matches) In the end I might leave that that be that or not be that. 「シャッター」訳:沼谷香澄+片野晃司 ---------------------------- [自由詩]のろいのために/片野晃司[2015年5月1日12時58分] いま目の前を上り列車がひとつ通過いたしまして、さてさてお集まりの皆々様よ、おんなののろいをみたいとお集まりで、おんなのなみだをみたいとお集まりで、ついでに死ぬおんなや殺すおんな、蛇やら龍やら見せましょか。ちょいと傘の先でホームの上に三角描けばほらうねうねと、よつんばいの改札口から鉄骨の背をずるりずるりと這いずりまわりまして胸元からのど元まで這いあがり鎌首もたげまして、おんなののろいが見たいとな、おんなのなみだが見たいとな、 いま目の前を下り列車がひとつ通過いたしまして、かわいらしくなまめかしく、そちら岸のあなたさまがたをくどきましょうか。ほらほら裾もしどけなく、ひざのあいだに剃刀一枚、はすに構えてすいと腰を下げてみたり、扇子に隠れてみたりして、手のひらをつるりとそらして上へ向ければ赤みさしてやわらかく土あたたまりまして、ほら手のひらをついっと裏返してしらじらと差し出せばひんやりと凍えまして雪、とんと足踏み鳴らしまして、扇子のひと振りでそこらの奴らをなぎ倒しまして、ぐったぐったと切り刻みまして、ついでにいとしいあのひとのはらわたかっさばきまして、思い出やら後悔やら詰まったせつない心臓あたりのすっぱい器官をいつくしみ引きちぎり投げちぎりまして、炎にあぶって塩振って漬けまして江戸前寿司に握りまして、花柄のお皿に載って何皿も何皿もレールの上をいとおしくいとおしく流れていきまして。 上り列車が通過しまして、下り列車が通過しまして、いくつもいくつも通過しまして、終列車過ぎて、次の日もまた次の日も、上り列車も下り列車も通過しまして、幾日も幾月もまつばかり、次の年もまた通過しまして、その次もまたその次もまつばかり、花が咲いてのろいまして花が散ってうらみまして、蛇になるか龍になるか、花が咲き、花が散り、花が咲き、花が散り、松のほかには雪ばかり、梅が咲いて悔いまして、桜が散って悔いまして、転女成仏変成男子、一大三千大千世界のうんたらかんたら。 hotel第2章 no.34 特集「伝統芸能にあそぶ」2014年5月 ---------------------------- [自由詩]黒い山/片野晃司[2015年6月11日20時42分] わたしたち、ちいさな山のちいさなおうちで、朝食のお皿を並べて二枚、三枚、並べているうちに足りなくなって、並べても並べても足りなくなって、テーブル継ぎ足しても足りなくて壁つきやぶって外に伸ばして、それでも足りなくて木の下に小屋を作って、木の上にも作って、枝を組んで葉っぱを乗せて、穴を掘って土をたいらにして、雨で流されて風で飛ばされて火事で黒焦げになって、それでもすこしは生き残って、ちいさな山にちいさなおうちを建てて、また殖えて殖えて。 プリン食べたい。お皿に出してプリンを食べたい。牛乳はよく噛んで、コップも噛んで、お皿も噛んで、テーブルも、床も、土台も岩もみんな噛み砕いて、ベルトコンベアで運んでいって、山の上に高く高く積み上げていって、てっぺんにおうちを建ててお皿の上でプリンを食べたい、岩も山もみんな噛み砕いて、ベルトコンベアで運んでいって、高く高く積み上げていって、さいごにひっくりかえしてお皿の上でプリン食べたい。 どんどん殖えてわたしたち、くしゃみすれば殖え、スキップすれば殖え、ジャンプすれば足の間、スカートの裾、わきの下やら耳のうらやらぽろぽろこぼれてたまごだったり種だったり、苔だったりきのこだったり、ひよどりだったりもぐらだったり、へびだったりきつねだったり、たくさんたくさん殖えて殖えて、殖えたわたしたち)から生まれたわたしたち)から生まれたわたしたち)から生まれたわたしたち)から生まれたわたしたち)から生まれたわたしたち、おかあさんのめだまの穴には窓ガラスをはめて、あたまのなかにまるいベッドを置いて、ろっこつに屋根を乗せて、胸のなかはひろい食堂にして、こつばんの穴を玄関にしてその先は庭にして、苔が生えて草が生えて花が咲いて木が生えて、耕して畑を作って、なべで湯をわかして、そこへとれたての野菜たちと手をつないで入っていって、さいごにはおいしくたべられて、肉やら皮やらいろいろうまいぐあいに分けられて、めだまの穴には窓ガラスをはめて、胸のなかはひろい食堂にして、お皿出して、ひっくりかえして、みんな噛み砕いて、積み上げて山にして。 ---------------------------- [自由詩]因果律/片野晃司[2015年12月23日20時07分] 最後には閃光、そしてエンドクレジットになるのだけれど、胃のあたりですっぱくなって、のどの奥から舌の上、牙と牙、唾液のにおい、鏡の向こう、気づいた時にはすでに遅い、そう気づくまえに服を着なきゃいけない。バスルームを出て、キッチンで後片付けをしなきゃならない。食器は食器棚へ、フォークを洗って、お皿を洗って、食卓の上を片付けて、あたたかくなってここちよくおなかいっぱいになって、それから食事をしなきゃいけない。料理を盛り付けて食卓にならべて、焼いて、刻んで、洗って、それから庭の畑に出ていくつかの野菜を収穫して、献立を考えて、ストーブを点けて、それからおなかがすいてきて、大事な頼まれ事もすっかり忘れてしまって、それからが楽しいひととき。 めでたしめでたし、名探偵はあざやかに謎解きの説明を終えてソファーに体を沈めると、しばしの瞑目のあとで依頼人から陰惨な事件の仔細を聞かされることになるのだけれど、すぐにまた退屈、ひまつぶし、爆発、疾走、奇行、そしてまた退屈、それからまたあざやかに難事件を解決して、虫眼鏡を片手に床を這い回り、そしてまた事件発生、そしてまた退屈、それからまた事件解決、からみあった暗号をみごとに解いて、書斎の本のすきまから古びた手紙が現れて、それから依頼人がやってくる。それからまた退屈。 人間、死ねば老いる。老いていけば生きている。後悔はいつもきっかけより先立って、それから別れがあってささいなことで喧嘩して、デートやらドライブやらあれこれあって、それから出会いがあって、それからまた後悔。洗濯物を着て、脱いだ服は洋服屋へ持っていく。ゴミを部屋にしまって、冷蔵庫の肉や野菜を食料品店に持っていく。ゴミ収集車がやってきて家の前にゴミを置いていく。あれやこれや、引っ越して、子供も大きくなって、家を大きくして、家族が殖えて、それから閃光。始まりは閃光。              (hotel第二章 2015年夏) ---------------------------- [自由詩]雑草嵐/片野晃司[2017年3月16日5時55分] 今日はぴかぴかに舗装されているから、うつぶせのままで背中の上をどんどん歩いていっていいから。夏になればまた雲が次々とやってきて積み重なるから、ふわふわと背中のほうからすこしあたたかくなる。街路樹の根っこの先ががさわさわと指さきに触れて、雨が降れば舗装の割れ目からしっとりとして、胸の奥からふくらんでくる。割れ目からねこじゃらしの穂を出したりひっこめたりして、だれかが落としたコインをこっそりかき集めてみたりして。 手を伸ばせば家々のすきまをぬけて坂道になる。今日はぴかぴかに舗装されているから、買い物の途中だって放浪の途中だって歩いていっていいから、足の裏から指先のほうまでずっと踏んでいっていいから。坂道の先はちいさな丘のてっぺんでいきどまりになる。夏になればまただれかが背中を踏みつけて坂道を登ってくる。雲が次々と折り重なって、やがて雨つぶが降り注いでくる。夏になればまただれかが登ってきて、なだらかな坂道はいきどまりになる。夏になればまただれかが坂道を登ってくる。忘れたい、忘れたい、そういう名前の蔓草でぎゅうぎゅうと息を苦しめるようになにもかも蔽いつくしてしまいたい。 夏になればまた背中がすこしあたたかくなって、寝返りからはじめて伸びををすれば舗装を割って、あくびをすれば草花が噴き出しきて、それからひとあばれして、めちゃめちゃに坂道を打ち砕いて、そうしてなにもかも忘れたことにしておこうかな。あるいは、夏になればまたぴかぴかの舗装の下であたたかくなって、街路樹の根っこの先をさわさわとにぎったままでなんにもしないで寝ちゃおうかな。それからどうでもいい夢でも見ようかな。 舗装の上を歩いていくのは夢の中だから。お店に入って買い物をするのは夢の中だから。夏になればまた雲が次々と覆い被さってくるからバッグも傘も投げ捨てていって、雨つぶの狙い撃ちひとつぶひとつぶを完璧に避けていって、舗装の割れ目から蔓草が暴れ出てきて足首に絡みつこうとするから靴も投げ捨てていって、街路樹は道を塞いで、アスファルトは爆発して粉々になって、そんな攻撃のひとつひとつを完璧に避けていって、けものになって背骨は細長く弓なりに伸びて、雑木林を抜けてくさむらをかきわけていって、手も足もひっつき虫だらけにして、ここは道だったって忘れないって、ずっとずっと忘れないって、そう遠吠えしながら丘の上まで駆けていって、それからほらあなを見つけて丸くなって眠る。 (詩誌hotel第二章39号 2016年11月) ---------------------------- [自由詩]幽霊と虎/片野晃司[2018年1月1日4時57分] それから空は夏雲湧き立ち、風は川を越えて丘を越えて、それから線路を越えて団地を越えて、それからあの家の窓を抜けて、あの白い壁の部屋をぐるりと回る。部屋には檻があって虎がいて、虎は檻の中で待っている。誰かが玄関をあけて廊下を抜けて虎の檻に入っていって、虎に組みしだかれて引き裂かれてばらばらにされて食べられてしまう。ぼくはその湿った物音だけを壁の影になって聞いている。また誰かが玄関をあけて廊下を抜けて虎の檻に入っていって、虎に組みしだかれて引き裂かれてばらばらにされて食べられてしまう。ぼくは虎の荒い息遣いと引き裂かれる誰かのあえぎ声を部屋の隅のくらがりになって聞いている。またぼくの知らない誰かがやってきて引き裂かれて、またぼくの知らない誰かがやってきて引き裂かれて、それからまたぼくの知らない誰かがやってくる。 食べられるのがぼくだったらよかった。頭からでもつまさきからでも食べてくれたらよかった。ぼくをばらばらに引き裂いて、ぼくのはらわたを引きずり出して、床の上できみが食べてくれればよかった。ぼくの大切なすべてをめちゃくちゃにしてくれたらよかった。きみがときおりしゃぶる骨のひとかけらがぼくの骨ならそれでよかった。部屋には檻があって虎がいて、誰かがやってくるのを待っている。 夜になると背骨が痛んで、脊髄は川を越えて、骨盤は丘を越えて、肋骨の奥が痛んで、追いかけて、何度も吐いて、炎を搾り出して、それからぼくの胸を内側から引き裂いて虎があらわれて、ぼくのぬけがらを飲み込んで、きみの白い壁の部屋でぐるりと回って、それから虎はきみを組みしだいて引き裂いて、きみの部屋を引き裂いて、きみの大切なすべてをめちゃくちゃにしてしまって、それから虎は檻の中できみを思い出している。 虎は檻を抜けて、あの部屋をぐるりと回ってからカーテンを少し揺らして窓を抜けて、団地を越えて線路を越えて風のように駆けていって、丘を越えて川を越えて、それから空は夏雲湧き立ち、あの白い壁の部屋には檻があって、その中でぼくはいつまでも待っている。 Hotel第二章 第四一号 二〇一七年九月 ---------------------------- (ファイルの終わり)