田中修子 2018年6月1日23時39分から2019年1月6日8時55分まで ---------------------------- [自由詩]空だまり/田中修子[2018年6月1日23時39分] ごめんねとあなたにささやいて いつも唾でやさしい嘘をなぞっていた ほら、耳をふさいでしゃがみこんで はねつけろよ いつからわたしの舌は こんなにも何枚もはえてこっそりと赤い棘で みなをわらわせることができるようになったんだよ 肋骨からいじわるなことがわいてくるのは もうだれも痛くしたくない 包帯で首をつってしまいたい みぐるしい叫び声で灰色の空の玻璃をわってしまおう ……ぱらぱら……ととと……っつっつ 傷ついた鳥とともに空の破片が落ちてきて 立ち竦むわたしのからだを傷つけていった ふと見下ろせば足元にきらめく空だまりがあった ---------------------------- [自由詩]初夏の奇跡/田中修子[2018年6月3日22時59分] 雨の日のあくる日 学校のうらの公園に みずたまり ができていたよ みずうみ みたいだったよ みずうみには ケヤキの葉っぱが陽に射られてみどりに きゃあきゃあと光っていたよ 女の子が自転車のペダル漕いで 澄ましたハクチョウみたいに 尾を引きながら みずうみをわたっていったよ くつしたをぬいで みずうみをわたったよ 初夏 足のゆびが冷えるぞ どうだ ミラクルだ ぼくをみよ くつ くさい ---------------------------- [自由詩]きみのとなりにユーレイのように/田中修子[2018年6月10日12時22分] きみのかあさんになりたい お洋服を手縫いしたり 陽に透けるきれいなゼリーをつくったり おひざにだっこして絵本を読んだりする いつも子育てのことで はらはらと気をもんでいる きみのとうさんになりたい 上手な火のおこしかたナイフの使いかたを教えよう 子育てノイローゼ寸前のかあさんを 「こら ちょっとやりすぎだ」 と抱きしめて デートにつれだしたりする きみのばあちゃんじいちゃんになりたい かあさんもとうさんも苦しそうなとき ちょっぴり預かって あくまでこっそりと いつもより贅沢な 歯の溶けそうなチョコレート菓子を 買ってあげたりする 内緒ですよ きみのともだちになりたい かあさんにもとうさんにも なんとなく話せない あのことを ひそひそ話すんだ なん時間だって きみの先生になりたい しかめつらしながら授業するあいま 生きることにほんとにひつようなことを ボソッともらして 校長先生にしかられる きみの 恋人になり……はべつにいいかな わりとテレビとか本とかに載っているし でも、空想と現実はちがうのである ガッカリするでないぞよ きみがもう だれかの かあさんでありとうさんであり ばあちゃんでありじいちゃんであり ともだちであり 先生であり 恋人……はいいんだった で、あるとして それでもぼくは ひつようなときに ひつようなだけ きみのそばにいよう ---------------------------- [自由詩]丸鏡の向こうのわが家/田中修子[2018年6月14日0時47分] うつくしい家にかえる 秋の赤みをおびた夕暮れ色のレンガをふむ 玄関にはアール・ヌーヴォ風の 金色のふちの大きな丸鏡にむかえられる この丸鏡の前に花瓶をおき 庭に咲いた花を飾る と鏡の向こうの玄関にも花が咲く (いまの季節なら手まり咲きの まだ緑色のところがうっすら奥にのこっている この株の大きくなりすぎた青い紫陽花 おとなりにはみ出してしまいそうな枝のを) 母と父 祖母 妹と兄 すべてのあこがれがこめられたこの家の 胸に閉ざした 秘密 この家はわたしの家ではない あのころ見捨てられたわたしはいまもどこかで やさしいほんとうの家族に見守られながら 眠りこけているだろう 夕暮れ色の煉瓦の階段から続くバルコニー 淡いきみどりののハナミズキの葉影に おだやかに泳ぐ甕のめだかたち 白いドアをひらき 金色のアール・ヌーヴォ調の鏡 ただいま ---------------------------- [自由詩]永遠の雨/田中修子[2018年6月21日0時31分] いつくしみを ぼくに いつくしむこころを ひとの知の火がなげこまれた 焼け野が原にも ひとの予期よりうんとはやく みどりが咲いたことを  アインシュタインはおどけながら呻いている  かれのうつくしい数式のゆくすえを あなたがたの視線はいつも ぼくらをすり抜け よその とおくの つぎの  ちいさなヒトラーが泣いている  打擲されてうずくまっているあわれな子 ここにいる ここにいるのだよ ぼくは そうして きみは 母の父の わらうクラスメイトらの まるで 業火のような そしてこのようなひ ぼくのことばもまた  あのひとびともまた かつて  愛情を泣き叫び希う  子らであったことを  ぼくに あのひとらに  おもいださせておくれ 雨よ、ふれ 六月の雨、紫陽花の葉の、緑けむる 淡い水の器がしずかに みたされてゆく あふれだす色の洪水で ぼくの 母の父の クラスメイトの 科学者の独裁者の兵士の 胸に焼け残っている 優しいものだけ にぶくかがやく砂金のように とりだしておくれ  絵本を破ることのできるちからづよい  手をくるめば  ぼくは  いまここで、永遠に  だきしめられた きみもまた永遠を かならず 与えたひとであったのだ ---------------------------- [自由詩]失くしたらくがき帳/田中修子[2018年6月23日1時02分] ずいぶん歩いて歩いて、ひざこぞうはすりきれて足ひきずるようになったよ。 いくど、ここは果ての先だ、と思ったことだろ。 らっぱのみしたワインの瓶、公園のひみつ基地のしたでねむった夜、あったかそうな飲み屋でカクテル飲んでる外国人のすこしぶれたタトゥーが泣けるくらいまぶしく見えた。 ガッコってへんだ。個性的になれっていうから、うんとうんと本読んで文芸部の冊子にけっこういいのを書いて嬉しくなって先生に見せたら「ふーん、いいんじゃない」褒められたあと「でもさ、こういうのやるのって大学行ってからだよね」って釘をザクっと刺してくる。「そっちが本音ですか」ってきいたら「考えすぎ」。 どうしたらいいんだい? 笑いたくなっちゃうじゃんか。 化学反応の青色のきれいさとか、日傘は黒よりは白のフリルのついたほうがやっぱいいし、髪をどれだけまっすぐさらさらにできるか、なんてことをずうっと話してたあの子はきゅうに、「勉強していたらなにも考えなくてすむから」って。 -屋上 うっすらと寒い風、白い雲、青い空 反対側には都庁 たったひとり- そんなふうな呟きをノートにらくがきしていたあの子の横顔はほんとに、いまだ目をとじて薄暗闇に浮かび上がらせるほど、きれいだったのに。 大学行って、働いて、眠れなくなって、落とし穴に落っこちて、そうしていま、這いあがって、また。 ぼくは、なにひとつかわってやしない。 いまだ、背の伸びるような骨が軋む音がする。 そんなの、よくないのだけどね。ぼくの、このおさなさは、じぶんですらひどく気味のわるい、こっけいじみたものに思えるときもある。 (ほんとはちょっとずつ、背骨の折れてる音だったらどうしようか。 コキリ、コキリ、コキリと澄むような。歩けなくなったら? そのときはそのときさ、さらさらの骨もけっこう砂みたいできれいさ) ……おとなになったからとて、なにかうつくしく、すばらしいものになるわけでは決してなかったのだ。やりがいのある仕事や勉学にすべてをなげうち、家庭を持ち、芸術を愛し、人のいうことにおだやかに耳を傾け、正しい決断をするひとになれるようなひとはごくわずかだった。また、そういうふうにみえる美しい庭のある家に住む子どもがまた、いたましく傷つけられていたりする。 ぼくが知るのは、おとなになるにつれて何かしらとてもたいせつなものを失っていくことがある、ということだ。失ったものの取り返しのつかなさを知って、ぼくはなんだか自分が死んでしまったような気分になるほど、あんまりおおくを失ってきてしまった。 それでも、ピンクと青の入り混じった夕暮れに染められた雲が浮いているのを見るときに、ああ、あまりにも凄絶なものを見た、と息を飲むことがいまだにある。雨だれがひとしくつややかな緑の葉をうつような、もしかしたらもう二度とすれちがわぬ友とのこころやすらぐひとときをおもえば、すべてが黄色い煉瓦の小道…… 手のひらを貝のように丸くして耳をふさぐと、海の音がする。 胸のあたりが淡く靄がかって、息苦しいから心臓を引きちぎってたたきつけて、赤く破裂したのを、蝶の標本みたいにきれいに、あの子との想い出にして。 ぼくにはそうやって、こころにしまってある失われたらくがき帳が、うんとたくさんあった。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]きみはなにに殺されたんだろう/田中修子[2018年6月26日1時24分] きみはなにに殺されたのだろう。 この日付、六月二十六日という日付のほんとうすら私はもう忘れつつある。きみの命日そのものだったのか、それともきみが死んだことを私が知った日だったのか。 おそろしい、と思う。時が流れるのはやさしく、かなしく、そしておそろしい。ぞっとするような気分になる。 私は毎日きみのことを思い出していて、けれどそのたびに死にたい気分になることもなくなった。 この日、私は過去に戻る。過去に戻って、ひとつひとつのことを考え直す。 それでもこのことを、こんなふうに書く日がくるとは思わなかった。淡々と、まるでもう終わってしまったことのように。わたしのからだにはあの日たしかに穴が開き、その虚無にずっと吸い込まれてしまった気がしたのに、いま、くりぬかれた空白のまわりの線を、どこかにむかって説明している。 あの頃の記憶は血の色だ。一滴ずつ、ポタリとあるのを数えていく。 「死のうかと思ってるんだ」 きみは何回も笑いながら言っていた。 「私もそう思う」 私もそう言ったしほんとうにそう思っていた。きみは私を称賛した。 「そのまま自殺できるよね、修子さんは。そうしてほしいな」 「わたしもヴィジュアル系すきじゃないけど、よろしく」 「会おうか」 「電話代がさ、かかるの。好きな人に電話すると。月三万円」 「修子さんのサイトデザインいいね。わたしのサイト作れる?」 「アルバイト、300コくらい応募したけどさ、家が山奥でバス代のほうが多くかかるからさ、通えないんだよね」 「へー、ウィスキーってこんなに酔うんだ」 「精神科で、医者に椅子投げたんだ。そうしたら薬増えた」 「んー、弟がさ、なんてか、ふつーに育ってくんだよ。父親がアル中で暴力ふるってきて、わたしが高校に行かないで守ったんだけどさ、彼女もできてさ」 「母がさ、親戚の家行けって。宗教の上のほうの人で、えらいから、預かってくれるらしいよ。行きたくない」 「わたしビアンだし、結婚しないでいいから子どもだけほしいよ。そしたら生きられる気がする」 「詩人になりたい。出版社にいっぱい応募したけど、みんな落ちた」 「おばあちゃんが死んだ」 「好きな人がさ、なんか家族で夜逃げするって。でもどうしても逢いたいんだ、理由聞きたいんだよ。一緒に会いに行くのについてって」 「二十歳に死んだら天才になれるかねぇ」 そうして二十歳できみは死んだ。 いまの精神科ならば出さない致死量のある薬を飲んだ。 黒い流れるような髪と、まるで吸血鬼のようにとがった白い八重歯をおぼえている。 私たちふたりはこころのかたちがよく似ていた。あの頃家にいられなくて、かといって家から出ることも恐ろしくてたまらず、けれど家に帰らないことも許されず、生ぬるい日々の中を窒息しながら漂流しているように生きていた。 母に似てきみを愛さなかったその恋人のつぎくらいに、私はきみのことを知ってたんじゃないだろうか。 たくさん私にサインを出してたんじゃないか? いや、出してたじゃないか。 きみがからだをなげだしてきみがまもった家族も、きみの親戚の宗教の上のほうの人も、人助けが趣味の私の両親も、きみを見落とした。 私も見落とした。 金が、地域性が、学歴が、酒が、あわない精神科医と投薬が、宗教が、セクシャリティが、なりたかった職業が、祖母の死が、恋人との別れのタイミングが、年齢が、もしかするとろくでもない私という友人との出会いが、きみを殺した。 この世でいちばん不幸だと思い込んでいた私の頬を、きみの死がひっぱたいていった。 アルバイトできていたこと、からだを本格的に壊したときに両親がかけれくれた金、精一杯診てくれている主治医、そのほかのたくさん。 私が生きているいまここにたどり着くまで、どれだけの分岐点があったろう。そもそも産み落とされた場所は選択できなかったろう。 なぜ? 私ときみとの違いはなんだ? 私はたしかに、ふつうの幸福な人生を歩んできたとは言えないし、よく死ななかった、というくらい、いっぱい、ろくでもないことがあった。だれかにきみを投映して、ほんのすこし助けたつもりになって、だれのことももほんとうには助けなかった苦々しさ。 けれど、この日を迎えて、このようにひきつる指でもちゃんと動くこと。 ひたすら息をしてきて、枯れていく花を見て、死んだ鳥を、そうしてずうっと私の上には空があった。ほんとうに限界のときには海を見にいって、そうしてなにもかも思い直した。 いま、花の蕾や満開の様子を喜んでみられて、鳥のうれしそうな囀りや羽ばたく音を耳にできる。 毎日ほどほどに家事をできて、詩を書いたり縫物をしたり趣味のことさえできるようになって、食事がうまくて、やはり、うまくは言えないが、すごいことだと思う。 だれかに、「あなたは幸運だったのよ」と軽々しく言われたくない。だれかに「こんなに悲惨な子もいるのよ。あなた恵まれてるでしょ」と言いたくもない。 「救いを」「鬱なんて生きてたらなんとかなる」「弱者や貧困層にスポットライトをあてて」なぜだか分からない、ほんとうに吐いてしまいそうになる。 それでも、私にできることはないか? なにを通してできるんだ? 思い出した、君の誕生日はバレンタインデーだった。 ひたすらに、きみの空白が残るだけ。私はそれを書くだけ。 ---------------------------- [自由詩]ぱじゃまものがたり/田中修子[2018年7月3日23時33分] あたしは きふるされて くたくたになりすぎた 白地に青い花柄の 綿のぱじゃま ひとめぼれされて このおうちにやってきたわ このひとと ねむるときずうっといっしょ かなしい夜さみしい夜 たくさん見たふしぎな夢 こぼした涙のぶんだけ染み込んでいる あるひ なにをおもったか 黒い糸をとおされた 銀色の針がやってきた ちくちくぬいぬい されている そで えり すそ そでぐち ちくちくぬいぬい へんなきぶん 「もうしばらくいっしょにいて ぱじゃまさん」 とりあえずソファのカバーになってあげる 黒い糸はアクセントに しかしこころがまがっているからか まっすぐに縫われていないわ しかたないわねえ さいごは ぬいぐるみになってあげるわよ そうして また いっしょにねむってあげるわよ ---------------------------- [自由詩]父さんをすてた日/田中修子[2018年7月7日23時46分] ふんふんふんふん どうしたってさ いろいろあるよね びっくりさ 父さんに捨てられた ぼくが 父さんを捨てたひ ね、笑うかい イデアを宝石と呼ぶ人(注:瀧村鴉樹『胎児キキの冒険』)がいてぼくは すっかり感心してしまった ぼくのうつくしいイデアたち 言葉の浜辺でひろいあつめ お気に入りのブレスレットにした 満月の夜には光にさらして それぞれに浮かぶ文字 暴食 色欲 強欲 憤怒 怠惰 傲慢 嫉妬 ……色とりどりの   底にひそむやさしいもの…… 抱きしめよう だって泣いているじゃないか 笑うかい 永劫回帰 天にもゆかず つぎの生にもゆかず いまのこのぼくの人生が 永遠につづくとして 縋らぬように もう少し待ってください 革命の見果てぬ夢をみて子を捨て 妻も 友も さきに逝き 老いた体にふときづいて おそろしがっているぼくの父さん! あなたをゆるす日を ぼくがあなたの太母になるというのか (だから母さんはぼくを殺したのだけれど) それでもやがて その青い鳥の羽ばたく音は きっとおとずれるだろう ……母さんの死骸にありったけ   そそいだ   ぼくのひかる血を目印にして…… ---------------------------- [自由詩]クローズド/田中修子[2018年7月15日16時19分] わたしがおばあちゃんになるまで あるだろうとなんとなく思ってた レストランが 「閉店いたしました 長年のご利用をありがとうございました」 さようならのプレートが 汗ばむ夏の風にゆれてた 鼻のまわりの汗 うー 小学生のとき おとうさんと あたらしいお店さがしをしていて みっけたのだった テーブルの上にいつも ほんとうのお花が飾られていて お水はほんのりレモンの味がした お客さんの声がざわざわして 子どもがさわいでも音楽と混ざり合って 耳に楽しくて 緑に花柄のテーブルクロスはたぶん ずうっと洗われてつかわれていて 少しずつ色褪せていく様子が とてもやさしいのだった ということに いま気づいたのだった わたしは おとうさん や おにいちゃん 死んでしまったおかあさんとおばさん に電話をして あのお店がなくなったことを ともに悲しみたいのだけれど あれからほんとにいろんなことがあって ありすぎて 戸惑った まんま ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ちょっぴりゼツメツ寸前の詩をめぐる冒険◆詩をへだてるベルリンの壁/田中修子[2018年7月16日16時30分] プロローグ ◆ 詩っぽいものを書きはじめて二年、あたらしい世界をみつけてわくわくしている人間のおぼえがきです。 とおもって書き上げたら、「ただの身内の交友日記じゃないか」と自分にツッコミをいれてしまいました。いえ、そうなのです。いまや現代詩人は絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)になってしまいそうな趣があります。いや、もしかしたら詩人とは昔からそういう存在だったのかもしれません。過去のひとがやたら輝(かがや)いているように見えるだけで、どの時代も息も絶え絶えに「詩を……詩を残そう」というひとがなんとかぜーぜーしながら守り抜いてきた詩なのかもしれません。 今回は、そんな詩の内側について、本来小説書きをこころざしていた私だからこそ見える現状とか、そういうものを、オモチロオカチク書いていこうと思います。だいたい詩というのにいちばん足りていない要素は笑いであります。 お名前の出ている方はご本人に許可を頂いております。 ◆壁 さて、やっと本題に入ろうとしています。 「詩をへだてるベルリンの壁」このネタがすぐはいってくる人はどれくらいあるでしょうか。 ベルリンの壁というのは1989年まであったドイツを分断していた壁のことです。あれこれ述べれば大変難しい問題がありますが、「そういった問題意識を持った人にはたいへん深刻だが、関係ないと思う人にはたいへんどうでもいい」というところが「現代詩を書いている人には深刻だが、現代詩など関係ないという人にはどうでもいい」あたりが、なんとなく現代詩に似ている気もします。 つまり、当事者やそれについて問題意識をもった人は目の色をかえて論争する。歴史の話を持ち出す。遡って第二次世界大戦第一次世界大戦、ソ連とアメリカのなりたち、果ては人類生誕についてまでテツガク的にギロンすることとなる。 そうして、それにうまく入っていけない普通の人が、「すーっ」という感じでいなくなる、そういったことが現代詩で起こっているのではないかしら、と近ごろ思うのです。 ◆よんほんの壁 さて、ごくごく最近知ったのですが、私はどうも ■テキストが強い 詩を書く人に分類されるらしいのです。 さいしょ、 「なんじゃ?」 という気分でありました。 テキストが強いとはなんだ? おそらく「書き言葉系」ということで間違いないようです。私にとって、詩とは書き言葉であることは当たり前のことだったのですが、どうも、そうではないらしいことが分かりました。 そう、 ■テキストが強い=書き言葉系のみを想定した詩 ■ポエトリー・リーディング ■朗読 ■即興詩 というジャンルが、「現代詩」のジャンルにあるようです。 以下、この四つを巡る私のこころの冒険を。 □朗読については、「ある人がこころをこめて書いた詩を、こころを込めて朗読すると、その人の詩句と友達になれる」という現象があることを、詩について教えてもらった中学の朗読の授業で知りました。 たとえ死んでしまった詩人の詩句でも、より、こころにとどまるのです。 その、朗読の選択授業には、「ダサくて内向的」なひとしかおらず、私はそのなかでいちばん、そうだったと思う。 宮沢賢治の「よだかの星」の描写部分を朗読し、よだかと友達になったような気がしたものです。 また、朗読しやすい詩とは、書き言葉が優れている詩であるということも、なんとなく感じるこの頃です。 □ところで、ポエトリー・リーィングのことを、私はものすごいヘンケンの目で見ていました。Youtubeにもアップされているようですが、絶対に観ない、観るのならリアルで、と決めていました。 なぜならば、まず、カタカナの「ポエトリー・リーデイング」というのが胡散臭いではないか。 詩は日本語であるべきである。せめて朗読であってほしい。 英語では"poetry reading"と書くのだろうか、それにしたって「ポエトリー・リーディング」とカタカナ英語にするなんていっそのこと許せない、という色眼鏡でした。 ところが、実際に、ネット詩出身の方が朗読会をひらかれて、タムラアスカさんというポエトリー・リーディング出身の方とお会いし、彼女のリーディングを伺って、私の偏見はガラガラと音を立てて崩れていきました。 小柄な体から繰り出される、ふしぎな言葉のリズム。 感情の昂るとき、すこし揺れるこぶし。 ファッション。 儚い、うつりゆく都市の情景。都市のなかで繰り広げられている、刹那の出会いや別れ。 そういったものが、彼女のからだから、もあもあ湧いて、私のなかに入ってくるようでした。 彼女の詩は、とても儚いものかもしれない。 ご本人もコンプレックスにされていたようですけれど、もし彼女を知らず、テキストだけで読むとすこし意味が通らないかもしれないところがあります。 彼女のすべてがこもってこそ、こころにひびく詩として成立するもので、かつ、舞台の雰囲気に左右されるのかもしれない。 よほどいい録音や映像でなければ、再現することもできないだろう。 しかし、だからこそ、とても愛しいな、と感じるのです。 □即興詩については、これはまったく、はじめてでした。 なんと、この世には、お題を出されてその場で即興でそらんじる詩というものがあるらしい。 それは、中世ヨーロッパにいたという、吟遊詩人がやるもんじゃないか? 日本におるんか? という感じでした。 ところで、ツイキャスというものがあります。インターネットを利用した個人のラジオですが、三人まで会話することができます。 そこで、文学極道という詩サイト(スルースキルや、かなりの遊び心がためされる)が、「文極ツイキャス」というこれは司会のかたの采配がしっかりしているので安心できる番組を開催されていて、それを聴いたり、一回参加してみて、これもなかなかオモチロイものであるな、という感じがしました。 お題を出されて、その場で詩っぽいものをそらんじてみる。 本人の声質・喋り方の癖が生きてくる。 上手な方は、「豆乳」というお題で「豆乳がたくさん売られている町を歩いている」という設定で即興をされ、町の光景や、湯葉の浮いた豆乳の味が口のなかにありありと浮かんで、唾が出てくるようでした。 また別の機会に、黒崎水華さんという、恐らく普段はすこし耽美な世界観のあるテキスト系の作品を作られるかたのツイキャスに遊びに行って、「お題をどうぞ」ということなので、思ったものを出したら、彼女の世界観で即興詩を作ってくださいました。 私の出した単語が、彼女の詩のなかに生きている。 そうか、即興詩とは、「死んでいる詩」ではなく、双方向の「生きている詩」であるか、と。 ◆◆◆ そうしてこの四つのジャンルは、人によってまたがって存在している。 私は、■テキストが強い=書き言葉系のみを想定した詩 ■朗読 向けの作品がやはり分かりやすい。 けれど、その他のジャンルの人にも、尊敬する人がいる。 そういった感動を記録すべく、この雑記を残します。 また ■テキストが強い=書き言葉系のみを想定した詩 のなかにも、さまざまなジャンルがあるようですので、いずれ続きを書くかもしれません。 ---------------------------- [自由詩]きらめく深づめの記憶/田中修子[2018年7月22日19時43分] 文字の海に溺れる すべて かつての 少年少女 酔い醒まし 夜を仰げ 幾百の まなざしは 三日月を交わし 空たかく白色にまぐわい しいか宿る卵から 乱反射する 燦燦の 万葉の 衣ずれの音が また うまれだされることを けっして叶わぬ ときめきよ 宿れ うしなわれたひとにこそ 孕め つやめく黒の夜を あおげば 勾玉のよう きらめく 深づめの三日月 ---------------------------- [自由詩]とりどりのいき/田中修子[2018年7月24日15時13分] 名も付けられぬとりどりの色をしている砂の文字列に埋もれて やわい肉を縮めこませ 耳を塞ぎ あなたに握りしめられればその途端 脆くパリンとわれてしまうような うす青い貝になってしまいたいときがある いびつな真珠 海岸に打ち上げられた心臓の、血管まで浮かび上がっている塩漬けのかたくて軽いクルミ 骨董屋さんで300円で買った花のような透きとおるガラスのプレート ヘンリー・ダーガーの画集 いま夢らしい夢から すこし、そう二、三歩距離を置いたようにベビーベッドがあり 血が乳になり 久しく流したことのない涙のようにあふれ あのひとは 母乳をあたえなかったが きっと乳房の痛みを 父に隠れ うめいて職場でしぼりだしたことだろう 日日 何百枚も 恋人たちや 春をひさぐ女と春を買う男が ねむって よごれたシーツを 中国人やベトナム人とにぎやかな怒声を交わしながら かえ 八階建てのビルの従業員階段をかけあがる きみ 何百枚も雪崩来るお皿を赤く腫れてボロボロになっていく手で 現実味をうしなうほどに洗っていたようなころがいちばん生きていた 金に換算されていく体の時間は濃くて 空想に埋没し 逃避するうす青い貝殻がうちがわとそとがわから破られて 赤く青く黄色く電球の 点滅するこの都市のなかに ぺたぺたと肉の足音を立てて また肉体の壊れるように 鮮烈に 呼吸をし 衰えていきながら 生きる文字を綴る日が いつか来るだろうか ---------------------------- [自由詩]跳ねるさかな/田中修子[2018年7月25日10時47分] 青灰色に垂れ込める空や 翡翠色のうねる海や 色とりどりの砂の浜を 灰色の塩漬けの流木や 鳥についばまれてからっぽになった蟹や ボラが跳ねる 「あの魚は身がやわらかくてまずいんだよ」 きん色に太陽が落ちて水平線に溶けてゆき 真っ黒く陽が落ちれば 向こうのなだらかな山に 青色の人の家の明かりや きらめくオレンジ色の発電所が 光り 月が出た 血のにじむ世を照らす キーボードにぱたぱた跳ねて 風景をえがきだすわたしのこの指 近所のスーパーとこのアパートとの往復 公園への散歩 病院へいくこと ほんのときたま旅をする ありふれて穏やかな日日のなかで 父母の指し示す天に向かって飛ぼうとし 溶けて地上にたたきつけられた ロウでできた羽に また火を灯し夏の夜に置いて 風景を点と点とで浮かび上がらせようじゃないか どこまでも どこまでも 飛びたって浮きたって まなうら火花 海水のまとわりついたからだを真っ暗な冷たいシャワーで洗い流す 友人のしなやかな冷えた魚の肢体がすこし見える まっ黒な夜に浮かぶ月 夏でも寒いこの浜辺にお別れをいう 頭のなかに言葉が滴り その雨音に耳を澄まして 日常の隙間に ちいさな手と洗剤にあれた大きな手と つないでお昼寝をしながら ああ、言葉が尾ひれとなって どこにでも泳いでゆけた ---------------------------- [自由詩]むつかしいこと/田中修子[2018年7月27日22時52分] テレビニュースは ほぼ ほぼ 悲しい事件ばっかりで埋まるが きょうの夕暮は オシロイバナに染まった指先を 落ちてゆく太陽に透かしたよな かがやく むらさき色で たくさんの人を乗せた きん色にひかる電車が ゴウゴウ走ってた 醒めた色の紫陽花が 川辺に白く項垂れながら 反射しているのは 神話の一頁 かなしいこともくるしいことも 指に余るほど いっぱいあって こわだかにきこえてくるけど ふつうの、いつもの、町角の景色に よろこぶって ひどく むつかしくて かんたんな こと ---------------------------- [自由詩]にがい いたみ/田中修子[2018年8月3日15時01分] 乱れ散る言葉らに真白く手まねきされる 祖母の真珠の首飾り  記憶の そこ 瞼のうらの   螺旋階段を 一歩ずつ 一歩ずつ くだる    (そこで みた おそろしいことは 忘れます)     コツ コツ コツ ルビーの靴 黄色い煉瓦をふみ      バッヘルベルのカノン       幾度も乱反射する        蓮華の花言葉と 式子内親王が         「 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 」          (三、二、一) しろい へや           狭い窓 夏の夕暮は大火          赤い雲の けむに まかれた         いちばん そこで みたはずの        幻に 喰われた       いますか? ここにいますか?      あなた の そこ に います      道草に散らばる    四つん這い で かかとを 鳴らす   ランドセル  骨 骨 骨 忘れられきった 音符たちのよう こわれた真珠の首飾り おひさまに近づきすぎて溶けた?の羽根 ※るるりらさんの詩から、羽のかたちにするアイディアを拝借しました。 ---------------------------- [自由詩]ちいさなちいさなことばたち/田中修子[2018年8月11日23時19分] 「錯乱」 しをかくひとは 胸や、胴体に肢体、に まっくらな、まっくらな あなが、ありまして のぞきこむのが すきなのです のぞくとき、 のぞきかえされていて、 くらいあなからうまれますよ 母や父や人魚のなみだや 星のうく夜を さんらん します あなた 「花よ咲け鳥よ飛べ」 体を引きちぎりたい にくしみも うらみも かなしみも 生きておればこそ 死んじまったあの子らの 想い出を 背負ってゆけるのも 生きておればこそ 死にたいのも 生きておればこそ いつか 叫びつづけ流しつづけた 悲鳴は涙は 火が虫が 地に返してくれるから いつか 花の咲くように 鳥の飛ぶように --- 「ふりかえる」 じょうぶな みひとつで どこどこまでも そらをつきぬけて ひとのあいだをただよい うみのはてさきまで いきてゆけていた くるしみの ひびが ただひたすらに なつかしい --- 「麦茶」 五月の 雨の翌朝に 冷蔵庫で冷えたキュウリを かじると 歯が シミシミした おなかが クルクルした 麦茶の湯気 --- 「ねどこに花は散って」 終わってしまえば いい生き方だったと 老兵の 死ぬように 毎夜眠る 今日友とした ふしぎな語らいを 思い出す 一輪の花の 散るように --- 「少年兵」 おかあさん 愛して おとうさん 見て と叫んだ ところから、首が、千切れたよ ろれつはまわらない ふりつもる雨みたいな サラリとしたてざわりの 言葉でくるみたい おやすみと囁きたい 母父を失った だきしめる あんしん、あんしん だきしめられている 愛してる とても なによりも だれよりも --- 「端午の節句」 ニラが ニラニラ笑ってる やだな 今日はニラ風呂か ニラが ニラニラ笑ってる ちがうよ きょうは 菖蒲風呂 ツンツン ジャブジャブ 菖蒲風呂 ごがつ いつか --- 「うた」 ツツジ らっぱっぱ らっぱっぱーのら コウモリ ぱたぱた虫をたべ 汗ばむ青い五月の夕暮れだ おふろのにおい 石鹸の 赤ちゃんあくびで 猫わらう --- 「海」 かわいそな かあさん あなたのこと 愛してた だれよりも 海の中から だれよりも --- 「テンテン」 きょうもこれまた いちどかぎりだ いちどかぎりだからこそ つらねてゆきたい がっかりもわるかない のほほんもなかなかよい ギラギラではなく キラキラしたい 点点でだいぶ かわるものである ふしぎなものだ --- 「深呼吸」 うまれたことや まだいきていることの おかしいわたしだ なにができるか できないのか なにをしたいか したくないのか ときどきふっと たちどまる でもどうせまた あゆみだす --- 「ひかる心臓」 私の心臓の中に 持ってる宝物 なーんだ あなたの心臓の中に 持ってる宝物 なーんだ こうかんこは できないけど かなしい、さみしい、ひとびとは ひびくよに互いの心音 きくことできるんだな --- 「氷のトンネル」 両親や教師のあつい語らいに当てられ わたしは冷えてしまった わたしにはひとり穿ちつづけた 透きとおった氷山のトンネルがある 氷山を、海を、浜を 庭を、一輪の花を 恥じらいながら もくもくと探検していた おとなたちもいるときく あなたのみた すばらしいひとりの風景を わたしは聞きたい --- 「皿洗い」 涙をぬぐうように お皿を洗った 傷をふさぐように やわらかい布でお皿をふいた お皿は ほのかにあたたかくて キュッキュと鳴った --- 「浮かぶ骨」 青い赤い金のピンクの 息飲むような夕暮れに いまだ怯え泣く 木に逃げ遅れた友が家族が 獣の歯に 食われたのをみたのだ 猿をとらえ食いちぎり 共に家族に分けあたえ やせおとろえ 飢えて倒れたのだ 最後の吐息の記憶よ 夕暮れ わたしの血肉 夜に薄っすら浮かぶ白い月 わたしの骨 --- 「空と月」 空はこんなに青かったっけ 月はこんなに白かったっけ いい夕暮れ まいにちまいにち一回こっきり --- 「フトンのきもち」 お布団が明るいおひさまあびて 香ばしくよろこんでいる だから夜フカフカの お布団もぐると わたしもキャイキャイ 喜んじゃう 気のせいだろか 気のせいかもな 黙ってぬくたい風に揺れる お布団はえらいな --- 「たんぽぽ」 おてんとさまの花 ハラランラン 錆びたフェンスだって フワワンワン 今日も笑ってるかい ムーッフッフゥ --- 「どこか遠く」 ひとりひとり くるしみをかかえていて なのにどうしようもなく わかりあえなくて そんなものかかえながら まわっている地球さん 空と風 鳥と花 どこか遠くでとどろいている海 どこか遠くで輝いている月と星 --- 「二子玉川」 家へ帰る人や仕事へ行く人の 金色の電車が夜に走るかわべりに はんぶんこの月が出ていて 星もチラチラ 金星かしら くらやみに黄色の菜の花揺れてます 夜の明かりはきれいだな わたしもユラユラ揺れてます ここですこうし光ってます --- 「ねんねのにおい」 かあさんのお膝で まぁるくなって ねんねしながら お花見できたらすてきだな 桜が散ってさみしけりゃ さらさら髪を撫ぜられて まぶたウトウト花びら落ちる ねんねのにおいは桜もち --- 「ぶらんこさん」 ぶらんこさん 今日は桜が満開だ 桜飛び越えて 月へと飛ばしとくれ 握るてのひら赤錆のにおい ぶらんこさん --- 「夜桜ラムネ」 好きな人どうしても欲しくってさ ラムネ瓶叩き割って ビー玉だしてしゃぶってた もう蓋開いて取れるんだって したら欲しくなくなっちゃって 薄青甘い味 記憶の舌 記憶だけ溶けない えいえんに瓶の中 --- 「お船とお花」 壊れて空き地に捨てられた 錆びだらけの ちいさな漁船によりそって 菜の花が笑ってた ムラサキハナナも揺れていた 向こうに海の音もした たくさんたくさん働いて いまはきっと虫や猫の寝床だろう いつか壊れてしまうなら あんながいいな --- 「花曇り」 薄曇りの日は きぶんがなんだか ドヨドヨ ドヨヨン ドヨヨン ドン ムームー の 御機嫌ななめ やんなっちゃう あらあらあら桜の蕾が パラパラ パララン パララン ラン ムニャムニャ ウフフ もうちょいで ヒラヒラ ヒララン ヒララン ラン 爛漫 爛漫 --- 「くりがに」 じぶんで 死んでしまうのは なかなか なんぎなことである いやしかし うまれないほうが よっぽどきらくで あったような などどモニャモニャ思いながら 生きているくりがにを 味噌汁にしていたら なんだかたいへん 申し訳なくなり せめておいしく いただいたのだ うーん おいしかったぁ そんな毎日である --- 「菜の花の味」 ひとはひと ひとり その透きとおるような さみしさを かろやかにさばけるようになったのは いつからか 菜の花がうまくなったからもう春だ --- 「椿のかけら」 好きよ好きよ 生きるって好きよ 地面に落っこっちゃっても なかなかやめらんないんだもん 生きるって罪だわ あたしからのチュウ --- 「鳥」 おいちゃんはもう歳だから こんな日は いちにちじゅう 鳥をみているだろう なにを考えているのかと すると なにも考えてないんだな 鳥は 人が想像しているほどには おいちゃんが人でいるのも あと少しだ 枝垂れ桜 ---------------------------- [自由詩]星/田中修子[2018年8月15日11時45分] いまおもえば 恋人だったようなひとに レイプされていて いたくていたくて ともだちのなまえをさけんだら もっと興奮させろと はたかれるのだった 腕は血まみれになって心臓が痛いのだった おなかを石で思いっきり殴るのだった お母さんとお父さんが 「ふたりのため」と へやをくれ 「うちにはぐあいのいいときだけおいでなさい」 って 仕事が終わると 帰るところがなくて 真冬で、公園で ブランコこぎながら ビールを飲んでて みあげたら 頬を切るような風がふく深い夜に めくばせくれる星があって 星になれたらいいなぁ と 公園のくさむらで ありったけ 薬をのんで ねむろうとしたら 葉擦れが囁いてくれて ねむれずに なみだがあったかかった わたしはまだ生きていた お母さんみたいに高圧的 お父さんみたいに依存的 あなたお母さんとお父さんを 恋人みたいなひとをとおし ほんとに命がけで 愛そうとしているけどそれは愛ではないのよ と 継母がくちづけてくれて ゆめからさめたゆめ というよな話しをしたら昔はよく 「可哀そうだから 記憶を塗り替えてあげるよ」 とからだに手を差し伸べる人が あんまり多くて ずうっと 舌を食んでいたのだけれど このごろ、ただひたすらに こわかったのを想ってくれようとする 友だちができて かなしかった わたしは とても いとしい ---------------------------- [自由詩]あの子/田中修子[2018年8月17日17時00分] おとうさん おとうさん ね、なぜ泣くの わたし 涙も出ないで ゴミを見るような 凍える目をしていた という 金色の夕日が差し込んで 葉っぱが 秋色に染め上げられていく 一瞬の絵 瞼のきりとる だって他人だしね わたしの 自分を愛する力は カウンセラーさんから 自分を守り、築きあげていく力も カウンセラーさんから 辞められてしまって どこにいるのかも もうわからないんだ あなたがたの娘はとっくにいなくて わたしはいるんだけど いったい だれかしら あの子 どこにいったのかしら きっと泣いてるわ 青い鳥は あの子 だったでしょう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]透明なナメクジと金の飾りに、骸骨のお姫さま/田中修子[2018年8月19日13時11分]  もとは華美だったとわかるうつくしい布切れを纏い、にぶく輝く金の鎖をつけた骸骨が、足を引きずりながら、ま白い日の照りつける、荒涼とした砂漠をよろめき歩いております。  透きとおるような薄青い空に、白い雲は天空に吹きすさぶ風にまかれ、鳥や獣や森のかたちにすがたを変え、またたくうちに遠くからやってきては遠くに去っていくのでした。 ? ◆?  むかしむかし、あるところに、桃の産毛のようにひかる赤い頬を持つ、ふくふくとしたちいさなお姫さまがおりました。  おかあさまは領主の奥方、おとうさまは領主でした。    金銀があふれるようにとれる贅沢なこの土地をおさめる奥方は、動脈から滴る血の色のダリアのように気性のはげしいきりりとした女性で、まいにち外国からやってきた盤上の遊戯とにらめっこしている領主のかわりに、けわしい顔をしながらテキパキと、城をおさめております。 領主は、王さま女王さまにあまやかされた五人兄弟の末っ子です。  あまやかされた、というのはすこし可哀想なのかもしれません。王さま女王さまは、執務がいそがしく、末っ子にあまり手をかけられず、金銀で末っ子を育てたのです。それで、末っ子は身も心もつめたい金銀のように育ってしまいました。  奥方は、幼いころからすさまじい魔力があった魔女でした。いいのわるいの、あまたの魔女を生み出した、貧しいけれど生粋の血筋なのでした。北方からやってきたあるまじないの書を手に入れていたのです。その書をつたえひろめれば、すべてのひとびと、村人も狩人も兵士も、そうしてかつては石つぶてを投げつけられていた魔女たちも、みなひとしく幸福になるというものでした。  修行をしに町におり、黒いマントをかぶって北方の書の素晴らしさを人びとに説いていたところ、姿かたちのよさを見抜いた領主にひとめぼれをされ、その日のうちにうつくしい恋文とからだと同じ分の金をうやうやしく差し出されました。  奥方は、だれよりもすぐれた魔女になるために一生乙女でいることを幼いころからまわりに告げておりました。家系の中の、結婚して魔力を落としたものをあざけってすらおりましたのに、領主との結婚はまたたく間のうちでした。  盤上の遊戯は、奥方が手に入れた北方の書を、領主がよりわかりやすく立体化したものです。しかし由来がともかくあまりにもあやしいものですから、領主はいつのまにか魅入られ、虜にされてしまったのですね。  ほんとうはこの恋や、北方の書にも、盤上の遊戯にも、それぞれ百冊のものがたりに編まれていいほどの悲しく苦しいできごとがあったのです。  けれどもわれわれは、お姫さまとともに歩みましょうね。 ◆  すぐに、お姫さまがうまれます。  ところが国をおさめ、ひとの愛に飢えた領主をあまやかしているうちに、奥方はお姫さまに少し会うだけで、ぽろぽろと罅割れた水晶のような涙がこぼれ出て、真っ赤な声でお姫さまをしかりつけることをやめられなくなりました。  眉間には皺がより、顔はけわしくなります。領主は盤上の遊戯の合間、無邪気に奥方の皺を囃し立てます。  城にあるすべての鏡は閉じられてしまいました。  お姫さまにはばあやを付き添わせ、どこに出しても恥ずかしくないように、踊りに提琴や、剣術に外国のことば、領主の盤上の遊戯の習い事もさせ、あらゆる美しい本を買って与え、ともかく遠ざけようとしました。それでも、城のなかで通りすがるときなど、お姫さまは、 「おかあさま」 と巣をもとめる小鳥のようにかけよってきますし、奥方は、硝子にきらきらとヒビの入って青い空が幾千幾万にも割れて落ちてくるような声でお姫さまをなじってしまうのです。  その声をきいても、お姫さまがまた、 「おかあさま」 と泣きじゃくると、じゃけんに払いのけるのでした。 ?  やがて、お姫さまが通りすがっても泣くこともなくなって、ただ打たれたような目でじいっと奥方をながめるようになると、奥方は細い糸で首を痛いほどしめつけられるようなきもちになりました。  魔女の家にいたころの、子どものころの奥方の姿のようだったのです。 ?  あたりのひとびとは、領主も兵士もほかのしたばたらきの人々も、そのことに気づかないようでした。そんなことは起こってはいけないので、無視せねばならないのです。 ?  ◆?  ある日、お姫さまは、むじゃきにうしろから忍びよって、奥方にギュウっと抱きつきました。  奥方は虫をたたきつぶすように、とっさにお姫さまに悪い魔法をかけてしまいました。 ?  ◆ ? のこぎりのような歯のついた、大人のこぶしほどもある、奥方とお姫さまにしか見えない透明なナメクジが、お姫さまの全身に食らいつきました。お姫さまの肉はむき出しになり、血はからだを染め上げます。  お姫さまは透明なナメクジを、必死でふりはらいます。  お城の台所に飛びいってめらめら燃え上がる青い火で熱したお湯をあびて皮膚はずる向けになり、兵器庫に飛びいって銀に光るつるぎを突き刺して腕や脚に真っ赤な穴があき、とうとう城から転がるように抜け出して村にいって虫用のまっ黒な毒薬をあびては呼吸がつまります。 ?  やがてお姫さまは、美しかった衣物もぼろぼろになって、骸骨のお姫さまになってしまいました。 ?  領主と奥方は、骸骨のお姫さまのからだと同じ分の重さの金の飾りを背負わせて、兵士たちとともに国境の緑深い森へと連れて行きました。  出立前に、ばあやだけがこっそりと近づき、 「あなたさまがお病気なのではないのです。どうぞ、ご無事であってください。わくしの命が御守りとなりますように」 と涙ながらにささやいた声だけが、お姫さまのクルミのような心臓にうんと小さな、異国の花火のような小さな光をもたらしました。 ?  森は黒く、風の鳴る音はおそろしい獣の低いうなり声のようでした。森の真ん中には鳥葬の塔が影とそびえ、豆粒のような黒い鳥が舞っているのがよく見えました。 「おかあさま」 「すこし気分をかえていらっしゃいな」 奥方は扇子で顔を隠しながら、うんとやさしい声でいいました。 「おとうさま」 「その金の飾りがあれば、よい医者がみつかるだろう」 金の飾りのぶんだけ少しからだが軽くなってしまった領主は、盤上の遊戯のつぎの一手のことを思いつき、そわそわしながら言いました。 「お姫さまは、奥方さまと領主さまによく似ておいでですから、かならずやこの試練をうけてよりよくなられるでしょう」 兵士たちは、ぼうっとした声で言いました。  骸骨のお姫さまは、自分がだれだかよくわからなくなってしまったのです。  からだだけでなく、こころの奥底まですうっと透けてしまって、森へ歩みだしたのです。 ?  そうして奥方と領主と兵士たちは、城へかえってゆきました。  鏡を覆っていた布はとりはらわれ、もとのうつくしい奥方が映るのでした。  それでも領主は、出産ですこし弛んだ奥方のおなかとお尻のあたりを、やはり盤上の遊戯の合間に、無邪気に囃し立てるのでした。  ◆ ?  骸骨のお姫さまは、たくさんの骨の散らかる緑深い森の奥へすすみます。 森にはいろいろな泉があり、いろいろな茸や木の実がありましたが、毒のないのをたしかめて飲み、食べていくだけで、それは大変なことでした。けだものも、盗賊もありました。いろいろな国や領土からからいろいろなお姫さまや王子さまがやってきて、かんたんに死んでいきました。  おかあさまゆずりの人を見抜くちからと、おとうさまゆずりの知識で、お姫さまは生き抜いてゆきました。それに、ひにくなことに、骸骨のお姫さまにかかっているお呪いの気配と、金の鎖の輝きが、ほんとうに危ういところを切り抜けるちからともなりました。 ?  鳥葬の塔には、子に弑された王や女王や領主や奥方の死体がはこびこまれ、鳥に啄まれておりました。  そう、旅から戻ることのできた多くの子が、親を恨みこの森に同じように追放したのです。  そのいたましい光景は、脳裏に地獄絵図のようにやきつきました。 ?  (わたしは、おかあさまとおとうさまを、愛している。いずれこうなるのならば、いっそ)  血のような赤い毒茸を、そっと齧ります。  骸骨のお姫さまは、倒れ伏しました。  そのとき、ばあやにもらった胸の中の金色の火花がはじけ、からだに染みわたって毒を払い、ふしぎな蛍のように揺れて、森のゆきさきを示します。  城では、ばあやは羽がおちるようにしずかに倒れ、息を引き取りました。顔には満足げな笑みがうかんでおりました。  しかし、ようよう生きていた骸骨のお姫さまのこころは、そのとき、真っ暗になってしまったのです。 ◆ ?  蛍火を追ってなんとか森を出て、足の裏のじゅうじゅう灼ける砂漠に出ました。  森より、見晴らしがよくからっと風が通る砂漠の熱さ。  骸骨のお姫さまは、走り出しました。  しかしひとたび転んでしまうと、きたところもいくところも分からなくなったのです。あんなに恐ろしかった森も、もう影も形もありませんでした。金色の蛍のあかりは、消えてしまっています。 ?  うつくしい布切れを纏い、にぶく輝く金の鎖をつけ、足を引きずりながら、ま白い日の照りつける、荒涼とした砂漠をよろめき歩きます。  かたちを変える眩しい雲だけが友でした。 ?  いくたび、ガーネット色の夕暮れを見送り、いくたび、がたがたふるえながら、黒い空にうかぶ青の星をかぞえたことでしょう。 ?  砂漠のまんなかに、影がありました。 ?  その影は、ある一本の、何百年もの枯れかけた大樹でした。澄んだ水のたまったウロをみつけて、そのなかに倒れ込みました。  ウロのなか、ひざを抱えてぼんやりとしているうちに、森で死に別れた友の亡霊がやってきて、骸骨のお姫さまを仄かに包み込みます。骸骨のお姫さまも、透明なナメクジでさえ、深い、夢も見ない眠りにつきました。 ?  砂漠にはめずらしい、シトシトと雨のふる日がありました。  そのあくる日、骸骨のお姫さまは、繭から羽化したのです。  姿かたちはあまり変わっていませんでした。けれども、ほんのすこし、砂漠を歩ききる力が、足にもどっていました。 ?  骸骨のお姫さまが出たあと、大樹は、ウロのところから、しずかに倒れました。  ? ◆ ? やがて翡翠の色をしてドウドウとうねる、冷たい海の浜に出ました。そこには、漁師たちの町がありました。  そのころにはすべての肉と内臓、そうして美しかった布まで透明なナメクジにむしゃむしゃと食べられてしまい、素性も知れぬ真っ白な骸骨が金の飾りをかけているものですから、漁師たちは金の亡者のなれの果ての幽鬼と思い、石つぶてを投げるのです。  石があたると、カランコロンときれいな音が鳴りひびきます。  漁師たちはいつしか石を投げるのに夢中になって仕事をしなくなってしまいます。漁師の町は猫もしっぽを逆立ててうなるほどの腐った魚のにおいにみちていきました。骸骨のお姫さまは、さびしくさまよって町はずれの白い十字架のヌクヌクとたつ薔薇の丘にたどりゆきます。 (困ったもんじゃ、ほうれ、高貴なかたや、こちらにいらっしゃい) やさしい漁師のご先祖さまがたに導かれて、薔薇のしげみのなかに隠れながら、町のさびれてゆくさま子をみて、骸骨のお姫さまはよりいっそう、儚くなってしまいたくなるのです。 (いろんなことがあった。いま思えば、森で死んでしまっても惜しくはなかったのに、このからだで、まだ生きてしまっているわ。なにもよくなってはいないわ。どうすれば死ねるのかしら) そればかり考える日々。  ある日、薔薇が咲きました。  香りにさそわれ、ふっとしげみから出ます。あんまりに、その黄色い蕾やらひらいた花やらがかわいらしいことに気持ちがなごんでしいます。薔薇の冠りを編んで、青い夕暮れの空には、うっすら月が出ておりました。  ふっと、息をおおきくつきました。  しばらくぶりにこっそり浜辺におり、ぞっとするほど広い翡翠色の海のまえに立ち竦んでいるとき、ボロボロの衣を纏った、ずいぶん気楽そうな顔をした痩せこけた若者が通りかかりました。 ? ◆?  若者のうしろには何十もの白い襤褸切れのように骸骨どもが幾重にもしがみつき、肩に噛みついては血を垂れ流させております。その骸骨どもの目は、うつろでうらめしく、虚空を睨みつけてはヒュウヒュウと風の鳴るようにうめきます。それなのに若者はふしぎと飄々として歩いておりますが、すでにからだは痩せこけてしまっていました。骸骨のお姫さまは、若者の背負っている数多の骸骨をみて、ヒュウっと息を飲みました。 (このまま嘆いているばかりでは、わたしもきっとあのようになり下がってしまう)  若者の方も、自分には一生手に入らないであろう金の飾りを背負った骸骨のお姫さまが、かなしそうに浜に立ち竦んでいることを不思議に思って、話しかけます。  ふしぎなことに、若者には、骸骨が、骸骨のお姫さまだとわかったのですね。この不思議ばかりは、どんなことばでもいあらわせません、 「どうしてそんなにかなしそうになさっているのですか」 「あなたの目には映らないでしょうけれど、わたしのからだには、大人のこぶしほどもある透明なナメクジが何十匹も這っていて、どうしても取れないのです」 「そこに海があるではないですか。塩水にはいれば、どんなにナメクジでも、簡単に海へ還ってしまいますよ」 「この金の飾りの重みで、海に入ってしまえば、わたしはきっと溺れ死んでしまいます。そうしてこの金の飾りを捨てることは、わたしにはできません。おかあさまとおとうさまがくださった、ただひとつのものなのです」 「なに」 若者は笑いました。 「こんな目にあって骸骨になってまで、あなたは生きているじゃあありませんか、きっと帰ってこられます。僕だってこのように多くの母の呪いを引きうけても、まぁ生きてはいるのです。海で遊んでくるといいですよ。金の飾りはちょうどいい重しになるでしょう。僕が帰りをまっています。僕は少しまえ、婚約者を海で溺れさせて亡くしたのです。あなたならきっと、僕の婚約者とも会えるでしょう」 ?  若者をじっと見つめるうち、不思議とこころが落ち着いてきました。そうして翡翠色の海に飛び込んだのです。    大きな波にからだのひきずられてゆく恐ろしさ。  それでも、骸骨のお姫さまは、いままで透明なナメクジにかじられて、肉も内臓もぼろきれのように食い千切られて痛んできたこと、自分で自分に何をしてきたかを思うと、不思議とこころが落ち着きます。 ? ◆ ?  深い、深い海です。 ?  お城で出されたアケビのように漂うクラゲに触れると甘くピリっとしました。  銀色の夏の風のようにそよいで群れる魚たち、底にみえるけわしい岩々とゆれる緑の藻。  やわやわと、厚いレースのような赤いのは、タコで、だきしめられるときゅっと吸盤の跡がつくのです。    海は、雨に降りしきられるようにとても重く、からだは砕けてしまいそうですが、骸骨のお姫さまは、「生きている」と思いました。 ?  そう、透明なナメクジに気をとられ、骸骨のお姫さまは、自分がまだ生きていたことを忘れてしまっていたのです。 ?  ◆? ?  沈むところまで沈んでいきますと、巨大な、死にかけた真っ白いサメがおりました。からだに深く切り刻まれた傷がつき、そのからだを静かに底にある岩に横たえております。となりには、真っ白に腐った女の人がいて、優しくサメをなでているのでした。  骸骨のお姫さまは、女の人を見たときに、あの若者の婚約者と、すぐに分かりました。ぶよぶよに膨らみ、飛び出しかけた、優しそうな目。骸骨のお姫さまは、ふしぎに、なにもない眼窩からポロポロと塩辛い涙を流すことができました。 からっぽであるはずのからだから、海よりも塩辛い涙があふれだしたのです。 ?  「そんなふうになるまで、生きていらしたのですね。私はもうこのように、死んでしまいました。いまはあたらしいこのサメの伴侶を得て、この海の底でおだやかに暮らしています。あの人にそう、お伝えくださいませ。あなたならば、きっと帰ることができるでしょう、あの浜へ。こんな目にあって骸骨になってまで、あなたは生きているんですから」 「この金の飾りを、あなたたちのその真っ白なからだに差し上げたく思います。とてもよく、映えることでしょう」  そうして骸骨のお姫さまは、金の飾りをからだから外して、女の人に手渡しました。そこではじめて気づいたのですが、金の飾りは、鎖の形をしているのでした。 ? ◆ ? ? 森の、砂漠の、海の旅。  そうして海よりも塩辛い涙ですでに縮みかけていた透明なナメクジは、真っ白に腐った女の人に金の鎖を手渡したとたん、たがのはずれるようにぜんぶ外れてしまいました。透明なナメクジは奥方からのまじないでしたが、金の鎖は領主からの、ナメクジが外れないようにというまじないなのでした。そうして透明なナメクジは、真っ白な腐った女の人と、死にかけたサメをむしゃむしゃと食べて海に溶けてしまいます。 ?  金だと思い込んでいた鎖はみるみるメッキが剥がれて赤く錆び、春先に散る梅の花びらのようになって、深い翡翠色の海の中に散ってゆきました。    「これでやっと成仏できるぞう」  そんなたくさんの声が、そこらに響きます。 ?  同じころ浜には突風が吹いて若者にしがみついていた骸骨たちは、うんとちいさな白い鳥に変化して天空に舞い上がってゆきました。白い鳥たちの羽は若者の頬を引き裂いて赤い筋をつけました。鳥は水色の空に舞いあがり、その白いちいさな点は空のいちばんてっぺんでゆるやかにほどけ、淡い糸になって見えぬ機で織られ、真珠色の衣になって、若者の腕のなかにフワリとおりてきました。その天衣の中からは元気なあかんぼうの声がして、そのときばかりは若者の目にすこしひかるものがありました。 ?  骸骨のお姫さまは、身軽になって浮いてゆきました。そうして若者が待つ浜へと、打ち上げられたのです。    骸骨のお姫さまは、肉も内臓も取り戻すこともなく、金の飾りもなく、いまはただの骸骨の女の子です。いいのです、そんな骸骨の女の子を、若者が好いてくれるのですから。そうして誤解をといて漁師の町に住み、米のとぎ汁やもらい乳で赤ちゃんを育てながら、若者とひっそりと暮らしています。カランコロンと優しく笑い響く骨の声が聞こえてきます。 ? ◆ ? ? 領主と奥方もまた、それなりにしあわせに過ごしています。ふたりともふと風に乗っては聞こえてくる骨の音に耳を澄まし、ふっと視線をさまよわせるのでした。? ---------------------------- [自由詩]火ぶくれのハクチョウ/田中修子[2018年8月19日13時26分] わたしを壊してとお願いすると あなたはもうとっくに壊れている、と耳を噛むのね ひもじくてひざこぞうのカサブタを 食べた記憶をくちづけたら 眉をしかめて吐き出さないで わたしそのものを おばちゃんと編んだイラクサをおぼえている わたしたちほんとうは きっと尊いものなんだから はやくチョッキを着て ハクチョウに変身してここから逃げ出そうね いっしょうけんめい、火ぶくれになった手 わたしはハクチョウになる前に 悪いお母さんに飢え死にさせられ はらぺこりんの幽鬼になっちゃった おばあちゃんはひかる湖のうえ、飛び立てたわ 白いお骨はただのあしあと わたしがふれたものは すべて青白く燃え上がって食べられないの おなかへった とかなしむふりをすると あなたはただ全身を火ぶくれにおかされて 完治しないあわれな子どもだ と わたしを目覚めさせようとする男たちが 気色わるく胸元をまさぐる 泣き笑いしながら カサブタを食むように 舌をのみこんでいった -- ※日本現代詩人会 投稿作品 ---------------------------- [自由詩]赤真珠/田中修子[2018年8月25日13時43分] 北の 夏の終いの翡翠の海に 金の夕映え ありまして 黒い夜 黒い波が どこからか押しよせてくるのです どこからか ひえてゆく 色とりどりの浜辺でね  赤いカーディガン羽織ったともだちが  へたっぴダンス そのこは いつだって なんだって ぶたれないよう しにものぐるいで歯を食いしばり みんなの憧れの王様のように チェシャ猫みたいに ミャアミャア笑っているのにね しっぽはふくれて いるんです くすぐったそに わらいながら  ひとりぼっちの少年みたい  わたしは子らをあやしながら 黒いっしょくの波音に 橙いろのらんたん灯り(まぼろし)  このごろできたともだちが  てんで ばらばら 好きかって  ひとりは恋を  ひとりはうたを 遠くの家の窓明かり なみおと耳にのしかかり  父さんの亡霊が涙ぐんでやってきて  わたしは さけび 橙いろのらんたん消えて(まぼろしが) くらい浜辺にひとりぼっち 腕の子らも きえ  波はたぶん翡翠の色ね  おしよせておしよせて 赤い人魚 なんですよ  にんげんでは ありませんよ   波間にほどけて消えていこ すべてはうたかた    赤い真珠が 一粒 ころん     翡翠に金に 赤真珠…… ---------------------------- [自由詩]花嵐/田中修子[2018年9月2日17時22分] 嵐は 吹きすさび すべてを舞い散らかしているよ 母の死骸は花びらとなって わたしの風に抱かれている 天高くつたい 成人後にまた再生した 死によってこそ記憶された おおくの命を そそがれて 髪から 爪まで 赤く血まみれであったことが ほの暗く示す 「愛してる」 かみちぎられた喉笛から漏れる音が形作る 赤んぼのよなたどたどしさ 血まみれのおとなの 赤んぼだ 焼きあがったばかりの熱い骨には 胸焦がれてもとどかない すこしやさしいピンク色をしている 老いることを恐れて牛乳を飲んでいたからか 骨盤がとくにがっしりしてる わたしの母 もう二度とふりむかぬ母 「それでも愛してる」 だれかがだれかを 格調だかくあざわらう ひと瞬きのうちに だれかがだれかを いないものとする 完璧なほほ笑みの沈黙のうちに 親が子を 子が親を ……す ゆるさない ゆるす ゆるさない ゆ…… 花占は吹き飛ばされた わたしを 指させ 骨の花びらの あらあらしく天へとどけよ 嵐は いま来た ---------------------------- [自由詩]きれいなそらの かげ/田中修子[2018年9月13日13時25分] わたしのみていた きれいなそらを だれもがみていたわけではない と おしえてくれた ひと がいる お金もなく居場所もなくからだ しかなく ゆびさきはかじかんでいて いつもうまれてしまったことだけを 鳥が群れて空をゆく 羽のね 母も父も兄も いるのになく 家族がすきとおって いる トンボらは眩しいように 赤く風に揺れる 翅のね 秋が終わってしまったら ぬくいとこを さがさなくっちゃあ あったかいコートが マフラーが てぶくろが ほしいな からだをうろうか かってくれるひとは ありますか どこへいけば ありますか (知りたくもなかったことを) わたしのみていた きれいなそらが やねのしたに 子といる いまも 淡くまぶたに やきついて 薄みずいろの かげになっている ---------------------------- [自由詩]波兎の石塔/田中修子[2018年10月5日12時34分] くらいくらい 荒野につくりあげた 復讐の塔に閉じこもり 「ひとりだ」と呟いたら はたかれた ひたすら 喪いすぎたのだろうね 青い夕暮れに細い声でないてさ 耐えられないわたしを わたしは わたしが ゆるされることをのぞみもしないで 冷やかな風 一瞬の朱金にうつりかわり こあい濃藍こわい怖い、夜がきて 星 なにをしろしめす (ただ、 いつかみた黒い海の波音を ふさいだ耳にばかり つむった瞼には 想い出ばっか) 波うさぎが跳ねているよ、 とおい とおうい 北の海 も 南の海 も 波うさぎはあるだろう こゆびをわたしにおくれよ 千年生きると誓え お守りにして首飾り くちづけた 痛くないように、喪われたもので 喪われたものを ふさぐこと できなかったんだ ぎこちなくあなたをしんじようと つらねているが もうなにもかも  とっくに 喪われて いるから でもね、 なみうちそうしてきえていくしらなみを 北の海 にも 南の海 にも わたしもあの夜 凍えながら たしかに 数えていたんだよね 一羽 また 一羽。 それだけでじゅうぶんだ もう きっとあの日だけ 幾重にもきせきは、あったんだろ。 こゆびをわたしにくれた あなたは 確かに 欠けた ひと だが あの子らほどでは ないよ と吐き捨てて、 気付けは復讐者も死に果てた 最初からいなかった。 やさしい波兎の手ざわり 傷つかない傷つけない 復讐の石塔から わたしは あがいた もがいた みぐるしくいきするために 皮を剥がれながら 這い出よう、としていた ---------------------------- [自由詩]花束とへび/田中修子[2018年10月26日11時03分] ほら、わたしの胸のまん中に光をすいこむような闇があいていて、 そのうちがわに、花が咲いているでしょう。 ときたま目ぇつむってかおりに訊くんだ、 ああ、この花がうつくしく咲いているのはね わたしの生き血をすって想い出になってるからなんだよね。 ひとはかんたんに、 かすれた声で 「もう死にます」 なんて言うんだ、 とてもまっ黒な眸でさ。 ほんとうはいつだってそうなんだよ たださ、ひっしに目を逸らしているんだよ 皮を石にこする。じり、じり、とうろこのこげるにおいは、 いままで幾重も、剥いで、剥いで、剥いで、 おまえはいつか現実でみた夢を叶えるのだろう それはこんな胸のなかでにおいたつ花とはきっと違うんだ 衝動が来たら深呼吸して 生きるんだよ。 こんなみっともない、くだらないからだで這いずってんだ そうして皺が増えたわたしを、 ゆびさして笑え。 老いてとぐろを巻く、わたしの内側で、 別れたあの日のまんま、淡い輝きをはなつ花が 甘えて、眠っている。 ---------------------------- [自由詩]ちいさなちいさなことばたち 二/田中修子[2018年11月12日17時00分] 「黄色い傘」 きいろい傘が咲いていて わたしのうえに 屋根になっている かさついた この指は 皿を洗い刺繍をし文字を打ち 自由になりたくて 書いていたはずの文字に とらわれている おろかさよ 羽根だった指が 雨の日に白く 燃えあがる、よう きいろい屋根だけが あたたかく笑っていた --- 「ねがい」 詩をいかめしいところに 座らせないでください 擦り切れてゆく手縫いの雑巾、フラミンゴ色の夕暮れ雲、磨き上げたシンク、縫いかけの針のすわるピンクッションのように 思いだせることはないけれど、想うことだけはできる あの花色の風景のように すぐそばにいさせてください。 --- 「金の王冠」 王に追われた道化が 身を投げた 翡翠のくらい、夜の海 うちあげられた 不思議の文字の浜で ぐちゃぐちゃの体で 笑っていましたら 投げ銭くれるひとがいて 寂しかった 道化はいつのまやら うす汚れた 冠かむった王様に なってしまい ありゃあ、もう、 何者でも、ありゃあ、せん。 --- 「秋のベンチ」 しいのみパラパラ 公園の のざらしの 木目のベンチに 赤とんぼが二匹 座って おしゃべり しているよ 秋ですね 秋ですよ --- 「まどあかり」 とりかえしのつかないことを うまれたことを きずつけたことを そんなことばかりが 海のにおいのする いつか住む 知らない町の やさしい窓明かりのように 胸をよぎっていくのです。 胸をよぎっていくのです。 --- 「空と雨」 そらは きっと 寂しかろうに みまもる ばかりで ひとりぼっちで そらも きっと 泣きたかろうに なみだが とんとん ふって きた --- 「雷風」 かみなり びかびか 雲光る 雨宿り猫ちゃん ままはどこ ままはどこ --- 「ギラギラとかげ」 おっきな とかげの ぎらんぎらん しっぽっぽ 入道雲 夏の終わりに ウロチョロ チョロ 夏の終わりは さみしいかしら 羊歯にまぎれて 虫たべろ --- 「どこかとおく」 どこか とおくへ ゆきたいけれど どこか とおくへ いったって じぶんはずっと ついてくる --- 「白い蟹」 夏の終わりの 群青のゆうぐれだ 赤ちゃんと あまい浜辺で遊んでた 夜が そろそろ やってきた 中身の啄ばまれた 塩につかった 白い蟹が パッカリ 割れた --- 「ひとりの結晶」 あなたに ある あなたにしか ない ひとりきりでみた あの風景が 星や 宝石 きれいなビーズや 波音に風の鳴る音に 結晶 しています。 -- 「路上の会話」 きん色のおひさまですね 風がいいですよ --- 「てのひらいっぱい」 あなたは 宝石をなくしたと いつも 泣いてた 紫陽花がうな垂れて 夏はおわる さがさなくても わたしには よくみえた 伝えられないまま いなくなってしまって わたしのなかに あなたの 美しい宝石が とりのこされたまんま --- 「まちをあるく」 息がしろいということは、からだは雨よりあたたかいのだ まちを歩く すこしのかどを曲がるだけで 知らない花が咲いている 煉瓦の玄関が雨に 濡れて光っている だいたいの人は 自分で決めた 自分の部屋に 住んでいる 自分で決めた自分の人生を歩んでいるのだ 雨音がからだに 滲みこんでいく 傘のした --- 「いつかさよなら」 いつか みんな かならずね さよならを するんだよ できたら かなしくて あたたかいもの のこして ゆきたい もん ---------------------------- [自由詩]みちばた/田中修子[2018年12月21日19時18分] 黙りこくって下ばかりみて 歩いていたら 花が咲いていた 枯れ葉が落ちていた 色とにおいと たまに ぽかあんと 空をみあげると ひろくって 青くって ちょっと吸い込まれてしまいそうで 呼吸(いき)が、真っ暗なトンネルだったのを、ふりかえってみれば、ひかる道になっている --ようにみえる、あなたのがそうだから、わたしにもきっと どくろがころんと、いくつもいくつも道に ころがっていて、その眼窩から溢れるように 色とりどりの花が咲いていて、いつだって想い出がこぼれて消えてしまいそうになるのを摘んで、編んで、からだじゅうに、巻きつけて、枯れてゆくのが、はらはらおちていって そうっと荷物を置いてしまおう、あら、肩にかみついてたんだ、ごめんね、どくろちゃん (ああ、自分が置き去りにされた 荷物で どくろで あったこと いまは忘れるふりをして、 さようなら、さようなら) 道がすれちがって十字路になって そこに錆びれた雨ざらしのベンチがあって ひとときのお茶をしよう きみ、すてきな魔法瓶をもっているよ、むつかしい顔ばかりしているから忘れちゃってたんだよ 分け合おう、ほら、いい香りと湯気だよ 腰かけて、おもいでばなしをわずかして ほんのすこし 体があったまったら また歩き出そう --また、歩き出そうね ---------------------------- [自由詩]春さんやあ/田中修子[2019年1月5日8時52分] 「あかちゃん 一」 あかちゃん 春先の木の芽だよ さくらの けやきの えださきの まあるくって これから うん っと ひらこう 「あかちゃん 二」 ひかりのあかるい つめたなひるの公園で あかちゃん たったよ あんよよ あんよよ すっくと なあれ 「あかちゃん 三」 ほっぺたすべすべ 冬の金の光はさして ほっぺはひかる ふくふくほっぺは ちべたいと赤い 林檎ちゃんや 「子どもら」 子どもたちがぶらんこをこいで お空と地べたを 行ったり来たり 笑ってる そうだ わたしもむかし お空だった地べただった 鳥とおしゃべりしていたころを なんでわすれてしまったろ 「春さんやあ」 もうすぐ冬にさよならだ つめたな風は 幾つにも重なった痛いように澄んだレース の透き間を縫うように おひさまがキリリと さしてきます 梅が咲きますよ もうすぐ 梅が咲きますね お久しぶりです 春さんやあ あといくつ このように ご挨拶できますでしょうか きっと あっというま でしょうね 春さんやあ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩をめぐる冒険◆閉ざされた可能性 追記あり/田中修子[2019年1月6日8時55分] 「ちょっぴりゼツメツ寸前の詩をめぐる冒険◆詩をへだてるベルリンの壁」https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=339862&filter=usr&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26hid%3D11348 に対する追記を書いていたのだが、追記のほうが長くなってしまったので、一記事とする。  三年ほどまえから現代詩フォーラムで詩を書きはじめ、狭い世界ではあるが、自分なりに現代詩というものを冒険した。  私は室生犀星など近代詩の詩人と、詩誌「詩とメルヘン」しか知らず、「詩と思想」「現代詩手帖」の存在すら知らなかった。ましてやネット詩に触れたのもはじめてで、興奮状態にあったようだ。  その状態で書いた自分なりの旅日記について、訂正しなければならないことがある。    ■そこで、文学極道という詩サイト(スルースキルや、かなりの遊び心がためされる)が、「文極ツイキャス」というこれは司会のかたの采配がしっかりしているので安心できる番組を開催されていて、それを聴いたり、一回参加してみて、これもなかなかオモチロイものであるな、という感じがしました。  この一文である。    2018年の秋ごろ、文学極道のサイトの代表とスタッフの方が、大分でひらかれた国民文化祭に招かれた。  そのスタッフのかたは、現地での扱いのされかたが気に入らなかったらしく、帰ってからツイッター上で現地スタッフの方を罵っていた。  もちろん現地スタッフのやり方が気に入らなかったのであれば、抗議してよい。その場合は電話などですませるべき内容であるが、百歩譲ってツイッターで目に見えるやり取りでしてよかったかもしれない。(ただ、ふつうの会社員ですら、内々のトラブルをツイッターで発信・やりとりすることは考えられないだろう。)  しかしそのスタッフのかたは、抗議と罵りの区別もつかないようであった。少なくともそのツイッター上でそのスタッフの罵りを代表の方や他スタッフの方が止めている様子も見えなかった。  結果、現地スタッフの代表の方がすべての責任をとって辞任され、騒ぎはおさまった。  代表の辞任によってすべての騒ぎがおさまったのは本当に見事で、ハンディキャップのある身で十二分に責を果たされた。  しかし、近年珍しくテレビ放映されていたこともある彼女が代表を辞任されることになったのは、現代詩人界すべてにとっての損失だった。  かつてセクハラ・宗教の勧誘コメントが放置されていた掲示板は、老齢の声の一人物から大分側に向けて「脅迫」があったため、その「脅迫」後には非常に使いやすいサイトになった。  一般ユーザーの私から見てセクハラ・宗教の勧誘コメントの放置がなおってしまったという実感があるのだから、脅迫という面だけでなく、改善のキッカケとも明らかになっているのだが、代表やスタッフのかたにはその老齢の声の人物が起こした行動が、やはりいまだ脅迫としかうつっておらず、自分は迷惑な人に巻き込まれた可哀相な被害者で、恥ずべきところなど一点もないと思っていらっしゃるのだろうか。  国民文化祭に招致されたということは、国民の税金から支払われるギャラも発生しただろうし、それ以上に「国に招待された現代詩人」と、これ以上ない広告の機会だった。  とうてい、個人では出せない広告費を、彼らは自身でふいにしたことになる。(あれだけの損害を出した彼らが、これかも継続的に公の場に出ることがあるようであれば、それだけ現代詩人界の人材が払底しているということであり、それはそれでまたなんとも残念なことである。)  国民文化祭への出演が決まった時点で、善意のボランティアが運営する無料サイトではなく、実際に手元にはいるギャラは少数としても、目にみえない広告費をふくめれば、はかりしれない利益と可能性が発生するサイトになっていたのだが、そういった今後の発展の可能性が閉ざされてしまったように見える。  そのように、あまりにも残念な過程があったために、文学極道のサイトもツイキャスも以前のように安易にはお勧めできなくなった。     そういう経緯もあって私自身、文学極道のツイキャスは聞きもしないし、作品投稿もやめた。  ただ、私には見えないところにいらっしゃったスタッフの方が、あの騒ぎの前後に、掲示板の作品に対して丁寧な選評を出されるようになった。掲示板にもいまだ、まじめで熱心なユーザーもいる。おそらくはラウドスピーカーが目立つだけで、しずかにサイト運営をされている方々もたくさんいらっしゃるのだろう。  ああいった選評を参考にしてユーザーが互いに批評をしあうようになったら、また、サイトがよいほうに変化するかもしれない。  詩は書くのも読むのもやっぱり好きだが、しかし、自分もふくめ、詩人とはいったいなんだろう。もちろん、個人的にお会いして楽しかったり、やはり尊敬している詩人さんもいる。  けれどそれ以上に、ほんとに、詩なんて書かない方がいいし、詩人なんていないほうがいいのかもしれないのかもなあ、とも、立ち止まって考えさせられた。  見ていて、責めるだけのことは簡単だ。  私も自分なりにできることをしていく。  いつかすべてのことが、現代詩の発展に結び付けばいい。  冒険が終わるとき、この出来事もなつかしい想い出になるのだろうか。  ※2019年2月11日 追記  昨夜、文学極道スタッフ芦野夕狩さんとお話をさせていただいた。芦野さんが特に不本意に思われたのは、私の散文内にある『かつてセクハラ・宗教の勧誘コメントが放置されていた掲示板は、老齢の声の一人物から大分側に向けて「脅迫」があったため、その「脅迫」後には非常に使いやすいサイトになった。』という点であった。  じつはそれ以前からサイトの整備は進んでおり、脅迫後に突如整備が進んだのではない、ということを丁寧に説明してくださった。  当時の打ち合わせ画面も、非スタッフ側に見せられるギリギリのところまで開示してくださり、また、「田中さんの目には突如使いやすくなったように見えるのもその通りだと思う」、という私の視点も尊重してくださった。  ですので、追記の追記にて、以前からサイト整備が進んでいた、ということを付けさせていただく。  また、追記があったりして。どこまでも果てしなく続く追記。  それから、芦野さんからも、私を含むグループで文学極道への攻撃をはじめたように見えていたとのことだった。私からの、けっして全員で示し合わせてはいないという意見も信じてくださった。  現代詩フォーラムのアカウントや、ツイッターアカウントも持っていらっしゃらないスタッフの方がお疲れになっていて、やむにやまれぬ気持から「文学極道批判(twitterコピペ」https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=345033&filter=cat&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D5 を書かれたとのこと。いま、〇〇という表記になっているところは、私も含むグループだと思われていた方々のお名前で、昨夜芦野さんの側でも誤解が溶けたので、消されたのではないかと思っている。  自分の文章内でも「ただ、私には見えないところにいらっしゃったスタッフの方が、あの騒ぎの前後に、掲示板の作品に対して丁寧な選評を出されるようになった。しずかにサイト運営をされている方々もたくさんいらっしゃるのだろう。  ああいった選評を参考にしてユーザーが互いに批評をしあうようになったら、また、サイトがよいほうに変化するかもしれない。」とも書いていたが、書き方が足りなかった。裏方のスタッフで全く名前も出さず、本当になんの見返りもなく運営に携わっていらっしゃる方を傷付けた。その方々から見た場合には、現代詩フォーラムによく投稿している私もまた「名前のよく見える強い人がなんか安全圏からヤイヤイ野次を飛ばしている」になっていたんだろうな〜……と、話し合いの中でいまさら気づかされた。  大分の件は、ネット詩以外の人もまきこんだあまりにも印象的な出来事だったのでここに書いたが、私はもし今後文学極道に対して意見がある場合は、芦野さんに相談させていただくか、文学極道のフォーラムにトピックを作ることとする。私自身はもう、ユーザーではないから、そういうこともないと思うんだけど。ちなみに芦野さんの選評文はとても丁寧で、選評文を読むだけでワクワクする。  私はこういう、ネット詩にどっぷり浸かって、あれは某さんであれは某さんではないか、あそこらへんがかたまってどこどこを攻撃してるんじゃないか……みたいになっちゃう現象を「ネット詩神経症」と名付けていたのだけど、いつのまにか自分もどっぷり罹患者になっていた。これはいかん。  「詩をめぐる冒険」では、詩人さんの面白かった・素敵だった点や自分の詩の学びを書くこと、それからふっと浮かんだ詩を現代詩フォーラムに投稿させていただくこと以外には、しばらくリアルでちょこちょこやってみます。  また、追記が、長い。 ---------------------------- (ファイルの終わり)