田中修子 2017年2月3日17時49分から2017年8月25日9時38分まで ---------------------------- [自由詩]パンドラ/田中修子[2017年2月3日17時49分] いつだって 箱の底に 残っている ひとつ とろける、喉に絡みつく、朝焼けの甘やかな、桃色 足掻くように過ごす、ふつうのひとができることをわたしはできない、晴れる昼、淡い水色 -雨の日は息をするのがなぜか楽だ、雨音のおくるみ- あんまりに、動けなくなるほどに鮮やかな夕暮れ、紺青色 夢への準備を整える、夜の黒には、ザっとまかれた極彩色の星星、煌煌の月 いくつもを越え 体中、火をまぶしたみたく血まみれになった 歩いて駆けだして、倒れ 爪が剥がれても這いづって しがみついた、生きること いきする、いきしていることを、やめなかった わたしは箱よ 好きなだけひらきなさい たくさんの災厄を見られるよ ただ、情けの、憐れの、好奇の目は、打たれるでしょう みたこともない、美しいあかりに、かならず あなたのそこにもいます、わたし かならずさいごにのこる、わたし ---------------------------- [自由詩]帽子のほころびるとき/田中修子[2017年2月8日22時55分] 膨らんできた はくもくれんの 銀にひかる繭のような葉 わたしのはらのなかで 懐かしい男と猫とあのうちは ことばをうけて赤ん坊になり ホトホト うみ落とされてゆく ていねいにガムテープで ひびわれをなおされた 菊のすりガラス その向こうの朝は おぼろに白くて目を打たない 瞼は 眠たく撫でられた わたしの渇きは 男と猫とうち すべて丸のみをしておさまった うわばみのわたしは 帽子のふりをして 風にのってフワリと泣く ひっかかった桜の枝のつぼみは やがての春を妊娠していた オギャアと咲けば すべてがほころびるとき ---------------------------- [自由詩]インディアン・サマー/田中修子[2017年2月17日21時25分] きみが ふるさとを いとしく呼ぶ あいづ と づ、にアクセントをおいて うかうか 夜行バスで きてしまった きみが歩いた町を 見たくなってさ 雪の白と温泉の湯気 ツララが青く澄み 地面に したたって 水のあまい匂いが たちこめていた 都心に近いわがやに帰り かわりばえのなさに目をとじて よくあさ洗濯のために 窓をあけたら どっと あのあまい匂いが あいづ のほうから いっさいをのみこむ波みたいに おしよせてきている 青いツララのなかには 梅や桃や桜のつぼみ ねぼけたおさかな 光る風 金色のモンシロチョウが しまいこまれて 今日の陽に ぞくりと うきたち ほどけて 今日は、小さくとも かならず 春 あいづ からやってきたきみ わたしの 春 ---------------------------- [自由詩]赤と青と白のぐるぐる/田中修子[2017年2月25日22時42分] あなたのお城 まるでおとぎ話 とうちゃんはどぶ板通りのかんばんや かあちゃんはモモエちゃんも結ったパーマやさん 赤と青と白のぐるぐる さび付いて止まっている 懐かしさに沁みて泣き腫らした目 目を離すといてついた海へ 泳ごうとする女の人 そのひとが太ももに刺した 青い絵のしたがき 骨壺に眠る 犬のハチの骨 逝ったものたちのあしおとが ひたひた城に満ちていた あまい牛乳みたいだった 城を壊しときはめぐりはじめた めざめたわたしはあなたを 置き去りにした わたしが眠っていたあたりに あなたが眠ろうとしている 紅梅が散る、晴れわたる空、燃え枯れたあなた 赤と青と白のぐるぐる なつかしさで溶こう やさしいあさやけのいろ ---------------------------- [自由詩]くりかえしくりかえそ/田中修子[2017年3月7日15時51分] わたしが家事をしながら ことばをちょこちょこ書いてるあいだ きみは 外でるんるんはたらいて 手作りべんとうがつがつ食べる うちに帰ればむしゃむしゃゴハン つーんと薄荷のお風呂に入り そそくさしたく あしたにそなえ 目をとじるとすぐ ぐうぐうねむる くりかえし くりかえし わたしはせっせとゴハンを用意 季節の野菜は安くていいな たけのこ菜の花ふきのとう おべんとう箱ぎゅうぎゅうつめて 洗濯機をぐるぐるまわし ぱたぱたはためくお洋服 いたむきみの腰にきく 薄荷のお風呂をじゃぶじゃぶいれる きみのにおいと寝息はあんしん わたしもすやすやねむってる くりかえし くりかえし 今日はおやすみ、特別な一日だよ いちゃいちゃしてから春へおでかけ 頬にあたる風がなんだか ぽかぽかするね きみとあるきまわるとすぐ夜になって 月は 目をほそめた猫みたいにみゃあ、みゃあ そんな くりかえし くりかえそ ---------------------------- [自由詩]まなびや/田中修子[2017年3月16日1時11分] いつのまにか名前を忘れていて 出席番号だけになった 常緑樹はかわらなくて 花のにおいはかけている 校舎と門 息をするのがむずかしいような 薄い空だけ 水に飽和して粘液のような砂糖みずのなか 結晶の残る とけきれない塩みず 呼ばれずに呼ばれたのは みながなあなあにする 美術の時間 この中に名前を書かないで 課題を提出した人がいます 出席番号はただの記号です 名前にあなたの命がこもっています そっか、私まだ ここにいるんだったっけか みんなが繭になりドロドロと溶け切っている 安いファンデーションにかえって赤い斑点が浮く とがった体で 名前を呼んでくれる人を ただ ただ 探していた わたしのまなびや ---------------------------- [自由詩]人と犬は枝と花/田中修子[2017年3月23日1時40分] 冬のあいだは閉じていた即売所に 春の野菜が並ぶのをみにいった 空に白い梅の花が 燃え上がるように咲いている ハンチング帽をかぶった老人が杖をつきながら 老犬とゆったりと歩いていた 犬は 毛がところどころはげていて 右足には はみ出た綿みたいなのがみえ 歩きづらそうにしながら よって来てくれた かがんでなでた 白にうつりかわった目が とてもまっすぐにわたしをみた 枯れ枝のような尻尾が したしげに揺れていたな 充ちている 一人と一匹だな ありがとうございます こちらこそありがとうございます 挨拶をして別れる さっき枝にとまっていた花が まばたきすると しずかに散って 地に淡く滲んでた ---------------------------- [自由詩]なんで/田中修子[2017年3月29日20時11分] 雪の冷たさの青の空 桜のつぼみに咲くなとわめいてる 私を殺していたあのころ なんで 好きな人は働かなかった 家事もしなかった 絵だけ描いてた 絵は息をのむようなやさしさだったのに 私はよく彼に土下座していた  愛があるなら すべて俺の気に入るとおりに できるだろ なんで お母さんは忙しかった 人を癒すことと次世代の子どものため お父さんも忙しかった お母さんを愛することと次世代の子どものため おねがいしますこっちを見て あなたたちの子どもは私です というと お母さんもお父さんも自分のやりたいことがある といってわらった なんで 自分を殺そうとすると 白いベッドに集って みんな言ってくれた あなたはそのままでいいのよ そのままですばらしい存在なのよ と なので私は自分を殺すことが 必要なことなんだと知った そうでしょう ね、なんで あの頃の色のない空を思い出す 夏ですらいつも暗くて灰色で くたびれた体を動かすために必要だったものが 色も味も感情もすべて 削ぎ落していった 薬を飲みはじめ やっと三日だけまばゆくなった空を覚えている いまは空は青や金やピンクに色がついていてとてもきれいで なのにむしょうに いまだなにもかも死んでいる 私がここにいる それでも息をして歩き続けろ いつか見た美しい夢を胸にいだいて忘れるなよ なんで、なんて ほんとうはいらない 問いも答えもいらない 咲きかけの蕾をおしとどめる 真っ青な冷えた空は きょうはすこし やわいなぁ まだ生きている幼い私たちよ 殺されるなよ さぁ、いまだ、咲け。 ---------------------------- [自由詩]花の針/田中修子[2017年4月4日22時43分] あなたは針で わたしを刺していった はたちきっかりでいったあなたの のこしたことば いくど読み返したことだろう 「あなたにわたしを息づかせるよ」 あなたを愛で殺してしまっただれか そのだれかはあなたのこと きっととうに忘れてしまっているだろうに なんでわたしはひんやりした影を 抱きしめつづけている 「ねえねえねえ なくしてから気付くなんて ばかだ」 埃のたつ紙でわたしはいまだ 喉をいためている この紙のなかにたしかにあなたの息がある わたしは満開のまま咲き続けるあなたを うちに棲ませて生きている 「ありったけの花をあげる 消えるまでの涙をあげる」 白い唇を噛んでかかえこんでいる 針の花束 --- ※「」内は友人の書きのこした言葉です。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]へび坂/田中修子[2017年4月11日0時10分] その坂は四季をつうじてみどりにうねっている。 脇のブロックには苔や羊歯がびっしりとはえていて、上にはつねに葉がそよいでいる。 春夏にはきみどりが目にしみて鳥がさえずり、通る風はすっきり澄みきっている。秋冬には黄や赤がてんてんとまざって落ち葉のカサコソという音が耳をくすぐり、命が地にかえっていく匂いがする。 坂は短い距離ながら、入り口から出口をみとおすことができないほど曲がっていて、子どものへびがうねうねとからだをよじらせているようだ。 私は、このへび坂にうまれた。すこやかだった頃の祖母に手を引かれ、よろめくように歩んでいる、幼稚園児の私。   祖母は銀色と灰色が似合って、いつもれんげのにおいのする人だった。 れんげリンスですすがれた銀の髪に銀縁の眼鏡、その奥にはたくさんのものに洗われて色の抜けた、灰色の目。 着物からワンピースに仕立てたという、上品で丈夫な灰色の服を何着か桐のタンスに持っており、だめになったところにはつぎを当て、かなしいほど丁寧に着ていた。 あのころ私は祖母の孫ではなく、子だった。母はうちのなかにいたり、いなかったりするおんなのひとで、母に持つはずだったいとしさは、すべて祖母にむかっていた。 「熱が下がったさかい、ちょっとでも散歩するか? 今日はあったかいけぇ」 「ん」 ぼんやりした頭でうなずく。私はそのころ高熱が毎日出て立ち上がれない日が続き、この子はいつまで生きられるのかと、心配されていたらしい。 ぬるくなったお絞りがおデコからはずされ起き上がる。熱く腫れたような体を、しぼりたてのタオル、次にふんわり乾燥したタオルで拭いてもらうと、あたたかくなった体で祖母に抱きつきたくなるきもちを抑えた。 気がつくと祖母に手をひかれてへび坂をくだっていた。 「今日はあったかいなぁ、出られてよかったなぁ」 体中が湿気につつまれるようで、春隣のころだったのだろう。 あの頃は風さえ見えるようだった。風には花や雨や空があった。 その風になでられてみどりが、ざわざわとゆれている。私の湿ったい手が、祖母の乾燥した手にしっかりとひかれる。ふたりはへび坂を、みどりの産道の中を、詣でるように、ゆっくりと抜けて行った。 へび坂の終わり、胸の奥から酸っぱいものがこみあげてきた。 「しんどいんか?」 「しんど」 「ちょっと待ちんさい、もうすこしいったところにお便所があるから」 ふっと記憶が途切れて、私は黄色い滑り台の階段のところに白いすっぱいものを戻してしまっていた。祖母の手が、背をなでてくれている。 へび坂のそばには、らいおん公園があった。第四公園、の「だいよん」が「らいおん」にもじられたのだろうけど、私は大きくなるまで、いつも白いライオンがそこらのしげみにひそんでいると思っていた。 そのらいおん公園にいけばいつも友だちがいて、この黄色い滑り台をみんなですべる。滑り台を、よごしてしまった、いけないことだ。 ふっと気付く。 友だちのお母さんは黒い髪なのに、隣にいる祖母は、灰色だ。 やさしく背を撫でられているのを、誰にも見られたくなかった。 「もうへいきや、手ぇはなして」 祖母は私をしずかに手放した。 帰りのへび坂は夕暮れで、あんなにすべてだった祖母が、いっぺんにちいさくなった。祖母が私を引いてくだった坂を、私が祖母の手を引いてのぼる。急にいじわるに暮れてゆく空、「足が動かないけぇベビーカーにスーパーの買い物袋入れとるから、近所の人にきちがいと呼ばれとる」うわさ話をする木々。 あのとき黄色い滑り台に吐いたのは羊水だった。羊水を吐く前、世界と私に境目はなかった。私自身が一瞬目を離すと散っている花、からだをつらぬく雨の音、どんなに背伸びをしてもつかめない空、れんげのにおいのする祖母、そうしてへび坂だった。 祖母がこの世を去って十五年以上たついまも、へび坂は苔と羊歯の色を濃くし、舌舐めずりして飲み込んだ赤ん坊をこの世にはなちつづけている。そんな産道は、ほんとうはそこかしこにある。 ---------------------------- [自由詩]桜の死んでいくとき/田中修子[2017年4月11日0時30分] きのうつぼみだったあの子が 今日はもう咲いているね 満開になって 散ってゆくね みおくるかなしさで こわれてしまわないよう みんなで別れをおしんでいる はなやかなお葬式 淡いピンクの 手や足や目がもげてゆく ひろいそこねた骨をふまずに 前へはすすめない ゆく春をひきとめてはいけないよ なごりおしすぎて この世からあなたの片足が 落ちようとしている ---------------------------- [自由詩]みどりの沼にひそむ/田中修子[2017年4月14日0時53分] 飲み込んだ言葉が 胸にわだかまりの どろりとした沼を作る 沼の中で 人に見捨てられ大きくなった亀が 悠々と泳いでいる よく見ると 子どもを食ってふくれた金魚の尾が ひらりひらり こっちへおいでと赤くさそう この風景をとどめよう そして私の胸はまた痛む それでも今日は素晴らしい日 二度と繰り返さないこの空 桃色、青色、金色のかさなる雲に足をとめた 強く吹く風は海からのものだろう ゆうぐれに月はひどく大きい 目をうつ白さに息を飲んで そうすると少し楽になる 私は痛む緑の沼だ 沼の中には大きな亀と 子どもを食ってふくれた金魚 よく見ると金魚は人魚であった 人魚の顔は私、 口の裂けるようにわらった ---------------------------- [自由詩]おかあさんの音/田中修子[2017年4月18日23時40分] あなたはわたしのなかにいる あなたの肌にはその日になると 青や緑の痣が浮かぶのだと 教えてくれた うごかない左腕で 必死に笑ってた じっと見つめるとちからのぬけた顔になった それはわたしのほんとうの顔だった あなたはわたしでわたしはあなた 静かなひととき またぜったいに会おうねとさよならした その一週間後にあなたの 心臓がとまった 燃やしてしまいたかった あなたの肌に 青や緑の痣をつけた男らのこと それを恥とした家族のこと あなたを殺したすべてを 殺せないのなら なにももう見たくはないのに まぶたを縫っては ハサミでひらきつづけた 神さまも仏さまも法律も薬でさえ あなたをなにからも守れなかった 体にあなたを刻みつけた あなたはわたしのなかに孕まれている 泣きつかれて膝に抱き 綿棒でそっと耳かきをしてあげる わたしもあなたもほんとうは知らないおかあさんの音 すこしおやすみ --- 耳かきがおかあさんの音、というのは友人のことばをお借りしました。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]月の町 お題、即興ゴルゴンダ(仮)より/田中修子[2017年4月23日20時38分] 月の町には丸い月のしずかなあかりが射していて、住むのは齢三十をこえた少女ばかりだ。 つねに満月夜、手入れのゆきとどかぬぼろぼろの町並み、つかずはなれずに点在する住居は、彼女たちのそれぞれのこだわりを反映して、本の、ぬいぐるみの、ロザリオの、愛らしい服のあふれたへやべや。 ひかる虫をおびきよせるにおいをしみこませた布切れが月の町どおりにも部屋の中にもあふれるようにおいてあって、そのにおいのもとは彼女たちの唾液だ。 そうして町角のそこここに鏡があり、月あかりと虫あかりと彼女たちの白い肌を無限に反射し、月の町にはしずかな狂気がみちている。彼女たちはものを食べない、食べれば吐くので壁に浮く白い塩をすこし舐める。そうして喉の渇きがひどいので町の真ん中にあふれる噴水に直接口をつけて腹がふくれるまで飲む。時たまのごちそうはバケツにためた季節の甘い雨水だ。 太陽にあたらずむだな栄養をとらなかった結果、年齢のあらわれやすい首元さえどこまでもなめらかで、年をあてることは難しい。ただ、あの少女は月の町に入ったときから、同じ姿でもう数十年いる、と、遠くの町の監視塔から月の町をのぞく監視人が胸につぶやくのだ。 彼女たちはおのおのすぐれた能力をもっていて、月の町に出される手紙にこたえることで外の世界とつながっている。町の住人になりたいと手紙で乞う、ほかの町のほんとうの少女たちに、 《きっとあなたをそちらで愛してくれるだれかが見つかるでしょう》《からだがあつくて不眠なのなら薄荷の葉をすこし浮かべたお風呂にはいりなさい》《おとうさんとおかあさんのことはもう他人だと思いなさい、ふれるたび燃えるのはあなたです》 などとこたえて、ほんとうの少女たちが月の町におちることをとめている。 それゆえ月の町の彼女たちは、ほかの町の住人のおとなたちに貴重とされた、矛盾の存在だ。 息のしづらい外の世界のほんとうの少女たちにとって、うわさにきく月の町は静寂と平和に満ちたあこがれの世界だ。たしかに一見まぼろしのように美しい町だ。無遠慮な男編集者によって、ときおり少女雑誌や少女小説に、少女のゆくすえの町として絵入りで紹介されるほどには。 しかし、実際に月の町に住まう彼女たちに聞くと、来たいと願うことはあまりなかったのに、気づいたらここにいて、出られなさに命を断った町人たちも多い、とほほ笑みながらいう、そのほほ笑みはほんとうに無垢だが、どこかおそろしい。 化け物そして精神異常者の女の町ときいて、淡い幻想を抱いて好奇心でやってきた男たちもいる。 《こころに傷を負った妖精さんをささえたいのです、そうしてぼくを受け入れてください》《あたしもほんとうはこの町に住む資格があるんだわ、性器を切除さえすれば》《いままで病気の女の人をたすけてまいりました、そういう人なしに俺もいられない》 その男たちもまたじっさいのところ、精神の奥底の部分に奇形を抱いているのだが、 《もしかするとやっとわたしたちを理解してくれる男があらわれたかもしれないわ》 と、はじめ熱狂的に彼女たちに受け入れられる。 だが、長く彼女たちといられた男はいなかった。まず、食事ともいえぬ食事に閉口し、微笑みをたやさぬ口元に隠されている彼女たちのにえたぎるようななまなましい感情に落胆した。 じっさいのところ彼女たちはみな、みためより、そして心の奥底の弱い男よりも、たくましかった。怒ることも、笑うことも、月あかりをかき消すような激しさだった。なにしろ月の町にながくとらわれ、友を失い、この世のあらゆる傷を手紙で知りながら、生きているのだから。 《妖精さんがぼくのものを受け入れてくれない》《あたしのこと結局は男だと思っているんだわね》《病気の女の人はけっきょく自分がいちばんなんだな》 そんなぼやきを聞くと、たちまち彼女たちの心は、窓をつたう雨粒がほかの雨粒を飲みこんで大きくなるようにまとまった。それぞれにこだわりがはげしく、ときに仲たがいをすることも多い彼女たちだが、こういったときだけは自分が他の少女で、他の少女が自分なのだった。 《性欲異常者》《オカマのオッサン》《そういうあなたも病気よ》 扇で口元を隠しながら、気の毒そうにくすくすと笑う。笑い声はこだまして大きくなり、笑い声にふくまれる唾液が香をましてひかる虫をあつめ、空の雲をはらって月はよりいっそう光った。 あらゆる町角に男たちの姿が鏡にみすぼらしくうつしだされた。月の町に入ったばかりのときは、彼女たちの幻想に化粧されて王子のように美しくなっていた姿が、昔より老いてより醜い姿になったのをみて、わけのわからぬ恥に震えて彼女たちに手をあげた。 《ぼくのイメージがこわれた》《メンヘラたちめ》《こんなにもしてやったのにどうしてくれる》 《化けの皮をはがしてやった!!》 彼女たちは悲鳴のような歓声をあげる。 《もうこんな町はうんざりだ、もといたところに帰ってやる》 《どうぞ、どうぞ》 遠くの町の監視塔から月の町をこっそりとのぞいていた監視人が、驚いて声をあげてただちに月の町の門扉へと取締官を派遣した。 《きたならしい男がすごい形相で手をあげていて、月の町の少女たちがおびえているようです》 じっさいは彼女たちがみてきたものはもっとおそろしいもので、男たちが変貌することやそれにすこし恐怖することなど彼女たちのうちには娯楽のひとつだった。ひとりではない、硝子窓を流れるとうとうの洪水の彼女たちが、友を失うことのほかになにを恐れることがあろう。男たちは取締官が到着するちょうどよいころに、月の町から少女たちに放り出され、捕縛されてうめき声をあげた。 月の町のそんな色恋沙汰を食って、空にうかぶ大きく冷たい石ころの私は、今日も白く肥えて大きく光ることができる。私に照らされた、ほんとうに無邪気な少女と腫れあがった男こそ、月の町のあたらしい住人にふさわしい。 --- 即興ゴルゴンダ(仮)さまを覗いてでていたお題「月の町」をみていたらむくむく妄想が浮かんだんですが、とっくに締め切りを過ぎていたのでした。 ---------------------------- [自由詩]泣く鬼/田中修子[2017年4月28日0時29分] たましいが 夜に錆びたぶらんこのように鳴っている どこへいったの ねぇ わたしの半身たち あざの浮かんだ あなた 詩を書くのがじょうずだった あなた 半身がふたり 抜け落ちた わたし ほんとうはもう がらんどう 生きることは地獄 とても浮かれた 白い病室のうえ 青い空に浮かぶ雲 お釈迦さまが蜘蛛をたらすの わたし みていた 痩せこけて目と腹の飛び出たかわいそうななかま 糸切れてペシャンコになった したでわたしもグッチャリつぶれ それでも死なないイタイイタイバァ あくほうの片目でみつめる 雲の向こう お釈迦さまのお顔 唇のはしがヒクついてらした もっとほんとうに やさしかった あのお顔 わたしの覚えてる あのほほえみ どこいった -自分で死んだら 地獄へゆきます 先生がそうおっしゃっているのだから それにあたし 考えるの めんどうくさいの 上の人が 考えなくていいっていうから あたし考えないの- -あの子たちはね あんなめにあって 命を絶つしか ほかになかった それでもあの子たち 地獄にゆく、という あなたがいるつもりの そこ- かわいそうに お釈迦さま ぶくぶく太った生き仏さまの 乳房からでる乳で炊いた お粥を食べてしまわれた 笑いがとまらずにいる血みどろの鬼 慈悲をくださりたい生き仏さま きみわるそうに あとずさり -なんで何も信じないで生きていけるの- -信じてるあなた とても 苦しそう- 釜で炒られて 針食わされて 八つ裂きだって さぁどうぞ からだのいたいのなんて たましいにくらべりゃ たいしたことないわい お釈迦さま 金にひかる雲の向こう ふっと視線を逸らされて とじる天 ---------------------------- [自由詩]さよならブランコ/田中修子[2017年5月1日21時20分] ちいさな公園で ブランコをこいでいる あれはともだち ほうりだされたカバン あそびすり切れたクツ おりおりのかわいい花 うつりかわる葉のいろ 近くなる遠くなる空 すりむいて熱いひざこぞう てのひらは金属に煙たつ 水のみばの錆びたにおい そろそろイチジクの葉を着よう ブランコを高くこげた 虫のことなんでも知ってた じゃんけん強かった 夕暮れ さよなら まーたーあーしーたー まーたーあーしーたー もう会えないかもしれない いきなり大人になる横顔 影みたいにどこまでも のびる声 ともだちの名前 みんなわすれた ---------------------------- [自由詩]子どもの澄んでる、のぞいてる/田中修子[2017年5月12日7時20分] 応接間のおおきなガラス窓が雨ににじむ 雨ごしの庭って おとうさんの画集にあった モネのすいれんみたいできれい ドガのおどりこはなんだかこわい おかあさんは砂糖は骨がとけるという おばあちゃんのこっそり食べさしてくれる アイスキャンデー ざらめのついたおせんべい 広いいえ、ふたりぼっちのごちそう (お母さんのふといお骨) (おばあちゃんの崩れ落ちたお骨) (わたしのお骨はぐずぐずとけて、はしわたしのときみんなこまる) おにいちゃんはおべんきょうでいそがしい 東大に入ってもさみしそう 金のハムスターもまっかな金魚も うちにきたらすぐ死ぬ 子どもがショックを受けないように こっそりあたらしいのととりかえれくれている 気付いていることはかわいくないから 知らんぷり リカちゃんの首をしばっておままごと 「首を吊るされると顔はあおぐろくなるんだよ」 ふしぎそうなかおのともだち なんでしっていたのかわからない きれいな絵こわい絵、うつろうガラスの向こう 死んだあとのお骨のこと、手にいれて色褪せるもの たいせつにされないいのち、もしかしたらの前世の記憶 透けてる あのころわたしがみていたのは いまみている光景よりずっと ごまかしがきかないものだった ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]首吊りの森/田中修子[2017年5月19日21時22分]  赤黒い熱い塊が喉のおくでガラガラガラ音を立てている。からまってまるまった舌で窒息しそうだ。舌が体に飲み込まれようとしている私は、必死で舌をン、と指でつまんでまっすぐにしてよだれが垂れる。幾千幾万どこまでも木と揺れている人が続く、うすぐらい首吊りの森でさまよっている。  首吊りの森にすでに吊られた人々は黒い影となってゆらゆらと風に吹かれておりあんまりに心地良さそうで、誘われるからできるだけ見ないようにしていた。もりあがる根に足をとられ、舌をひっぱりながら歩いている。この森を出よう。いつになるかは分からないが、私は絶対に出なければいけない。ほら、蝶の青いあかりがみえる。ずっとずっと見えている。  首吊りの森に入るまえは砂漠にいた。砂と岩だけの砂漠。  あっちへ行こう。きっとあっちこそ、今度こそ正しい方向だ。どんなにいっしょうけんめいに走ってもかならず転んで大怪我をして、自分がどこから来たのかも、どこへ行こうとしていたのかも、どれだけ時間がたったのかもわからない、ただ、すべてがむだだったことだけが分かった。涙も流すはしからひからびて、やがてなにも感じなくなった。骸骨のようになっていく体をただ引きずって歩いていた。  そんなとき青い蝶がきまぐれにフラリとやってきたのだ。水のあるところ、緑のあるところがあるのだろうか。強い風に足跡はさらわれて来た方向は分からないし、蝶を追いかけてもゆく方向も分からない。ただ、ゆっくりと追いかけているうちに転ばなくなって、だからなのか骸骨だった体もいつのまにか肉と脂肪を取り戻していた。  青い蝶がなにを考えているか分からないが、首吊りの森につれこまれ、死者たちの寝息を感じても、悪い感じはしなかった。そこで私は眠りを取り戻した。どれほど寝たことだろう、数百年、数千年だろうか。ときたま不安になって薄目をあけると、蝶の青いあかりはホワリとそこにいて、また、ねむった。死者たちの揺れはゆりかご。  それなのに息苦しくて目が覚めたら今度は舌が飲み込まれようとしている。ン、ン、ン。  そろそろ首吊りの森を出なければいけないという合図だろう、そうなのだろう、青い蝶、私に立ち止まることは許されないのだろう。  グチャリ、といやな音がして、目の前にもう人ではない人が落ちてきた。  腐ったにおいにまさっていいかおりがした。甘い、バニラの、ばらの、はっかの、海の匂いのする。  あの子が亡くなる数日前にあげた、誕生日プレゼントの入浴剤のセットのにおいだった。けっこう高かった。ほんとうは自分が使いたかった。それでもあの子にあげたかった。  ネットで知り合った子で、手紙や携帯電話のやりとりは何度もした。  「私、砂漠で走ってるみたいなの。いっしょうけんめい走っても絶対に転んで大怪我をして、どこからきてどこへむかっているのかもわからないの」 「どうして私の心の中の状態を、上手に言葉にできるの?」 「魂が双子なのかな」  一度だけ、私の法事の都合で遠方のその子に会えた。やさしいかおりにくるまれてほしかった。照れくさそうな笑顔の子で、会った二週間後に亡くなった。  携帯電話が通じなくなって、あ、まずい、と思った。手紙の住所から104で、彼女の実家を探し当てた。お母さんがでた。 「もしかして、あのいい香りの入浴剤をくださった方ですか? ありがとう、あの子は死にました。いいえ自殺ではありません-いままでたくさんの人に迷惑をかけたけれど、さいごは自然死だったので、まだ、よかったです」 (よかったって、なにがいいんですか。自殺ではなかったことがですか。すべてを黙ったまま、自然死してくれて、それは、それは、完全な殺人ではないですか) 「よがっだ、っで、だにが、よがっだ、の!!」  叫んでいた。赤黒い塊が喉から出た。結ばれていた舌がほどけた。  落ちてきた人はいっしゅん内臓や骨を晒したあと、いく群れもの白い花になった。首を吊ってとまどうように揺れていた別の人々も、熟した実がぽとりと落ちるように、地面に落ちて首吊りの森のあらゆるところを覆い咲く花になった。うすぐらかった高い木々の皮はつややかな緑の苔に覆われ泣きそうに眩しく、苔からはまた燐光のように、小さな花が咲き、しげる葉の向こうに、澄んだ色の空が見えた。  白い骨のようにひかる花花だった。青い蝶はそこにすっとなじんで溶けた。青白いやさしい光を発するその花の蜜を舐めると舌がなめらかになるのが分かった。 「私もひとごろしなの! 私がしなかったことが、きづかなかったことが、あなたをころしたの! 私のしたひとつのことが、ほかのなにかにすべてつらなっているのなら、私もあなたのことをころしたひとりなのよ! もうくるしくてくるしくて生きていかれないよ。おねがい、おねがいだから、この花の群れにくわえてよ」  花はしずかにそよいでいて返事はない。青い蝶は白い花に溶けて眠ってしまった。  首吊りの森は青白くひかる花花の森になった。  私には、いまや、健康な肉体も、なめらかにしゃべることのできる舌もある。あるように、なってしまった。  私のいまのこの体こそが、この美しい死の森を出なければならないという合図だろう、そうなのだろう、私に立ち止まることはいつだって許されることはなかった。  「いっしょに、行こうよ」  心臓がバクンとした。鼻か口から入った花の種が血を巡って心臓に宿ったのが分かった。痛む心臓を喜びかかえて私は歩きだす。  この花が私の心臓をひらいて咲くときが、眠りだ。やがて芽吹きの季節が私の上に舞うだろう、そのとき咲いた花とともに見る風景は、いったいどんなものなのだろう。 ---------------------------- [自由詩]戦争/田中修子[2017年5月24日21時34分] ある日ふとおかあさんとおとうさんに 問わずにはいられなかった 「戦争ってそんなに悪いことなの?」 「当たり前のことも分からないなんて、そんな教育をした覚えはありません!」 「僕たちが平和のためにどれだけ戦っているか 分からないのか!」 ピシャリと閉じた 閉じられたドアのこっちで唇をかんだ かわいい絵本を卒業したころ 見せられたもの 原爆で黒焦げになった死体 ケロイド ナパーム弾で焼けた子ども ホルマリン漬けの赤ちゃん 放射線で死んでゆく村 そんなのばかり 目を閉じられない ひとってこんなにきたないことができるのならば 戦争が起きて ひとはぜんぶ 灰になって 狼や鹿や 花や葉っぱや みずくさやお魚や そんなのだけ残ればいいのにな そうしたらきっと きれいだろうな 戦争が起こったなら 焼夷弾が真っ赤におちてきたら 燃え尽きていく家のなかで おかあさんとおとうさんは わたしを抱きしめてくれるかもしれない  いま 少し年をとって  公園で遊んでいるこどもたちが いつか  人を殺したり 殺されたりされるかもしれないことを思うと  それは 戦争は ないほうがいいに決まっているけれど  もしおとなたちが  こどもたちの心の中で起きている  荒れ果てたかなしみに気付かないのなら  たぶん そこからもう 戦争ははじまっています ---------------------------- [自由詩]ばらばら/田中修子[2017年5月27日21時34分] 朝は胸元を掻きあわせる、ひとりぼっちでうす水色の空のしたあるいている、しゃべることのできない胸のうちにぶらさがるのはサナギ、だまって羽化する日をまっている。夕暮れがきた、ほれ、いくつめだろうか、折ってかぞえて殖えすぎた指の数。なまぬるい桃色の、つめたい青色の、みあげる目を切りさくよな、雲のま白はかなしい。吸いこまれては吐きだされて、手放そうとして吹き返した。また、またまたきたよ、黒い夜、ちらばっている星、月をあいまいにする雲。ああ、からだの冷える朝がこわい。深く眠れぬうちに、いくつもの夢があって、男も女もやる、蛇も赤子も墓もやる、生きるも死ぬもぜんぶやる。やがてサナギからでてきた蝶は羽を病んでいてまるで飛べなかった、地にポタリと落ちてすぐに人にふまれ、鳥にくわれ、蟻地獄におちた。飛ぼうとして這いずっていたからさいごまで笑っていた赤い唇のかたち、瞼は二つの繭。 ---------------------------- [自由詩]風紋/田中修子[2017年6月4日17時16分] 笑っているうちに 削られ 壊れて きっと愛とはそういうものなのね なぜ なぜ なぜ がらんを抱えて 胸の穴 大きすぎる 喉の乾いた砂漠 たくさんの風がわたしを通り抜けた 雨雲を 鳥の鳴き声を 運ぼうとして ただ 砂嵐の立つ いまや風紋そのもののわたし 風の模様だけは無数に残る ---------------------------- [自由詩]なつみかんとおとな/田中修子[2017年6月8日2時00分] 庭でとれた夏蜜柑 刃元で厚い皮に線を引く ふくいく 薄皮はぐと 黄王がぎっしり 時間の結晶をたべる からだに飾れなくても どこにでもきれいな宝石がある スーパーの帰り 見上げれば 敷き詰められた天青石の空 バロック真珠の雲たち ちいさいとき 香水も宝石も いらないで シャボン玉吹けば なんだかうれしかったのはなんでかな いま、飾りつけないと なんだか恥ずかしいようにおもうのは なんでかな ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]夢夜、三 「孔雀いろの鍵」/田中修子[2017年6月11日18時24分]  Jと別れてあたらしい生活が始まっていたのだけれど、車の世界の帰りだというJがこの家へたずねてきた。  ただあたらしい生活と言っても、螺旋階段を一周して、すこし昔に帰っただけのような気がする。奇妙な、少女たちがなにかと戦う世界へ。  そこで新しい人と、恋をしていないのに恋をしている。戦う世界は懐かしくて馴染んだものだったけど、折にふれてJのことを思い出していた。私の胸にともる唯一のあかりであったから、Jを忘れることは生涯できない。忘れてしまえば私は、冷たいさみしいオバケになってしまう。  それほどにJのことが好きだったけれど、きっともう恋人とか夫婦にはなれないだろうと思っていた。男と女は違って、女はいちどプツンとしてしまうともう好きになることはできない。  Jは分かっているような、諦めきれないような顔をして、昔のように鍵を開けて入ってきた。  「ただいま」 「おかえりなさい、J」 「どうも、はじめまして」  私と、いまの私の彼が後ろで家事をしながらどこかそらぞらしく対応して、最後の期待の力も抜けたようだった。  「これを、思い出に持ってきましたよ。あのうちの。いまのアパートに引っ越してから、荷物を探ったら出てきました」  Jのてのひらに乗っているのは、見たこともないようにきれいでやさしい、孔雀いろに輝いている二本の鍵だった。私はその手の派手な色合いが苦手だったのに、吸い込まれるように鍵の片方を受け取った。  孔雀いろの中に、スーパーの行き帰りに陽に照らされて青い海や、あのうちを季節ごとに飲みこもうとする葛の葉の生き生きとした緑色、少女が着るような赤いワンピースを着て眠りこけていたあのころがくっきりと見える。  私は、息を飲んだきり止まってしまうような気分になった。  いつのまにか私の胸のあたりに鍵がぶらさげられていた。  あのうちにはほんとうには鍵を必要とする扉はいっこもなかった。泥棒ですら素通りするだろうぼろぼろの、いまはもう駐車場になってしまっているあの横須賀のうちの、だが、鍵だった。  「ありがとう。お返しに、この家の思い出の鍵を渡したい。少し待っていて」  気が遠くなるような時間、四つん這いになって私はこの家の鍵を探した。  しかし、この家に思い出と言えるものなどなにもなく、あるとしてもいやなにおいを放つ錆びたようなやつであることはなんとなくわかっていて、触れれば体が吸い込まれるようなからっぽをただ永遠に探しているのだと分かったときに、目が覚めた。 ---------------------------- [自由詩]さいごはしとしとと雨/田中修子[2017年6月14日21時41分] いつか死の床で吹く風は、さらさらとして すべての記憶をさらうでしょう むせびないたかなしみは いずれ天にのぼって雲になり雨とふる 信じているうちは遠ざかるものは なにもおもわなくなるときにすべりこんできた においたっていたむなしさはいま しずかにみのってこうべを垂れているでしょう ひそやかにあるのです 声高に求めずとも すぐそこに、すべてが 死の床につくときに、記憶をさぐるように吹く風は いましている息を重ねたものだから さいごの溜息はきっと、雨上がりのいいにおいなのでしょう ---------------------------- [自由詩]曇る鏡/田中修子[2017年6月28日21時03分] 人は反射する鏡なのです だれかをよわいと思うとき わたしがよわいのです だから感じることをやめなければならない わけではない 人はほんとうには 神器そのままではありえないから 永遠に反射しあい 遠ざかるだけではない 肉と魂によって あたたかく 抱きしめあえるでしょう 奥底の鏡であるところが するどく散らばっており ひとつひとつ みががれているほどに 人のよわいと、にくいと、みにくいと あまりにも感じるのは それは、わたしなのかもしれない 奥底のいたい破片を ずっととなりにいてくれて古びたにおいのする ぬいぐるみのように だきしめつづけ ようよう ぬくもりの投射 ---------------------------- [自由詩]南の島の夕暮れの味/田中修子[2017年7月18日2時46分] ブルーハワイ色のかき氷のした 何万匹もの魚がゆらぐ あたたかい南の海を 口に溶かす いちご れもん めろん は なんとなく うそ ブルーハワイだけがほんとのつくりもの いっとう すき ほんとの ほんとの ほんとにね 私にしかない かき氷があるって思いたくって とくべつに迷い込んだお祭りにしかでない まぼろしの 南の島の 夕暮れ色の味があると ともだちにおしえた まるで オレンジに甘酸っぱく 金魚のしっぽでひらひらしてて 爪にぬって落ちてゆくオシロイバナで そんな とってもせつないみたいに甘い色の あじがするんだ と いつかとくべつに迷い込んだお祭りで 南の島の夕暮れの色の かき氷を食べたらね そこにいけてしまって もう帰ってこなくていいんだよ なんで嘘つくの 嘘と看破したともだちは きっとここで生きていける ずうっと 捜しつづける またたくまの夕暮れの シロップ ---------------------------- [自由詩]女のすてきなあばら骨/田中修子[2017年7月25日0時10分] いつか完成するだろうか あばらの中のいくつかの空洞は 満たされて、微笑んで眠るだろうか 脂肪に埋もれる柔和な女になれるだろうか 昔は違ったのよ と笑って言うことができるだろうか 抱かれるのではなく、抱くことはできるだろうか 不幸を埋めるのではなく、幸福さえ産むことはできるだろうか 自分の脂肪を愛して、安らかに眠ることはできるだろうか あばら けっして完成されることのないわたし 少女にも男にも憧れてならぬから せめて乳房を削ぎ取ってしまいましょう 陥没し もりあがるのを さらさらとなぞる おそらくは 受け容れて生きていくように決めていた わたしははじめから爛れ落ち、自らに火を放ち 青白く燃えてかがやいているあばら骨 ---------------------------- [自由詩]黒いぐちゃぐちゃ爆弾/田中修子[2017年8月5日17時23分] わたしのお父さんには ふたつ 顔があります 男と同じだけ働いて 子どもを産んで 社会活動をしなさい というお父さんの顔は真っ暗闇に覆われて そばにいるのに目を細めていくら探しても なんにも見えない 触れない うちを守って 子どもを愛し 好きなことをできたらいいね という顔は、とぼけていて、ちゃんとそこにある お母さんは真っ暗闇に覆われたまま逝ってしまって ほんとうになにも思い出せないのです ぽっかりとあいたおそろしい穴ということだけ 「顔も体形もそっくりだね」と言われるけれど 家族の絵を描こうとするとあの人のところだけ 黒いぐちゃぐちゃ よって、わたしも黒いぐちゃぐちゃ かえして わたしのだいすきな家族を かえして ふつうの日々を虚ろのようにのみこんだ偉大な理想なんか かえせ あんなものかたっぱしっからたたっこわしてやる どんなにか、平和を祈りたかったでしょうか なのに、あんなにもまっくらすぎて 焼夷弾がパっと火をつけてくれて こわがりながら燃え上がれたら あの家は少しは、あかるかっただろう、などど わらいますか わたしを このようなことをいったら 真っ暗なお父さんも真っ暗なお母さんも ゴミをみるようにわたしをわらったのはかろうじてみえましたので いまだ泣きも怒りもしない、すこしニヤついた 気味の悪い顔で わたしはあなたをみあげています ---------------------------- [自由詩]夏の窓/田中修子[2017年8月10日0時42分] しかめっつらしてないでさ むりやりにもわらないでさ ぽかんと空をみようよ 窓がよごれていて みがきたくなるかも ふしぎだね むかしもいまもこのさきも どこかではかならず ひととひと、ころしあってるんだ こんなに洗濯物がはためく空なのに ほっといた窓のよごれにふっと 気づいて 指をふれる なにできれいにみがこうか ---------------------------- [自由詩]飴/田中修子[2017年8月25日9時38分] 幸せになって たいせつなお友だち 惜しみなくきれいなおいしい 飴をくちづけたい そんなものまだ わたしのなかに壊れきらず のこっているならば 幸せとはなんだろうね つらつらしていたら 山のあなたの空遠くにか なんて逃げたくもなるが そりゃ なんか ちがうだろ なにも怖くない世界がふつうで 清らかよと澄ましこむ 喉を切り裂きたくなるような かなしみを知らないですむ わたしにも あなたにも それはもう 叶わないけれど わたしのなかに おいしくてきれいな飴が まだ少しだけ 残って在るならば あげるよ この飴ぜんぶあげる もらって たといわたしが溶けてしまっても あなたが あなたの好きな人と やがてうみいつくしむ かなしみのない笑顔 世界の滋養 飴 ---------------------------- (ファイルの終わり)