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音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

増田聡・谷口文和 共著

価格:¥1,995(税込)
 
レビュー:原口昇平
 音楽の「いま」をとりまく状況とその問題がさまざまな角度から描写される。その緻密なスケッチを見るうちに、ひとによっては根本的な態度変更をせまられることになるだろう。
 本書は、グールドの例や、ストコフスキーがレコーディングの際に彼自身が理想とする音のためにオーケストラの配置を通常とは異なるふうにした例を引用しながら――また多くのレコーディング作業が、パート別に録音したあとでミキサーにかけて合成することに拠っていることなどをあげながら――オーディオによって再現されるべき「原音」はもともと鳴り響いたことなどなかった、というような主張をかかげる。そして、音楽が、DJによってオーディオから流されようが、あるいは何らかの楽器によって目の前で演奏されようがいずれも「生」なのだ、というふうに要約できるひとつの帰着を導き出している。
 だが「生」性、あるいは演奏者と聴衆の働きかけの双方向性について考えたとき――たしかに、もしもDJが介在していれば、スピーカから吐き出されるその音楽は聴衆とのやりとりのなかでブレを孕むかも知れないが――そうではなく通常のただCDを聴く際のようにオーディオだけが置かれている場合、そこでは、聴き手が音楽に何かをリターンさせていくことはできないのではないか。あるいは聴き手が再生ボタンや停止ボタンを押したり、ボリュームのつまみをひねることが、その音楽にそれ自体をブレさせるようなフィードバックを与え、「生」の双方向性に寄与するというのだろうか? そうだとすればそこでの聴き手は、ほんとうに聴き手なのか、それとも機材を操るDJのように、演奏者であるのか?
 同書は或る危険な領域に踏み込んでいる。というよりは、この論文の書かれた根拠となった音楽文化が、このような新しい問いを用意せずにはいなくなったのだ。ぼくの音楽観はずいぶん揺さぶられ、撹乱された。上記のような事項の他にも、今後の議論の火種となりそうな、さまざまな問題を同書は提示している。
 
レビュー:松岡宮
わたしのように若くない読者にとっては、クラブシーンにおける音楽の用いられ方というのが想像以上に、「著作権ミクスチャー」な状態なのだなぁということがわかる本でした。クラブの音楽について、たいへん詳しく解説してある本です。
 
「この曲は”使える”」
「DJフレンドリー」
 
などの言葉は、音楽というのが、すでに聞くためのものでなく、部品となっていることを実感させられました。
 
そういえばわたしの参加している、アマチュア音楽作品投稿サイトでも
「作品として練り込みたいタイプ」
「クラブ等で使ってもらうための作品」
「ライブ一発録り」
などの音源があって、なんかそれぞれの目指すものが違うから、コメントも難しいなあ〜〜って思った記憶があります。
 
この本を読んでいちばん実感したのは、音楽を提供する形というものがほんとうに変わってしまったことです。
むかし、好きなアーティストの膨大な曲から、自分なりのベストアルバムを作ったことがある方は多いと思います。そのとき、たぶん10曲編制あたりで作ったのではないかと思います。
 
ところが今は、MDでも長いものは何時間でも入り、1曲1曲はデータとして完璧な形で扱える・・・つまり、アルバムという形式が、アルバムとしてではなく、素材提供のような役割になってきています。
 
LPがCDになったとき、A面からB面にひっくり返すという前提がなくなり、それによってアルバムの曲編制は「真ん中で切る」ような価値観が無くなったと思います。
 
自分が音楽を味わうなかで、「そうか、若者文化はこうなっているのか。参考になったな。」という面と同時に「自分のなかでも知らずに音楽の扱い方がパーツ的になってきているんだな・・・」ということを実感する本でした。
 

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