田中修子 2017年4月11日0時30分から2018年2月12日3時02分まで ---------------------------- [自由詩]桜の死んでいくとき/田中修子[2017年4月11日0時30分] きのうつぼみだったあの子が 今日はもう咲いているね 満開になって 散ってゆくね みおくるかなしさで こわれてしまわないよう みんなで別れをおしんでいる はなやかなお葬式 淡いピンクの 手や足や目がもげてゆく ひろいそこねた骨をふまずに 前へはすすめない ゆく春をひきとめてはいけないよ なごりおしすぎて この世からあなたの片足が 落ちようとしている ---------------------------- [自由詩]みどりの沼にひそむ/田中修子[2017年4月14日0時53分] 飲み込んだ言葉が 胸にわだかまりの どろりとした沼を作る 沼の中で 人に見捨てられ大きくなった亀が 悠々と泳いでいる よく見ると 子どもを食ってふくれた金魚の尾が ひらりひらり こっちへおいでと赤くさそう この風景をとどめよう そして私の胸はまた痛む それでも今日は素晴らしい日 二度と繰り返さないこの空 桃色、青色、金色のかさなる雲に足をとめた 強く吹く風は海からのものだろう ゆうぐれに月はひどく大きい 目をうつ白さに息を飲んで そうすると少し楽になる 私は痛む緑の沼だ 沼の中には大きな亀と 子どもを食ってふくれた金魚 よく見ると金魚は人魚であった 人魚の顔は私、 口の裂けるようにわらった ---------------------------- [自由詩]おかあさんの音/田中修子[2017年4月18日23時40分] あなたはわたしのなかにいる あなたの肌にはその日になると 青や緑の痣が浮かぶのだと 教えてくれた うごかない左腕で 必死に笑ってた じっと見つめるとちからのぬけた顔になった それはわたしのほんとうの顔だった あなたはわたしでわたしはあなた 静かなひととき またぜったいに会おうねとさよならした その一週間後にあなたの 心臓がとまった 燃やしてしまいたかった あなたの肌に 青や緑の痣をつけた男らのこと それを恥とした家族のこと あなたを殺したすべてを 殺せないのなら なにももう見たくはないのに まぶたを縫っては ハサミでひらきつづけた 神さまも仏さまも法律も薬でさえ あなたをなにからも守れなかった 体にあなたを刻みつけた あなたはわたしのなかに孕まれている 泣きつかれて膝に抱き 綿棒でそっと耳かきをしてあげる わたしもあなたもほんとうは知らないおかあさんの音 すこしおやすみ --- 耳かきがおかあさんの音、というのは友人のことばをお借りしました。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]月の町 お題、即興ゴルゴンダ(仮)より/田中修子[2017年4月23日20時38分] 月の町には丸い月のしずかなあかりが射していて、住むのは齢三十をこえた少女ばかりだ。 つねに満月夜、手入れのゆきとどかぬぼろぼろの町並み、つかずはなれずに点在する住居は、彼女たちのそれぞれのこだわりを反映して、本の、ぬいぐるみの、ロザリオの、愛らしい服のあふれたへやべや。 ひかる虫をおびきよせるにおいをしみこませた布切れが月の町どおりにも部屋の中にもあふれるようにおいてあって、そのにおいのもとは彼女たちの唾液だ。 そうして町角のそこここに鏡があり、月あかりと虫あかりと彼女たちの白い肌を無限に反射し、月の町にはしずかな狂気がみちている。彼女たちはものを食べない、食べれば吐くので壁に浮く白い塩をすこし舐める。そうして喉の渇きがひどいので町の真ん中にあふれる噴水に直接口をつけて腹がふくれるまで飲む。時たまのごちそうはバケツにためた季節の甘い雨水だ。 太陽にあたらずむだな栄養をとらなかった結果、年齢のあらわれやすい首元さえどこまでもなめらかで、年をあてることは難しい。ただ、あの少女は月の町に入ったときから、同じ姿でもう数十年いる、と、遠くの町の監視塔から月の町をのぞく監視人が胸につぶやくのだ。 彼女たちはおのおのすぐれた能力をもっていて、月の町に出される手紙にこたえることで外の世界とつながっている。町の住人になりたいと手紙で乞う、ほかの町のほんとうの少女たちに、 《きっとあなたをそちらで愛してくれるだれかが見つかるでしょう》《からだがあつくて不眠なのなら薄荷の葉をすこし浮かべたお風呂にはいりなさい》《おとうさんとおかあさんのことはもう他人だと思いなさい、ふれるたび燃えるのはあなたです》 などとこたえて、ほんとうの少女たちが月の町におちることをとめている。 それゆえ月の町の彼女たちは、ほかの町の住人のおとなたちに貴重とされた、矛盾の存在だ。 息のしづらい外の世界のほんとうの少女たちにとって、うわさにきく月の町は静寂と平和に満ちたあこがれの世界だ。たしかに一見まぼろしのように美しい町だ。無遠慮な男編集者によって、ときおり少女雑誌や少女小説に、少女のゆくすえの町として絵入りで紹介されるほどには。 しかし、実際に月の町に住まう彼女たちに聞くと、来たいと願うことはあまりなかったのに、気づいたらここにいて、出られなさに命を断った町人たちも多い、とほほ笑みながらいう、そのほほ笑みはほんとうに無垢だが、どこかおそろしい。 化け物そして精神異常者の女の町ときいて、淡い幻想を抱いて好奇心でやってきた男たちもいる。 《こころに傷を負った妖精さんをささえたいのです、そうしてぼくを受け入れてください》《あたしもほんとうはこの町に住む資格があるんだわ、性器を切除さえすれば》《いままで病気の女の人をたすけてまいりました、そういう人なしに俺もいられない》 その男たちもまたじっさいのところ、精神の奥底の部分に奇形を抱いているのだが、 《もしかするとやっとわたしたちを理解してくれる男があらわれたかもしれないわ》 と、はじめ熱狂的に彼女たちに受け入れられる。 だが、長く彼女たちといられた男はいなかった。まず、食事ともいえぬ食事に閉口し、微笑みをたやさぬ口元に隠されている彼女たちのにえたぎるようななまなましい感情に落胆した。 じっさいのところ彼女たちはみな、みためより、そして心の奥底の弱い男よりも、たくましかった。怒ることも、笑うことも、月あかりをかき消すような激しさだった。なにしろ月の町にながくとらわれ、友を失い、この世のあらゆる傷を手紙で知りながら、生きているのだから。 《妖精さんがぼくのものを受け入れてくれない》《あたしのこと結局は男だと思っているんだわね》《病気の女の人はけっきょく自分がいちばんなんだな》 そんなぼやきを聞くと、たちまち彼女たちの心は、窓をつたう雨粒がほかの雨粒を飲みこんで大きくなるようにまとまった。それぞれにこだわりがはげしく、ときに仲たがいをすることも多い彼女たちだが、こういったときだけは自分が他の少女で、他の少女が自分なのだった。 《性欲異常者》《オカマのオッサン》《そういうあなたも病気よ》 扇で口元を隠しながら、気の毒そうにくすくすと笑う。笑い声はこだまして大きくなり、笑い声にふくまれる唾液が香をましてひかる虫をあつめ、空の雲をはらって月はよりいっそう光った。 あらゆる町角に男たちの姿が鏡にみすぼらしくうつしだされた。月の町に入ったばかりのときは、彼女たちの幻想に化粧されて王子のように美しくなっていた姿が、昔より老いてより醜い姿になったのをみて、わけのわからぬ恥に震えて彼女たちに手をあげた。 《ぼくのイメージがこわれた》《メンヘラたちめ》《こんなにもしてやったのにどうしてくれる》 《化けの皮をはがしてやった!!》 彼女たちは悲鳴のような歓声をあげる。 《もうこんな町はうんざりだ、もといたところに帰ってやる》 《どうぞ、どうぞ》 遠くの町の監視塔から月の町をこっそりとのぞいていた監視人が、驚いて声をあげてただちに月の町の門扉へと取締官を派遣した。 《きたならしい男がすごい形相で手をあげていて、月の町の少女たちがおびえているようです》 じっさいは彼女たちがみてきたものはもっとおそろしいもので、男たちが変貌することやそれにすこし恐怖することなど彼女たちのうちには娯楽のひとつだった。ひとりではない、硝子窓を流れるとうとうの洪水の彼女たちが、友を失うことのほかになにを恐れることがあろう。男たちは取締官が到着するちょうどよいころに、月の町から少女たちに放り出され、捕縛されてうめき声をあげた。 月の町のそんな色恋沙汰を食って、空にうかぶ大きく冷たい石ころの私は、今日も白く肥えて大きく光ることができる。私に照らされた、ほんとうに無邪気な少女と腫れあがった男こそ、月の町のあたらしい住人にふさわしい。 --- 即興ゴルゴンダ(仮)さまを覗いてでていたお題「月の町」をみていたらむくむく妄想が浮かんだんですが、とっくに締め切りを過ぎていたのでした。 ---------------------------- [自由詩]泣く鬼/田中修子[2017年4月28日0時29分] たましいが 夜に錆びたぶらんこのように鳴っている どこへいったの ねぇ わたしの半身たち あざの浮かんだ あなた 詩を書くのがじょうずだった あなた 半身がふたり 抜け落ちた わたし ほんとうはもう がらんどう 生きることは地獄 とても浮かれた 白い病室のうえ 青い空に浮かぶ雲 お釈迦さまが蜘蛛をたらすの わたし みていた 痩せこけて目と腹の飛び出たかわいそうななかま 糸切れてペシャンコになった したでわたしもグッチャリつぶれ それでも死なないイタイイタイバァ あくほうの片目でみつめる 雲の向こう お釈迦さまのお顔 唇のはしがヒクついてらした もっとほんとうに やさしかった あのお顔 わたしの覚えてる あのほほえみ どこいった -自分で死んだら 地獄へゆきます 先生がそうおっしゃっているのだから それにあたし 考えるの めんどうくさいの 上の人が 考えなくていいっていうから あたし考えないの- -あの子たちはね あんなめにあって 命を絶つしか ほかになかった それでもあの子たち 地獄にゆく、という あなたがいるつもりの そこ- かわいそうに お釈迦さま ぶくぶく太った生き仏さまの 乳房からでる乳で炊いた お粥を食べてしまわれた 笑いがとまらずにいる血みどろの鬼 慈悲をくださりたい生き仏さま きみわるそうに あとずさり -なんで何も信じないで生きていけるの- -信じてるあなた とても 苦しそう- 釜で炒られて 針食わされて 八つ裂きだって さぁどうぞ からだのいたいのなんて たましいにくらべりゃ たいしたことないわい お釈迦さま 金にひかる雲の向こう ふっと視線を逸らされて とじる天 ---------------------------- [自由詩]さよならブランコ/田中修子[2017年5月1日21時20分] ちいさな公園で ブランコをこいでいる あれはともだち ほうりだされたカバン あそびすり切れたクツ おりおりのかわいい花 うつりかわる葉のいろ 近くなる遠くなる空 すりむいて熱いひざこぞう てのひらは金属に煙たつ 水のみばの錆びたにおい そろそろイチジクの葉を着よう ブランコを高くこげた 虫のことなんでも知ってた じゃんけん強かった 夕暮れ さよなら まーたーあーしーたー まーたーあーしーたー もう会えないかもしれない いきなり大人になる横顔 影みたいにどこまでも のびる声 ともだちの名前 みんなわすれた ---------------------------- [自由詩]子どもの澄んでる、のぞいてる/田中修子[2017年5月12日7時20分] 応接間のおおきなガラス窓が雨ににじむ 雨ごしの庭って おとうさんの画集にあった モネのすいれんみたいできれい ドガのおどりこはなんだかこわい おかあさんは砂糖は骨がとけるという おばあちゃんのこっそり食べさしてくれる アイスキャンデー ざらめのついたおせんべい 広いいえ、ふたりぼっちのごちそう (お母さんのふといお骨) (おばあちゃんの崩れ落ちたお骨) (わたしのお骨はぐずぐずとけて、はしわたしのときみんなこまる) おにいちゃんはおべんきょうでいそがしい 東大に入ってもさみしそう 金のハムスターもまっかな金魚も うちにきたらすぐ死ぬ 子どもがショックを受けないように こっそりあたらしいのととりかえれくれている 気付いていることはかわいくないから 知らんぷり リカちゃんの首をしばっておままごと 「首を吊るされると顔はあおぐろくなるんだよ」 ふしぎそうなかおのともだち なんでしっていたのかわからない きれいな絵こわい絵、うつろうガラスの向こう 死んだあとのお骨のこと、手にいれて色褪せるもの たいせつにされないいのち、もしかしたらの前世の記憶 透けてる あのころわたしがみていたのは いまみている光景よりずっと ごまかしがきかないものだった ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]首吊りの森/田中修子[2017年5月19日21時22分]  赤黒い熱い塊が喉のおくでガラガラガラ音を立てている。からまってまるまった舌で窒息しそうだ。舌が体に飲み込まれようとしている私は、必死で舌をン、と指でつまんでまっすぐにしてよだれが垂れる。幾千幾万どこまでも木と揺れている人が続く、うすぐらい首吊りの森でさまよっている。  首吊りの森にすでに吊られた人々は黒い影となってゆらゆらと風に吹かれておりあんまりに心地良さそうで、誘われるからできるだけ見ないようにしていた。もりあがる根に足をとられ、舌をひっぱりながら歩いている。この森を出よう。いつになるかは分からないが、私は絶対に出なければいけない。ほら、蝶の青いあかりがみえる。ずっとずっと見えている。  首吊りの森に入るまえは砂漠にいた。砂と岩だけの砂漠。  あっちへ行こう。きっとあっちこそ、今度こそ正しい方向だ。どんなにいっしょうけんめいに走ってもかならず転んで大怪我をして、自分がどこから来たのかも、どこへ行こうとしていたのかも、どれだけ時間がたったのかもわからない、ただ、すべてがむだだったことだけが分かった。涙も流すはしからひからびて、やがてなにも感じなくなった。骸骨のようになっていく体をただ引きずって歩いていた。  そんなとき青い蝶がきまぐれにフラリとやってきたのだ。水のあるところ、緑のあるところがあるのだろうか。強い風に足跡はさらわれて来た方向は分からないし、蝶を追いかけてもゆく方向も分からない。ただ、ゆっくりと追いかけているうちに転ばなくなって、だからなのか骸骨だった体もいつのまにか肉と脂肪を取り戻していた。  青い蝶がなにを考えているか分からないが、首吊りの森につれこまれ、死者たちの寝息を感じても、悪い感じはしなかった。そこで私は眠りを取り戻した。どれほど寝たことだろう、数百年、数千年だろうか。ときたま不安になって薄目をあけると、蝶の青いあかりはホワリとそこにいて、また、ねむった。死者たちの揺れはゆりかご。  それなのに息苦しくて目が覚めたら今度は舌が飲み込まれようとしている。ン、ン、ン。  そろそろ首吊りの森を出なければいけないという合図だろう、そうなのだろう、青い蝶、私に立ち止まることは許されないのだろう。  グチャリ、といやな音がして、目の前にもう人ではない人が落ちてきた。  腐ったにおいにまさっていいかおりがした。甘い、バニラの、ばらの、はっかの、海の匂いのする。  あの子が亡くなる数日前にあげた、誕生日プレゼントの入浴剤のセットのにおいだった。けっこう高かった。ほんとうは自分が使いたかった。それでもあの子にあげたかった。  ネットで知り合った子で、手紙や携帯電話のやりとりは何度もした。  「私、砂漠で走ってるみたいなの。いっしょうけんめい走っても絶対に転んで大怪我をして、どこからきてどこへむかっているのかもわからないの」 「どうして私の心の中の状態を、上手に言葉にできるの?」 「魂が双子なのかな」  一度だけ、私の法事の都合で遠方のその子に会えた。やさしいかおりにくるまれてほしかった。照れくさそうな笑顔の子で、会った二週間後に亡くなった。  携帯電話が通じなくなって、あ、まずい、と思った。手紙の住所から104で、彼女の実家を探し当てた。お母さんがでた。 「もしかして、あのいい香りの入浴剤をくださった方ですか? ありがとう、あの子は死にました。いいえ自殺ではありません-いままでたくさんの人に迷惑をかけたけれど、さいごは自然死だったので、まだ、よかったです」 (よかったって、なにがいいんですか。自殺ではなかったことがですか。すべてを黙ったまま、自然死してくれて、それは、それは、完全な殺人ではないですか) 「よがっだ、っで、だにが、よがっだ、の!!」  叫んでいた。赤黒い塊が喉から出た。結ばれていた舌がほどけた。  落ちてきた人はいっしゅん内臓や骨を晒したあと、いく群れもの白い花になった。首を吊ってとまどうように揺れていた別の人々も、熟した実がぽとりと落ちるように、地面に落ちて首吊りの森のあらゆるところを覆い咲く花になった。うすぐらかった高い木々の皮はつややかな緑の苔に覆われ泣きそうに眩しく、苔からはまた燐光のように、小さな花が咲き、しげる葉の向こうに、澄んだ色の空が見えた。  白い骨のようにひかる花花だった。青い蝶はそこにすっとなじんで溶けた。青白いやさしい光を発するその花の蜜を舐めると舌がなめらかになるのが分かった。 「私もひとごろしなの! 私がしなかったことが、きづかなかったことが、あなたをころしたの! 私のしたひとつのことが、ほかのなにかにすべてつらなっているのなら、私もあなたのことをころしたひとりなのよ! もうくるしくてくるしくて生きていかれないよ。おねがい、おねがいだから、この花の群れにくわえてよ」  花はしずかにそよいでいて返事はない。青い蝶は白い花に溶けて眠ってしまった。  首吊りの森は青白くひかる花花の森になった。  私には、いまや、健康な肉体も、なめらかにしゃべることのできる舌もある。あるように、なってしまった。  私のいまのこの体こそが、この美しい死の森を出なければならないという合図だろう、そうなのだろう、私に立ち止まることはいつだって許されることはなかった。  「いっしょに、行こうよ」  心臓がバクンとした。鼻か口から入った花の種が血を巡って心臓に宿ったのが分かった。痛む心臓を喜びかかえて私は歩きだす。  この花が私の心臓をひらいて咲くときが、眠りだ。やがて芽吹きの季節が私の上に舞うだろう、そのとき咲いた花とともに見る風景は、いったいどんなものなのだろう。 ---------------------------- [自由詩]戦争/田中修子[2017年5月24日21時34分] ある日ふとおかあさんとおとうさんに 問わずにはいられなかった 「戦争ってそんなに悪いことなの?」 「当たり前のことも分からないなんて、そんな教育をした覚えはありません!」 「僕たちが平和のためにどれだけ戦っているか 分からないのか!」 ピシャリと閉じた 閉じられたドアのこっちで唇をかんだ かわいい絵本を卒業したころ 見せられたもの 原爆で黒焦げになった死体 ケロイド ナパーム弾で焼けた子ども ホルマリン漬けの赤ちゃん 放射線で死んでゆく村 そんなのばかり 目を閉じられない ひとってこんなにきたないことができるのならば 戦争が起きて ひとはぜんぶ 灰になって 狼や鹿や 花や葉っぱや みずくさやお魚や そんなのだけ残ればいいのにな そうしたらきっと きれいだろうな 戦争が起こったなら 焼夷弾が真っ赤におちてきたら 燃え尽きていく家のなかで おかあさんとおとうさんは わたしを抱きしめてくれるかもしれない  いま 少し年をとって  公園で遊んでいるこどもたちが いつか  人を殺したり 殺されたりされるかもしれないことを思うと  それは 戦争は ないほうがいいに決まっているけれど  もしおとなたちが  こどもたちの心の中で起きている  荒れ果てたかなしみに気付かないのなら  たぶん そこからもう 戦争ははじまっています ---------------------------- [自由詩]ばらばら/田中修子[2017年5月27日21時34分] 朝は胸元を掻きあわせる、ひとりぼっちでうす水色の空のしたあるいている、しゃべることのできない胸のうちにぶらさがるのはサナギ、だまって羽化する日をまっている。夕暮れがきた、ほれ、いくつめだろうか、折ってかぞえて殖えすぎた指の数。なまぬるい桃色の、つめたい青色の、みあげる目を切りさくよな、雲のま白はかなしい。吸いこまれては吐きだされて、手放そうとして吹き返した。また、またまたきたよ、黒い夜、ちらばっている星、月をあいまいにする雲。ああ、からだの冷える朝がこわい。深く眠れぬうちに、いくつもの夢があって、男も女もやる、蛇も赤子も墓もやる、生きるも死ぬもぜんぶやる。やがてサナギからでてきた蝶は羽を病んでいてまるで飛べなかった、地にポタリと落ちてすぐに人にふまれ、鳥にくわれ、蟻地獄におちた。飛ぼうとして這いずっていたからさいごまで笑っていた赤い唇のかたち、瞼は二つの繭。 ---------------------------- [自由詩]風紋/田中修子[2017年6月4日17時16分] 笑っているうちに 削られ 壊れて きっと愛とはそういうものなのね なぜ なぜ なぜ がらんを抱えて 胸の穴 大きすぎる 喉の乾いた砂漠 たくさんの風がわたしを通り抜けた 雨雲を 鳥の鳴き声を 運ぼうとして ただ 砂嵐の立つ いまや風紋そのもののわたし 風の模様だけは無数に残る ---------------------------- [自由詩]なつみかんとおとな/田中修子[2017年6月8日2時00分] 庭でとれた夏蜜柑 刃元で厚い皮に線を引く ふくいく 薄皮はぐと 黄王がぎっしり 時間の結晶をたべる からだに飾れなくても どこにでもきれいな宝石がある スーパーの帰り 見上げれば 敷き詰められた天青石の空 バロック真珠の雲たち ちいさいとき 香水も宝石も いらないで シャボン玉吹けば なんだかうれしかったのはなんでかな いま、飾りつけないと なんだか恥ずかしいようにおもうのは なんでかな ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]夢夜、三 「孔雀いろの鍵」/田中修子[2017年6月11日18時24分]  Jと別れてあたらしい生活が始まっていたのだけれど、車の世界の帰りだというJがこの家へたずねてきた。  ただあたらしい生活と言っても、螺旋階段を一周して、すこし昔に帰っただけのような気がする。奇妙な、少女たちがなにかと戦う世界へ。  そこで新しい人と、恋をしていないのに恋をしている。戦う世界は懐かしくて馴染んだものだったけど、折にふれてJのことを思い出していた。私の胸にともる唯一のあかりであったから、Jを忘れることは生涯できない。忘れてしまえば私は、冷たいさみしいオバケになってしまう。  それほどにJのことが好きだったけれど、きっともう恋人とか夫婦にはなれないだろうと思っていた。男と女は違って、女はいちどプツンとしてしまうともう好きになることはできない。  Jは分かっているような、諦めきれないような顔をして、昔のように鍵を開けて入ってきた。  「ただいま」 「おかえりなさい、J」 「どうも、はじめまして」  私と、いまの私の彼が後ろで家事をしながらどこかそらぞらしく対応して、最後の期待の力も抜けたようだった。  「これを、思い出に持ってきましたよ。あのうちの。いまのアパートに引っ越してから、荷物を探ったら出てきました」  Jのてのひらに乗っているのは、見たこともないようにきれいでやさしい、孔雀いろに輝いている二本の鍵だった。私はその手の派手な色合いが苦手だったのに、吸い込まれるように鍵の片方を受け取った。  孔雀いろの中に、スーパーの行き帰りに陽に照らされて青い海や、あのうちを季節ごとに飲みこもうとする葛の葉の生き生きとした緑色、少女が着るような赤いワンピースを着て眠りこけていたあのころがくっきりと見える。  私は、息を飲んだきり止まってしまうような気分になった。  いつのまにか私の胸のあたりに鍵がぶらさげられていた。  あのうちにはほんとうには鍵を必要とする扉はいっこもなかった。泥棒ですら素通りするだろうぼろぼろの、いまはもう駐車場になってしまっているあの横須賀のうちの、だが、鍵だった。  「ありがとう。お返しに、この家の思い出の鍵を渡したい。少し待っていて」  気が遠くなるような時間、四つん這いになって私はこの家の鍵を探した。  しかし、この家に思い出と言えるものなどなにもなく、あるとしてもいやなにおいを放つ錆びたようなやつであることはなんとなくわかっていて、触れれば体が吸い込まれるようなからっぽをただ永遠に探しているのだと分かったときに、目が覚めた。 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南の島の夕暮れの色の かき氷を食べたらね そこにいけてしまって もう帰ってこなくていいんだよ なんで嘘つくの 嘘と看破したともだちは きっとここで生きていける ずうっと 捜しつづける またたくまの夕暮れの シロップ ---------------------------- [自由詩]女のすてきなあばら骨/田中修子[2017年7月25日0時10分] いつか完成するだろうか あばらの中のいくつかの空洞は 満たされて、微笑んで眠るだろうか 脂肪に埋もれる柔和な女になれるだろうか 昔は違ったのよ と笑って言うことができるだろうか 抱かれるのではなく、抱くことはできるだろうか 不幸を埋めるのではなく、幸福さえ産むことはできるだろうか 自分の脂肪を愛して、安らかに眠ることはできるだろうか あばら けっして完成されることのないわたし 少女にも男にも憧れてならぬから せめて乳房を削ぎ取ってしまいましょう 陥没し もりあがるのを さらさらとなぞる おそらくは 受け容れて生きていくように決めていた わたしははじめから爛れ落ち、自らに火を放ち 青白く燃えてかがやいているあばら骨 ---------------------------- [自由詩]黒いぐちゃぐちゃ爆弾/田中修子[2017年8月5日17時23分] わたしのお父さんには ふたつ 顔があります 男と同じだけ働いて 子どもを産んで 社会活動をしなさい というお父さんの顔は真っ暗闇に覆われて そばにいるのに目を細めていくら探しても なんにも見えない 触れない うちを守って 子どもを愛し 好きなことをできたらいいね という顔は、とぼけていて、ちゃんとそこにある お母さんは真っ暗闇に覆われたまま逝ってしまって ほんとうになにも思い出せないのです ぽっかりとあいたおそろしい穴ということだけ 「顔も体形もそっくりだね」と言われるけれど 家族の絵を描こうとするとあの人のところだけ 黒いぐちゃぐちゃ よって、わたしも黒いぐちゃぐちゃ かえして わたしのだいすきな家族を かえして ふつうの日々を虚ろのようにのみこんだ偉大な理想なんか かえせ あんなものかたっぱしっからたたっこわしてやる どんなにか、平和を祈りたかったでしょうか なのに、あんなにもまっくらすぎて 焼夷弾がパっと火をつけてくれて こわがりながら燃え上がれたら あの家は少しは、あかるかっただろう、などど わらいますか わたしを このようなことをいったら 真っ暗なお父さんも真っ暗なお母さんも ゴミをみるようにわたしをわらったのはかろうじてみえましたので いまだ泣きも怒りもしない、すこしニヤついた 気味の悪い顔で わたしはあなたをみあげています ---------------------------- [自由詩]夏の窓/田中修子[2017年8月10日0時42分] しかめっつらしてないでさ むりやりにもわらないでさ ぽかんと空をみようよ 窓がよごれていて みがきたくなるかも ふしぎだね むかしもいまもこのさきも どこかではかならず ひととひと、ころしあってるんだ こんなに洗濯物がはためく空なのに ほっといた窓のよごれにふっと 気づいて 指をふれる なにできれいにみがこうか ---------------------------- [自由詩]飴/田中修子[2017年8月25日9時38分] 幸せになって たいせつなお友だち 惜しみなくきれいなおいしい 飴をくちづけたい そんなものまだ わたしのなかに壊れきらず のこっているならば 幸せとはなんだろうね つらつらしていたら 山のあなたの空遠くにか なんて逃げたくもなるが そりゃ なんか ちがうだろ なにも怖くない世界がふつうで 清らかよと澄ましこむ 喉を切り裂きたくなるような かなしみを知らないですむ わたしにも あなたにも それはもう 叶わないけれど わたしのなかに おいしくてきれいな飴が まだ少しだけ 残って在るならば あげるよ この飴ぜんぶあげる もらって たといわたしが溶けてしまっても あなたが あなたの好きな人と やがてうみいつくしむ かなしみのない笑顔 世界の滋養 飴 ---------------------------- [自由詩]庭のおかあさん/田中修子[2017年9月11日13時42分] 庭の柿の木は ざらりとしたぬくい腕で 小さなころからずっと わたしを抱きしめてくれました おばあちゃんがわたしを だっこもおんぶもできなくなったころから わたしはランドセルを放り出して 庭の柿の木によじのぼっては ぎゅっとしてもらうのでした わたしが飽きるまで抱きしめてもらって 飽きて離れてもそこにぜったいあって ひそやかに 抱けば抱くほど ぽかぽかするね そのころの わたしが にんげん から おしえてもらったことは 原爆で生焼けになった人のうめき声 731部隊でひとがひとをナマで解剖した 日本の兵士がおんなのひとを犯しまくった とか そうしてお母さんは わたしが子どもの権利条約の暗記を間違えると 怒鳴りつけてくるものでした から そしてまた集会で 「このひげきをにどとくりかえしてはいけません」 とわたしがいうと 「ちいさいのになんてリッパな考え方をする子なんだ さすがしっかり教育なさっているものだ」 みんなすごくよろこんで褒めてくれるものでした わたしはお母さんとお父さんの ゴキゲントリの鸚鵡をしているだけなのに ですから わたしは にんげん って なんてばかでいやなものなんだろって こんなにいやなものしかなくって 死んでしまえばどうも それっきりらしい そしたら はじめに首吊りをこころみたのは小学生のころでした 失敗するごとになぜだか 庭の柿の木にだっこしてもらいにいきました 庭の柿の木は だまって抱きしめてくれました するとわたしはそこでいきなり 涙が止まらなくなるのでした 春には躍るようなキミドリ 夏にはいのちそのものみたいなま緑 秋にはしずかに炎色 冬にはまるで死んでいくように痩せ細ってはらはらしました けれど耳当てれば息づいていて かならず春がくるのです にんげん が 甲高い声で叫ぶくせにおしえてくれなかったこと 庭の柿の木 が だまっておしえてくれたこと ぜったいにまた、春はくるのです 夏もくるのです 秋には鮮やかに燃え盛るのです 呼吸さえやめなければ。 ---------------------------- [自由詩]ウォー・ウォー、ピース・ピース/田中修子[2017年10月7日18時56分] 「せんそうはんたい」とさけぶときの あなたの顔を チョット 鏡で 見てみましょうか。 なんだかすこし えげつなく 嬉しそうに 楽しそうです。 わたしには見分けがつきません せんそうをおこす人と せんそうはんたいをさけぶ人の 顔。 ごぞんじですか、ヒトラーはお父さんに 憎まれて憎んでいたのだそうです。 それでお父さん殺しを ユダヤ人でしたのだ、という説があります。 ヒトラーがお父さんに ぎゅうっと抱きしめられていたら あの偉大なかなしみは 起こらなかったのかもしれません。 お母さんこわい、あなたの顔はどこにいったの ちかよらないで、わたしまで吸い込まないで。 (ウォー、ウォー、とわたしは泣き叫んだ) あなたは幸せですか。 おうちのなかはきれいですか。 玄関のわきに花や木は植わっていますか。 メダカや金魚を飼ってもかわいいかもしれません。 あなたの子どもは むりやりでなく、楽しそうにしていますか。 わたしにながれる カザルスのチェロを 聴いてください。 (鳥はただ、鳴くのです ピース、ピースと) 春、おばあちゃんが フキを 薄口しょうゆでしゃっきりと煮て きれいすぎてたからものばこに 隠しちゃいたい。 夏、おばあちゃんといっしょに いいにおいのするゴザのうえで お昼寝をします。 寝入ったころにさらりとしたタオルケットをかけてくれるの ないしょで知っています。 秋、いそがしいお父さんが、庭の柿の木の落とした葉っぱをあつめ たき火にして焼き芋を焼いてくれて メラメラととても甘いのです。火の味です。 冬、ときたま雪だけが ふわふわめちゃめちゃ生きていて 寒いだけだし 松の葉をおなかいっぱいに食べて冬眠しちゃいたい。 それでうっかり起きちゃってスナフキンと 冒険しにでかけるんだ。 そんなわたしも、お母さんになりました。 今日、じゅうたんを近くの家具屋さんに 買いに行きました。 薔薇とナナカマドの実で染めたような色をしているよ。 夕暮れの空を見ます。 水色とピンクと灰色が入り混じって ひかっていました。 秋の虫がきれいに鳴いています。 わたしはわたしの顔をなくすことなく あなたが羽ばたいてとんでゆくまで このちいさな巣箱を ふかふかにしていたいな。 ほんとうにたいせつなのは 静かに流れてゆく はるなつあきふゆ あたりまえにあってききおとされる 鳥や虫の鳴く。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ジャンヌ・ダルクの築いたお城 蛸/田中修子[2017年10月12日8時03分]  おととい、あるいてほどなくある実家の父に「婚姻届けのサインをもらいにいっていい?」と電話をした。「いま、選挙期間中だから忙しい」私は黙った。それで、父は慌てて「時間がある今日中にサインしにゆく」「ありがとう」私は笑顔でいった。それで電話を切って泣いた。私は会ったらなにをしてなにをいうかわからなかったから、婚約者に出てサインをもらってもらった。やはり私は活動の次の存在だった。母が死んだことでだいぶ順位はあがったが、そんなことはもうどうでもいい。今日私はあの家から解放される。  母は数年前の11月28日に死んでくれた。何年に何歳で亡くなったのかは忘れた。そのうちに思い出すこともあるだろう。  終戦の年にうまれたのはおぼえているから、2017年のいま生きていれば72才だ。固執する面と関心がない面がある。ふだん旦那の前では「あの女」と呼んでいる。  あの女には民青で活動したときに通り名があった。「同志社大学のジャンヌ・ダルク」という。民青と敵対している勢力に属していた平成うまれの旦那が京都大学で活動していたとき、「同志社大学にはジャンヌ・ダルクがいて、民青のやつらをオルグしようとしてジャンヌ・ダルクに逆オルグされた仲間が何人もいた。だから、同志社大学には近づくな」と同志にいわれていたという。  あの女から留年したという話をきいたことがないから、1967年には卒業していたはずの女の伝説が、2013年頃まで残っていたということになる。  私も家の方針で高校まで民青をやっていた。班長までやっていた。違和感を覚えて辞めようとしたとき、ひきとめがすごかったのと、「なにか悩みはありませんか」という人が来て、「これじゃ宗教と変わんないな」と思っていまは嫌悪感しかない。  いま私は完全なノンポリである。旦那もいろいろ事情があって、その民青の敵対組織はすこし前にやめていた。あそびと転職活動を兼ねて都内に飲みに来て、店員さんに昔活動していたころを自慢げに話していた旦那に声をかけられ、「私ノンポリなんで」ととりあえず言っておいて、旦那の「ここでノンポリという単語を聞くとは」で、盛り上がった。  私には瘢痕状になった腕の傷あとがある。瘢痕状、というのは、傷に傷を重ねて、もとのなめらかな皮膚がまったく見えなくなっている状態のことをいう。まるでしわしわのちりめんのようだ。  傷あとは脚にもある、首にもある。そっちは、恐竜にひっかかれたあとみたいになっている。  「傷あと」であることを私は誇りにしている。  精神疾患があって、幼児期からの虐待を受けた人・レイプを受けた人・あるいはナチス収容下の捕虜、そうしてベトナム帰還兵にみられる複雑性PTSDという症名である。    「これ、これ。見て」精神疾患込みで私を好きになってくれる人でないといけないから、会ったときすぐに私は腕の傷あとを見せた。それから首あとを見せた。そのうちに脚のも見せた。  それでも生きている私を、旦那は、「人間こんなになっても生きてられんだな」と、よくわからない感動を覚えたという。旦那のいいなずけは東日本大震災のとき、津波に飲まれた。漁村の網元の娘だったそうだ。一族ごといまも遺体は見つかっていない。「あのいいなずけなら、泳ぎも達者だからどっかで生きているかもしれない。たくましい子だった」というのが、「こんなからだになっても生きている子」という私にスパっと切り替えられたようだ。  それから中距離恋愛をしていたころに、「あんたんとこの活動はどうだった」とか、そういう話しをたびたびした。  「うちの母、同志社大学のジャンヌ・ダルクっていうの。民青でオルグした父と一緒に反戦活動とかめちゃくちゃしていた人よ。日本共産党から市議会議員の立候補もしたこともある。いらだちが凄かったのか、私、ほんとうに罵られまくっていたの。"あ、この女、私をストレス解消道具にしてやがる"って小学生で分かっちゃったときがあったんだよね。小学生が分かるんだから本当よね。その前もそれからもいろいろあってさ、それで私この首と腕と脚で、症名は複雑性PTSDよ。笑えるよね。でも通り名は聖女の名前なんだよね」「お前あのジャンヌ・ダルクの娘か!?」  そうして伝説のことを話してくれた。  私が本当に旦那に惚れたのは、あの女を知っているというその瞬間だったと思う。因業なものだ。  おさないとき、スっ転んでよく怪我をした。  抵抗力をあげるためと、だいたい、放置だった。  そうして私は、自分のかさぶたをはいではよく食べていた。傷が治りきるまえのじゅくじゅくを引っぺがして、またあたらしい赤いのが滲む。また真ん中のほうからこぎたないうす桃茶に盛り上がって、かたまってくる。  自分をたべるのが好きだった。自分で自分の傷を愛していた。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ジャンヌ・ダルクの築いたお城 少女Aとテントウムシ/田中修子[2017年10月14日2時16分]  私は1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aが好きだった。少年Aは当時14才で中学生という報道で、私は当時12才で小学6年生か中学1年生だった。彼も私も、とびきりの条件付きの愛のなかで生きていた。あれだけ派手な事件を起こし、「私はあの子の母親をいっしょうけんめいやっていたのに、あの子がちゃんと育たなかったなら、私があの子を育ててきたあの時間は、いったいなんだったんでしょう」そんなふうに母親に言わせた彼に拍手喝采だった。  私がいくらいい点数を取ってきても、あの女は満足しなかった。そのわりにあの女は、あの女の友人のダウン症の子は好きだった。私はふしぎに素直なその子を好きだったが、「エンジェルみた〜ぁい」とあの女がいった瞬間、自分の心の中によくないものが芽生えたのがわかった。なぜ私はいっしょけんめい勉強しても怒鳴られるのに、この子は生きてるだけでエンジェルみたいと言われるんだろう。だいたいエンジェルってのはひどく宗教的な発想だ。  少年Aが被害者の1人に知的障がいのある子を選んだ理由がよくわかる、気がした。  小学5・6年生のころから、おばあちゃんが脚を悪くして弱りはじめ、寝たきりになった。たぶん私の心もそのころから寝たきりになって、さいきんやっとまた歩き始めた。  ひとさまをまきこむ気はなく、家族みな殺し、をどうやってしようか毎日ふらふら妄想していた。おばあちゃんは首を絞めて楽にしてあげよう、きっとわかってくれる。父と母と兄は不意をついて心臓をひとつき、いや、どうも肋骨が心臓を守ってそれでは遂げづらいらしいから首の動脈だろうか、とか。  おばあちゃんと両親と兄と私、誰からみても幸せな5人家族だったころである。おばあちゃんは、母の母だった。  「はよう死にとう。はよう死にとうんや。ご飯たべられへん。食べられへんのや、喉のここまであがってきとるんや」耳に沁みついているおばあちゃんのうめき声だ。「はよう食べて! 食べきらんとうちの成人式の晴れ着見せたげんで。ばあちゃん見たいんやろ? 残したらばあちゃんが元気でもぜったい見せたげんわ」おばあちゃんの介護の一部をまかされている小学生の私は、そんな風に言ってスプーンで食べ物をおばあちゃんの小さくなった口につっこむ。  おばあちゃんの部屋は、むかしはすてきな魔法の部屋だった。  障子をとおして透き通ってチラチラ白くひろがる陽の光にあたるこうばしいような畳の匂い。朝起きてたたまれ、夜寝るときに敷かれるおふとん。あれはヒノキだったろうか、白めのこじんまりした箪笥。箪笥の着物が入れてある段からは人工的だが清潔な防虫剤のにおいがして、せがむとときおり見せてくれるビャクダンの扇子の、ものすごくくさいようなものすごくいいにおいみたいな不思議なかおり。こっそり私にくれるザラメせんべいとか、透き通る宝石みたいな純つゆの飴おやつがいれてあるプラスチックの箱があった。    いまは、小便と糞のにおいがする。  「はよう死にとう。はよう死によう。もう食べられへん。喉のここまであがってきとるんや」  ごめんね、本当にごめん。私にはどうしてあげることもできないの、おばあちゃん。勉強を拒否すると、あの女が私にこうわめいてくるんだよ。  「修子ッ、アンタ勉強しないんだったらサッサとこの家から出てけ! あんたみたいなの社会じゃやってけないんだよッ! あたしのいうこと聞けなかったら、野垂れ死ぬだけだねぇ」「子どもは親のものなんだから、自由になりたかったら金払え」それからまたこんなこともいう。「いいか、ご近所さまに家の中のことしゃべるんじゃないよ。あんたがいちばん困ることになるんだからねぇ」   私は小学生のころからよく首吊りをこころみていた。失敗しているけど私の身は私の身だ、やろうと思ったらいつだってできるだろう。赤旗を読んでも、両親の日常会話でも、どうも大人になってもロウドウシャツカイステみたいだし、よくてカクメイ悪くてセンソウがおきたりしてお先まっくらみたいだし、極楽だの地獄だのはサクシュされる人が作り出したあわれなゲンソウにすぎないみたい、死んだ方がぜったい楽だ。  でも、いま、あの女の命令にさからって、おばあちゃんがおばあちゃんのご飯を食べきれなかったら、私だけじゃなくおばあちゃんまで叩きだされて野垂れ死んでしまう。私はなんだって困らないけど、おばあちゃんは悲しい。それなら一緒に死んであげたい、楽に殺してあげたい。あの女はご近所さまに対して困るだろう、それなら私が一家みな殺しの犯人になって最後に自殺したらハッピー・エンドだ。  ト、小学生の私は思っていた。  「はよう死にとう。はよう死にとう」  哀願する大好きなおばあちゃんの口にスプーンを突っ込める私は、頭がおかしい。本田勝一の「南京大虐殺」に出てくる日本兵みたいだ(あとで本田勝一の本の多くにねつ造が指摘されることを知った)。  5人家族の幸せなこの家で、いちばん死にたがり、いちばん頭がおかしく、いちばん頭が悪く、死ぬ可能性の低いのは私だった。おばあちゃんはきっと極楽にゆける。あの両親よりおばあちゃんが教えてくれた、極楽浄土ってとこがあるってのがぜったいほんとだし、私がおばあちゃんを大好きだし、おばあちゃんは苦労してきたから、きっと極楽にゆける。  だからやっぱり、家族殺しはやめだ。とりあえず私を殺そう。そんなふうに思うようになった。  ある日、おばあちゃんは、どうしても洗濯物を二階のベランダに干しに行くと言ってきかず、洗濯かごを抱えて階段を上がっていった。  おばあちゃんはよろけた。下の段にいた私は、無我夢中で、おばあちゃんに飛びついた。飛びついたのは、おばあちゃんの脚だった。おばあちゃんは、ゆっくり階段を落ちていった。落ちていく途中、灰色のかなしそうな目と私の目が合った気がする。次に覚えているのは、階段の下にグタリと倒れているおばあちゃん。それから、記憶が数時間ない。あの女が帰ってきて、おばあちゃんの部屋に行って、私も入っていった。おばあちゃんは自力で部屋に戻ったらしい。淡い銀色の髪の毛に透けて、紫の痣がドッサリ浮かんでいた。  「なんで救急車呼ばなかったのッ!!」  私が殺した。とうとう私が殺した。  すぐには亡くならなかったけど、その頭の打撲が決定打になり、おばあちゃんは完璧な寝たきりになって、1年後、青い稲の揺れる季節に病院で息を引き取った。行きかえり、寒いくらい冷房のきいた電車の窓の外に、光る風に触れられて、稲がキラキラ嬉しそうに、青く青くはしゃいでる。  真っ白な病室でピーという心停止の音が鳴ったとき、家族全員と、あの女の姉のおばさんがそろっていた。おばさんはワンワン泣いていた。父はしずかにため息をついてくるりと後ろを向いて肩を震わせている。兄はおばあちゃんの手を握り、無表情だがツーっと涙が垂れた。あの女は片目から一筋涙を流した(ことを、いま思い出した。あのひとにも感情はあったのだ)。  私だけ、涙が出ない。ひとつぶも涙が出ない。いま、心臓が止まってここを去ろうとしているおばあちゃんの腕に触ることもなんでかできない。私は血も涙もない異常犯罪者だ。お望み通りの少女Aだ。完全犯罪をやらかしたのだ。  その後、「はよう死にとう、はよう死にとう」は耳に沁みついてそのたびに自分を殴った。そのうちに体を傷つけ、そのうちに酒になった。  おばあちゃんのいる極楽には行けなくても、せめて死んでお詫びをしたい。違う、本当は会いたいだけだ。今度こそあの女から守ってあげたい。またあのサラサラでシワクチャであったかくて乾いた手をつないで一緒に歩きたい。すべての四季を、おばあちゃんとやりなおしたい。    ある時から別の理由でカウンセリング併設のトアウマケアを専門にしている精神科にかよって、薬が出るようになって10年になる。  「はよう死にとう、はよう死にとう」というのが、幼い心で抱えきれず脳に傷がついた、フラッシュバックという症状というのも理解できてきた。そのくらい弱っている老人と小さな子どもを二人きりにするのがおかしいらしいということも分かった。あの女が死んでくれて数年、ほとんど薬がなくなったけれど、いちおうそれが聞こるようになれば、薬を再開することになっている。  そうして私はこの頃、自分の体を傷つけたり薬を増やしてはならない事情ができた。  ちょっと前、また「はよう死にとう。はよう死にとう」が聞こえた。もう、捕まえて罰せられたっていい。私は110番に電話をかけた。「祖母を殺したかもしれません」所轄の警察の電話番号を教えられる。「それはいつですか。さっきですか」「私いま、32歳で……小学生のときです」緊張していた年配の警察官の声がやわらいだ。「たぶん小学生の私は祖母が落ちるのを止めたかったんです、でも、とっさに脚に飛びついてしまったんです」私はなぜだかワンワン泣いていた。おばあちゃんが亡くなったときに流したかった涙だった。「大人でも介護中にそういった事故に対応できないことがあるんです。小学生のあなたはいっしょうけんめいだったと思います。それから、こういう仕事をしていますから、犯罪性があるか声を聞いていると分かります。あなたにはそれは感じられません。どうぞ、忘れて前へすすんであげてください。大丈夫ですか。いま一緒にいてくれる人はいますか」「大丈夫です。ありがとうございます」  自分を追い詰めすぎないでください、なんてその人は言ってくれてその電話は終わった。  国家権力とか国の手先、国の犬(犬はとてもかわいい)、とあの女があざ笑っていた警察の人。  私はいま少年Aのことが理解できなくなった。それでいいんだと思う。  「はよう死にとう。はよう死にとう」の声が聞こえなくなってきたこの頃、よく、「おてんとうさまに恥ずかしいことしたらあかんよ」とそれだけを毎日毎日静かに教えてくれたおばあちゃんの声が聞こえてくるようになってきた。  こどものころ、「お天道さま」は「テントウムシ」のことかと思っていた。だから私はむかしからいまから、テントウムシをみるとなんとなくハッとする。  ジャンヌ・ダルクが作り出したあんまりに大きく広い城の、深い闇の底に寒い寒いと凍えてうずくまる少女A。少女Aが気づかないだけで彼女のまわりを、ずーっと1匹のテントウムシがはたはた飛んでいるんだった。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ジャンヌ、雪の病室/田中修子[2017年10月22日1時38分]  あのひとは損な人だった。  15歳くらいまでにやられたこと言われたことがえげつなすぎて、本当にいい思い出がない。やはり亡くなってスッキリした、と思うたびに、風穴が空いている自分を知る。  ときたま必死に思い出す。あのひとが、あの女ではなく、お母さんであった日を。  私の拒食が発症した次の冬の日、あのひとが肝臓を壊して入院していた。  それでお見舞いに行った。  私はお気に入りの、ガイコツみたいに痩せ細った体にピッタリ合う真っ黒いコートを着ていた。そう、あのひとが買ってくれたのだ。素敵な細身の黒いコート。    そもそも地元の中学校に通いたかったのだが、あの女は、「あたしのいうこと聞かないんだったら地元の中学なんか出たらさっさと働いてもらう。労働者で搾取されて一生おしまいだよ。社会でやっていけないあんたが生きていけるわけないね」そう私をなじる。  受験に受かったときは褒められた。きっと父か誰か、そばにいたのだろう。ひとりでいるとなじるし怒鳴るが、少しでもひとめのあるところでは気持ちの悪いほど褒める人だった。「修子ちゃんはほんとうにすごい子だわ〜。ここ、見学のときにあなたが入りたいと言っていたわぁ。さすがパパとママの子ね」それで私はますますあの女が嫌いになった。   入学式でも、入ってからも、私はその女子校の建物に見覚えがない。校風も経血くさくてあまりにも合わなかった。あるときあまりにも不思議で尋ねた。「私、ほんとにここ入りたいって言った?」「あんたは見学もしてないねぇ!」勝ち誇ったような薄汚い笑い声。  私はある日決意する。この学校で、誰よりもか細い、生理もとまってしまうような少女になってやろう、と。私は、あの女に似ているとよく言われた。あの頃の私は、女になってはならなかった。女になればあんな女になるのだ。  お昼にカップラーメンと菓子パンを買うためにくれる500円をため、イトーヨーカドーのワゴンセールに足しげく通った。朝ご飯は、実家で毎朝出される玄米が腹に合わないので気持ち悪く、毎朝実家の立派な植え込みに吐いていかずにはいられなかった。お昼代は服代に消え、夜はほとんど食べなかった。三か月で50キロ代から40キロまで落ちた。私の筋肉はほとんど溶けて、鎖骨とあばらの浮き出る、青白い低体温の少女になった。    そうして、少女が着るにふさわしいコートを見つけた。大学生向けのショップだった。黒い、細い、ダッフルコート。どうしても手の届かない値段だった。あんなに憎かったのに、あの女にねだったのはなぜだったろう。  まだリサイクルショップのないころ、服はイトーヨーカドーのワゴンセールで買うのが当たり前のあのひとにとって、大学生向けのブランドの2万円のあのコートはすごい出費だったろう、それなのに、ものすごくイライラしながらも、買ってくれた。  私は嬉しくてそれからその真っ黒いコートを、破けるまで10年くらいは着てた。  お見舞いの日、真っ白い雪の坂をすべらないように上るのが大変だった。手はかじかんで縮まりそうだった。  真っ黒いコートにボタっと雪が散って、ドロッと透明に溶けていって、どんどん体がしみてった。  そうだ、あれは青く光る稲の日におばあちゃんを送ったのと同じ病院だった。  個室じゃなかったと思う。大部屋で他に人はいなかった。やっぱり病室はおばあちゃんが亡くなったときとおんなし、まっしろだった。  母は、すごくこころぼそそうな、はにかんだような顔で、 「お見舞いありがとう」 と言ってくれた。  あ、お母さんだ。このひと、私の。  それからしばらくして家に帰ってきたらあのひとはまたおそろしい、イヤーな感じのする存在になった。  あのひとが家で体調を崩したときがあった。私の名を呼ばれて飛んでいく。おばあちゃんが亡くなるまで介護をしていたし、ともかく必要とされたかった。そう、私を見てほしかったのだ。  引き戸の向こうで、えっ、えっ、という音がして、「ビニール袋持ってきて」というので吐くんだと分かった。ビニール袋を持って、引き戸の向こうからニュッと突き出た手に渡す。吐き終わるだろう頃を見計らって、引き戸をノックした。嘔吐物の入ったビニール袋や部屋にこもっているだろう匂いを処理してあげようと思った。  布団に横になってまた険しい顔をしてあのひとは邪魔そうに私を見た。「なに」部屋はなんの匂いもなかった。けど、あのビニール袋もなかったから、あのひとはたしかに吐いたのを処理したはずだ。  差し伸べた手を切り刻まれたみたいな気分。  おばあちゃんを送ったのと同じ病院に入院したい雪の日、あの顔。あのひとが、あの女、でもなく、こころぼそそうではにかんだ、お母さんの顔をした、ほんの数回のうちのひとつ。  あのひとが亡くなる数日前に、お弟子さんがなぜかどうしても撮る、と言って撮った写真があった。険しいか不安そうな顔で睨んでいてほしいのに、私ですらほんの数回しか見たことがない、いや、私ですら知らない、こころぼそさが抜けてほんとうに花がほころんでいるように柔らかいお母さんの顔があった。  そのポートレートが遺影になった。私は遺影でしかあんな、優しい、けがれのない、お母さんの顔を知らない。    その写真を見ると、ぶん殴りたくなる。  あのひとは晩年、活動をしていなかった。  仕事を引退した父は逆にのめり込んでいった気がする。  されたことを全部思い出して、首をきって、私の水ぼうそうをえぐった頃の母を、過去視のできる人にみてもらったことがある。その人は私の過去を見て、「あなたがいちばん意地悪をされていたとき、お母さんは、自分がしたくないことをしていたようね」って言っていた。時期的に、活動しかないじゃないか。  活動から遠のいてからのあのひとを、私を知らない。その時にはもう、あのひとに会うだけで自分を傷つける症状が出てしまっていて、私は精神科へ入院したりアルバイトをし過ぎてからだを壊して寝たきりになったり、そんな生活の繰り返しだった。  ジャンヌ・ダルクはジャンヌ・ダルクをできる人じゃなかった。きっとそうだ。  晩年はフラワーエッセンスとかアロマオイルとか、害のない民間療法に凝って、ひろめてた。  あのひとはただの平民で、ただの娘で、ときたま可愛らしい、少し不思議な仕事をする人でいるべきだった、と思う。  ジャンヌ、いまこんなふうに娘に文章で火あぶりにされている、かわいそうな、ジャンヌ。  私はあなたを愛したかった。  私がいつかお骨になって火あぶりに、真っ白に燃え上がるとき、あなたのこと、少しは分かる? そうして砕けたお骨は雪になって、あの病院の日に、しずかにつめたく降り積もる。 ---------------------------- [自由詩]カナリアの宝石さがし/田中修子[2017年11月14日0時33分] 閉鎖病棟のお昼ご飯のとき 彼女はとうとつに、異国の歌を囀りだした お父さんとお母さんの赴任先の香港で メイドさんのを覚えたという 薄い月の浮くお昼間みたいな あかるい声 わたしと同い年の三十歳だという彼女は なんでかとても あどけない まわりを気にせず囀りはじめ とうとつに終わる金糸雀さん かってに喋り始める だれもきいていない わたしのほかは 「あたしね 三十歳なんですけど 精神年齢が幼稚園児なんですって それでね べつに頭は悪くないんだって 病気でもないみたい おとうさまとおかあさまがびっくりしてね ここにつれてこられたの あしたから思春期病棟にうつるの そしたらね もうお会いできなくってね でもいいの ここ おばさんたちだけだもん 同い年の子となかよくできる 治ったら 退院できるの いつ治るのかな また香港に行きたいなぁ 今度はちがう歌をうたいます メイドさんが歌ってくれた童謡です」 気づかないでこられて よかったね あなたは治らない 手遅れまで育てられなかっただけだから 昔のわたしとおんなじだった あのころわたしは気づいてしまった それでとっても怒っていたの あんまり腹が立ちすぎて 消えようとしたけれど未だ浮いている薄い月 あの病棟には香港育ちの金糸雀の歌声が今日も響いている うるさいと睡眠薬がでるかもしれない 悪いガスだらけの炭鉱で 生きていくということは 薬漬けの金糸雀 それでもわたしはパタパタとんでいる 薄い月浮く空のした 枯葉の落ちる土のうえ 炭鉱から掘り出して磨く宝石をさがして ---------------------------- [自由詩]林檎スパンコール/田中修子[2017年11月19日21時39分] うんと はやおきをしてつまみながら朝ごはんをつくるきみのお弁当をつくるおくりだしてなんだか眠くってちょっと横になる。 お昼ごはんはあまりをいいかげんにたべるコーヒーは一杯だけよ わたしのおひるごはん もうちょっと豪勢にしてもよくないかしら。 お洗濯をする掃除機をかけるアイロンもかける このあたりでクタクタッ クタクタッ。 本を読むお話しを書きたいなぁと思う ちょぴっと詩を書くこれでまあとりあえずヨシかなぁ。 夕ご飯をつくろう買い出しに行こう あしたの朝ごはんとお弁当とわたしの豪勢なお昼ご飯のぶんもチクッとあたまをひねるんだ。 (ちゃんとしたパン屋さんでちょっといいパン買っちゃった) おかえりなさい お風呂にするごはんにするわたしにする なんちゃってね。 詩を書いたよ 読んでみるね きょうも元気だったよ。 おやすみなさい。おはよう。うーんねむいなぁ。 さいきんすこし慣れてきて 朝ごはんに林檎を?いたのが出せるようになった。 きたるべき冬をかじるみたいにカシリカシリ においたつ香気は甘酸っぱくてなんだか部屋じゅうに 赤と金色のスパンコールが散らばったみたいにシャリンシャリン。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]夢夜、四 獣の影と永遠の放課後の廊下?/田中修子[2017年11月21日20時47分]  ここはひそやかな放課後が続く学校の廊下だけが永遠につらなってできている。壊れて積み重ねられた机と椅子が、防音ガラスの窓から差し込んでくる青みをおびたピンクの夕日に、金色の埃を浮きたたせ、影を濃くしてどこまでも続いていた。  さいごにだれかが放ったさようならの声だけが、耳のおくに痛いほど響いてくる。  つらなる廊下を私は、あんまりに大きい、獣の黒い影から逃げていた。獣の影は、うしろの廊下をすべて食べて飲み込んでぐちゃぐちゃとかみ砕き、青ピンクの夕日も金の埃も、数十人が使って壊した笑い声や鉛筆のさらさら鳴る音のつまっている机も椅子も、すべて光を吸い込んで反射させずに、ほんとうのねっとりとした闇にしてしまう。深海に泳ぐ魚の、誰もしらない腹のなかの闇と同じ。  食べられたら、私も骨も残さずに闇に同化してしまって、次の犠牲者をいっしょになって追いかけることになるだろう、この獣の影はそうやってできたのだから。自分が飲み込まれることよりも、自分が飲み込む側になることが、おそろしくてたまらない。  命がけで、ほんとうに必死に逃げているつもりだったが、子どもの追いかけっこのように、奇妙に遊んで笑いだしたくなるような気がするときもあった。必死に誰かの顔色を窺ってまじめな顔をしようとするとき、なぜだか自分でもぞっとするくらい卑屈な笑い方をしてしまう、あの感覚とおなじ。  ともかく体は、走っていた。  ただ、どんなに走ったって、まったく同じ距離で、私の通っている女子校の汚物入れから匂ってくるあのにおいと同じなまぐさいを放ちながら、獣の影が迫ってくる。人の掻き切られた喉からヒュウヒュウと呼吸が鳴らすような音を、獣の影全体がさせている。    走りながらどこかに入れる扉はないかと両目で左右を探していたけれど、どこにも扉はない。  「1-梅組」のクラス札が下がっていても、「理科準備室」のクラス札が下がっていても、本来引き戸があるところには、防音ガラスの窓がはまっている。ふつうの錠のほかにも、ごちゃごちゃと補助錠がいくつもあって、あける余裕はない。その間にガジリと噛み砕かれてしまうだろう。  さきに、大きな窓があった。  まるで宗教画のように額のされたきれいな大きな窓の前を走り抜けるとき、中の風景が、時が止まったようにくっきりと見えた。  なぜか、そこの窓のガラスは、ほかの窓のガラスと違って、触れればすぐに割れてしまうプレパラートのように薄いのが分かった。叫べば外に声も響くだろう。  きれいに整えられた芝生、赤い果実が実っている木々のあざやかな緑を背景に、幻の蝶のように淡いやさしい色合いの花がポンポンと咲く、手入れされた中庭が見える。その中庭だけは昼の光があかるく差し込んでいて、まんなかで黒い服の神父様がひざまずいて祈りを捧げているのが見えた。胸もとには、十字架がしずかに光っていた。  神父様!  獣に追いかけられて声も出せず、その薄い昼の窓の前を駆け抜けた。  するとまた、すぐに不思議なことに、おんなじ昼の中庭の見えるふたつめの窓があって、どれだけ遠ざかっても大きさのかわらない月のように、やはり神父様は態勢を崩さず、祈っていらっしゃるのが見えるのだった。  「神父様!」    今度はおおきな声が出た。この薄さであれば、声はプレパラートの窓をとおって神父様に聞こえているはずだ。けど、どうしたって、彼の耳に届いていないことは、分かった。  神父様は、目をとじていた。お祈りを唱えているのが、私にはしずかだけれどはっきりと聞こえてきた。  -わたしたちの罪をお許しください。-  みっつめの窓が見え、また昼の光の陽射しさす、あかるい緑の中庭の神父様が見えたとき、私は、立ち止まった。  走れなくなったのではなかった。  このところふくらんできた乳房が痛い。すぐうしろに獣の影がせまっているけれど、気持ちはシンと静まり返っていた。    「私があなたを祈らなかったのではありません。あなたが私を祈ろうとしなかったのですのです、けっして」  なんて私は、偉そうなことを言うのだろう。シンと静まりかえって、涙をこぼしているのに気づいたのは、くちびるに塩辛いのが垂れて舌ですくいとったときだった。  獣の影が私を飲み込んでゆくのが分かる。  私は骨と肉に蕩けながら、裏切りのくちづけをしなければならなかったあわれな黄色い衣の男の涙の味、無実の魔女が磔にされて燃え上がった炎の熱さや、黒い分厚い本に許しを希い殺し殺しあう兵士たち、そんな二千年のうらみに抵抗なくすんなりと交わっていき、黒い闇として生臭い息を吐きながら、次にこの廊下にやってくる子羊を待ちかまえてひっそりと蹲る。 (他サイト様に投稿したものを少し手直ししました) ---------------------------- [自由詩]家族という死体のうえに/田中修子[2017年12月11日7時52分] わたし パソコンでした。 あなたがたは小学生のわたしにもコマンドを打ち込みます わたしはパソコン かんぺきなセリフと かんぺきな笑顔。 おハシを止めるとおかあさんは すうっと無表情になるの、胃がいたくてもう入らないよ。 「この食材は添加物が入っていないからとってもいいの」 「だね! わたしとっても恵まれてるね!」 ムシャムシャムシャ 食卓の話題は今日も戦争のはなしです お父さんは大げさに手をふってヒットラーみたいだなぁ。 「まぁ こんな政権を選んだ 国民が悪いのさ」 「だね! 自衛隊にはそういう人がいって かわいそうだわ!」 ムシャムシャムシャ まぁ なんていい子 ユーモアのある子 ひんやりしたトイレがたいせつなおともだち 家族という汚濁をながしてくれる。 中学のおしまい パソコンは くたびれきって ちょっと 壊れてしまいました。 「オカーサン オネガイシマス ワタシヲ ミテー オトーサン オネガイシマス ワタシヲ ミテー」 すがってわめいてもこわばった顔で わたしをみてくれません。 ああ、このひとたち、ロボットなんだ。 ふっと気持ちがわるくなって からだにマチ針を刺しました。 血が出た。わたし まだ にんげん みたい。 泣くことも笑うこともできなくなって老婆みたいな顔が情けなくなり 下を向いて歩くようになってしばらく 灰色の道路だけを覚えています。 さいきんやっと広い空を、木々を、澄んだ川の色を どれだけ 耳を塞がれ 目隠しをされて きたのか。 今年の冬は雪がふるそうです。 すべてをすいこむような雪の音をききたい そうして冷えた月のような真っ白さが 世界中どこにでも転がっている わたしたちの死体のうえにふりつもります。 ---------------------------- [自由詩]金の鳥の羽に月の小指/田中修子[2018年2月12日3時02分] ときはふらりとたちよって 触れるだけ触れて 去っていく かなしみに火傷 体ごと持っていかれそうになる そのときに 飲まれては 足掻いて 手をさしのべるのはだれ ふくふく小さな手 やわくて うんと たしかで 小指のひきつるわたしより 冬の夜明け色の あなたに照らされて わたしも少し 青白くひかる 月の小指 ---------------------------- (ファイルの終わり)