岡部淳太郎 2011年6月14日22時50分から2020年5月3日18時18分まで ---------------------------- [自由詩]森閑/岡部淳太郎[2011年6月14日22時50分] みずからの 罪に気づかない それでいながら どこか 奇妙なうしろめたさを思って 隠れてしまう 逃げてしまう みんなが笑い さざめき 声を かけあう中で ひとり帰る 橋をわたって いつもの森の中へ そこでなら 思う存分しずかに 息を立てずに 眠ることができる 木々の葉ずれの 音の向こうから 潮騒や街のざわめきが 聞こえてくる ここに住む鳥でも 虫でもないものの 声を思って それを ひそかに追いながら 森閑の深さに 寝返りをうつ ひとりきりの うしろめたさはつづく みずからの 罪を解き明かすために 森はますます昏く ますますいとしくなる (二〇一一年五月) ---------------------------- [自由詩]漏日/岡部淳太郎[2011年9月1日17時35分] いちにちが てのひらからこぼれ落ちる 肌をさす いたいものは ここの 目に見えないところにかくじつにあって それはいちにちと一緒に こぼれ落ちてはくれない 赤い夕陽が木々の葉脈を 透かしてさしこんでくると 誰もが道の上で 立ち止まって わからなくなるのだ みずからが過去の ばらばらの思い出でしかないのか それとも いまここで 分裂し 融合しつつある ひとつの大きさであるのかを このようにして いちにちが暮れて その中に 隠れているだけの 時をすごしていると みずからが ひとつの大きな てのひらからこぼれ落ちる 一瞬でしかないように 思えてくる その時にはすでに いたみもなく わからなさもそのままで 何もなく ただ 眠りのように (二〇一一年六月) ---------------------------- [自由詩]混沌/岡部淳太郎[2011年9月7日18時38分] こうしてまた 私は還ってきた 別の混沌から 元の混沌へ この世はただ混沌が 現象するだけの場所 あの世ではすべてが絶対的に 整理されている   (おそらくそこに、)   (天国などというものはないのだが、) そこに行った者は 残った者の今後や 先に渡った者の行末について それなりに心配していたらしい その者は 私のように還ることなく 灰となって行ったきりで もう目には見えないのだが それでもいつまでもつづく 迷子の時代 やがて混沌が整理される 風葬の春を思い描いて 私はなおも積極的に 迷いつづける 別の混沌はいまも 意味なく現象し 私の中の元の混沌は 多くの子どもたちの夢を代りに見ながら 昨日や明日と 変らずに今日も 現象しつづけているだけだ こうしてまた 内と外の現象が 波となって押し寄せる その力に揺れて 落ちる葉がある   (それは決して、)   (果実などではなく、) 私は還ってきた そして私じしんの 心の中にゆっくりと坐って これらの混沌の現象の中から 宇宙が幼かった頃の声の残響を 探し出そうと しはじめる (二〇一一年八月) ---------------------------- [自由詩]骨身/岡部淳太郎[2011年11月7日21時44分] 枯葉が吹かれて かさかさと鳴る その音を骨身にまでしみこませて つぎの角を曲がる そこを過ぎれば 私の影は 通り過ぎたところには残らない 背後に置いてきたのは私自身が 思い出として残らない場所だ 枯葉が掃かれては 捨てられるように 私はなかったことにされる それでいいのだ どうせこの骨身は 無駄に渇いたまま だからこそ しみるのだ 枯葉が吹かれて かさかさと鳴る その音に不吉な予兆を感じながら 私は骨だけの身の上になってゆく どんな飢渇とそれに応える雨が この先に待っているのか この世界のどこかで 枯葉が果てしなく落ちては はなれてゆく ふたたび あつめられるために (二〇一一年十月) ---------------------------- [自由詩]壁画/岡部淳太郎[2011年11月27日22時02分] 僕たちは立っていた 路上に立ちつくして いつ訪れるかわからない 僕たちをどこかに 連れていってくれるであろうものを ひとすら待ちつづけていた 僕たちは整然と列を 乱さずに立っていた 僕たちはそこに大勢でいながら それぞれにひとりきりだった このあつまった孤独 その中で僕たちの残りの時間は 少しずつ削られていった 僕たちは立っていた 路上に立ちつくして ひたすらに待ちつづけていた もういくつの風が僕たちの 鼻先をかすめ僕たちの満たされない 願望を刺激したことだろう そんなこともわからなくなり 僕たち自身が何者であったのかも わからなくなって久しかった 僕たちはどこにも行けず どこにも連れていかれず それでもなお立ちつくしていた 夕陽が僕たちの正面から射しこみ 背後の壁に僕たちの影を長く ひたすら長く引き伸ばして 映し出していた そのいくつもの暗い影の 重なりはまるで壁画のようで あるいは僕たちの失われた心をそこに 焼きつけたかのようでもあった こうして僕たちのうちがわは印され 僕たちが滅んだ後もなお残る そして色のない無惨な壁画として 美しく鑑賞されいくつもの 言葉を費やされるのだ 僕たちがどこにも行けず どこにも連れていかれず ただ立ちつくしていた そのことの記念のように 僕たちの影で描かれた壁画は 億年のちの新しい 僕たちの目の前に 黙示のように現れるのだ (二〇一一年十一月) ---------------------------- [自由詩]人さらいがやってくる/岡部淳太郎[2011年12月31日18時10分] 年の瀬になると、人さらいがやってくる。寒くなって きて、その年を振り返って、いろいろあった年を、あ るいは何もなかった年を、何となく思い出している時 に、みんなが忙しくなって、着ぶくれした身体を持て 余して震えている、そんな時、人さらいが、人と人の 間に何食わぬ顔で入りこんできては微笑む。今年も、 そんな季節がやってきた。 走り回る。何のために、そうまでして、走り回るのか、 人よ。今日も冬の真っ暗なゆうべは、あなたたちから 視界を奪い、乾いた空気のために滲んで見える街の灯 りを、車の灯りや、人の心の灯りを、あるいは頭上の 星や月の灯りを、抒情的に見せているが、あなたたち が語るのはいつでも叙事的なものに限られている。そ うして走る。走り回る。何を急いで、どこが本当の目 的地であるかもわからないのに、暦が閉じるその前に と、あなたたちは走る。その裏で、何かが萌して、震 えながら身構えているのにも、気づかずに。 冬の暗闇は、とりわけ年の瀬のそれは、あなたたちを 盲目にさせる。暗さのために、人よ、あなたたちはせ いいっぱいに、自らを大きく広げて、明日からの時に 備える。本当は寒さのために縮こまっていたいのに、 それゆえに、自分と同じ弱さを求めてしまいたくなる あなたであるのに、あなたは冬の暗さへと至る風景の 中を、横断歩道の汚れた白さや、闇の中ぼんやりと見 える遠くの山なみの姿などに囲まれた中を、あなたは 重力のように歩く。そんなあなたのそばで、北風が笛 のように鳴る。それが予兆であったことに、あなたは 気づかないのだ。 ひとつの広く長く伸びた道の上を、人よ、あなたが早 足で歩いていると、ある小さな夢が人の、それぞれの 小さなあなたの喉笛に噛みつき、食い破って、その内 部に棲みつこうとする。そしてそれは、あなたの口を 借りて、ありもしないことを語りはじめ、そうやって、 得意げにしている。冬の、頭上の大きな三角形に見守 られた道の上で、あなたと夢とこの時の、三者が並び 立ち、あなたをふいに立ち止まらせる。そこまで来る と、終りはもう目の前だ。人という名で呼ばれていた あなたは消えて、他の人々が口々に噂をしはじめるの だ。 年の瀬になると、人さらいがやってくる。それは重い コートに身を包んだ、暗い顔の男であるか。あるいは、 子供のような表情の、どこにでもいそうな目立たない 者であるか。冬の寒さの夜陰に乗じて、小さな夢が小 さな人をそそのかし、頭上には満点の星空。結局、ど んなに年老いたとしても、人はみな物事を知らぬ子供 に過ぎない。だから、まぼろしのようにさらわれて、 物語のように忘れられてゆくのだ。この年の瀬の、冬 の寒さの中、誰かが誰かを愛そうと、躍起になってい る、その隙間から、音もなく、人さらいが忍び寄って くる。 (二〇一一年十一月〜十二月) ---------------------------- [自由詩]事実/岡部淳太郎[2012年3月26日20時57分] もう何年も昔のことで、そのために遠い背後に過ぎ去っ てしまったように思えるのだが、それでも時おりこうし て思い返してしまわざるをえないほどに、いまでもそれ は私のすぐ隣にある。あの時、私は事実に耐え切れずに 泣いた。はじめてと思えるほどの涙を、声を挙げて流し た。そんなふうにして事実の重力に引き寄せられて、引 き裂かれそうな思いをしたことは、それが最後であり、 それ以来絶えてない。あの時の私は目の前に突きつけら れた事実の厳しさに、それに引っ張られているだけのよ うに思えたのだが、本当は事実と私との間で絶え間ない 相互作用が起こっていて、それが私を悲しませていたの だった。要約すると、私の方でもまた、事実を引き寄せ ていた。事実と私と、その両者が互いに引き合って、そ れが事実の姿をますます鮮明にさせていたのだった。そ のようにして顔をそむけることなく、事実を自らの眼前 にぐいと引き寄せて見ることで、私は悲しんでいた。だ が、その期間もとうに過ぎ去り、あの時の事実は私の背 後にある。それでいながら変らずにそれが傍らにあるの は、私が自らの思いで事実を引っ張ってきたためであっ た。それは私が事実を自らのものとして、大切に保存し ておくためのやり方であった。そのために、いまの私は 事実を身の内に置きながら、時にそれを地平線の向こう 側に没し去ることができる。それは私にとってたったひ とつの恩赦であり、ひとりきりの淋しい解き放ち方でも ある。あの時の事実。あなたがこの世を去ってから、も ういくつもの時が剥がれ落ちては、消えた。私はもう涙 とともにはないが、事実は遠く、また近いところに、こ うして存在しつづけている。私も事実もまた、同じよう に重い。私はその中で、ひとりきりで生きているのだ。 (二〇一二年一月) ---------------------------- [自由詩]血まみれの夜/岡部淳太郎[2012年4月24日0時50分] 帰り道 いつも通る住宅街の 薄暗い側溝の上に 夜が血まみれになって横たわっていた 誰かに捨てられたのか この世の 仕組みから外れて落下してしまったのか 夜はその黒い身体のところどころに 赤い血を滲ませて 静かに息をしていた 夜はアメーバのように瞬間ごとに 微妙に形を変えながらそこにあった 私は血に濡れたままのそれを拾って ひとりきりの自分の部屋に持ち帰った 夜は私のそんな行為に逆らう様子もなく ただ黙って暗いだけの姿のまま 私にさらわれていった 夜が物体(ぶったい)として落ちている世の中。 そんな世相は見かけ以上に 複雑なものに違いない そうは思ったものの 私は気まぐれに拾った夜をどうするのか まだ何も決めてはいなかった 私はとりあえず夜を テーブルの上に置いてみた いつもひとり食事を摂り ひとり思索のための書き物をする いまは何もないテーブルの上に 私は夜を置いて眺めた 夜はまだ血まみれで 細い息を繰り返していたが 私はその血を拭うことさえしなかった 夜の治療方法など どの本にも どこのネットワーク上のページにも 書いてあるはずがなかった だから ただそうして放置している以外なかった 夜はそんな私を怨むこともなく ただそこにありつづけているだけだった ふと私は我に返り 夜をこのまま自分ひとりの部屋に 置いておいたらどうなるかということを考えた 何者が夜をここまで傷つけたのか 何が夜に血を流させたのか そんなことも気にはなったが 私は目の前にある夜と 私の心の中にある暗いものが 不吉にも重なり合うことを思った 部屋の外の世界は暗かった この夜と同じく暗かったが それはもはや 夜そのものではなく 夜の抜け殻でしかなかった ただ暗さだけが同じでまったく異なる たがが外れた人々の 開けっぴろげの意志と 欲望の巷となっていた もしかしたらこの夜は 外に広がるあの空間から 剥がれ落ちてきたものであったのだろうか 夜としての本質をその身に宿して剥がれ その時にいくつもの傷をつくって 血を流したものではないのか そう考えると 目の前にある夜が 私というひとりきりの身に見つけられ拾われたのも 何かの因縁であるかのように思えてきた 夜は息をしながらも動かず 変らずに目の前にあった 夜はひとつの物として現れながら 私ひとりの場に持ち帰ることによって 微妙にその性質を変化させているようであった これは何かの呪いか あるいは祝福であろうか 夜が物体(もののけ)として落ちている世の中。 そんな世相を怨む理由などあるはずもなく 私は目の前の夜が 自分自身と 抗いようもなく一致してゆくのを ただ黙って見ているだけだった 私は夜と同じようにここにあった ただあるだけで 細い 息を繰り返すだけで 何もしていなかった どうやら私は少しずつ何かから 退きつつあるようだった 夜が物体(ぶったい)として物体(もののけ)としてあるように、 私もあることになるのか 夜は点滅するように まばたきをするように その暗さを増減させていった 私の気がくるっと 回転してしまう前に 眠りの中に逃げこむべきであるように思えてきた 私は夜を寝床に引き入れることはせずに 夜をテーブルの上に残したまま ひとり眠りについた 人は夜から逃れるために眠るのだ 夜と一緒に眠ることなどできはしない 私は夢の中で私自身から剥がれ落ちて 血まみれで横たわっていた 私が物体(もののけ)として落ちている世の中。 そんな世相だからこそ 逆説的に 私は夢を見ることができるようだった やがて外の世界と内の世界の ふたつの暗さの中で 私は抗いようもなく 私自身と重なり合っていった やがて窓の外が明るさで覆われ 明日の号令に目を醒ました時 私の身体は見知らぬかさぶただらけとなる 放置した夜は 私の中に取りこまれて いつしか消えているのだ (二〇一二年四月) ---------------------------- [自由詩]おかしな人/岡部淳太郎[2012年5月14日22時08分] 私はもうすっかり おかしな人になって それからずいぶんになる 何しろいろいろあったり あるいはなかったりしたのだから 無理もない 夜中に煙草が切れた もういまやこれだけで おかしな人と認められるには充分だ そんな時代になってしまった いまや大きすぎる権力から 職務質問を受けるのにも すっかり慣れてしまった それぐらいに私はおかしい あまりにおかしすぎて 冗談ではないかと思って 笑いだしたくなるぐらいだ だがそうしてしまうとますます おかしな人になってしまうので 笑いをむりやり欠伸に変えて ごまかすことにする それもまた おかしなことだ おかしな人と思われ 指をさされて生きるのは 当たり前のことになっているのに なにをいまさら 気にする必要があるのか それでも眠れない夜に 呼吸以外の気体を吸いこみ 吐きだすことができないのは淋しいから 覚悟を決めて外に出る 深夜の自動販売機は煌々とあかりがともり まるで他人のような雰囲気だ それもまた たまらなくおかしなことだ やっと煙草を買って 何とか質問されずに済んだなと思い 空を見上げる そういえばいまもこの空を あいつらの燃えて塵となった 身体が漂っているのかもしれないのだなと思って ためいきをつく 俺がこんなにも おかしくなっちまったのは 俺を置いて死んでしまった あなたたちのせいで あるのかもしれないんだ そうつぶやきたい 気持ちをこらえて おかしな人は はじめから おわりまで おかしいのだと 思いなおす 思いなおして 歩いてゆく するとどうしたことか おかしなことに 泣きたくなる気持ちが こみあげてきた それに気づいてやっと私は はじめての笑みをもらした そのような 人のような感情が 自分にまだ残っていたことが たまらなくおかしかったのだ (二〇一二年五月) ---------------------------- [自由詩]生活をしていると/岡部淳太郎[2012年7月2日20時39分] 生活をしていると すべてが透明になってゆく それが良いことであるのか それとも悪いことであるのか そんなことにかかわりなく すべては透き通って その存在感を緩やかにする 今日も洗濯をして それを干し 仏壇に線香を上げて 手を合わせ 合わせきれなかった私の 遅れていたすべての時間に いっしゅんのうちに祈りを捧げ そうして玄関を開けて外に出る 空は晴れている あるいは曇っているか 雨だ たいていはそのうちのどれかであって だからこそ どうでもいいことでも あるのだが 生活をしていると すべてが色を失くしながら尊くなってゆく 色がないから ほとんど見えないから ますます尊く ますます 敬うべきものとなるのだ そしてそうしたものに取り囲まれて どこにも行けなくなっているこの身は ますますどうでもいいものとなって それゆえに いまここに 生きているということを感じられる 今日も洗濯物を取りこみ 花に水をやり 米を炊いて それを食べ 風呂に入って 汚れを落とし 私自身の疲労を汚れとともに落とし どこまで落としたら このわがままな感情と計算を捨てて 白いものになれるのか わからないまま眠りにつく 夢さえも見ない暗さの中で 白い 色のない自身の魂の中心へと 落ちてゆきながら 生活をしていると すべてが意味を殺めながら 良きものへと変ってゆく 意味などないから すべては愛しく すべては記憶のように貴重だ 今日も買い物をして ごみを出して 人々の集まるところに行き 隣人に挨拶をし 伝言を伝え 伝えきれなかった秘密に思いをはせては かつての自身の弱さ いまもつづいている弱さを 改めて見つけ出してはふたたび覆いをかける 私は良きものになど 到底なれないだろう なれないからこそ ここで生きて 次の時間に向かって溜息をつくことが出来る その息で埃ひとつ吹き払われる わけでもないのだが 生活をしているという この奇妙な安堵感は何か いまここで日々生活をしているという 満足と 楽しみ そのことに私は思わず 笑い出したくなってくる 今日も明日も 昨日と同じように あれもこれもしなければならない そうでなければ間に合わない そのようにして追い立てられながら 日々の中に沈んでゆく 私の存在は生活の中でひたすら薄く のっぺりと引き伸ばされる 天気の良い日の帰り道に見上げる 西の空のあの雲のように (二〇一二年六月) ---------------------------- [自由詩]道を掃く人/岡部淳太郎[2012年8月16日2時22分] もうこれからは 咲かなくてもいいと思って 道を掃く人がいる 枯葉やら 紙吹雪 あるいは花びらと 花そのもの それらで埋まった道を 木の箒で掃いていると うっすらとにじんでゆくような 心持ちになってくる いくつもの国や山河や あるいは妖艶な夜の星ぼし それらが興っては滅んでいった それらの散乱した花のむくろで 埋めつくされた道を掃く その人の手も いまや ひとひらの紙切れや乾いた枯葉のように うすく頼りない 草だとか藁だとか あるいは花びら 花そのもの それらの 吹けば飛ぶようなものたちを掃いて 道の端に寄せてゆく いくつもの力や栄華や あるいは面妖な陽の輝き それらもいまはもうない 風が掃きあつめたものを乱しては 通り過ぎて行っても その人はまた同じように 掃きあつめてゆく もはやいまがどの季節かも わからなくなっているから もうこれからは 咲かなくてもいいと思う 道を掃く人の頭上 とても高いところで 風が何度も吹き荒れるが それに乱されることはない 雨とか 雪とか あるいは雹や霰 雷などの頼りないもの それらを信じる弱さのために それでも咲こうとするはかなさのために その人は道を掃きつづける (二〇一二年七月) ---------------------------- [自由詩]種を蒔く人/岡部淳太郎[2012年8月16日2時24分] まだこれからも 咲いてゆくのだと思って 種を蒔く人がいる 空がこときれたように 雨がとつぜんやみ 後には思い出のように風が流れていた 大地もしっかりと 流れていて 古い しきたりの中で 売ったり買ったりされ そのために種も さまよってしまう 思い出のために捧げられるものであったとしても 花は咲かなければならぬ その匂いのために 虫は わずらわしくならなければならぬ だが流れる大地の底には いくつもの芽吹くことのない種があり 人は時おり そのことを思い起こす そのままで眠りについてしまったものたちは 石のかたわらでそれまでの すべてのあやまちを思い それらのひとつずつを赦していった 空はいまや雨の痕跡も見せずに 広く晴れわたる いつまでもつづくかに見えるその陽光の下 まだこれからも 咲いてゆくのだと思って 種を蒔く人がいる 時の上に 萌え出るものと 萌え出ないものとがあり そのはざまで 流れる大地に足を取られそうになりながらも その人は種を蒔きつづける ひとつずつ 丹念に数えながら蒔く その人こそが すでに種である すべての人と その思いが 種であるのと同じく (二〇一二年七月) ---------------------------- [自由詩]枯葉/岡部淳太郎[2012年11月24日20時08分] 空から枯葉が落ちてくる 頭上の木から切り離されるのではなく 空の見えない高さから 無音とともに落ちてくる 空の見えない高さの さらに高いところの その向こうがわ 宇宙の深淵のような場所から 粒子のように枯葉は落ちてくる いや、落ちてくるのではなく ただ やってくるのか この地を 目指しているのではなく この地にたどりついてしまった枯葉たち いま切り離されたばかりではなく ずっと前から枯れていた 老いた乾き それらの葉がこの地の重さに引かれて やってくる 重力は淋しい その透き通った感情の中で 枯葉は次々にやってきて 降り積もる あまりにも軽すぎる心 それゆえに尊い 葉脈のほころび 空の見えない高さの さらに高いところで 宇宙の深淵のような場所で 大きな枝から離れた時のことを この地上の休息の中で 枯葉は思い描いている 斥力は恩寵 離れられるしあわせ その計らいとともに 枯葉はたどりついた場所で 腐りながら眠る そのようにして この土に同化する (夢を見ることなく) いまもこうして どんな時にもかかわりなく 空から落ちつづける枯葉たち その小さな落下を肩に受けて この地に生まれた小鳥が 傷ついた翼をかかえて もう一度飛び立とうとしている 自らの物語を 口ずさんでいる (夢を見るために) (二〇一二年十月) ---------------------------- [自由詩]ふるえる/岡部淳太郎[2013年2月17日14時29分] ふるえるのは、風がふくからだと、夢の人はいった。 あるいはあなたのたいちょうがすぐれず、ねつのよう なからだから、みえない思いがはっしているからであ るのかもしれない。そのようにして、ぶるぶるとふる えていると、すべてのものがぼやけてみえてしまうか ら、そのためにあなたはさびしい。そして、そのさび しいこころは、かこにあったひさんや、みらいにおこ りうるだろうひげきを、しらずによけんしてしまう。 とりがどくさつされ、むしがちをならすようにせんめ つされる、そんなかなしみ。そしてまた、あなたはふ るえてしまう。ふるえるのは、風がふくからだと、夢 の人はいった。風はいやらしいうわさや、ちりのよう にめにみえないうぃるすまでも、はこんできてしまう から、そのためにあなたはますますふるえて、ますま すむこうぎしのことを思ってしまう。風にのって、こ こからわたってしまったむすうのこころが、おおくの なきものたちのために、たえまなくほほえむ。ぶるぶ るとふるえて、にわとりのようなうんめいを思いなが らも、あなたはすこしずつめをほそめてゆく。ふるえ るのは、風がふくからだと、夢の人はいった。風はど こから、ふきつなほうがくから、それともひがしずむ ほうこうから、ふいてくるのか。それはあなたのびん かんなはだをなでて、あなたをむずがゆい思いにさせ る。そして、夢のまくらをたたいてさまよいながら、 そのなかでもあなたはふるえはじめる。きのうもきょ うも、おおくのいさかいがあった。あすもきっと、よ くないことがおこるだろう。そのために、風はいつま でもふるえ、夢とまだみえない時を、あなたをとおし てつないでゆくのだ。みあげれば、たましいのような くも。そのすきまから、ほそいひがさしこんでくる。 ふるえるのは、風がふくからだと、夢の人はいった。 (二〇一二年七月) ---------------------------- [自由詩]沈黙/岡部淳太郎[2013年3月1日21時03分] 十一月の、乾きであるか、渇き、でもあるのか、赤く褪 色した掌が群れとなって、落ちて、いて、旋回する散歩 道、であった、十と一月(ひとつき)の、時間の名、のなかで、吠え る犬とすれ違う、犬とこの身は、異なる位相のうえにい るから、その声は聞こえない、威を借る人であった、か ら、石は枯れて、いつものように割れて、干からびて、 赤土のうえに、置き去りにされる、水瓶で、あった、そ ろ、そろ、そろそろと歩く、足だけの人の近づく、音が 聞こえてくる、(風に気をつける、季節です、)えてし て人というものは、大音声のなかで、気を失うものであ りますから、神が隠れたこの季節、よくよく背すじを伸 ばして、赤くなり、はじめて、歩いて、いかなければ、 十一月の、乾ききった、あかぎれ、であった、痛みは油 彩のように、こびりつき、野は枯れて、果てて、いつと はなしに、語りつづける、肩に降りつもる、掌、肩をた たく、掌、どれもみな終末のように、赤い、(そろそろ 見頃ですよ)と、蟻の勤勉さで近づく、声、あるいは、 声のない木鼠の、あ、という声、いずれも静寂、やって くる寒い風に、かき消され、石は道端に置かれたまま、 木の幹にうがたれた、穴は、ふさがれる。(これ以上、 深く潜っては、いけない、)遠い古里の、さびれた、絵 葉書のような、散歩道、刀身は錆びて、傷つき、ぼろぼ ろに欠け落ちて、犬の毛は生え変る、神は不在でも、石 は路傍で見つづけているから、歩いて、いかなければ、   黙ってしまえば、     誰にもわからないだろう、   黙ってしまえば、     知られることはないだろう、     私が遺してきた、     すべての 羞恥、     私が遂げてきた、     すべての 病歴、   黙ったままなら、     忘れてしまえるだろう、 十一月の、渇きであり、また乾きでもあったのか、この 赤い石の陰に、来なさい、すべて巡るものは、夕陽の恩 寵のもとにある、すきまから、吠える犬、声帯を切除さ れながらも、十と一月(ひとつき)の、時間の名、のなかで、気体は 目に見えない棘を、運んでくる、その巡りは、いくつも の、赤い掌を生みだしては、落としていく、掌たちのそ よぐ、かさかさと、乾いた、声、をかぶる、このわびさ びの労苦を、行進させよ、新しい、時の巡りへと交代さ せよ、(風説にならう、季節です、)きっと、黙ったま まなら、誰とも分かち合えないだろう、だからこそこの 沈黙をと、つぶやきながら、歩く散歩道、遠く、主のい ない社が見える、記憶の石のなかで、蛇が回っている、 (二〇一二年十一月) ---------------------------- [自由詩]砂になるまで/岡部淳太郎[2013年3月26日15時27分] 私の石はいま 眠っている 眠りながらも あなたに関する記憶を育て あの日と それにつづく日々を 絶対性のなかに閉じこめている それほどに強い あの日の記憶 どんな時間が私の上を 通りすぎても どんな新しいものが 古い地層を覆おうとしても 石は眠りながらも 在りつづけ 時おり ふいに目醒める それは風の乾きと 水の湿りに 幾度もさらされ 石がほどけて 砂になるまで (二〇一三年三月) ---------------------------- [自由詩]三月のドキュメント/岡部淳太郎[2014年3月26日18時04分]       その日、私ははじめて人の死体 を見た。いまからおよそ十年前、三月二十六 日の金曜日のことだった。もちろんそれまで にも祖父や祖母のそれぞれの葬儀に立ち会っ たことがあるが、その時に遭遇したのは葬儀 屋によって整えられた遺体であって、生のま まの死体ではなかった。その誰からの手も加 えられていない生の死体を、その日私は見た。       その日、私は仕事を終えていっ たん一人暮らしの部屋に戻り、翌日が土曜日 ということもあって、わずか数キロしか離れ ていない実家に向かおうとしていた。週末に は実家に帰ってのんびり過ごすのが当時の習 慣だった。その日もいつも通りに実家に行こ うとしていたのだが、その時、突然電話が鳴 った。母からだった。妹が自殺したという。       その時、私はその言葉をにわか には信じることが出来なかった。ともかく私 は実家へと急いだ。バスに乗り、いらいらし ながらバスに揺られ、実家にたどりついた。 そこには妹の死体がベッドに横たえられてあ った。その顔は眼を見開き口を半開きにした まま硬直しており、この世で最も恐ろしいも のを見たような表情をしていた。自宅での変 死ということで警察が来ていた。私は彼等の 話を上の空で聞きながら、どうしても妹の死 顔が気になって仕方がなかった。しばらくの 間はそれが脳裏にこびりついて離れなかった。       その時、私の世界は一瞬にして 変った。それまで確固としてあったものが脆 くも崩れ、終った。それを境に世界は色を失 いあやふやなものとなり、すべてが非現実の 蟻地獄の中へとのみこまれていった。数日後、 妹が死んではじめて電車に乗った時、痛切に それを感じた。いまここにいる私は他の人々 と同じように会社に出勤しようとしているが、 その中には見えない嵐が荒れ狂っていた。人 人も新聞や本を読んだり眠ったりお喋りをし たりしていながら、いまここにいる私につい 数日前に起こったことを知らずにいた。一人 が死んでも、世界は変らずにある。そのこと の非現実感の中を、私はさまよっていたのだ。       その日、表の通りでは桜の花が 咲いていた。三月二十六日、あれ以来その日 付を桜の開花の基準にしてしまうようになっ た。春はもっとも残酷な季節。桜の花を咲か せると同時に散らせる。それはある種の恩寵。 ここから新しいものへと入ってゆくことの、 象徴としての。だが、十年前の私はそんなこ とにまで思い至ることはなかった。私はただ 呆然として、妹が受け取った現実と私が見逃 してしまったそれを、自らの裡で混ぜ合わせ て、次の日に流すことになる涙のことにもま るで考えが及ばずに、ただ桜を見上げていた。       その日、私の妹が自ら死を選ん だ。子供たちは駈けていき、大人たちは信じ られない事実に立ちつくしていた。いまから 十年前の三月二十六日、金曜日のことだった。 (二〇一四年三月) ---------------------------- [自由詩]三月の子守唄/岡部淳太郎[2014年3月26日18時05分]  眠れ  眠れ いまは 亡き者よ  眠れ 遠くへ 遠くへ 行って そこで  眠れ  もう  帰る ことの  ない 遠くで  眠れ  眠れ ひたすらに  眠れ  もう 目醒めて いる時 ではなく  もう 目映くて いるわけ でもなく  眠れ  眠れ いまは 死んだ者よ  眠れ     あなたを失った時に感じた心の悲しみが、あ     たたかい春の日差しに照らされて、ゆっくり     と、あくまでもゆっくりと、癒されつつあっ     た。あれから三百六十の月を数え、公転周期     は滞りなく進み、花の季節は何度も一回転し     ては元に戻り、あの時を思い出しはしても、     もはや心痛むことはなく、泣くこともなく、     ありし日のあなたの歩みを、ただ懐かしさと     ともに、思い出すだけだ。それは失ったこと     へのあきらめではなく、暗さのうらにある明     るさの、粗い素描のようなものであって、こ     れからそこに肉付けしてゆく、記憶。編みこ     まれてゆく、思い出。あなたよ、だからこそ、  眠れ  眠れ とおに 亡き者よ  眠れ 遠くへ 遠くへ いつか 誰もが たどり  つく 遠くへ そこで 休んで  眠れ そこで 安らかに  眠れ あなたよ  眠れ 川や山 または 海の底の 向こうの ゆらゆらと  漂う 律動と ともに  眠れ あなたよ  眠れ     私は心。ただ、あなたをそこに、刻みつける     だけの、心。あたたかく、なろうとつとめる、     心。果てるための、あなたの果てまで、歩こ     うとする、役立たずの、心。いまだしおみず     を、じゅんびしている、心。その心に向かう     ための、心。心だけのあなたを、心にとどめ     ている、心。いまや、心だけの、あなたよ、  眠れ  眠れ いまを 盛んに  眠れ  もう この時間  では 目醒め  ない あなたよ つぎの 時間で 目醒める  まで ふたたび 嬰児の 泣き声を 漏らすまで  眠れ  眠れ 遠くまで  眠れ     あなたを失ってから、とても多くの時が過ぎ     た。だが、それはいま思い返してみると一瞬     の、鳥の旋回のような素早さであり、その中     で、はらはらと、あくまでもはらはらと、時     が落ちては消えて、溶けこんでいった。瞬間     の遅刻の、子供たちが、駈けまわる。彼等は     この世の中にこんな種類の悲しみがあること     など、知る由もない。あたたかさは人を陽気     にさせるが、そのかたわらで私は、一瞬のよ     うな時間の総量を思い返しては、それをまた     しまいこむ。せめてこのあたたかさの、春よ、 桜の花よ  咲け  咲け それから  散れ  散れ  眠る あなたに  降り つもって つぎの  夢を ゆっくりと まねき 寄せるまで その中で  眠れ  花の ように つぎの  時を  夢に  思い 描いて  眠れ 思い出の 来世に 微笑んで  眠れ  眠れ あなたよ  眠れ (二〇一四年三月) ---------------------------- [自由詩]詞華集/岡部淳太郎[2020年2月9日18時36分] ひらかれたまま あつめていく 私に似たものを 私に似ていないものを あつめて もやして ふたたび解き放つ それらはすべて 私ではないもの それでいて 私をかたちづくるもの すでに私はいない ということが 明らかになっている 私は頭上に広がる 意思のない空 春には草を 秋には落葉を 詩を読むように ひとつずつ踏みしめていく そして夏には砂を 冬には雪を踏んで なんでもない季節には 見えない声でさえ 踏むのだろう 私は所有のない不在 あいまいにひらかれたまま その中にかくじつに降り積もらせては あつめていく それでも私は傷であり ぼんやりとした痛みであるのだが ためらわれた解放が しずかに決意される時 私の中にたまったものは いっきにあふれだす ひらかれて ばらまかれた この世の花弁 それをふたたび 詩を読むように うたうように 踏みしめる 誰かがいる あ、 あつめていく 世界は広い (二〇〇九年四月) ---------------------------- [自由詩]さん、らん、、、/岡部淳太郎[2020年2月15日21時00分] さん、らん、する、さん、さん、と降りそそぐ、ひかり の卵、ひかりが、生み、落とす、きのうへの、あしたへ の、記憶、あなたがいない、そのことのために、はつね つする、記憶、、、さん、らん、する、さん、ぜん、と かがやく、木陰のしたのめだたない、ちいさくひからび た、へそのお、あなたが渡り終えた、橋の向こうで、卵 は散らばり、ほそうされていない道の、まだしるされて いない、足あとのうえに、あなたは散らばり、、、とぐ ろをまく、へびのように、卵は生み、落とされ、卵は飲 み、くだされ、そのようにして、ひかりは世界のあらゆ る、片すみへと、さしこまれていく、、、さん、らん、 する、さん、いつ、する、ひかりの卵、あるいは、わた しのうた、あなたの、うた、くらさのなかでひかる、こ の苦しさよ、あかるさのなかでこどうする、このいたみ よ、、、あなたは思い、だされるために、いまも、散ら ばっており、わたしは思い、だすために、いまも、みず からを、ばらばらにしている、、、さん、らん、する、 さかなは、つめたい水のなかで、いき、たえる、さん、 らん、された、卵は、世界のしりゅうへ、世界の、あら ゆる水の、みなもとへと、散らばっていく、、、さん、 らん、する、さん、たん、たる、これらの軽さ、あなた が、生み、落とした、わたしの水滴、いのちをわからな くさせるために、ひかる、あなたの卵、わらい、さざめ く、こどもたちの陰で、この世にまかれた、ひかり、、、 (二〇〇八年十二月) ---------------------------- [自由詩]つないでゆく/岡部淳太郎[2020年2月23日18時23分] ――水道橋、詩の練習 つないでゆく これから来るもののために   それを信じて つないでゆく 見極めて (生き急ぐことなく) 後の者のために いまこの場所に立つ つないでゆく そのことで訪れるものを   それを願って つないでゆく (陽炎のように上る) 次の時を待ちながら それがはっきりと見えてくるように いまこの場所で立つ そうしてつながれたものが 連なって 見えない鎖のように 次の者へ 次の者へと つないで 継いでいって ひとつの形となる時 無人の野に ある速度を持ったものがはずむ 左右から追ってくる者たちを 振り払って 引き離して そしてまるでそれが (当然の結果) であるかのように 私たちは 還ってくる (二〇一四年九月) ---------------------------- [自由詩]人さらいの街/岡部淳太郎[2020年3月1日0時03分] 街をつめたい風が吹き あたりが暗くなって 物のかたちが歪んでくると 人さらいが暗い影とともにやってくる 街外れの電燈もまばらな古い家々のどこかで 妙な臭いの鍋がぐつぐつと煮られ 風に乗ってどっと笑い声が聞こえたかと思うとすぐに消え また静寂が通りを包みこんでゆく 人通りまばらな路地の奥で 見捨てられた猫が鳴く その猫には尻尾がなく 毛は毟られたように乱れている 門限を忘れた子供が一人 急いで通りを駈けぬけようとして 黒づくめの服の紳士にぶつかり あわてて頭を下げてまた走り出してゆく 鍋がぐつぐつと煮られる臭いは街の空気まで浸食し つめたい風に乗って家々の軒先にまで届こうとする 人さらいが足音も立てずに街中を徘徊する 掲示板の貼り紙は古くなって黄ばんでおり 端が剥がれて風に揺れている 通りの店のほとんどはもう何年も前から締め切られたままで 人々の心も閉ざされて 開けているものは もう何ひとつ残っていないかのように見える 街を流れる小川は悪臭を放って淀んでおり それはどこかで煮られる鍋の臭いと交じり合ってゆく その川にかかる橋のすぐ傍で 壊れかけた電燈がちらちらと明滅する あたりはもうすっかり暗くなって 物のかたちも人のかたちもわからなくなって そんな時に人さらいがやってくる 街のあちこちで 孤独な 一人きりの子供がそれぞれに道に迷って 家に帰るすべを失って それでもなんとか家までたどりつこうとして歩いている 遠くの山で鴉が啼くと それを合図とするかのように 夜の帳が落ちて 星がいっせいにまたたき出す 空の真中に大きな穴が開いたように見えたが 周囲が暗く穴自体も真っ暗なのでわからない 鍋は変らずにぐつぐつと煮られつづけ その傍で老婆が曲がった腰をさらに折り曲げる 人さらいは自らの暗い影よりもさらに暗くなり 地下の思念のようになって街をさまよう 黒づくめの紳士が左手の杖で 何かを探るように 地面をこつこつと叩きながら歩く 街はすっかり暗くなって 物のかたちも 人の心のかたちも歪んで 次第に見分けがつかなくなってくる つめたい風は勢いを強めて吹いて 錆びた空き缶や街路樹の根元の枯葉を運び去る 乗り捨てられた自転車の車輪がからからと回っている 街外れの神社の境内には何者の気配もなく そこで起こったとされる悲惨な噂話の残り香を 迷いこんだ野良犬が嗅ぎまわっている 街とその周辺の闇はますます深まって 人さらいは自らの影の中に身を隠す 閉ざされたものは さらにきつく閉ざされてゆく ある子供はなおも街角で迷い 別の子供は自宅の寝台の上でふるえ 母親は夕食の支度の合間に昨日の新聞を開いて そういえば確かに街外れのあの橋のたもとで 事件があったなどと思い出したりする 街は閉ざされている 人も閉ざされている 人はみな何もかもを忘れようとする 忘れられたものたちがばらばらになって 街のあちこちに散乱している つめたい風が吹いている 雲が動いている その間から星が見えている 鍋がぐつぐつと煮られている 人さらいがやってくる (二〇一四年五月) ---------------------------- [自由詩]撃たれる/岡部淳太郎[2020年3月8日15時21分] 思えば、あの頃からいつかこうなるのではないかと、漠 然と予期していたのだった。あの頃、俺がまだ若くて、 日常の懊悩や苛立ちや、燃えやすい枯れ枝のような未熟 な考えを持て余していた頃から、いつかこんなふうに世 界は混乱して、空の上までいっぱいに、唾液のように吐 き出しては飲みこまれる思想で満たされて、人々が互い に争う日々が訪れることを、感じていたのだった。あの 頃、それをいまはもう名前も忘れてしまった友人に語っ たけれど、馬鹿だな、そんなことに、なるわけがないじ ゃないか。そう笑われて終ってしまった。だが、いまや 人々は戦いのなかにあって、その淵で足並みを揃えて行 進している。日々新しく塗り直される、そう思われてい る情報や流行や風の噂のなかで、俺は何ものにも反対も しなければ、賛成もしない。俺は青くさい平和論者でも なければ、急進的な怨念で戦う者でもありえない。俺は 俺で、ありつづけたいだけだ。だから、戦いが日常であ る巷に不用意に出てしまえば、撃たれることもありうる だろうと思っている。馬鹿だな、そんなことに、なるわ けがないじゃないか。頭のなかでもう一人の自分がそう 嘯くが、この戦闘のなかでは、すべての最悪に気を配っ ていなければならない。何しろいまは戦中なのだ。発禁 文書が枯れ枝のように次々に燃やされ、安っぽい思想が 怒号のように響き渡る。すべてのいのちは撃たれるため にのみ存在し、俺のかつての漠然とした予期もまた撃た れて、燃やされるだけだろう。何ものにも反対もしなけ れば賛成もしない、この俺を撃つがいい。俺の安っぽい 矜持も撃たれ、その死骸はただ通過されてゆく。その後 は生臭い風が吹いて、ささやき声が交わされるだけだ。 馬鹿だな、そんなことに、なるわけがないじゃないか。 (二〇一六年七月) ---------------------------- [自由詩]羽根のように/岡部淳太郎[2020年3月14日12時57分] 私たちの それぞれの思いは どこまで届くのか あるいは どこまでしか届かないのか 羽根のように 世界中の空に いくつもの思いが飛んで 散らばっていった 白や黒や灰 あるいは孔雀の羽根のような色鮮やかなものや それらの様々な羽根のような思いが飛んで 空間に舞って 風の流れに翻弄されて ゆらゆらと揺れて あるいはぶつかり合って あるいは風に乗って遠くまで飛んでいって そのために世界は美しく そのために世界は醜かった 人はどこまで行けばいいのか この世界の 謎のきれはしの どれをつかんで あるいは手放して 人はどこまでしか 行くことが出来ないのか 羽根のような思いが それぞれの人の口から呼気のように吐き出されて それらの思いの巷が あちらにもこちらにも出来上がっていて そうして世界はつくられていた 世界の重さと 人それぞれの あまりの軽さが釣り合いをとって この広がる空の下にあった 羽根のような思いを 次々に吐きだすことで人々は生きていた そうやって歴史はつくられ それぞれの人生もつくられていた けれど 舞い上がっても落下してしまう思いもあって 羽根から翼のかたちになれずに 踏みつぶされてしまっていた それらの落ちた羽根も あるものは拾われ あるものは拾われずにそこにあって それでも次の思いは羽根のように 飽くことなく吐きだされつづけて そのために人は強く そのために人は脆かった いまこの街の 喧騒のなか 人々がそれぞれに目的地に向かったり 家に帰ろうとしていたりするなか ビル街の谷間から見上げる空には 無数の羽根がただよっている それを何と素晴らしい眺めだろうと みんな見上げている そこにそれぞれの思いがあって やがてそう遠くない未来に その行末が決められてしまうことも知らずに その美しさに見とれている 人々の それぞれの思いは どこまで届くのか あるいは どこまでしか届かないのか それを意識することもなく (二〇一六年四月) ---------------------------- [自由詩]地滑り/岡部淳太郎[2020年3月23日0時05分] 風が誰かの歌を剽窃するようにして吹くと、地がふるえ て滑る。それはその上に立っているだけの人々が、私た ちは何者なのかという疑問をいまだに捨てきれないこと と、相似を成している。一寸ばかりの地虫たちも、地の 下でふるえるだろうか。そんなありえない想像を置き去 りにして、今日も風は吹き、地は滑り、その上に立って いるだけの人は転んでいる。また一つのよくある過ち。 そしてもう一つの使い古された子守唄。土にまみれなが ら、泥と同化しながら、生きているということのありえ ない意味を探し求めて、数億年の時が過ぎた。今日も風 は素知らぬ顔で誰かの歌を剽窃し、人は地滑りする生の 上で、必死に自らを保とうとしている。足下の土の下の 見えない堆積の向こうに、自分たちと同じような名前の ない者たちの死骸が、埋められていることも知らずに。 (二〇一五年四月) ---------------------------- [自由詩]暁/岡部淳太郎[2020年3月28日21時50分] ここに朝が ものしずかに 何くわぬ顔で 並びはじめる 暗い間は よくわからなかった 私たちの影が それぞれにはっきりと 目に見えはじめる それでもなお影が あるのは事実ではあるが せめて片側だけでも明るく 照らしてくれるのは ありがたいことだ 影の代わりに光が 物を言いはじめて そのひびきに寝ぼけまなこの鳥が さえずりを加えると 草はそれぞれに屹立して 世界は忘れていたことを思い出す 陽が私たちの驚きをおおうように 空を白く 塗り変えようとする時 すべてが新しいのだということを 誰もがさとる 私たちの目醒めに あまりにも近すぎる焦点を結ぶな 私たちはここに並んだ それぞれの明るさの朝を 手にとって 青い夢へ ふたたびの 眠らない夢へと急ぐ (二〇一五年一月) ---------------------------- [自由詩]訪問/岡部淳太郎[2020年4月12日15時38分] 今夜は雨もしとしと降っていて もうずいぶん遅いから 誰も訪ねてはこないだろう だから玄関に鍵をかけて 雨や風が外の空気を伝えてこないように 窓もしっかりと閉めて ひとりで 瞑想するように引きこもっていよう 眠るにはまだ早いこの時間 上空を飛び交っているだろう 衛星が中継する電波も 地下を這う怨みのような想念も すべて閉め出して ひとりでいるのは 何という愉楽だろう そうして ゆっくりと目を閉じて 心をどこかに置き忘れたみたいに黙っていると いまでは離れてしまった かつて親しかった人たちの姿が かたちの定まらない ふわふわとした格好で この胸のなかにそっと 入ってくるのだ なんだ、君たちはそんなところにいたのか。 久しぶりの訪問に 懐かしくなって 彼等をひとりずつ 詩のかたちに ととのえてやる (二〇一五年七月) ---------------------------- [自由詩]眼の奥処/岡部淳太郎[2020年4月19日23時19分] 長すぎる夜に ほんの少しの朝のきれはしを しのばせておく ばらばらになった風景が 夢のなかでぼんやりと それでも一つに結び合おうとすると 空に向かって曲がりくねりながら伸びて その先で開こうとする蔓性の植物が目醒める 痙攣した脚の痛みは ありえない方角へ歩こうとし それが土のなかに埋められた 筋違いの麻酔を活性化させる 人の心を持たない忘却は 針の速度で突進し 捻れながら 透明な映写膜に激しくぶつかる そうしてぼろぼろに崩れ落ちるいくつもの剥片は かろうじて風景の名残りを留めているが それらは空気中に消え その裏で癌細胞のように増殖をはじめる やがて光が大挙して押し寄せ 視神経が一つに集まるところを刺激すると その背後に白い羽が翻るのが かすかに認められる そして新しい 見たことのないものが眼の前に その奥からやっと這い出てきたばかりの私たちを 笑顔で待ちかまえている 開くべきものを開き 焼きつけるべきものを焼きつけて 私たちは その喜ばしい苦痛とともに (二〇一六年一月) ---------------------------- [自由詩]求めるものは/岡部淳太郎[2020年4月26日16時50分] 大勢の見知らぬ人々の中にいた 右も左も定かではない 私と同期することのない人々の中で 求めるものを待ちつづけていた この見知らぬ運命たちの巣窟に 誰一人として私の運命に関わってこない場所で 求めるものが見つかるはずと信じて 人々の息が通り過ぎるのを聞きながら待ちつづけた 私は何も知らない異人でしかなかった どうして人々が彼等以外の顔をしてここにいるのか どうしてそれほどに熱い心を持って集まっているのか それすらもわからずに一人で立ちつくしていた やがて求めるものが可憐な雨滴のような 細く折れやすいものが現われた だがそれは一瞬垣間見えただけで 見知らぬ人々の息の合間に夢のようにあるだけだった 私があれほどまでに求めたものは 美しい姿のままでやがて消えていった その背中はぼんやりとまた当然のように 見知らぬ人々の行き交う中に消えていった 私が求めていたものはあの時ほんの瞬間 姿が見えただけで満足すべきであったか 光が明滅する薄暗い空間で はかなくも輝いていたものよ それともそれはまた別の時にいつものなじみの場所で 動かしようもなく私の前に現われるか また今日のような遠い見知らぬ場所で 疲労とともに捜索しなければならないか 結局私が求めていたものも 私を容れることのない見知らぬ世界の法則の中にあったのか それを知ろうとしない私には永遠に 求めきることの出来ないものであったのか 私は疲れていつもの塒(ねぐら)へと帰る その夢の中で求めるものは 私の変らぬ渇望として誘うように また導くようにあるだけだろう (二〇一五年四月) ---------------------------- [自由詩]とどけるために/岡部淳太郎[2020年5月3日18時18分] とどけるために、思いをこめた言葉は、宙を舞い、無の なかを漂って、さまよっている。無のなかで、それらの 言葉だけが、有の属性を示している。すべては無なのだ から、そのなかに有があったところで、意味などない。 そんなおおいかぶさる無のなかで、言葉は場違いで、居 心地が悪そうにしている。それでも、言葉は闇のなかを さまよって、たどりつくべき場所を目指している。とど けるために、ただひたすらそれだけのために、思いはこ められ、無数の歌になり、何枚もの千切られることのな い手紙になり、語り終えることのない物語になった。そ れらの言葉を笑う者は、いのちの側に属していない。だ から、どれだけ笑い、知らぬふりをしようと、それらは ただの無に過ぎない。多くの無のなかで、思いをこめら れた有だけが正しい。時にそうした思いと関わりのない 誰かの手が言葉に触れ、汚れた指紋を押しつけては、無 のなかにさらっていこうとするが、それに成功したとこ ろで、思いは同じようにこめられ、とどけるために、何 度でも言葉は旅立つ。そのたびに星は強く光り輝き、他 の星とともに意味ありげな配列をかたちづくり、彗星は 天啓のように空を横切るのだ。とどけるためには、思い のみが信じられ、思いのみが希望だ。今日も思いはこめ られ、言葉は虚空に放たれる。それらの言葉が宇宙に充 満して、いまや、有の隙間に無が点在しているかのよう だ。天の星ぼしの川がゆっくりとうねり動き、地上では コップから水がこぼれ落ちる。その間も、思いがこめら れた言葉は漂い、その宛先へと、透明な水のように流れ てゆく。ただ、とどけるために、とどくことを願って、 言葉は湧出し、絶え間ない歌や、物語のように響いてゆ く。君にとどけるために、僕の言葉もそこにあるのだ。 (二〇一六年五月) ---------------------------- (ファイルの終わり)